著者
能地 克宜
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.9, pp.43-52, 2007-09-10 (Released:2017-08-01)

室生犀星の小説「香爐を盗む」は、女性の嫉妬心による神経の異常が幻視・幻聴を来す様が描かれている。犀星が変態性欲作家と称されていた一九二一年前後、犀星は変態性欲だけでなく変態心理学全般に関心を寄せており、その関心がこの時期の小説を生み出していたのである。この時期の犀星の小説を支えていた感覚描写によって描かれた変態心理は、同時代や後の作家たちと比べて独自の、先駆的な感覚表現となっているのである。
著者
永井 聖剛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.67, no.6, pp.23-35, 2018-06-10 (Released:2023-07-01)

一般に、田山花袋文学におけるニーチェ思想の影響は、「美的生活論」(高山樗牛)を経由した「本能の満足」の主題化として認識されている。本稿が考察するのは、ニーチェの同時代読者としての花袋が、その弱者道徳批判(ルサンチマン)の思想をどう摂取し、小説作品に取り込んできたかである。そこで明らかになったのは、花袋がニーチェ思想を明らかに誤読し、そればかりか、〈自然〉の名のもとに、弱者を救済する反ニーチェ的な思想を構築していたことである。ただしそれは、花袋のオリジナルの思想というよりは、樗牛、蘆花らの同時代テクストとの相互関連性のなかで育まれたものであった。
著者
星 優也
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.67, no.6, pp.1-12, 2018-06-10 (Released:2023-07-01)

『神祇講式』は、神祇を〈本尊〉として衆生救済を祈る講式である。無住作『沙石集』や『中臣祓訓解』など中世神道書との関係が指摘されており、近年は神楽の祭文への展開が明らかになっている。本稿は、『神祇講式』に見られる「神冥」の表現に注目した。「神冥」は用例こそ鎌倉期に確認できるが、「神祇」と「神冥」の関係を考察することから、『神祇講式』では死者を含む、衆生を救済する「神冥」が創られたことを明らかにした。
著者
宮崎 靖士
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.11, pp.45-57, 2004-11-10 (Released:2017-08-01)

表題の作品-群の初出<連載>稿に認められる、作品外の作家イメージを積極的に取り込み、それを確定的ならざる=増殖的な作家像として読み手に送り返そうとする作品機構の生成を明らかにするとともに、そのような機構が、一人称語りの採用と相まった"語りつつある時間"の顕在化に由来する、真摯な<告白>及び全てが完了した時点から語られる唯一にして事実確認的な<過去>の表象に対して批評性をもって論じた。そのような本論の検討は、初期宇野浩二の文学的読みと、<連載>という近代的な文学形式との相互作用による(一種の)テキスト生成過程の解明とも換言できる。

2 0 0 0 OA 泉鏡花の芸術

著者
沢野 邦子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.12, no.12, pp.904-913, 1963-12-01 (Released:2017-08-01)
著者
十重田 裕一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.11, pp.15-26, 1994-11-10 (Released:2017-08-01)

本稿では、川端康成の小説「浅草紅団」(一九二九〜三〇)が同時代の映画状況とどのようにクロスしていたかを、このテクストの構想・創作期間に発表された、映画についての川端の言説や同時代の文学・映画状況を視野に入れながら考察することによって、一九三〇(昭5)年前後の「文学と映画」をめぐる多様な状況の一面を明らかにしようとした。
著者
板垣 俊一
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.31, no.4, pp.50-61, 1982-04-10 (Released:2017-08-01)

In one of its aspects the cherry is a symbol of nationalism, a symbol developed by the claim of Edo herbal studies that its only natural home is Japan. But the cherry has another symbolic aspect nurtured by folklore. This is the cherry as a tree that attracts spirits, that has flowers associated with fertility. From the folkloric point of view, the cherry is a symbol of fertility, death, and rebirth. The classical scholar Motoori Norinaga has long been considered a fountainhead of nationalistic thought. By reassessing his relation to the cherry (which he regarded as his personal symbol) from the folkloric point of view, and by focussing on the aspect of rebirth, the sources of his narcissism become clear. Moreover, it becomes evident that his literary views are fundamentally linoked to his concept of vitality.
著者
顔 淑蘭
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.6, pp.30-42, 2014-06-10 (Released:2019-06-10)

