著者
永田 貴聖
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第51回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.E09, 2017 (Released:2017-05-26)

本研究では、出自のナショナリティ・エスニシティを基盤として関係する側面だけでなく、移住先において、状況に応じて、移住先社会のマジョリティや他の移民と関係を構築することを明らかにする。本報告では、京都市・東九条地域を集住地域とする在日コリアン、日本人、フィリピン人移住者の関係形成、地域・多文化交流施設に集まるフィリピン人たちの同施設内での活動と地域の人びとと関係に焦点を当てる。
著者
新本 万里子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.1, pp.025-045, 2018 (Released:2019-02-24)
参考文献数
25

本稿は、モノの受容を要因とするケガレ観の変容を、女性の月経経験に対する意識とその世代間の違いに着目して明らかにすることを目的とする。パプアニューギニア、アベラム社会における月経処置の道具の変遷にしたがって、月経期間の女性たちがどのような身体感覚を経験し、月経期間をどのように過ごしているのかについて民族誌的な資料を提示する。その上で、月経を処置する道具を身体と外部の社会的環境を媒介するものとみなし、そこにどのような意識が生じるのかを考察する。これまで、パプアニューギニアにおいて象徴的に解釈されてきた月経のケガレ観を、女性たちの月経経験とケガレに対する意識との関連という日常生活のレベルから捉え直す。 本稿では、月経処置の道具の変遷にしたがい、女性たちを四世代に分類した。第一世代は、月経小屋とその背後の森、谷部の泉という場で月経期間を過ごした世代である。第二世代の女性たちは、布に座るという月経処置を経験した。この世代は、月経小屋が土間式から高床式に変化し、さらには月経小屋が作られなくなるという変化も経験している。第三世代は、下着に布を挟むという月経処置をした女性たちである。第四世代は、ナプキンを使用した女性たちである。各世代の女性たちの月経経験とケガレに対する意識との関係の分析を行い、第一世代の女性たちは、男性の生産の場から排除される自分の身体にマイナスの価値づけだけをしていたのではなく、むしろ男性の生産の場に入らないことによって、男性の生産に協力するという意識をもっていたことを明らかにする。第二世代、第三世代を経て、第四世代の女性たちは、月経のケガレに対する意識を維持しながらも、月経期間の禁忌をやり過ごすことができるようになったことを論じる。
著者
立川 陽仁
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第50回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.B15, 2016 (Released:2016-04-23)

本発表では、北米、北西海岸先住民がおこなってきたポトラッチについて、2つの点を検討する。1つには、研究史は「ポトラッチとは何か」という問題にいかに対応してきたのか。もう1つは、研究史はポトラッチでおこなわれる経済行為をどう解釈してきたのか。
著者
水野 信男
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.42-61, 2000

ウンム・クルスーム一この歌手の名を知らないエジプト人,ひいてはアラブ人がはたしているだろうか。実際そうおもえるほど,彼女はいまなお,彼らのこころのなかに生きている。中東地域の音文化のフィールドワークをつづけるうち,筆者はしばしば,ウンム・クルスームの名を耳にした。なかには,その歌の旋律を得意気にくちづきむ人もいた。すでに没後 25年になろうというのに,今なおカイロ放送は,ウンム・クルスームの往年の名歌をことあるごとに電波にのせているし,テレビもまた彼女の生前の演奏会の映像をながしつづけている。 エジプトばかりか,アラブ諸国を旅するごとに,ウンム・クルスームの歌が,そこに住む人びとのなかにつねに新鮮に息づいていることを実感する。ウンム・クルスームに関する音源資料はいまだに各地で続々とリリースされ,文献さえもあらたに刊行されている。ウンム・クルスームをして,これほどまでに現代にその存在を印象づける理由は, 一体何なのだろう。中東の旅でのこの素朴な疑問が,はからずも筆者をウンム・ クルスーム研究へと駆り立てた。そしてそのウンム・クルスームの芸術のなかに,中東の人びとが長年にわた ってつちかかってきた音文化が,さまざまのかたちで脈動していることに気づきはじめた。本稿では,ウンム・クルスームがその生涯をとおしてうたったおびただしい歌曲のレパートリーを追いながら,そこに投影するアラブ・イスラームの伝統をあとづけてみたい。
著者
田口 陽子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.135-152, 2019 (Released:2019-11-11)
参考文献数
30

