著者
横山 光雄
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.26, no.4, pp.2-12, 1962-03-30 (Released:2011-07-19)
参考文献数
9
著者
高橋 新平 曽我 聡 近藤 三雄
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.57, no.5, pp.163-168, 1993-03-31 (Released:2011-07-19)
参考文献数
6
被引用文献数
2 3

弱光条件下における芝草7種類の生育と光合成反応を実験によって把握した。その結果,(1) 耐陰性に優れるとされるケンタッキーブルーグラス, セントオーガスチングラス (緑葉) は他種に比較し弱光条件下で長期間生育できること, しかしセントオーガスチングラス (緑葉) は光強度増加にともなう光合成速度増加がケンタッキーブルーグラスよりも少ないこと,(2) セントオーガスチングラスの斑入種は緑葉種に比較し生育日数が短いこと, 光強度増加に伴う光合成速度増加が少ないこと,(3) ペレニアルライグラス, ケンタッキーブルーグラスは165μmol・m-2・S-1で飽和光合成速度に達することが推察され他種よりも健全に生育していることが把握できた。
著者
高橋 新平 近藤 三雄
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.54, no.5, pp.161-166, 1990-03-30 (Released:2011-07-19)
参考文献数
1
被引用文献数
1 2

遮光条件下における地被植物の生育適域は,(1) 相対照度50%~10%でセイヨウイワナンテン, フッキソウ緑葉種ならびに班入り種ヘデラカナリエンシスの基本種 (緑種) ならびに班入り種, ソヨゴ,(2) 相対照度100%~50%でツワブキならびにブイリツワブキ, サツキツツジ, マツバギク, トケイソウ,(3) 相対照度100%~10%でカロライナジャスミン, ビグノニア, メキシコマンネングサ, クレマチスアルマンディ,(4) 相対照度50%~0.0%でオモトであった。また, 班入り種と緑葉種の光合成速度を測定し, 光の強弱に対する生理反応の特性も把握できた。
著者
岡崎 文彬
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.30, no.4, pp.2-6,8, 1966-03-25 (Released:2011-07-19)
参考文献数
9

Jean-Jacques Rousseau et ErmenonvilleEn France également, it ne reste que peu de jardins paysagers bien que leur histoire soit relativement récente. Pour l'auteur, une des raisons de cette rareté est le fait que les jardins paysagers changent facilement avec le temps, surtout si on ne les soigne pas avec assiduité.Actuellement, it est encore possible de se rendre compte de l'aspect d'un jardin paysager au Petit Trianon, au Parc Monceau et dans quelques autres jardins. Mais c'est le Parc d'Ermenonville qu'il faut considérer comme le meilleur jardin paysager de l'époque préron ant que en France.Le Parc d'Ermenonville a été créé par le marquis René de Girardin d'aprés les idées de Jean-Jacques Rousseau qui était un admirateur passionné de la nature et qui vécut en ce lieu les six derniéres semaines de sa vie. Etant le seul jardin où les idées de la Nouvelle Héloïse ont été ralisées, le nom d'Ermenonville est inséparablement lié à celui de Jean-Jacques Rousseau.
著者
高柳 敦 若生 謙二 石田 敢 亀山 章
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.55, no.5, pp.25-30, 1991-03-31 (Released:2011-07-19)
参考文献数
4
被引用文献数
1 3

日本人の動物観をとらえるために, 動物に対する態度の類型化の調査をもとにして, アンケートによる全国調査を行った。 アンケートの設問は, S.ケラートがアメリカ人に対して行った同様な調査の設問を日本人に適するような内容に改めて用いた。日本人の動物観の特徴を動物に対する態度からみると, 審美的態度がもっとも高く, ついで宿神論的態度と倫理的度が高い。 このことから動物に対して心理的・情緒的態度が強いことがわかる。 また, 自然主義的態度や生態学的態度などの客観的・論理的態度は相対的に少なく, 実用的態度や支配者的態度などの動物を即物的に扱おうとする態度は少ないことが明らかにされた。
著者
喜多 明 下村 彰男
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
日本造園学会 全国大会 研究発表論文集 抄録
巻号頁・発行日
vol.2012, pp.26, 2012

