著者
大村 敬一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.57-75, 2021

<p>本稿の目的は、先住民の存在論の1つ、カナダ極北圏の先住狩猟採集民のイヌイトの存在論を近代の存在論と比較することで、多種多様な生命体がダイナミックにもつれ合う現実の宇宙という地平で多様な先住民の存在論と近代の存在論を対称的に理解することがどのような可能性を拓くのかを考えることである。そのために、本稿ではまず、イヌイトが実際の宇宙で実践している生業活動の現実にイヌイトの存在論と近代の存在論を位置づけて検討する。そして、そのどちらか一方が現実を正しく映し出し、他方が単なる空想の産物であるというわけではなく、どちらの存在論も、その真偽を直接に確認することはできないが、生業活動でイヌイトが実感している経験を妥当に説明しうるものであるという点で等価であることを確認する。そのうえで、そうであるにもかかわらず、イヌイトが近代の存在論ではなく、イヌイトの存在論を採択しているのは何故なのかを考えながら、この2つの存在論をイヌイトの生業システムに位置づけて比較し、これらの共通点と差異を析出する。最後に、この分析に基づいて、多様な先住民の存在論と近代の存在論を等しく位置づけ、多種多様な生命体がもつれ合う現実の宇宙のなかで存在論がどのようなメカニズムで機能しているかを探る局所的な関係論的生成論の視点が、人類学の未来にどのような展望を拓くのかについて考察する。</p>
著者
飛内 悠子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.115-126, 2021

<p>In the past, Christianity was viewed by some as a "Repugnant Cultural Other" in anthropology studies, while others believed it should fall within this field. Against the background of the self-reflection of anthropologists, the number of anthropological studies of Christianity increased rapidly around the 1990s; however, these studies essentially objectified Western Christianity, classifying non-Western Christianity as "Other". The "Anthropology of Christianity" began around 2000 by reflecting critically on the attitude of these studies, but is yet in a nascent stage and faces problems. Nevertheless, it has a certain significance in that it enables us to rethink modernity—even anthropology itself—because there remain certain dichotomies such as modernity and non-modernity, Western and non-Western, and secular and religious. As they also confuse these dichotomies, non-Western anthropologists could contribute to this process of rethinking by joining the "Anthropology of Christianity".</p>
著者
近藤 祉秋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.96-114, 2021

<p>本稿では、渡り損ねた夏鳥の「残り鳥」や遡上するサケをめぐるディチナニクの実践について報告し、彼らが他種との間に築く「刹那的な絡まりあい」について論じる。北方アサバスカン民族誌学の先行研究では、「人間と動物」の二者関係が記述の枠組みとなってきたが、本稿では「人間-動物-ドムス」の三者関係から考察することを試みる。「刹那的な絡まりあい」は、ディチナニクが他種の生存に対する配慮を怠らない一方で、その関係性が束縛と支配に変わることを未然に防止しようとするせめぎ合いの中で生じるあり方である。ハラウェイは、人間と他種の「絡まりあい」を論じる際に、「自然と絡まりあう先住民」のイメージを前提として、「自然から独立する白人男性=人間」観を批判した。本稿の結論はハラウェイの前提には再検討の余地があることを示している。マルチスピーシーズ民族誌は人間と他種の絡まりあいに関する微細な記述を通して、生態学や生物学の視点からは扱われてこなかった側面を描くことができる。マルチスピーシーズ民族誌家は、人類学者独自の視点を通して、生態学者や生物学者の「人新世」論とより積極的な対話を図るべきである。本稿では、マルチスピーシーズ民族誌がとりうるそのような方向性の一例として、北米の生態学者によって提起された人新世論である「ハイパーキーストーン種」について民族誌事例を通じて検討する。</p>
著者
石森 大知
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.89, 2009

近年のメラネシアで顕在化したエスニック紛争や政治的不安定な状況下、公共宗教の観点から、キリスト教の教会が果たす役割に注目が集まっている。ソロモン諸島ニュージョージア島にクリスチャン・フェローシップ教会の教会ネットワークとは、聖霊憑依の経験を契機として親密圏が転化する形で創造された社会空間であり、そこに連帯意識や公権力への抵抗などの要素が潜在する。
著者
石森 大知
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2008, pp.171, 2008

