著者
金田 章裕
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.1-20, 1986-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
28
被引用文献数
2 1

条里プランの完成・変容・崩壊のプロセスやその古代・中世における機能について,絵図類における表現に注目しつつ,包括的な検討を進めた。 条里プランは, 8世紀の中頃に,すでに存在していた条里地割に加えて条里呼称法が導入されることによって完成した.これは,三世一身法と墾田永年私財法の下での私領の増大と,それに伴う土地の記録・確認作業の急増に対応するものであったと考えられる.従って,条里プランは律令と共に中国から直輸入されたものでも,班田収授の開始と共に完成した形で存在したものでもなかった・また,唐代中国の一般的な土地表示法とも異なっており,古代日本の実情に合わせて次第に完成度を高めていったものであり,この点では都城プランにおける土地表示法とも同一軌道上にあった. このような条里プランは,一条一巻として作製された班田図に明示されて使用されたが,これには条ごとに里を連続して描いたものと,条ごとではあっても,里を一つ一つ個別に描いたものとがあったと考えられる.現存する絵図類には,この双方の様式を反映したものを確認することができる。 このような条里プランは,班田制崩壊後もさまざまな土地関係の許可あるいは権利・義務などの単位として,中世に至るまで重要な役割を果し続けた.とくに坪の区画が果した意義は大きく,これが今日まで広範囲にわたって条里地割を存続させ,村落景観の基盤となっている大きな理由である. これに対して,里の区画の方は条里呼称の単位として以上の機能を本来は有していなかったが,荘園あるいは村の境界として使用された場合もあった. 条里プランは,定着度の高い地域では16世紀まで機能し続けたが,中世には必要:性や情報量の多寡によって,絵図類などの表現にさまざまな間違いを生じていることもあった. 以上のような条里プランの完成・定着・崩壊のプロセスとともに,土地表示法は典型的には,古代的地名の条里地割に対応する分割ないし再編,条里呼称法と古代的小字地名の併用,条里呼称法のみによる表示,条里呼称法と小字地名の併用,といったプロセスをたどり,遅くとも16世紀末までに,現状のように小字地名のみによる表示法へと変化した.これらの各段階は歴史的な社会的・経済的段階と対応するものであり,同時に日本の村落景観の形成プロセスないし画期にかかわるものである.条里プランは,日本の歴史地理研究において,重要:かつ有効な手がかりとなるものである.
著者
千葉 徳爾
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.21-30, 1986-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
1 1

本研究で取扱う地域は,中国中南部の揚子江流域と南嶺以南の南海岸に至る流域を含む.これらの地域の河川の水は黄土色か赤茶色で,山腹や山麓にはほとんど緑の森林がみられない.これらの現象ははげしい土壌侵蝕によるものである.本論文ではこれら地域での侵蝕の過程について考察する. この地方の加速的土壌侵蝕のはじまりは,ほぼ16世紀ころにさかのぼる.それは耕地が丘陵の斜面へと拡大したことに起因する.侵蝕の原因と影響については中国方志に記録されかつ説明されている. 耕地の加速的侵蝕の原因は,特に新しい作物として新大陸(アメリカ)から導入された玉蜀黍・落花生・甘藷・タバコなどの商品作物の作付である.これらの商品作物の耕作方法は,丘陵の斜面を伐採し,肥沃な土壌の侵蝕を防ぐことなく,これらの作物を植えつける。これら中耕作物の丘陵斜面への作付方式は,この地方の伝統的農法に存在しないものであった.はげしい雨は新しい農地の表土を容易に侵蝕してしまったのである. 玉蜀黍のある品種はコロンブスの時代以前から中国南西部雲南省には栽培されていた.ところが新らしい玉蜀黍栽培の方法は,伝統的な農法を無視し,加速的な土壌侵蝕の原因となった.このことは重大な文化的誤りの一例である。
著者
平岡 マリオ
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.1-23, 1985-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
69
被引用文献数
18 29