マスメディアに掲載される地域の写真は,ものの見方が反映され,複数の観賞者に共有された地域像として定着する。しかし、景観保全には、地域像の歴史的・文化的な形成過程を考慮する必要がある。本研究は、京都北山杉を対象に,森林の変容を踏まえ,森林写真と掲載された記事の話題から森林像の変遷を明らかにし,実体としての森林とものの見方としての森林像との関係を考察した。森林の実体やその変化が正確に見られるのではなく、ものの見方を通して受け入れられていた。相似する森林に対し、時代によって異なるものの見方が付与されていた。今後、住民が森林像をどのように捉えるかを議論した上で、森林の形態や施業方法が検討されることが望ましい。
著者
槙村 久子
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.53, no.5, pp.281-286, 1989-03-30 (Released:2011-07-19)
参考文献数
16
被引用文献数
1

There is a great need of the cemetery by the densely inhabitant to the city, the increase of the nuclear family and the aging society in Japan. Then it needs an area of about 4000ha for the cemetery from 1985 to 2000. From a viewpoint of a folklore, the cemetery has to be a permanent residence. But the people who service to the memory of the ancestor are on the decrease by the change of an industrial structure, a moving of the population, a change of the lifestyle, a change to the nuclear family, increasing of single family. So the grave changes to be liquidity, neglected, individual. The cemetery will be a very important factor for the structure of the community.
著者
伊藤 いずみ 曽和 治好
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
日本造園学会 全国大会 研究発表論文集 抄録
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.7, 2010

多数の人が日本庭園を訪れているが、何を目的に訪れているのか、日本庭園にどのような価値を見出しているのか明らかではない。本論では、日本庭園に対する評価を、ブログのテキストマイニングを通して得ることを目的とした。全国の有名庭園を対象に、Yahooブログ検索を行い検索結果件数を取得し、ブログから日本庭園を評価したデータを抽出して、テキストマイニング手法を用いて分析を行った。ブログの語句分析から一般利用者の各庭園に対する評価傾向がわかった。また、日本庭園の評価が「自然」「造形」を核として、「五感」「行為」という体験、「歴史」「建築」「借景」などの庭の個性を加味した、複合した要素からなりたつことがわかった。
著者
清水 正之
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.25-33, 1970-08-29 (Released:2011-07-19)
参考文献数
21

With industrialization, which originated from the Industrial Revolution, and with development of transport facilities, urban population showed a remarkable increase. In England and Wales, the urban population was about 20 percent of the whole at the beginning of 19th century, but it increased to 80 percent at the beginning of 20th century. Ever since the population ratio of urban of rural districts has remained almost unchanged, notwithstanding the increase in total population.In those times when the urban population increased rapidly, “urban environment” was taken up as an important problem. The Public Health Act and Acts concerning Housing of the Working Class were carried into execution. The administrative organization was reformed simultaneously. When the urban population was nearly maximum, E. Howard put forward a doctrine for Garden City, that afterwards led to the fundamental principles of metropolis planning. Urban areas kept on sprawling together with automobile development. The Greater London Plan and the County of London Plan to distribute the population were proposed in view of making up London Conurbation as an ideal urban region. These plans, covering the road program for motorization of the city, were developed into the reconstruction basis of London in the immediate post-war years. As the results, establishment of green belts and construction of new towns along with Howard's idea of Garden City were brought to realization.These plans, grounded on a great deal of researches made by various committees, were the best for that time. But the population distribution program turned out fruitless because of rapid growth of employment in London region, so far as to be criticized “The Greater London plan of 1944 was prepared in restrictionist mood on premises inherited from a period of economic depression, ……it was based on the assumption that there would be a stationary population, economy and culture. It has hardly been a suitable framework for the guidance of development in a period of expansion.” The Royal Commission on Local Government in Greater London stated, “We have no hesitation in finding as a fact that the presuppositions of the Greater London Plan requir early reconsideraticn.” It is noteworthy that this Commission assume that the Green Belt Policy will be maintained and the boundary of the Review Area runs mainly through the Green Belt. Although there were criticism against the Green Belt Policy, millions of pounds have been spent by the Government on compensation and the green belt expansion overtures have been made. This proves how inveterat ely the Green Belt Policy in England has been framed to date.
著者
蓑茂 寿太郎
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.120-130, 1988-11-21 (Released:2011-07-19)
参考文献数
9
被引用文献数
1
著者
十代田 朗 安島 博幸 武井 裕之
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.55, no.5, pp.373-378, 1991-03-31 (Released:2011-07-19)
参考文献数
28
被引用文献数
1

