著者
加藤 泰史 小松 香織 前川 健一 松田 純 宇佐美 公生 石川 健治 竹下 悦子 上原 麻有子 清水 正之 齋藤 純一 松井 佳子 後藤 玲子 小倉 紀蔵 村上 祐子 中村 元哉 小島 毅 品川 哲彦 水野 邦彦 林 香里
出版者
椙山女学園大学
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2018-06-11

平成30年度の研究計画にもとづき、8月に一橋大学で分担者および協力者(国内)と研究打ち合わせを行い、平成30年度の計画を確認すると同時に、分担者の村上祐子氏が研究発表を行った。また、分担者および協力者の何人かに、『思想』2019年3月号および4月号の特集で研究成果の一部を発表してもらうように再度依頼して確認した。なお、代表者の加藤は8月にWCP北京大会に参加してプレゼンテーションを行った。10月に代表者が渡独してシェーンリッヒ教授(ドレスデン工科大学)らと論文集の編集およびそれに関連した国際ワークショップ企画に関して打ち合わせを行うとともに、11月に一橋大学で網谷壮介氏(立教大学)らを招聘して概念史的研究の一環である「第7回スピノザ・コネクション」を開催した。12月に東京大学で、非欧米圏担当の分担者および協力者と研究打ち合わせを行うと同時に、金光来研究員(東京大学)の講演会を行った。平成31年1月に代表者が、10月に一橋大学で開催予定の国際ワークショップの企画および論文集編集の件で再度渡独し、クヴァンテ教授(ミュンスター大学)・ポルマン教授(ベルリン・AS大学)らと研究打ち合わせを行うと同時に、シェーンリッヒ教授の主催する研究会に参加した。3月に京都大学で、科研費のワークショップを開催し、代表者の加藤と分担者の小島・小倉両氏が研究発表を行い、またニーゼン教授(ハンブルク大学)・マリクス准教授(オスロ大学)・バーデン教授(イリノイ大学)・デルジオルジ教授(エセックス大学)を招聘して一橋大学で国際ワークショップと、さらに手代木陽教授(神戸高専)らを招聘して「第8回スピノザ・コネクション」を開催すると同時に、『ドイツ応用倫理学研究』第8号を刊行するとともに、科研費のHPも完成させた(http://www.soc.hit-u.ac.jp/~kato_yasushi/)。
著者
野崎 守英 加藤 敏 弘 睦夫 加藤 信朗 中村 昇 土橋 茂樹 田中 久文 清水 正之
出版者
中央大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2000

言葉には価値を示す言葉と事実を示す言葉とがある。その二つの性格が一つの言葉のうちで重なる場合もある。本研究では、言葉のそうした面について、参加者のさまざまな視角を提示し重ね合わせることを通して、倫理的な価値の多様なあり方の諸相を検討することを試みた。三年間の共同研究を経て明らかになったことを要約すると次のようになると思える。価値語・評価語のあり方にかかわって考えを進めるあり方には、大旨、少なくとも三つの方向がある。第一にあるのは、価値を含む言葉はそもそもどのような組成を備えて成り立つ、と見定めるのが妥当なのか、事実を示すとみなされる語と価値を示す語とは、どんな位相の差を示すものとしてあるのか、あるいはそうした位相の違いといったものなどはそもそもないと定める視点を立てることもできるのかどうか、といった点について、事を抽象する方向に眼を据えて思索を試みる、といった質の究明である。第二にあるのは、徳目としてしばしば話題にされる質の概念、あるいはもう少し広い幅で、人の価値指針となるような概念の成り立ちや意味を問う、といった視点からの究明である。儒学が倫理思想の体裁をとって問題にされる際には、そうした側面がとりわけ立ち上がることになる。旧来、この面の検討は、かなりなされることがあった、といえる。第三としてあるのは、広く日常にも用いられている言葉のうちに含まれている価値指示のあり方(たとえばさまざまな形容詞のうちに籠められているさまざまな価値内包性といったあり方)について、その意味内包のいろいろな方向の検討を試みるといった質の究明である。仔細は、報告集の参加者の論文のうちに見られる。
著者
清水 正之
出版者
日本ディルタイ協会
雑誌
ディルタイ研究 (ISSN:09142983)
巻号頁・発行日
vol.2011, no.22, pp.1-16, 2011 (Released:2022-02-02)