本稿は,ペルー・アマゾンの氾濫原を生活空間としたメスチソの自給的生活様式を,文化生態論的視点から検討したものである。河川を中心とする経済は,土着的な資源利用の技術に基づいており,河川水の水平的および垂直的な運動によって生じる多様なバイオトープを,体系的に利用するものである。河岸に居住するメスチソの自給的生活様式を説明するために,DENEVANが提出した,農業の水平的地帯分化のモデルを用いた。住民の食料および衣料にかかわる需要の大部分は,農耕によって満される。混植型の焼畑移動耕作と,多品種永久畑耕作の二つの農耕システムが存在する。前者は,洪水に見舞われることのない堤防上で行われるが,後者は,毎年増水期に水没する土地で見られる。農耕以外には,食料と市場に出す財を得るための重要な補足的な生業として,採集,漁〓,狩猟が行われている。こうした伝統的な生業技術嫉・市場経済に対して適応力を示してきており,この点で,アマゾソ開発には潜在的な価値を持ち得るものであろう。氾濫原の土壌では,河川の氾濫によって,植物のための栄養物質が周期的に供給されるため,収穫の持続した農業と,余剰食料の生産が可能である。また,多様なバイオトープを利用する農業は,家族農業に適している。したがって,とくに農業の生産性が低く,人口の稠密な地域から,多数の人口を受け入れる潜在力が存在する。大規模な農業開発行為によって,著しい環境破壊が生じている河間地帯に比較して,氾濫原の環境は,集約的で継続的な利用に,より大きな可能性を有するのである。
著者
上野 健一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.24-48, 1985-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
45
被引用文献数
5 5

関東大震災が起こる以前の大正中期の東京は,江戸時代からの城下町的伝統を一部に保ちながら,近代都市として脱皮しつつある途上で,近代都市としての都市構造が基本的に形成された時期である。 本稿は,大正中期の東京における居住地域構造を因子生態的方法によって解明した。まず,東京市内を816地区に区分し,各地区に関する19変数を入力変数として,データ行列を作成し,これに因子分析をくわえた。その結果,6つの共通因子が抽出され,それらの中で第1因子は家族的地位,第2因子は公務・自由業従事者,第3因子は高齢独身女性とそれぞれ解釈された。さらに,これら6因子の因子得点を入力変数として,クラスター分析を行ない,居住地域に関する5つの基本類型と5つの副類型とに区分した。そして,これらの居住地域に関する基本類型および副類型を利用して,大正中期の東京における居住地域構造の基本的な構造をモデル化した。その結果,この時期の東京における居住地域構造は,従来いわれていた「山手」・「下町」という単純な空間的モデルでは充分説明できないことがわかった。すなわち,東京の中心部は商業従事者の卓越地域であり,また,東部は子もち夫婦の工業従事者中世帯の卓越地域がみられ,この地域が当時の東京で最も広い面積を占めていた。これに対して,東京西部は公務・自由業従事者の卓越する地域であり,東京東部の縁辺部は工業労働者の卓越する地域であった。そして,大正中期の東京における居住地域構造は,江戸の都市構造に明治以後に形成された地域構造が改変・追加されることにより形成されていたとみることができ,したがって,当時の東京は都市的発展段階として,工業化途上の都市と位置づけることができる。
著者
熊木 洋太
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.49-60, 1985-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
47
被引用文献数
11 9

南関東の沿岸域の完新世後期における地殻変動を明らかにするため,房総半島南部,三浦半島,大磯-国府津地域の完新世海成段丘の分布,形成年代,高度などを調査した。 明瞭な完新世海成段丘は,房総半島南部では4段(沼I~沼IV),三浦半島では3段(野比I~野比III),大磯-国府津地域では3段(中村原,前川,押切)に区分することができる。従来よく知られていなかった三浦半島の完新世段丘(野比I~野比III)の形成年代は,約6000年前,4600年前,3100年前であり,沼I~沼III面にほぼ対比できるものと思われる。しかし,沼IV面に対比される段丘面が三浦半島や大磯-国府津地域に見られないことは,段丘面の離水が南関東において一斉に行われているとは限らないことを示している。 完新世最高海面期(約6000年前)に形成された完新世最高位海成段丘面(沼I面,野比I面,中村原面)の高度分布は,内陸への傾動に西北西-東南東方向の軸を持つ波曲が重なっていることを示している。この高度分布は,元禄型,大正型の地震隆起だけでは説明できない。 完新世段面は,三浦半島の活断層および国府津-松田断層により変位しており,これらの断層が完新世後半においても活動していることを示している。 完新世最高位段丘形成後の平均隆起速度は,更新世後期以降の平均隆起速度より大きいので,更新世後期に比べて完新世の地殻変動はより活発であると思われる。
著者
高村 弘毅
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.61-73, 1985-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
13

