著者
劉 振業
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

本発表では、中国マカオ社会におけるディーラーの事例から、マカオ社会の「ディーラー時代」が抱える問題点について考察する。「ディーラー時代」とは、マカオ社会に最も重要な影響をもたらすのはディーラーであり、就職選択肢の少ないマカオ社会の中でディーラーを勤めて無為に過ごすディーラーたちの退廃感を指す。「低学歴高収入」のディーラーに対してマカオ政府は保護策を施しており、マカオ人しか勤めることができないと決めている。先行研究は主に若者ディーラーを対象としたアンケート調査であり、「ディーラー時代」におけるマカオのディーラーの退廃感の実態をよりよく理解するためには、年長者ディーラーの過去についての語りや、若者ディーラーの生へのアプローチが必要であると思われる。本発表は、「仕事」を超え、マカオ社会の安定性を保つために階層の流動性の低下を招いた必要性のある不必要な仕事であるディーラーの生き方について述べる。
著者
松永 康佑
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2021, 2021

樺太アイヌ古式舞踊の記録・継承を目的として、樺太アイヌ協会員の方々の舞踊の収録・モーションキャプチャ計測・撮影を行い、顔、衣装を含めた再現CG映像の制作を行った。過去に携わった伝統舞踊CG映像の経験をふまえつつ、AIベースの顔作成手法を取り入れた本制作のワークフローについて説明する。
著者
宮崎 あゆみ 野澤 俊介 フルカワ ギャビン
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

In this paper, we explore the discourse and performance of <i>josou</i>, 'men dressing as women,' based on our ongoing qualitative research on participants in university <i>josou</i> contests. We argue that these participants turn <i>josou</i> into diverse technologies of the self (Foucault 1988) through refashioning their own language and body and mobilizing a network of expertise and social relations for their labor of transformation.
著者
周 菲菲
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.25-43, 2021

<p>インターネットの普及によって大きく変容する中国人観光者によるオンライン・オフラインの多様な消費実践において、日本は「工匠精神」すなわち「匠の精神」(「職人気質」)の国として新たに形成されている。その実態を理解するために、本稿はアクターネットワーク論を参照しつつ、trip shoot(旅の写真やビデオの作成を中心とするスタイル)をはじめとする多様な個人旅行や、「遊学」や「研学」ツアーに関して参与観察や聞き取り調査を行うことによって、「ブラックボックス」として閉じられた「匠の精神」の内容とその形成のメカニズムを詳細に検討する。それに加え、研究参加者によるSNS投稿の分析と、インターネットにおける半構造化インタビューや動画サイトの視聴コメント分析といった、量的調査を含むオンライン調査による非干渉型の検証を結合した、観光をめぐるハイブリッド・エスノグラフィーの方法論的達成を目的とする。さらに、中国人観光者の「遊学」における「匠の精神」が、中国における伝統の再創造に再帰的につながっていることを明らかにする。</p>
著者
近森 高明
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.2, pp.202-212, 2017 (Released:2018-04-13)
参考文献数
30

Underground shopping areas are distinctive environments built in many of Japan’s major cities in the 1950’s and 1960’s. This article seeks to delineate the logic and principles underlying the spatial formations of those facilities. A model description can be found in Rem Koolhaas’ famous book, Delirious New York, in which he retroactively reconstructed ‘Manhattanism’ by focusing on how a set of systematic principles work within the seemingly chaotic conditions of skyscrapers. Such principles are derived from the ‘culture of congestion’ of Manhattan, which were also observable in Japanese urban conditions in the 1950’s and 1960’s. Following Koolhaas’ reconstruction, this article introduces the concept of ‘undergroundism’ and reconsiders Marc Augé’s concept of ‘non-place,’ which is widely referred to in the context of how globalization has transformed the urban space. The concept of ‘non-place’ is convincing when it describes the spatial quality of shopping malls, airports and motorways, which are all spaces dealing with the flow of people and things. However, the concept’s limitations are revealed when one considers how it relies on the narrative of globalization. It can be demonstrated that there were spaces before the age of globalization that shared qualities in common with those described by Augé as non- place; one of those is the Japanese underground shopping mall. The first Japanese underground shopping facility was built in 1930. It is crucial to note that the facility was annexed to a subway station, which meant that it targeted the flow of people using the subway to attract potential customers. That fact captures the essence of the facility: namely, as an apparatus to transform the flow of traffic into one of consumption. In the 1950’s and 1960’s, when Japan experienced rapid economic growth, the underground shopping facility was incorporated into the basic scheme of urban redevelopment. During the days of urban redevelopment, major cities were suffering from the problem of congestion and permanent traffic jams. It was determined that the solution would be to develop underground spaces, which would not only realize the separation of pedestrians from vehicles, but also create an ideal vehicle-free shopping area in the city center. A paradigm was invented for that, enabling the scheme of building underground shopping facilities to spread rapidly throughout the country. An analysis of the underground shopping facility identifies the following characteristics: that they 1)are parasitic, 2)multiply themselves, 3)are self-confined artificial spaces, 4)rely on the digital order of urban space, 5)are apparatuses for transforming flows and 6)are ruled by the principle of probability. Those are the principles that constitute undergroundism, which can suspend the narrative of globalization underpinning Augé’s use of the term of non-place. They also enable us to reconsider the continuity and transformation of non-place-like spaces within the history of urban space.
著者
宮本 馨太郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.22, no.1-2, pp.5-14, 1958-03-25 (Released:2018-03-27)