本稿は『支那游記』の夏丏尊(xia mianzun)抄訳「中国遊記」について、これまで参照されてこなかったいくつかの同時代的批評を取りあげ、その中国における受容のされ方について考察したものである。中国人読者が「中国遊記」を読んで示した反応は、批判と共感という相反するものであった。本稿は、この相反する文章のなかに夏丏尊の抄訳が与えた影響を確認した。そのなかから、「中国遊記」の批判に共感する受け止め方を取り上げ、『支那游記』から読み取れる芥川の中国観との間の齟齬を明らかにした。そのような齟齬から、「中国遊記」が目標言語環境の中国で獲得した、西洋化を批判して東方的伝統を擁護する『支那游記』とは異なった、中国伝統批判と西洋化推賞という新たな意味を浮かび上がらせた。
著者
石割 透
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.46, no.6, pp.67-78, 1997-06-10

一九一〇年代の後半、芥川龍之介や佐藤春夫、谷崎潤一郎らによって、盛んに探偵小説、怪奇小説的な作品が発表される。そうした文壇の片隅にあらわれた現象には、当時の時代状況が、敏感に反映しているのだが、なかでも谷崎潤一郎は、そうした作品の傾向に最も関心を示した作家であった。と同時に、この時期の谷崎はオスカー・ワイルドの芸術論の影響、更には私小説や民衆芸術の勃興に関わる形で、初期から既に孕まれていた「生活の芸術化」のモチーフが、一層顕著となり、それは<虚>と<実>のテーマに変容しつつ、一連の作品の系列を生み出していく。芥川の「地獄変」のあとをうけて、「大阪毎日新聞夕刊」「東京日日新聞」に連載された「白昼鬼語」は、谷崎の、この時期のそのような傾向を代表する作品である。本稿では、クリムトの絵画、写真、大阪毎日新聞に掲載された広告や記事などと関わらせつつ、「白昼鬼語」を分析、それによって当時の谷崎、及んでは文壇の一面を垣間見ようとしたものである。
著者
尾西 康充
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.64, no.11, pp.25-35, 2015-11-10 (Released:2020-12-02)

石川達三は、中央公論社特派員として、陥落後の南京にでかけ、京都第16師団津歩兵第33連隊の兵士に、直接取材した。凄惨を極めた戦闘では、婦女子への暴行や一般市民の虐殺などがみられ、達三はそれらの事実を小説「生きてゐる兵隊」のなかに描いた。しかしすぐに発禁処分となって、作家本人も新聞紙法違反に問われることになった。一九三〇年代の検閲の諸相を、中国の状況をふまえながら論述する。
著者
李 勇華
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.8, pp.47-60, 2014-08-10 (Released:2019-08-30)

「言語論的転回」以後、書かれたものならば、なんでもエクリチュールとされるので、「近代小説のエクリチュール」という表現はトートロジーではないか。また、「作者の死」が宣告されたので、主体のことが語りうるのかと言われるが、その通りである。しかしそれはポストモダンの文学研究の枠組みであり、それを超えるには、主体のあらためての召還、他者を認め、自己否定を内包する書く行為のある近代小説が求められる。それが田中実の〈近代小説〉の特徴である。それを明らかにするために、本稿ではバルトの書こうとする「小説」と絡めて、安藤宏の〈表現機構〉と田中実の〈第三項〉を比較してみたい。
著者
大谷 哲
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.34-45, 2011-02-10

「山椒大夫」では、典拠としての説経節の残酷性や復讐譚的要素は捨象され、現代的社会政策が加味された。これには「歴史小説」としての挫折との評価、鴎外の認識の結論として、そこに歴史的批判が加えられた。その後、語り手の領域の対象化の地平が拓かれた経緯はあるものの、説経節との対立構図により硬直化した「山椒大夫」の小説としての可能性については未だ一考の余地がある。例えば「山椒大夫」を論じる際にしばしば引かれるのが柳田國男「山荘太夫考」であるが、本稿は「近代」「文学」「物語/歴史」に纏わるものとして鴎外と柳田の言説、その論理性や戦略性を再確認する観点からも発している。「伝説と歴史の関係に対する認識」の両者の位相の落差とその内実を看過すれば、「山椒大夫」の小説としての可能性も見え難くなるだろう。両言説がいかに重なり、いかに背きあうのかについての整理分析、<読み>に主要な影響を及ぼすパラテクスト的関与性として鴎外「歴史其儘と歴史離れ」の再考も要件となるが、最重要事は小説の<語り>の分析と新たな<読み>の提示にある。これは、小説のディテール、表層を支える深層構造に踏み込み、プロットをプロットたらしめている内的必然性に迫るものである。
著者
村上 克尚
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.59, no.6, pp.34-43, 2010-06-10 (Released:2017-08-01)