Die wissenschaftliche Forschung zur japanischen Geistesgeschichte, die es sich zur Aufgabe gemacht hat, die Entwicklung des japanischen Denkens vom Altertum bis zur Moderne philosophisch zu erfassen, begann in der Meiji-Zeit. HAGA Yaichi und MURAOKA Tsunetsugu, die als Väter der Disziplin gelten, standen forschungsmethodisch gesehen unter dem Einfluß der deutschen Philologie, vor allem der philologischen Arbeiten von August BÖCKH. Die Methode von WATSUJI Tetsuro baute sowohl auf der deutschen Philologie als auch auf der Hermeneutik von Wilhelm DILTHEY auf. Seine wissenschaftlichen Bemühungen wurden wie die einiger anderer im Zuge der in den letzten Jahren geübten Kritik am „Nationalstaat“ mit Vorwürfen belastet, weil sie nationalistisch seien und „das Japanische“ überbetonen. TSUCHIDA Kyoson fertigte einen weiteren theoretischen Entwurf zur Geistesgeschichte an. Obwohl er in den wissenschaftstheoretischen Gedanken Wilhelm Diltheys eingehend geforscht hat und ihm respektvoll gegenüberstand, lag ihm mehr an der Phänomenologie. Seine „offene“ Forschungsmethode zeigt m. E. eine Möglichkeit, Geistesgeschichte und Philosophie zu verbinden.
著者
水谷 仁 高橋 眞智子 清水 正之 刈屋 完 佐藤 広隆 芋川 玄爾
出版者
日本皮膚科学会西部支部
雑誌
西日本皮膚科 (ISSN:03869784)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.457-461, 2001-08-01 (Released:2010-09-02)
参考文献数
15
被引用文献数
14 14

アトピー性皮膚炎は,環境抗原に対する湿疹反応とともにIgEの産生過剰を伴うアレルギー性の免疫異常のほか,臨床的に乾燥性皮膚といわれる病態を示す。これは,皮膚バリアー機能に重要な役割を果している角質細胞間脂質であるセラミドが,顕著に減少していることによっていると推測されている。このことは減少したセラミドを外から補うことにより,バリアー機能が改善される可能性があり,さらにはアトピー性皮膚炎の改善が期待できる。天然セラミド2の類縁体である合成擬似セラミドを8%配合したクリームを外用することによる,アトピー性皮膚炎患者の乾燥皮膚に対する効果について,10%尿素クリームを対照として比較検討した。対象はアトピー性皮膚炎患者19例で前腕皮膚へ塗布し,皮膚所見及び総合判定により有用性を判定した。その結果,合成擬似セラミドを8%配合したクリーム使用群はその68%に有用性を認め,対照クリームとの比較でも有意な差を持って有用であった。さらに本試験開始前にダニの貼付試験で陽性であった4例について,試験製剤を4週間使用後に再度貼付試験を実施した。その結果,合成擬似セラミドを8%配合したクリーム使用群では4例すべてが陰性となり,バリアー機能が向上したと考えられた。以上より合成擬似セラミドを8%配合したクリームは,アトピー性皮膚炎患者皮膚に対する日常的なスキンケア剤として有用な製剤であると考えられた。
著者
野崎 守英 桜井 進 山田 隆信 中村 春作 山泉 進 百川 敬仁 豊澤 一 清水 正之
出版者
中央大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1990

1)私たちが意を用いたのは、なるべく多く討論の機会をつくることだった。1990年と91年にかけて、都合6度の会合の機会をえたが、これは、互いに考えを深め合うのにきわめて有効だった。2)私たちは、参加者の間に3つのグループを作った。ナショナリズム・ティーム、ロマンティシズム・ティーム、フォークロア・ティームがそれである。この3つのあり方が、18・19世紀に日本及びヨーロッパ領域に生じた言説のあり方を分析するのに、恰好の視角である、と私たちは考えたのである。そこで、何人かの思想家の思想を取り上げ、次の点を解明するために分析を施した。詳細は、報告書によって見られたい。(1)、「国家」がわれわれの時代において、世界空間を分かつ中心的な枠になったのはなぜか。そして、そうなったことにどういう問題点があるか。ナショナリズムの問題ということになる。(2)、ロマンティシズムといわれる思想動向が、心の故郷を過去に見出だすというかたちで登場するのはなぜか。ロマン的な心性というものは、まさにこの時期を特徴づけるものにほかならないが、その心の向きがかたどられているのはどんなヴェクトルか。(3)、この時期、ある人びとは、自分らの原型になると見做しうる生活のかたちを過去に探る営みをすることになる。こうしたフォークロアに関心を示す心のあり方に潜んでいるのはどういう動向か。3)この探究のあとで、私たちは、現代の倫理問題をどう考えたらよいか、その下敷きとなる知見をうることができたと思っている。今後、探究をより深めて行きたい。
著者
吉田 恵美子 村田 実 水谷 仁 清水 正之
出版者
公益社団法人 日本皮膚科学会
雑誌
日本皮膚科学会雑誌 (ISSN:0021499X)
巻号頁・発行日
vol.104, no.5, 1994