人類学における親族論は、生殖医療技術の発展や、多様な婚姻制度の拡大や、グローバルなケア労働の再配置によって、再活性化してきた。「親族とは何か」という問いがより根本的に揺さぶられるとともに、親族関係を成り立たせている物語が切実な問題として立ち現れてきた。本稿は、インド都市部の世帯運営を事例に、相互に依存する関係のなかに生きる人々が、どのようにその関係を組み替えうるのかを考察する。そのさい、フィクションという視点から親族関係をとらえなおそうとする議論と、社会的想像力やモラリティの変容をめぐる議論を補助線とする。ムンバイの世帯という単位から親族を論じることで、社会と家族や公的領域と私的領域という境界にとらわれることなく、労働や責任や期待をめぐる語り口と実践を通して、人間のつながりや関係性を照らしだすことを試みる。 まずは、生物学的なものと社会的なものの区分を所与とせず、関係性をとらえなおそうとしてきた人類学的な親族論と物語をめぐる論点を整理する。つぎに「世帯」という単位を参照枠とし、グローバルなケア労働に関する議論を経由したうえで、インドにおけるヒエラルキカルなモラリティの変容について検討する。現代インド都市部における家事労働者をめぐる状況には、カースト分業/紐帯に、消費者の選択と労働者の権利をめぐる問題が入り込み、ヒエラルキーと交換という異なるモラリティが絡みあっている。本稿は、ムンバイを舞台に、一見ふつうの世帯の形成と維持を、民族誌的な物語として描いていく。そうすることで、日常的に作り出されている「奇妙な親族」に光を当て、婚姻と血縁からなる家族の規範に依拠するのではなく、また同等な個人間の交換に移行するのでもなく、別の形でつながりを想像し、他者との相互依存的な関係を構築していく可能性を考える。
著者
松岡 秀明
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.27-27, 2009

ブラジルで布教している日本の新宗教である世界救世教の非日系信者が、自らが信じる宗教をブラジルの諸宗教のなかでどのように位置づけているかを検討する。
著者
濱谷 真理子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.691-710, 2021

<p>本論文の目的は、北インドのヒンドゥー修行道場が実施する慈善活動、特に施食を通じてどのようにヴァナキュラーな行者社会が形成されているのか、受け手となる女性「家住行者」の視点から明らかにすることである。</p><p>インド・ヒンドゥー社会では、慈善活動は一般に「社会奉仕」もしくは単に「奉仕」と呼ばれる。奉仕の慣習はもともとカースト・ヒエラルヒーの中で目下の者から目上の者への義務・献身として広く行われてきたが、19世紀の社会宗教改革運動を機に博愛主義的な色合いを強めるようになった。現在では数多くの新興教団や政治団体が人類や国家への奉仕として慈善活動を実施し支持を集めている。その一方、人道主義の立場からはヒンドゥー的慈善活動が非対称的な社会関係や自己中心的な救済論を前提としており、社会の不平等性を改善しようとしていない点が批判されてきた。それに対しBornsteinは贈与を引き起こす衝動や共感に着目し、慈善活動の担い手の間に差異を超えた<私たちのサークル>が形成されうる可能性を提示した。本論文ではBornsteinの議論を参考にしつつ、これまで見過ごされてきた慈善活動の対象、すなわち贈与の受け手に着目する。そして、慈善活動を通じてどのように友愛的な紐帯が喚起され、それがヴァナキュラーな行者社会の形成に寄与しているのか、贈与の論理と共食の倫理という2つの観点から考察する。</p>
著者
関根 康正
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.84, no.4, pp.387-412, 2020