マナをめぐる議論は、19世紀末のコドリントンによる報告以来、大変な蓄積がある。しかし、太平洋の人々がキリスト教徒となった現在でも、マナは伝統的信仰の象徴として扱われる一方、同概念とキリスト教的価値観との関連性は不問にされてきた。そこで本発表では、ソロモン諸島の事例に依拠し、マナは、聖霊とも結びつき、名詞的または実体的な「超自然的力」と認識されていることを明らかにするとともに、その社会・歴史的背景について考察をおこなう。
著者
竹沢 尚一郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.145-165, 2018

<p>『文化を書く』の出版から四半世紀が過ぎた。他者にどう向きあい、どう書くべきかを問うたこの書は、今も人類学者に少なからぬ影響を与えている。しかしその四半世紀前に、おなじように他者に対する書き方を問う運動が日本にもあったことはほとんど知られていない。本稿は、谷川雁と上野英信というふたりの著述家が作った「サークル村」の運動を追いながら、そこでなにが問われ、いかなる答えが準備され、いかにしてすぐれたモノグラフが生み出されたかを跡づける試みである。</p><p>第二次世界大戦が日本の敗戦で終わると、文学サークル等が各地に誕生した。なかでも異彩を放ったのが、1958年に筑豊に形成された「サークル村」であった。他のサークルが職場や地域を拠点として活動したのに対し、それは九州各地のサークルの連携をめざすことで戦後の文化運動のなかで特異な位置を占めた。</p><p>会員の多くは、炭坑夫や孫請労働者や商店員であるか、その傍らで生活する人びとであったが、彼らはそれだけで社会の底辺に位置づけられた人びとについて書くことが許容されるとは考えなかった。彼らはどう書くかの問いを突き詰め、それへの答えを用意した。人びとの語りを最大限尊重するための聞き書きの採用、概念ではなく平易な言葉で生活世界と思想を再現すること、知識人による簒奪を避けうる自立した作品の創造、差別や抑圧を生み出す社会の全体構造を明らかにすること、である。</p><p>エスノグラフィ記述の基本ともいうべきこれらの指針に沿って、会員たちは多くのモノグラフを生み出した。上野英信の炭坑とそこで働く労働者についての記述。女坑夫についての森崎和江の聞き書き。不知火海の漁民の生活世界と病いと、チッソや地域社会による抑圧を描いた石牟礼道子の『苦海浄土』。</p><p>特定の地域を対象に、そこで生きる人びとの行為や相互行為を丹念に記述し、さらに差別や排除を生みだした全体構造までを書き出したこれらのモノグラフは、戦後日本が生んだ最良のエスノグラフィのひとつといえる。これらの作品を生んだ背景を追い、その成立過程を追うことで、人類学の可能性を検証する。</p>
著者
野澤 俊介
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

マリノフスキーが発案した「交感」概念を言語人類学、とりわけ記号論的視点から再考し、交感性に分析の眼差しを向けることが「やりとりの人類学」における方法論的、理論的枠組みへどのように寄与するのかを考察する。ヤコブソンのコミュニケーション「機能」論による記号論的整理を背景に、近年取りざたされつつある交感性に関する議論を鑑みながら、交感性に重点を置く言語観の実例としてアメリカと日本からのケースを紹介する。
著者
真島 一郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.406-432, 1991

本稿の目的は,西アフリカ,象牙海岸共和国のダン族に於ける仮面表象を通して,秘密結社の政治体制を支えるその「力」観念の特質を探っていくことにある。ギニア湾西部のいわゆる《ポロ結社文化》の諸社会に比べ,ダンの社会では,権力の行使が秘密結社に集中している。ただ,結社権威の観念的な拠り所となる「力」は,実は妖術と同一の概念あり,重大な規範侵犯への制裁も妖術制裁の形をとっている。とりわけ,森由来の精霊である仮面は秘密結社と密接に連係し,結社と同じ「力」に訴えることで,制裁への恐怖に裏付けられた規範維持に寄与している。だが結社のイデオロギーは,邪悪な妖術と同じ本質を持つ「力」を自らの手で完全に正当化することができない。そこに,ダンの仮面表象に於いては例外的な,「面なき仮面」の生きる余地が生じてくる。秘密結社という支配集団は,「誰でもない」その声に託して,権力への自己言及の道を開こうとするのである。
著者
早川 真悠
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.140, 2009

超インフレーション下のジンバブエにおいて、通貨「ジンバブエドル(以下、 ZWD)」は、日々その価値を失う、銀行から現金をおろせない、お釣りがない、「使い物にならない、役に立たないカネ」である。ZWDをめぐる交換方法や扱われ方は、通常考えられる近代貨幣交換や扱いとは異なった様相を呈する。 使い物にならないはずの貨幣の使われ方について、事例をもとにジンバブエにおける特殊な通貨のあり方について考察する。
著者
佐野 賢治
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.235-258, 1976