地下水環境の悪化は,地下水資源の開発ばかりでなく,地形の改変やビルの建設などに起因する場合もある。たとえば,道路の建設や鉄道の敷設に伴う線形掘削は,地下水位の低下や水質汚染,井戸の枯渇といった現象を引き起こす。本研究は,常磐自動車道柏市工区付近における線形掘削工事によって発生するものと予想される地下水位の変動を,1975年~1976年にわたる調査によって得られた資料に基き,数値解析によって予測することを目的とした。 対象地域の地層は,関東ローム層・常総粘土層が全体をおおい,その下に成田層群が存在するが,この地域の東部では,常総粘土層の下位に竜ケ崎砂層が分布して成田層をおおっている。地下水は,ローム層・成田層の砂層中に存在している。この地域の地下水は,おおむね降雨によって涵養されている。この地下水は,台地より低位の部分,すなわち台地端の沖積低地及び洪積台地中にある開析谷へ自然に流出する場合と,人工的な汲み揚げによる場合,さらにより深い層へ浸透する場合とがある。以上のことから,この地域のシミュレーションには自由地下水の水平二次元モデルを用いることとした。また,開放掘削した場合について,鉛直二次元モデルにより水平モデルの検証を行なった。 計算対象領域は幅1 km,長さ3.5 kmの長方形の領域で,境界条件は現状,排水,止水の3種類を設定した。計算は二段階に分けて行ない,第一段階では帯水層常数の決定を,第二段階では線形掘削による影響の予測を目的とした。 数値解折によって得られた結果は以下のとおりである。 (1)排水条件を与えた場合,台地全般にかなりの水位低下が生じることが予想される。 (2)止水した場合,地下水上流側で2m位の水位上昇が生じる場所が予想される。下流側での水位降下は一部で2m以上になることがあるが,排水の場合に比べると,その影響ははるかに小さい。 (3)区間によって条件を変えた場合,条件が変わる地点の前後300m位の区間において,条件を変えたことの影響があらわれる。 (4)鉛直二次元モデルを用いて排水時の計算を行なった結果,鉛直方向の水頭変化はほとんどなく,自由地下水面は水平モデルによって求めたものとかなり近い位置になった。このことから,水平モデルの仮定が無理なく適応できることがわかった。
著者
河村 武
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.83-94, 1985-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
12
被引用文献数
14 16

戦後の東京およびその周辺地域における大気環境の著しい変化を,大気汚染と都市化に伴う都市気候の面から展望した。大気汚染とその直接の影響が反映する視程の推移を見ると,(1)1949年以前,(2)1950-1963年,(3)1964-1970年,(4)1971年以降の4期に分けられ,経済活動や使用燃料の変遷や大気汚染対策などの要因との対応が明らかである。都市域の拡大や都市活動の変遷に対応して,ヒートアイランドが拡大しその強度が強くなったばかりでなく,大気汚染との相互作用が,1960年代の汚染最盛期のクールアイランドの形成やSO2濃度の日変化型の推移に見られる.また都市内外のクーリングディグリーデーや体感気候の差にも言及した.
著者
森川 洋 成 俊〓
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.95-114, 1985-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
15

定期市研究では市場の制度や移動商人の研究が中心をなしてきたが,利用者に関する研究も必要である.特に,都市システムの発達した韓国の定期市は低次中心地として利用されており,中心地としてとらえられる. 忠清南道公州付近の定期市に関する前回の調査では,定期市は生活必需品の分配と農畜産物の集荷の両機能をもつもので,周辺地域に居住する農民によって支えられているとしたが,本研究においてもほぼ同様の結論を得た.すなわち,ソウル市の南東50~100kmにある本地域では,定期市の訪問回数は専業農家よりもその近くに住む農家の方が多いが,定期市滞在時間では農畜産物の販売をかねた専業農家の方が長く,農家の生活にとっては重要な役割を果しているものと考えられる. 日本の低次中心地でも,第2次大戦前には農畜産物の集荷機能をもち,低次中心地としての機能は類似したものであった.ただし,日本では都市化の過程で早期に低次中心地が衰退したのに対して,日本統治時代の韓国では農村は旧態依然とした姿をとどめたままで都市化が進行し,伝統的な低次中心地が長く存続してきたものと考えられる. しかし最近10年間には定期市の利用は著しく減少しており,廃市後の集落にもサービス施設が設置され,新しい中心地システムが形成されつつある.本地域では今日人口流出が増加し,また住民の生活圏も拡大しており,定期市や低次中心地は将来深刻な打撃を受けることが予想される。 なお,本研究は昭和58~59年度文部省科学研究費「韓国における中心地システムと定期市」;課題番号:一般研究(C)58580180の補助を受けている.
著者
太田 勇
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.115-129, 1985-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
39
被引用文献数
1 1