The Japanese Society of Etlmology held a tour of investigation during the period of July and August, 1938 for the purpose of surbeying the culture of the Northern peoples. It was the secood tour for the same purpose. The members of the tour were divided into two groups. The one was of ethnology and the other was of archaeology. The writer of this reoport joined the formaer group with Prof. Kiyoto Furuno (古野清人) and Prof. Akiyoshi Suda (須田昭義) and engaged in an anthropological and ethnological investigation into the aborigines of Saghalien (Karafuto) including the Oroks, the Gilyaks, and the Ainu of the west coast of the island. During the tour, se collected various kinds of tools used by these aborigines and filmed their every bay life with a 16m/m camera. The report here by introduced in the Japanese language is the writer's note on the above-mentioned matters used when he made an address at the meeting of The Minzokugaku Kenkyujo (The Ethnological Research Institute), an affiliated organization to The Japanese Society of Ethnology, held in May 1939. The note was made according to the talks given some Orakan menand women at Shisuka-Machi (敷香) including Washiraika (Wakichi Kitagawa, a man of 41 years old as of 1938) and an interview with Mr. and Mrs. Kawamura (川村秀弥) who were, at that time, working as the teachers at the Otasu Aborigines, Primary Schoo1. The writer's note covers the matters about the things that are necessary for their everyday life such as clothing, cooking, housing, fishing and hunting. There were many matters which would have been written in the note and were left out. Such matters will be introduced some other time. The writer is much in debted to Mr. Jiro Ikegami (池上二良), a linguist in representing the Orokan dialect in phonetic signs and appending notes to this report.
著者
井上 雅道
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.4, pp.499-522, 2013-03-31 (Released:2017-04-03)

帝国の時代にあって、生-権力は、多様な身体・意識・行為によって構成されるマルチチュードとの交渉の中で、いかにセキュリティを構築し自らを形成しているのか。本稿では、現実の世界がさまざまな出来事を通じて演劇的に構成される仕方を分析する「ドラマトゥルギー」の手法=視点を用いながら、アメリカの大学警察(ケンタッキー大学警察部)の史的かつ民族誌的記述を通してこの問いを考察したい。この目標に向けまず、大学警察が「いれば煙たがられ、いなければ文句を言われる」二律背反に直面するようになった経緯を、1960年代から1970年代にかけての学生運動とその後の歴史的文脈の中で検証する。続いて、いなくて文句を言われることがないよう警察が被疑者・犯罪者を「見る・排除する」プロセスが、いることで煙たがられることのないよう警察が自らをキャンパス共同体(マルチチュード)に「見せる」プロセスといかに交錯しているかを分析し、警察が被疑者・犯罪者とキャンパス共同体を含む三者関係の中で、死に対する(=排除する)権利を行使する「見る主体」と生に対する権力を行使する「見せる主体」とを統合するようになったこと、またこの統合が大学における生-権力=セキュリティの強化をもたらしていること、を明らかにする。その後「生-権力は際限なく強化され、私たちを無力化している」という先行研究の議論の妥当性を検討すべく、近年-特に9・11同時多発テロ以降-セキュリティが強化されたまさにそれゆえに、警察官の意識・行為において見る主体(「死に対する(=排除する)権利」)と見せる主体(「生に対する権力」)の統一が崩れ、そこにある種の危機が現れていることを明らかにする。更にこの危機を「生-権力の臨界」として概念化し、それが呼び起こすマルチチュードの新しい自由・自律への含意を論じた後、この含意を「大学のエスノグラフィー」の可能性の中で検討する。
著者
友松 夕香
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.78, 2010