The eel is an interesting creature from the standpoint of biology, that is, its migration, its geographical distribution, its transformation of sex and so on. And because of its mysterious life, many legends and beliefs concerning the eel also have been originated and transmitted all over the world since ancient times. What interests the author is the ethnographic information that some ethnic groups don,t eat eels at all in Formosa, Micronesia, the Philippines and so on, with relation to totem ,animal and ancestor worship. Although we can hear a lot of folklore concerning eels in Japan, a non-eel-diet taboo is almost always told with Buddhist Kokuzo-Belief. The folk-explanation is that an eel is the messenger or the favorite food of Kokuzo-Budhisattva (akasa-garbha) and therefore should not eat it. The purpose of this paper is to clarify the development of an interrelationship between eels and Kokuzo-Budhisatta and to analyse several aspects of a non-eel-diet taboo in the historical ,context. Japanese folktales around the eel are classified according to the following items : (a) An eel as the messenger of a Kami (god) or of Buddha. The deities usually represented being that of Suijin (a water deity) , Mishimamyojin (三島明神) , Konpiragongen (金比羅宮) or Kokuzo-Bodhisattva. (b) An eel which transforms itself into a man, usually a monk. This eel usually represents the guardian spirit of a pond or river. (c) A one-eyed eel. These always possess magical powers. (d) An unusual or mutated eel and its activities. (i. e. a red, yellow or white eel an eel having large ears.) (e) The origin of a place name after an eel ; i. e., eel-mound, eel-wamp, eel-abyss, eel-paddy, etc. An overview of these folk tales leads to the following concept : People in early times thought the eel was a water deity itself, or the messenger of a water deity who was the guardian spirit of a pond, marsh, river, deep or lake. The eel inspired apprehension among these primitive folk due to its strange appearance and activities. Also in Japan, there is some evidence which indicates that the eel may be a mythical ancestor. The belief that spiritual creatures in water bodies may change into a one-eyed eel, which indicates the tenement of a god, is an idea promulgated by the late Kunio Yanagita. In another legend, the eel appears in a deluge in which the eel is transformed into a monk who warns the populace of approaching disaster and consequently saves them from catastro-phe. Kokuzo-Bodhisattva beliefs have included the mitigation or avoidance of disaster since the Nara Period. One particular Kokuzo sutra, which prevailed widely among temples practicing Kokuzo beliefs in Japan, portrays Kokuzo-Bodhisattva as an itinerant priest who displays his ability to avert disaster more effectively than any other Bodhisattva. Shingon Sect priests (当山派修験) , as proponents of this Kokuzo belief, have connected this belief with that of the eel and its appearance during innundation. The aforementioned information is the product of research data obtained from Tokurenji Temple (徳蓮寺) in Mie Prefecture. Tokurenji Temple belongs to the Shingon Sect and has tradition that the itinerant Kobodaishi (a founder of the Shingon Sect) stayed at this temple at some point in its early history. Many "Ema" (small wooden tablets with an optative phrase and a suitable picture) are dedicated to this temple and most of them are pictures drawn with a catfish and an eel. we can guess that the catfish was added at a later date because of the synonimity of its name and the name of a skin disease "namazu" and the folk-connection of the catfish to the cure of the disease.
著者
濱谷 真理子 藏本 龍介
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第53回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F19, 2019 (Released:2019-10-01)

南アジア・東南アジア社会においては、「布施(dāna、dānなど)」と呼ばれる実践がみられる。本分科会では、インド、ミャンマー、スリランカにおいて「布施」として行われるさまざまな贈与の事例について、そこにはどのような規範や倫理がみられるのか、そしてそれはどのような社会関係や経済制度をもたらしているのかを検討する。それによって、「人間はなぜ他者に与えるのか」という問題に新たな視点を提供することを目的とする。
著者
尾崎 孝宏
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.3, pp.505-523, 2020