シンガポールの今日の経済繁栄は,全国民の英語化政策に象徴される強力な国民統合への努力に負うところが大きい.政府関係者はもちろん,ほとんどすべてのシンガポール人学者が,この政策を高く評価している.しかしその反面,独立後20年間に強行された華語系人への抑圧は語られず,現在の政治的安定と物的生活の向上にのみ注意が払われがちである.ここへ至るまでに,英語系エリート主導の人民行動党政府が,いかに華語教育を衰退させたか,いかにアジア系公用語の地位を低下させたかがもっと重視されてよい。筆者はこの観点から,シンガポールの経済繁栄は多数派の華語華人の文化的敗北をもたらし,華語の社会的機能を少数派言語のマレー,タミル両語並みに低めたことに言及した。 また,英語国化をとげつつあるが,シンガポール独自の文化的特色を反映させた言語の土着化には賛成が少なく,イギリス英語至上の思想が指導者層に一般化している.彼らにとっては,国際的に通用する英語こそが習得に価いするのであり,局地的にしか使われない型の英語は異端なのである.それは,国の経済規模が小さく,政治的には国際情勢の影響を大きく受ける小島国が,もっとも効率よく自言語を発展させる智恵の表れでもあろう.かくして,シンガポールはその経済発展の基盤と,将来の言語文化の方向とを,植民地時代の遺産継承の形で確立している.
著者
谷内 達
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.111-123, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
20
被引用文献数
1

日本の主要都市の発達を鉄道網と関連させて概観するために, 1880年-1980年を6期に分け,各期における上位100都市の相対的地位の変化を構造的および空間的に比較検討した。すなわち都市人口および鉄道旅客収入額を指標に用いて,順位規模曲線および順位相関係数により構造的変化を検討し,順位・成長率による区分を加えた都市分布図により空間的変化を検討した。 現在の都市システムの構造的・空間的特徴および交通網の骨格は1908年当時のものと大差なく,基本的には1880年,さらには1868年以前にまでさかのぼることができる。 1880年以来の都市の発達は,都市システムの新規生成というよりも,既存の都市システムの再調整過程であった。 1880年以来の主要な変化は,大都市集中の進行と太平洋岸の縦貫線沿線諸都市の成長であった。 1908年以前には変化が比較的大きかったのに対して1908年以後は安定的で,すでに成立しつつあった大都市・縦貫線優位の傾向がさらに強まった。 1908年以前の変動は鉄道網の骨格形成期でもあったが,鉄道網の拡張と新規路線沿いの諸都市の成長との間に明白な対応関係を空間的に見出すことは困難である。むしろ鉄道網は大都市・縦貫線優位の傾向をさらに助長したと言える。三大都市圏の成長の鈍化,広域中心都市の成長,高速道路・新幹線・航空の発達などを含めて最近および近い将来の動向を考察する際にも,大都市・縦貫線の定義の若干の拡張によって,基本的な傾向は変わらないと考えることができよう。
著者
氷見山 幸夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.124-134, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
11