地域社会で重要な樹木資源には、所有や分配のあり方を規定する制度が存在する場合がある。本報告では、ガーナ北部ダゴンバ人集落の女性の間でみられるシアナッツの収穫権を再分配する慣行に着目する。収穫権利が再分配される背景や条件を、資源量、控除性、分配規範、投下労働の原則、土着樹木への文化的信仰、排除性、シアナッツおよび収穫の生態的特性から考察する。
著者
大川 謙作
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第42回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.234, 2008 (Released:2008-05-27)

かつてのいわゆる「チベット旧社会」においては貴族(sku drag)が存在した。旧社会は1959年の新中国による「民主改革」によって大規模な構造転換を余儀なくされ、公的には貴族階級も消滅したかに見えたが、それから半世紀を経た今日においてもなお貴族集団は存続している。 本発表の目的はこの貴族の存続のロジックについて、先行研究を批判しつつ分析することであり、特に現代ラサでの日常会話を手がかりとしたい。
著者
土谷 輪
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.3, pp.436-452, 2020 (Released:2021-04-07)
参考文献数
25

本論の目的は、現代京都最大の祭礼である祇園祭に際して流通する「ちまき」という魔除けとそれにより構築される社会関係について、Graeberが論じたフェティッシュによる社会的創造論を批判的に捉えなおすとともに、モノ研究としてその流通を論じるべくKopytoffによるモノの位相に関する論考を参照しつつ考察することにある。Graeberの論じた社会的創造性、つまりフェティッシュへの合意により創造される社会関係の考察において、Graeberは社会関係の創造とフェティッシュの流通の関係を指摘しつつも、実際にどのような交換と流通が行われていたのかを考察の対象にしていなかった。結果としてそこではフェティッシュへの合意のみを基盤とした平板な社会が描かれていた。しかし実際の交換と流通の現場でフェティッシュというモノがいかに動いているかをみていくことで、より重層的な社会関係の理解が可能になる。本論はモノ研究の見地からこの点を論じるために、Kopytoffによるモノの位相論を参照する。Kopytoffはモノの位相として「商品(commodity)」と「特異(singular)」の2つを想定したが、これを再検討し分析に用いることで、京都においてちまきがいかに流通していくのかを解明し、そして人類学において流通するモノに着目することの意義を考察する。
著者
山口 睦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.3, pp.464-483, 2020 (Released:2021-04-07)
参考文献数
28

本稿は、山形県南陽市のある農家に保存されている贈答記録に記された献立、食材の分析から、近世・近代の村落部の饗応儀礼食における食材の商品化や外注料理の浸透の様相を明らかにするものである。また、参加者による食材の贈与や共同調理という協働行為で成立していた饗応儀礼食が、この200年余りでどのように変化したかについても検討する。主な資料とするのは、山形県南陽市の農家A家が保存する302点の私的文書(1772~2002年)である。この私的文書には、葬式・法要、結婚、出産、入院・病気、天災、旅行関係、普請、年祝い・年直し、軍隊関係などの通過儀礼に際する贈り物のやりとりが含まれており、宴会が開かれた際の献立も記録されている。 本稿では、葬式、結婚、年直し、普請の献立を分析し、加工品、野菜、果物、タンパク質の利用について200年間の変遷を明らかにした。また、帳面に記載されるA家と各行事の参列者との間で香典、祝儀、手伝い、品物、食材、饗応儀礼食、引物などが贈与され応答関係がみられた。自給作物の利用は、地域社会が豊かな生産の場であることの表れであり、さらにこれらの献立には食材の贈与と調理における協働という他者との関係性が内包されていた。A家の献立は、記録、保存、参考に調理するというA家における歴史的な身体的行為と、食材を共有し、共同調理を行うY地区という地理的、身体的共同性が交わるところに展開されてきたといえる。
著者
片岡 樹
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第49回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.D07, 2015 (Released:2015-05-13)

本報告は、タイ国における大乗系漢文経典を用いた読経方法、およびその知識の継承方法に関する調査の中間報告である。タイ国では漢文経典の読み方として最も普及しているのが、「五音」と俗称される特殊な人工言語によるものである。本報告では「五音」のタイ国での普及過程、および念仏会や寺廟儀礼での「五音」経典の用いられ方を検討することで、タイ国における漢文リテラシーの所在の一端を明らかにすることを試みる。
著者
川喜田 二郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究
巻号頁・発行日
vol.25, no.3, pp.180-181, 1961