20歳女性の下腿にみられたM.chelonae subsp. abscessusによる難治性潰瘍を報告した.水族館勤務中にカワウソにより左下腿に咬傷をうけ消毒,抗生剤内服による治療をうけるが歯痕より皮疹は拡大し難治性潰瘍を形成.免疫不全,ステロイド投与などの既往はない.抗酸菌培養にてM. chelonae subsp.abscessus検出.抗結核剤,ミノサイクリンによる感受性検査では耐性を示したがミノサイクリン投与により潰瘍は著明に縮小し上皮化した.M. chelonae感染症は比較的希な疾患であるが,難治性外傷性潰瘍を見た場合考慮すべきものと考えられた.
著者
湯浅 徹也 朝日 国比古 高橋 真智子 橋本 健治 谷口 芳記 清水 正之
出版者
Meeting of Osaka Dermatological Association
雑誌
皮膚 (ISSN:00181390)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.341-345, 1995 (Released:2010-08-25)
参考文献数
13

35%水酸化ナトリウムにより, 顔面, 頚部, 四肢, 躯幹を受傷した19歳, 女性例を報告した。流水洗浄, 生食洗浄後, 保存的に経過をみたところ, 洗浄の遅れた胸腹部のみに瘢痕を残し治癒した。アルカリによる化学熱傷は受傷直後の洗浄が, 予後を決定する重要な因子と考えられた。
著者
清水 正之 矢谷 隆一
出版者
日本皮膚科学会大阪地方会
雑誌
皮膚 (ISSN:00181390)
巻号頁・発行日
vol.23, no.5, pp.626-628, 1981 (Released:2010-08-25)
参考文献数
7

DNCBマウス接触皮膚炎の反応惹起時の表皮基底細胞の3H-チミジンの取り込みの抑制を外用コルチコステロイド剤(Betamethasone dipropionate, Clobetasol propionate, FluocinonideおよびBetamethasone valerate cream)はしめした。人培養線維芽細胞の分裂抑制効果をBetamethasone dipropionate, Betamethasone valerateは共にしめし,さらに濃度にその抑制効果は比例した。しかし2薬剤間で分裂抑制効果には差をみとめなかった。
著者
清水 正之
出版者
社団法人 日本造園学会
雑誌
造園雑誌 (ISSN:03877248)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.25-33, 1970-08-29 (Released:2011-07-19)
参考文献数
21

With industrialization, which originated from the Industrial Revolution, and with development of transport facilities, urban population showed a remarkable increase. In England and Wales, the urban population was about 20 percent of the whole at the beginning of 19th century, but it increased to 80 percent at the beginning of 20th century. Ever since the population ratio of urban of rural districts has remained almost unchanged, notwithstanding the increase in total population.In those times when the urban population increased rapidly, “urban environment” was taken up as an important problem. The Public Health Act and Acts concerning Housing of the Working Class were carried into execution. The administrative organization was reformed simultaneously. When the urban population was nearly maximum, E. Howard put forward a doctrine for Garden City, that afterwards led to the fundamental principles of metropolis planning. Urban areas kept on sprawling together with automobile development. The Greater London Plan and the County of London Plan to distribute the population were proposed in view of making up London Conurbation as an ideal urban region. These plans, covering the road program for motorization of the city, were developed into the reconstruction basis of London in the immediate post-war years. As the results, establishment of green belts and construction of new towns along with Howard's idea of Garden City were brought to realization.These plans, grounded on a great deal of researches made by various committees, were the best for that time. But the population distribution program turned out fruitless because of rapid growth of employment in London region, so far as to be criticized “The Greater London plan of 1944 was prepared in restrictionist mood on premises inherited from a period of economic depression, ……it was based on the assumption that there would be a stationary population, economy and culture. It has hardly been a suitable framework for the guidance of development in a period of expansion.” The Royal Commission on Local Government in Greater London stated, “We have no hesitation in finding as a fact that the presuppositions of the Greater London Plan requir early reconsideraticn.” It is noteworthy that this Commission assume that the Green Belt Policy will be maintained and the boundary of the Review Area runs mainly through the Green Belt. Although there were criticism against the Green Belt Policy, millions of pounds have been spent by the Government on compensation and the green belt expansion overtures have been made. This proves how inveterat ely the Green Belt Policy in England has been framed to date.