任意の事象の分布に対して格子系(grid system)を測定や表現の基準として用いる場合,可変単位の問題 (modifiable unit problem) として知られる一群の問題に遭遇する。これらは格子単位 (unit cell) の大きさや形に関するものと,格子系をかぶせる際の位置に関するものに大別されるが,このうち後者に対する取り組みはこれまで遅れていた。空間単位としての格子系の利用が一般化している今日,これを単に経験的判断により処理するのではなく,統計学的に検討することが急がれている。そこで,格子系の位置に関わる諸々の問題を「格子変位の問題」 (problem of the shifted grid) と呼ぶことにし,体系的解明をはかってゆきたい。今回はその一つとして,格子図 (grid map) のパターンに内在する不確定性の問題を取り上げる。 ある単一の事象の分布を,2種の格子単位からなる格子図で表現する場合を想定する。ここで,事象の見出される格子単位を正の格子単位,残りを負の格子単位とする。この正の格子単位の分布のパターンが,格子系の置き方によって変化する度合いをそのパターンの不確定性の指標とし,簡単な事例について検討する。 いま格子図上に,縦方向に勉個,横方向にn個の,正の格子単位m×n個からなる箱型コロニー・があるとする。このパターンが格子系を横方向に半格子長ずらすときに変化しない確率をP (m, n, p) とする。ただし,ここでpは,考えている格子系のそれぞれの格子単位を横に2等分した半格子単位のうち,正のものの比率(密北海道教育大学地理学教室度)である。このように,半格子変位の場合,変位後のパターンを決定するには,格子単位のレベルよりも詳細な,半格子単位のレベルでの正,負の情報が必要である。そこで正の半格子単位の分布として,ランダム分布を想定すると, P (m, n, p) は次のように表わされることが明らかとなった。 P (m, n, p)=2(1-p)m+2{(1-p)/(2-p)nfn}m=2(1-p)2m+2/(2-p)mn(fn)m ここでf1=1, f2=1, f3==1+p-p2, f4=1+3p-4p2+p3, f5=1+6p-9p2+3p3, ……である。しかしfnの一般形の導出には至らなかった。 上の式の意味するところを明らかにするため,まず最も単純なm=1, n=1の場合を考えてみると, P (m=1, n=1, p)=2(1-p)4/(2-p)である。すなわち,周囲を負の格子単位で囲まれた1個の孤立した正の格子単位が存在するとき,そのパターンが格子系の半格子変位により変化しない確率は2(1-p)4/(2-p)である。これはp→Oの極限で1であるが, p=0.5で0.083, p→1の極限で0というように, 0<p<1で単調かつ急速に減少する。つまりこの最も単純なパターンの場合, pが非常に小さいならば,そのパターンの不確定性は0%近くまで下がるものの,通常はかなり高いことがわかる。同様にして,m,nが増大すればP (m, n, p) は急速に小さくなること,そして一般にpが大きくなれば, P (m, n, p) が小さくなることが,はじめの式から導かれる。 以上のことから,格子単位の大きさの程度のパターンの不確定性が問題となるような場合には,格子図の使用は不適当であると結論される。なおここでは正の半格子単位の分布をランダムと仮定したが,種々のタイプの分布について同様の考察を行なうならば,分布の状況に対応して格子系の選択をすることに関して,より正確な判断をすることができるよう.になることが期待される。
著者
河名 俊男 Paolo A. PIRAZZOLI
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.135-141, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
17
被引用文献数
4 5

琉球列島の宮古諸島に分布するノッチおよびビーチロックの調査により,現海面が完新世の最高海水準を示すとの結論を得た。ノッチの後退点高度は潮間帯に位置し,ビーチロックは潮間帯あるいは,ほぼ潮間帯ビーチロックを示す。潮間帯ビーチロックの2ヵ所から, 425±70 y. B. P., 1520±60 y. B. P. (Loc. 13) および2120±75 y. B. P. (Loc. 31) の年代値が得られた。以上のビーチロックおよびノッチの諸特徴より,宮古諸島における後期完新世の海面は少なくとも2100年前より現在まで,現海面にほぼ近い位置に存在していたと推察される。上記の海面変動は,琉球列島の他の主軸諸島に見られる後期完新世の高海水準を示す海面変動と対照的である。以上の対照性は,後期完新世に宮古諸島が他の主軸諸島と異質の地殻変動地域であった可能性を示唆する。
著者
土屋 巌
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.142-153, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
13
被引用文献数
3 3

世界氷河台帳作成計画のためのIASH (国際水文科学協議会)の分類 (UNESCO/IASH, 1970) とMÜLLERほか (1977) によるその改訂版を参照して,筆者はさきになだれを含まずに,異常に大量の降雪と吹きだまり雪とによって形成される亜高山帯のニッチ氷河を,山岳氷河の一型式として提案し,“鳥海山型氷河”と名付けた(土屋, 1978 a, 1978 b)。 1972年-1981年の問,この型の氷河のひとつで“貝形小氷河”と命名したものについて,毎年野外調査を実施し,その特色を解明した。 貝形小氷河は,いわゆる気候的雪線よりも2,000mにど低い,海抜約1,400m高度に形成されるが,拡大期には約0.04km2の大きさになり,また2~3年のうちにごく小さな氷体に縮小することがある。この氷河の存在場所の積雪深算定値の最大は45m以上であった。消耗量が大きく,暖かい大雨の際には毎時1。4cmの厚さ減少が観測された。氷河氷の形成は非常に早く,この氷河上の残雪の密度は,最初の消耗季節の終り頃までのわずかな期間に,ほとんど氷河氷の段階にまで増加する。 貝形小氷河の流動現象は一定でなく,蓄積年後の消耗年である1975年や1979年の場合にはかなり早い流動を示した。日本の他の地域に見られるいくつかの多年性残雪(氷体を内在する)では,さらに小規模で貝形小氷河と同様のものもあるが,明白な流動現象はまだ報告されていない。 ニュージーランドのWhakapapanui氷河は,貝形小氷河とほぼ同じ規模の小さな氷河であるが,両者の比較により,気候的雪線のはるか下方で形成され,降雪季節の卓越風が偏西風であり,風下斜面に存在して低緯度に面し,主滴養源は吹きだまり雪であって,氷河質量の年々変動が大きいなどの共通の性質のあることがわかった。
著者
山川 修治
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.154-165, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
37
被引用文献数
6 6