<p>本論文は、『社会人類学年報』45巻掲載論文を引き継ぐ形で、現代社会を席巻するネオリベラリズムという思潮を人類学の立場から根底的に批判する一連の研究の中に位置づけられる。アガンベンが指摘するように、生政治が実践される現代社会では代理民主主義という形で「例外状態の常態化」が進行している。現に、世界中で大多数の国民が「ホモ・サケル」状態に置かれるような格差どころか棄民される社会を生き始めている。この20年にわたる私の「ストリート人類学」研究は、現代の苦境で苦しむ被抑圧者、犠牲者の側の視点に立つことを明確に宣言している。それは、このネオリベラリズムという浅薄な進歩の歴史から見れば、「敗者」とされる人々の歴史を「下からのまなざし」で掘り起こし、そこに希望と救済の場所を構築していく作業に傾注する人類学である。故に、周辺化され「ストリート・エッジ」にある人たちが、それでも、生きられる場をどのように構築しているのかを、その同じ社会空間を共有する者として、注目してきた。その立場から、勝者の側の純化した「高貴な」まなざし=「往路のまなざし」のみではなく、他者性と共にある不純で汚れた雑多な敗者のまなざし=「復路のまなざし」を含みこんだ二重化=交差のまなざしが生きられる場には不可欠であることを見出してきた。その延長上で、本論文では、「ストリート人類学」のより確かな理論化に向けて、特に、ストリート・エッジの理解に有益なアガンベンの「例外状態」論を批判的に検討することを通じて、現代社会を生き抜く極限の様式として「往路と復路の二重化のまなざし」を持つ構えが現代人一般に要求されていることを明らかにする。その意味で、基本的にアガンベンの「新たな政治」の実現という目標を共有しているが、『ストリート人類学』のみならずむしろ私の研究の起点になった『ケガレの人類学』にまで遡って行われる独自の思考によって、その目標を真に実現していくための補完として本研究はある。ここでの議論を通じて、『ストリート人類学』が、その発想の基礎において『ケガレの人類学』の到達点をふまえていることが明確に自覚され、その結果、フーコー、メルロ・ポンティ、ベンヤミン、岩田慶治、アガンベンらの諸理論との新たな出会いがもたらされた。そうした先人との対話の総合的な結果としてストリート人類学の基本構造理論がここに提出されている。</p>
著者
関口 由彦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第49回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.E15, 2015 (Released:2015-05-13)

本発表は、北海道日高地方におけるアイヌ民族の文化継承をめぐる動きを事例として、そこに浮かび上がる「血」、「系譜」、「地域」の観念を検討する。それぞれの観念の複雑な絡み合いが、直接的な人と人とのつながりに基づく「アイヌ」や「仲間」といった自己認識を生み出し、自己のエスニックな帰属が文書資料によって規定される「人種化」(=出自/血統にもとづく帰属集団の固定化)という現実に抗う様態を考察する。
著者
脇田 道子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.50, 2011

インド北東部の中国、ブータンとの国境地帯に住むモンパとよばれる人びとの主として女性の民族衣装に焦点をあて、その変化が意味する「指定トライブ」としてのモンパ内部のエスニシティの生成と周辺のさまざまな民族集団とのローカルポリティクスについて考察する。同じ州の離れた地域に住むメンバや東ブータンの山岳地帯の牧畜民ブロクパとの関係についても、民族衣装を手掛かりとして考察を試みる。
著者
佐島 隆
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

イスラーム文化が卓越していると考えられるトルコのクルバン(犠牲)について、ハジュベクタシ町を中心にしてその多様な意味を明らかにしてみたい。クルバン(犠牲)についてはイスラームの文脈で説明されることが多いが、当該地域で観察すると、それ以外の方が多いことが、統計資料からも明らかになった。そこで個人や家族による願かけやアレヴィー・ベクタシの文脈行われるクルバンを中心にして報告する。
著者
近藤 祉秋
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2018, 2018

近年、日本の各地でニホンジカ(<i>Cervus nippon</i>)による獣害が問題とされるようになってきたことを受けて、国や地方自治体はシカ個体数の調整を喫緊の課題と見なすようになってきた。その動きを受けて、シカ肉の商品化が各地で試みられている。本発表では、九州山地のある「ジビエ」事業を事例として、ヘザー・パクソンが提唱したmicrobiopolitics概念をたよりとして、マルチスピーシーズ民族誌の観点から分析する。
著者
浮ヶ谷 幸代
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.393-413, 2013-01-31 (Released:2017-04-10)
被引用文献数
2