本稿は、大江健三郎の「飼育」を、動物として殺される黒人兵の側から読み直す試みである。江藤淳は、近代主義の立場から、主体になれないものの排除を正当化し、三島由紀夫は、反近代主義の立場から、動物の死の瞬間に存在の連続性の開示を見て取ろうとした。しかし、「飼育」の内在的な読解から導出される反復と境界攬乱の主題は、共通の言葉を持たないもの、不在のものとの関係の重要性を提起する。この主題の捉え損ねは、六〇年代の江藤・三島の言説への批判的視座を提供するものである。
著者
垂水 千恵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.41-47, 2003-04-10 (Released:2017-08-01)

日本の植民地統治の結果、一九三〇年代以降の台湾では台湾人による日本語文学が生まれた。こうした日本語作品をも含めた形で台湾文学史を成立させていかなければならない台湾文学とは、まさに「〈外国語〉としての日本語」を内包したところから出発せざるを得なかった文学である。本稿では台湾文学史における難題「皇民文学」が提起する問題、および、日本語作家呂赫若の取った植民地作家としての三つの戦略-養子的戦略、言語的戦略、身体的戦略-について論じる。と同時に、それが日本文学研究と如何に切り結んでいくのか、といった問題提起を行いたい。
著者
千田 洋幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.10-17, 2014

<p>一九九〇年代後半から二〇〇〇年代にかけては、「この現実」に対抗する仮想世界や反世界を立ち上げようとする衝動が、さまざまな文化ジャンルにおいて顕在化した時代だった。たとえば、ポップカルチャーの一ジャンルであるアニメにおいては、パラレルワールド、時間ループ、変身といった物語要素がしばしば使用され、セカイ系や空気系の物語類型がデフォルトとなり、「もうひとつの世界」に牽引されていく視聴者の欲望の受け皿を作り出していく。現代文学の場において、そのような欲望をもっとも強力に吸い上げ、読者層の広がりを獲得していった存在が、村上春樹であることはいうまでもない。その行き着いた果てに、『1Q84』の世界が位置していると考えてもいいだろう。</p><p>だが、二〇一〇年代に至って、そういう世界観のリアルはすでに失われつつあるのではないか。その決定的な契機が二〇一一年の震災であったことは確かだが、実際にはそれ以前から、現代文化における現実/虚構の関係は――あくまでも二〇一〇年代的な形で――変容し、再編されつつあったように思う。それはすなわち、村上春樹的な世界観に終焉を告げ、過去へと押しやっていくことをも意味するだろう。本発表では、こうした視点からごく最近の文化コンテンツをいくつか取りあげ、どのような転回がそこに見いだされうるのかを検討してみることにしたい。その際、小説はもちろんだが、問題の所在をあきらかにするため、アニメ、アイドル、ボーカロイドといったポップカルチャーのジャンルにもしばしば触れていくことにする。</p>
著者
西山 克
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.7, pp.46-56, 1996-07-10 (Released:2017-08-01)

禅僧大極の日記『碧山日録』応仁二年一一月一九日条には、釜鳴りを鎮める作法-釜鳴法-が書き記されている。なかで興味深いのは、異性装によるトランス・ジェンダーにより釡鳴りが鎮まるとする法である。なぜ、異性装により釜鳴りが鎮まるのか。またこの釜鳴法が、現代日本の下位文化において語られるオカマという隠語と、どのように関わるのか。日本中世の女装者である持者の存在をも視野におさめながら、聖なるオカマを論じ、インドの両性具有者ヒジュラを遠望してみたい。