日本とその周辺地域 (Fig.1) における寒冷前線の地域的・季節的特性を,主として赤道140°E上にある静止気象衛星 (GMS) からの可視画像を用いることによって,明らかにしていくことが本稿の目的である。当該地域において特筆すべき異常気象が発生しなかった, 1979年4月から1980年3月までを研究対象とした。 まず,日本を含む広域で,寒冷前線とそのほかの前線,およびスコールライン(同一気団内で発生する線状の積雲群であり,前線と関連するものに限定している)について調査した。いずれも雲画像からの判読で,雲系と前線の関係 (Fig. 2) を基本にしている。日本付近を通過する寒冷前線は4月,9月,10月に最も多くなる。1-2月の寒冷前線は,一年間で最南域の20°一25°N付近に位置することが多く,時にはフィリピン諸島近海,つまり10°N,125°E周辺の熱帯性雲塊が発生しやすい地域まで南下する。梅雨季初期(5月)の前線は,平均して22°-23°Nにあり,冬季よりむしろ定常的位置にあるといえる。また,秋季のスコールラインは,その方向性に特徴がみられる(Fig.3)。 次に,雲系ダイヤグラムを128°Nと140°Eに沿う2つの南北断面で作成した(Figs.4, 5, 6)。これは,GMSの毎日03GMT(12JST)の画視画像によるもので,各断面の経線を中心とする経度2°の地帯における雲の有無に基づく。日々雲系がどのように消長し移動しているかを調べ,24時間ごとの画像では追跡しきれない小規模の雲系については,3時間ごとの画像も参考にして,二次元空間分布を時間一空間分布に置き換えた。雲系を層状雲とセル状雲に識別するとともに,雲の輝度にも配慮して,図示した。1月の寒冷前線性雲バンドは,128°Eでは12°一20°N付近まで,140°Eでは15°-25°N付近まで南下し,前者の方が南偏しやすいことが確かめられた。しかし,25°-40°Nの緯度帯に関する限り,128°Eより140°Eにおいて発達しやすく,このことは,雲バンドの細かいシャープな形態からも,850mb面気温の南北勾配からも推定される。
著者
吉野 正敏
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.166-182, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
22
被引用文献数
2 3

海南島における気候と農業について,最近の中国における文献と1984年1~2月の筆者の予察研究旅行の結果とによって記述した。まず,総観気候学的背景を前線帯・雲量分布・850 mb面における流線・霧分布などによって示した。 850 mb面における南西の風と,北東の風,台風が重要な役割を果たすこと,また気温・降水量・雨季と乾季の長さなどを気候記録によって示した。何大章による気候区分を紹介し,その8気候地域を示した。次に,海南島の農業について,その気候条件を考慮しつつ,特にゴム・米・茶について,詳しく述べた。ゴムについては5地域に区分し,各々について寒害と風害に注目した。ゴム栽培の高距限界は島の北部では300~350m,南部では500mである。米作のうち特に興味あるのは,最近の雑種交配種子の栽培である。それらは中国各地から農民や試験者が島の南部にやってきて栽培される。冬に成長し,3月中・下旬に出穂・開花し, 4月中・下旬に成熟する。そして,とれた種子を中国の各地に持って帰り,そこで通常の栽培期間に栽培するものである。 最後に,台風による被害と,寒害について記述し,特に,その分類基準を紹介した。また,近年の早稲と晩稲の栽培の問題,ゴムの栽培における寒害の問題は,海南島の熱帯作物栽培の今後の発展に特に重要な課題なので詳しく述べ,気候条件の研究が急務であることを指摘した。
著者
水津 一朗
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.1-21, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
43
被引用文献数
3 1