<p>本論は中国内モンゴル自治区中部における「旅游点」で展開されるエスニックツーリズムを事例に、筆者の実食データと対照させつつ、トランスカルチュラル状況の食文化の在り方について考察を加えることを目的とする。内モンゴルの旅游点で提供されるものは、食を中心としたエスニックツーリズムである。旅游点で提供される歌舞やアトラクションは、中国におけるエスニックツーリズムの大規模拠点である民族テーマパークにおける表象と連続性が見出される。一方、旅游点における食は、基本的にはと畜直後のヒツジの内臓と肉を塩ゆでで提供するという、モンゴル族の牧畜民における宴席の延長線上に位置づけることが可能である。メニュー構成の調節においてはゲストの嗜好性が反映されている一方、すべてを観光の場や漢族の眼差しに帰することは不適切である。例えば乳製品の抜絲(飴がけ)は、都市のモンゴル料理店で一般的に提供される。また、内モンゴルの内外で提供されるメニューがモンゴル料理店のメニューに取り込まれる過程にも、漢族との関係性への考慮は特に必要ない。エスニックツーリズムには異文化接触における身体性の適度な調節が不可欠である。内モンゴルの旅游点で出されるメニューに対してゲストが抱く安心感は、旅游点を訪れたゲストの直接的な経験とは切り離されているものの、都市のモンゴル料理店およびモンゴル族を中心としたその顧客を経由して構築されている。</p>
著者
関根 康正
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.504-505, 2009-12-31
著者
浜田 明範
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.632-650, 2017 (Released:2018-02-23)
参考文献数
37

2015年のノーベル医学生理学賞はアルテミシニンとイベルメクチンの開発に授与された。ノーベル財団がグローバルヘルスへの貢献を表彰したことは評価すべきことであるが、同時に、この受賞は、魔法の弾丸という薬剤観を強化する可能性も持っている。しかし、薬剤を開発すれば自動的に感染症が根絶されるわけではない。そこで本論では、イベルメクチンの集団投与と乳幼児に対するワクチン接種に焦点を当てながら、グローバルヘルスにおいて薬剤がどのように時空間に配置されているのかを化学的環境という概念を用いながら明らかにしていく。 薬剤の配置について分析する際には、空間的な広がりだけでなく、時間的な位置づけに着目する必要がある。ガーナ南部のカカオ農村地帯で活動している地域保健看護師たちは、イベルメクチンの集団投与の際には、科学研究に基づく薬剤と病原体の関係についての時間性と民族誌的知識に基づく人々の生活の時間性という2つの時間性を調整することによって化学的環境を改編している。彼女たちはまた、ワクチン接種の際に、自らを一定のリズムを刻む存在、つまり、化学的環境の一部として提示することにも成功している。このように地域保健看護師たちは、当該地域の環境に適応することと、自らを化学的環境の一部とすることという2つの方法を用いながら、化学的環境のリズムを作り出している。このようにして達成される環境への薬剤の配置は、環境についての認識に依拠しているだけでなく、環境を露わにするものでもあり、それを改編していくものでもある。 これらの議論を通じて、魔法の弾丸という薬剤観からの脱却を推し進めるとともに、時間性に注目することでこれまで空間的な配置にのみ焦点を当ててきた薬剤の人類学をアップデートし、薬剤について検討する際に化学的環境という概念が拓く可能性の所在を示すことが本論の目的である。
著者
島 五郎 木村 邦彦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.16, no.3-4, pp.280-283, 1952 (Released:2018-03-27)

アイヌ指紋各型の出現頻度は(1)総数に就いては尺側蹄状状が多く, 渦状紋が少なく, (2)隻手に就いては, 他の多くの人種と異なって, 左手より右手に尺側蹄状紋が多く, 渦状紋が少ない。この特徴は他人種に類例の稀なアイヌ指紋の特異点である。撓側蹄状紋も左手に比して右手に特に少なく現われる。以上の如き特異点を有するアイヌと和人-(1)総数に対する頻度はアイヌに比して尺側蹄状紋が少なく, 渦状紋が多く, (2)隻手に就いては男性では右手に尺側蹄状紋が少なく, 渦状紋多く, 女性では尺側蹄状紋と渦状紋が左右の手に略相半ばして現われ, 明らかにアイヌと異った特徴を有する和人-との第一代雜種の指紋は(1)総数に就いての頻度はなお強くアイヌ的特徴を有っているが, (2)隻手に現われる指紋各型の頻度には和人的特徴が強く見られるようである。(昭.26.11.8記)
著者
田中 雅一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

本発表では、日本人の女性セックスワーカーへのインタビュー・データをもとに、客と恋人の区別に注目することで、セックスワークという仕事の性格について考察する。2012年11月までに行ったセックスワーカー11人へのインタビューをもとに、セックスワーカーの恋人観、恋人と客とを区別するような行為や言説、客が恋人になる過程や葛藤を明らかにする。これによってこれまでのセックスワーク論批判を吟味する。