- 著者
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大久保 純一
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.203, pp.65-84, 2016-12-15
安政2年10月2日に関東南部を襲った大地震は,江戸の下町を中心に甚大な被害を与えることとなった。この安政の江戸大地震に関しては,地震の被災状況を簡略な絵図と文字情報で周知した瓦版類,地震の被害や被災者の逸話などをまとめた冊子,地震の原因であると信じられていた地中の大鯰をテーマとした一種の戯画・諷刺画である鯰絵など,多様な出版物が売り出された。これらは災害史や民俗学の分野で注目を集めつつあるが,一部に精細な被災の光景を描く図を含みながらも,絵画史の領域での検討はかならずしも十分ではなかった。本稿では,安政江戸地震を機に盛んとなった出版物における災害表象を,主に風景表現の視点から検討する。安政の大地震に関する一枚刷には,従来の瓦版などの簡素な印刷物とはことなる,高度な木版多色摺の技術を用いた臨場感豊かなものが散見され,たんに災害を速報するという以上の機能が期待されている。それらに見られる被災の表現は名所図会の挿絵の視点や造本趣向を応用した『安政見聞誌』でひとつの頂点を見せ,その工夫は『安政見聞録』『安政風聞集』などにも踏襲されている。安政の大地震における災害絵図出版の盛行により,点数こそ多くはないものの錦絵の出版にも災害図の一領域が生み出されることになり,明治期には地震や火山の噴火,大火災などをテーマとした作品が出版され,やがて関東大震災の絵葉書などにもつながってゆく。