景観の各レベルの分節には,〈素材∈形態素⊂構成要素〉,〈構成要素⊂景観の部分〉の関係がみられる.「地域」とは,かかる関係をもつ景観の各分節を地と図とするとともに,各分節を改変し,再編成する身体的行動の軌跡が,重層する場所のまとまりと考えられる.そこでまず,景観を生地とする「地域」にひそむ言語との構造的対応が明らかにされる. さて日本には古来,一種の時空連続体としての「間」の考え方があった.「間」は,空間と時間とともに,さらにそこにおかれた事物相互の間柄をも含む流動的な概念である.さまざまな行動が,具象的な形をとって「間」の中に現実化すると考えられた.したがって,日本に特有の形態素群で構成された景観の各分節を地と図とする行動 (parole) を規定してきた伝統的なコード(langue) の中には,「間」に独特の構造を付与するものがあると推定される. 本稿の目的は,日本における歴史地理学研究の成果を踏まえて,そのコードの存在を検証し,かつそれらの特性を比較地理学的に解明するとともに,それらがユークリッド空間を包む位相空間と対応する側面のあることを探り,さらに具体的に,景観の形態発生を位相数学の分岐理論に即して説明することである.あわせて,「地域」一般のトポロジカルな深層構造の一端をも明らかにしたい.
著者
田辺 裕
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.22-42, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
28
被引用文献数
1 1

日本における市町村の境界は,近代的市町村制度が成立する以前から存在していたことを前提としている.したがって,いわゆる境界紛争は既存の境界が不分明になっているから起ることとなり,その解決は原則として確認行為によって求められるのであって,創設行為によることはない.しかし現実には,特に近年における工業化にともなう埋立地の拡大によって,既存の境界自体の確認はきわめて困難になってきている.本稿では,大牟田市と荒尾市との埋立地における紛争を,先行境界・追認境界・上置境界の三つの観点から双方の主張を分析することによって,解決する糸口を見出すとともに,日本の行政領域や境界の考え方の特質を明かにすることを試みた.先行境界については,武家諸法度にさかのぼって漁業法にも規定された漁場の占有権の水上境界が,三井砿山などの埋立によって消滅しながらも,なお現在に残っていることを,歴史的にあとずけ,また両市の主張の根拠ともなっている地図類を推計学的に考察し,追認境界については,現地調査によって実質的な両市の支配圏をもとめて,現実に存在する境界と両市の主張線とを対比した.上置境界については,水上境界の一般形態である等距離線(向い線)の特殊形態である地上境界の末端としての海岸線における垂線(隣り線)を幾何学的に求めて,これと両主張線とを比較した.このようにして得た地理学的境界は大牟田市に有利なものとなったが,そのことによって,むしろ両市の妥協を見ることが出来た.両市の理事者の政治的判断を評価するとともに,地理学の一つの応用事例としても,興味深い結論となった.
著者
阿部 和俊
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.43-67, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
5
被引用文献数
14 16