本稿の目的は、近代以降の医療・福祉をめぐる制度的専門家(以下医療専門家と表記)が臨床現場で抱えるサファリング(苦悩)の様態を明らかにし、医療専門家が自身のサファリングに向き合いながら、現場から編み出した対処の術(すべ)について明らかにすることである。1970年代以降、人文社会科学分野の医療化批判論や医療専門家内部での批判的検討を受けて、医療現場では問題解決志向システムという考え方に基づいて医療システムや医学教育を改革し、医療実践にかかわる監査委員会の設置など、改善策を打ち出してきた。度重なる医療改革や監査システムの強化は、医療専門家にとって臨床現場で新たな問題を生じさせるとともに葛藤や苦悩をも生み出してきた。他方、医療化批判論や医療人類学分野の病者のサファリング研究の文脈では、病者の苦悩のみが扱われ、医療専門家が抱える苦悩は看過されてきた。また、医療専門家自身も社会や患者からの期待に応えるように、自らの苦悩を隠したままであった。そこで、本稿では、医療人類学における病者のサファリング研究を敷衍して、医療専門家が抱えるサファリングについて記述、分析するとともに、近代の医療の専門性研究に新たな視座を提示することを試みる。具体的には、日本の看護師、精神保健福祉士、成年後見人という3種の専門家の事例を提示し、そこに見られる多職種間連携の分断化の問題や臨床現場での患者、利用者、依頼人との距離感という問題に伴うサファリングを明らかにする。そのうえで、医療専門家自らが編み出したサファリングへの対処の術としての知恵や技法、そして臨床現場で形成されたサファリングを共有する場について検討する。結論として、医療専門家が経験するサファリングは否定されるべきものでも排除されるべきものでもなく、サファリングと向き合うことこそが、サファリングに対処するための新たな術を生み出すという創造性の源泉となることを明らかにする。
著者
辻上 奈美江
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.82, no.3, pp.386-394, 2017 (Released:2018-05-16)
参考文献数
13

This paper points out epistemic violence over the ‘Afghan Girl’ whose photographic portrait became iconic after appearing on a National Geographic cover in 1985. It was during the Soviet occupation of Afghanistan, when the girl was photographed in Pakistan for the first time, which subsequently made her widely known in the West. Her picture articulates the image of innocent Afghans suffering from the ‘evildoing’ of the Soviets during the Cold War. It drew the sympathy of quite a few Westerners toward Afghan refugees, encouraging them to become involved in antiwar volunteer activities and charities. Despite her picture’s tremendous publicity, nothing was known about her until the curiosity about her re-emerged after a long hiatus when the Taliban regime collapsed due to attacks by NATO in 2001. By the time National Geographic crews found the ‘Afghan Girl’ again in Pakistan in 2002, her symbolic significance shifted from that of a victim of Soviet air strikes to one of the Taliban regime, notorious for having introduced sexist policies to Afghanistan. The rediscovery of the ‘Afghan Girl’ is associated with a paternalistic project aiming at saving the girl from a barbaric male-dominated society. The fact that the National Geographic decided to create the Afghan Girl’s Fund to support girls’ education is clear evidence that some Westerners view themselves as saviors of miserable girls who do not have access to proper education. They needed a woman—not a man—as an icon, one that can successfully project the image of a victim of female oppression to suit their convenience. The trajectory of the ‘Afghan Girl’ stimulates us to revisit Gayatri Spivak’s critique on speaking about women in subaltern classes. Spivak disclosed Foucault and Deleuze’s imperialist subject-constitution in her paper entitled “Can the Subaltern Speak?” She maps out the subjective sovereignty of varying elites(in her case, the British and Indian elites) by demonstrating the practice of sati, the burning of widows on their husbands’ funeral pyres, and its subsequent abolition in India. Spivak reached the conclusion that no one encounters the testimony of the women’s voice-consciousness, as subjective sovereignty is always conserved among the elites. This paper suggests some similarities between the ‘Afghan Girl’ and the controversy over sati. Whenever the magazine photographs and writes about the ‘Afghan Girl,’ the West is always presupposed as the subject. Global/ local elites represent her in a way suiting their interest. Although she is formidably publicized, her raison d’être is recognized only as a mirror of Westerners. As such, she is situated as ‘the other’ whose relevance fluctuates in accordance with the context of Western politics. This paper tries to problematize such issues, and looks into subjectivity, representation and the intersectionality of the ‘Afghan Girl’ from a post-colonial perspective.
著者
竹村 和朗
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

本発表は、個人の語りを書くことについて考察する。録音された対話をそのままテクストにしたドゥワイヤーの実験的民族誌の手法と異なり、発表者は、Gの語りを録音せず、わずかなメモと記憶にもとづき会話の後に記したフィールドノートを材料とする。この違いにもとづき、個人の語りを書く人類学者の役割は、「立ち聞きする者」でも「対話者」でもなく、聞いた話を自ら解釈し再構成する「ノンフィクション作家」であると論じる。