戦前の東京には, 武蔵野を中心に数多くの別荘が存在していた。しかし, これらの別荘は同時代に高原や海浜に盛んに立地していた避暑・避寒を目的とした別荘とは異なり, 気温の違いを求めたものではなかった。これらはわが国における別荘の原型のひとつであるが, 武蔵野に関する研究は, 多くがその開発史や風景・イメージに関するものであり, 武蔵野に存在した別荘はあまり研究の対象とされることがなかった。そこで本研究では, 市区史, 地誌, 古地図, 現地踏査, 別荘所有者へのヒアリング, 伝記などによって, 戦前の武蔵野における別荘の多くが “はけ” に立地し, レクリエーション拠点, 書斎, 農園など多様な利用がされたこと, その成立背景を示した。
著者
小栗 達弘
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.20-22, 1975-08-14 (Released:2011-07-19)
参考文献数
4

芝生生産地に多くみられる腐植に富む黒ボク土壌が芝生の栽培生育にどのように影響しているかについて土壌の化学的性状の調査と芝生の栽培試験により検討した。各務原, 鈴鹿両黒ボク土壌ともpH値, 全炭素, 全窒素含量とも土層位が深まるにともない低くなる傾向が見られた。また沖積土壌は黒ボク土に比べ全炭素, 全窒素含量, 有機物含量とも非常に低い値を示した。芝生の栽培実験では, 沖積土より腐植量の多い黒ボク土, 特に黒ボク土の上層土での収量が大変に良い結果を示した。その結果,芝生の栽培育成には黒ボク土の上層土が大変有効であり,その腐植が植物養分のみならず,腐植の効用で土壌の物理的構造を良くし,芝生の栽培によりよい条件を与えるものと察知された。
著者
外村 中
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.215-221, 1990-01-25 (Released:2011-07-19)
参考文献数
40

通説によれば, 光福寺の開山和尚である宗心 (1541-1626) が, 立花の理論を応用した作庭手法をあみだし, 聖衆来迎寺の庭で, 自らその手法を実践したという。本稿は, 光福寺に伝わる文書を紹介検討し, 宗心の作庭手法は, 実は, 後世の捏造であり, また, 聖衆来迎寺の作庭者も, 宗心ではなく, 実は, 光福寺の門人で辰巳宗源という名の人物であった可能性があることを指摘するものである。
著者
永松 義博
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.1-9, 1985-08-19 (Released:2011-07-19)
被引用文献数
2 4

点字調査により, 戸外での運動, 遊びの領域等について調査を行なった。彼らの戸外活動への志向性は高く, 組織的で活動的なスポーツが好まれ, 盲児ではリズム的な要素や触覚的な遊器具を使っての遊びが大半となる。盲人女了では消極的な態度がみられ, 室内での遊びが多い。彼らの活動の場としては盲人施設, 盲学校校庭といった身近かな周辺空間であり, 基本的には友人との交友を伴って遊びが展開されていることが理解される。
著者
小林 昭裕
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.277-282, 1988-03-31 (Released:2011-07-19)
参考文献数
29
被引用文献数
1 1

石狩平野は低地に位置する立地条件から, 石狩川の洪水氾濫に幾度も見舞われてきた。そのため, 北海道開拓以来, 水害対策が継続的に取り組まれた。こうした中, 1981年8月に発生した洪水は, 記録的な豪雨が基本的要因であったが, 石狩平野の低地における水害対策上, 水系自体の治水に加え, 自然条件を考慮した土地利用の必要性が示された。本論では, 主として石狩平野特有の泥炭地等の低湿地の土地利用について, 考察した。
著者
押田 佳子 横内 憲久 岡田 智秀
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
日本造園学会 全国大会 研究発表論文集 抄録
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.37, 2010

江戸時代に「観光地」として脚光を浴びた鎌倉の海岸名所の景観構成を、十返舎一九「金草鞋 二十三編-江ノ島鎌倉廻り」における記述より把握した。その結果、筆者が訪れた全107地点のうち、景観についての記述は17地点でみられ、一九が平野部が狭く急峻な山地とわずかな海岸平地で構成される鎌倉の地形を活かし、俯瞰、仰瞰のシーン景観を用いて、通過地点より捉えた景観を表現することで旅の転換点を印象付けるよう演出していたことが伺えた。一方、海岸沿いに一続きである、江ノ嶋入口-七里の浜間では、連続した開放空間を捉える事が出来、かつ眺望の変化を楽しめることより、水平シークエンス景観による演出がなされていた。また、景観の記述がみられた17ヶ所中11ヶ所で海岸への眺望が捉えられていたことより、『金草鞋』において海岸景観が鎌倉地域を象徴する景観であることが伺えた。