本稿の目的はわが国の主要都市における本社,支所機能について,歴史的経緯をふまえつつ現況を中心に述べることにある.考察した結果は,以下の通りである. まず第一に,都市におけるこの機能の集積をみると, 1907年にはかつての6大都市(東京,大阪,名古屋,横浜,京都,神戸)に多くの集積がみられ,さらに地方の都市にも相当数の本社の存在が認められた.しかし,次第に地方都市の本社は減少し,かわって大都市,とくに東京の本社が増加し続ける.この傾向は基本的に現在も変わっていない. 横浜,京都,神戸における集積は1935年以降,とくに戦後になってあまり伸びず,逆に1935年に成長の兆しをみせ始めていた地方の中心的な都市での集積が急激に伸長し, 1960年以後完全に逆転した.また,新潟,静岡,千葉,金沢,富山,岡山といった地方都市での増加も著しい.第1表からみてもこの傾向は今後続くであろう.しかし,東京,大阪,名古屋では1980年においては,対象企業数が増加しなかったためか,その集積は停滞気味であった。地方の中心的な都市がわずかとはいえ増加していることと対照的で,今後これがどのように推移するかを注目したい. これら本社,支所の業種を検討すると,初期においては鉄鋼諸機械,化学・ゴム・窯業部門は少なかったが, 1935年を境にこの部門は増加する.とくに, 1960年以後はこの傾向が一層強まる.とりわけ鉄鋼諸機械の支所は1935年から増加し始め,第二次大戦後は最も重要な業種となった.その集積は当初,東京,大阪,名古屋の三大都市に多くみられたが,次第に地方の中心的な都市においても増加してきている.建設業の本社,支所が戦後に増加するのも注目しておきたい.もっとも,支所の延べ数においては,金融・保険がその性格上圧倒的に多い.横浜,京都,神戸と上述の新潟以下の諸都市では,これら機能の集積が多い割に鉄鋼諸機械などの支所が少ないことも重要である. 戦後を対象に本社機能の動向をみると,東京の重要性がますます高くなっていることが指摘できる.とりわけ大阪系企業においては,商社にみられるように発祥の地である大阪よりも東京の機能を強化するようになってきており,この点における大阪の衰退傾向が感じられる.大阪が西日本の中心的地位を保ち続けうるか,あるいはもう一ランク下位階層の広域中心的性格の方をより強めていくのかが,今後大いに注目されるところである.
著者
小野 有五
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.1, pp.87-100, 1984-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
58
被引用文献数
38 51

氷河・周氷河地形にもとついて最終氷期の日本列島の古気候の復元を行なった.日本列島の山岳氷河の消長を支配しているのは夏の気温と冬の降水(降雪量)である.海水準変化にともなう日本海の古環境の変化により,最終氷期の降雪量は大きく変動した.日本の山岳氷河は,対馬暖流が日本海に流入していた:最終氷期前半の亜氷期(約60,000~40,000年B. P.) に最も拡大した.これに対して後半の亜氷期(約30,000~10,000年B. P.) には,対馬暖流の流入が海面低下によって阻止されたために降雪量が著しく減少し,氷河の拡がりは小さかった.夏の気温低下量は,現在と氷期の雪線高度の違いから推定した.夏の降水:量が大きく減少したことは,中部日本から北海道にかけて顕著な谷の埋積が生じたことによって証拠づけられる.夏の降水量の減少,夏の気温低下は,ともにポーラー・7ロントの南下を示している.最終氷期の2つの亜氷期におけるポーラー・フロントの位置,永久凍土の分布,海氷の南限,風系などを図示した.冬の気温,年平均気温については化石周氷河現象から復元を行なった.日本海側山地と太平洋側山地での降雪量の違いについては,経線方向にとった雪線高度の分布図から,最終氷期を通じて両地域に降雪量の大きな差があったことを論じた.
著者
米倉 二郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.101-110, 1984-10-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
18

方格状町割はインダス都市で,またこれとあまり遅れない時期に黄河都市でも始まったようである。当初は両地ともに並存する2つの町区からなっていた。インダス都市では西側が城区で東側が下町であった。モエンジョ・ダロはその最盛期を示している。発掘された街路の新たな解釈から著者は,その町割を約180メートル平方を単位方格とする碁盤割とし,さらに下町区では約40メートル (120モエンジョ・ダロ フィート)平方の16の小区画に分けられたであろうと推定した。 黄河都市はインダス都市との形態の類似だけでなく,古代中国の尺度がハラッパの腕尺,モエンジョ・ダロの足尺と同系統のものと見なされるので,方格状町割はこの両地で密接な関係のもとに始まったとすることができよう。方1里(約400メートル平方)を基礎方格とする中国の都制は商代に始まったとして鄭州商城の町割を推定した。 インダス都市の方格状町割はスタニスラウスキイが述べたように西してオリエントからギリシヤ,ローマ,さらにヨーロッパ全域から新大陸へと伝播した。他方それはインド文明の中に受継がれ,シルパシャストラの中に理想化して記述された。それに従う方格状町割は南インドを主とする南アジア各地で見られる。北インドではイスラム文化の影響で影が薄くなった。 黄河都市の方格状町割は周礼に記載された。その理想が実現されたのは北魏洛陽城以降であったが,都市計画の理念としてただに中国のみならず朝鮮,ベトナム,日本における都市計画に影響を与えた。例えば,わが平安京(京都)は南北9.5里,東西8里(当時の日本の里は古代中国の里よりすこし伸びて545メートルほどであった)の方格状町割であり,方1里の基礎方格である坊はさらに16個の小区画である町(120メートル平方)に分けられていた。