著者
千田 嘉博
出版者
奈良大学文学部文化財学科
雑誌
文化財学報 (ISSN:09191518)
巻号頁・発行日
vol.27集, pp.47-54, 2009-03

本稿は新しい戦国期城郭研究を構築するための戦略と、それを実行するためのいくつかの分析視角の整理を試みた。この結果、城郭研究は考古学的研究方法をさらに取り入れ、これまでの成果を戦略的に分析・分類する必要があることを示した。それは以下のようなプロセスをとる。① 地域に存在した多様な城郭群を把握する。② そのなかの拠点城郭(戦国期にあっては戦国期拠点城郭)を抽出し、中心地形成分析などとともに特色を理解する。③ そうして把握した地域ごとの城郭群のまとまりの特色を類型化して分類する。④ 城郭群のまとまりは時期ごとに変化するので、地域の城郭群のネットワークを静的にではなく動的な変遷過程として把握する。⑤ その城郭ネットワークの変遷過程そのものも類型的に整理してつかむ。⑥ 戦国期社会とその変遷を、地域の城郭ネットワークのあり方と、地域の城郭ネットワークがどのように変化したかの変遷そのものの類型的把握から理解する。戦国期社会を分析する資料として戦国期城郭跡を活用していくためには、上記した城郭跡そのものの分析を深化させる必要があるが、さらにそうした評価を文献史学からの分析成果をも勘案しつつ総合的に評価していくことが求められる。城郭研究は遺構・遺物にもとついた物質資料研究であるから、第1段階のモノ資料研究としての分析を究めた上で、次の段階において文献史学をはじめとする関連諸学の成果との比較検証を行い、より高次な評価に進むという研究プロセスとなる。この第2段階の比較検証段階は関連分野の研究者間の相互分析が可能である。だから考古学研究者や城郭研究者が文献史学の研究を勘案することも、またその逆もできる。本稿では第1段階の城郭構造研究を深める視点のひとつとして戦いと城郭・防御施設を取り上げた。この結果、中世の城郭研究だけでなく考古学からの戦争研究は、これまで信じられてきたほどリアルな状況をつかんだ上で議論していたのではなく、論点や評価の基礎そのものに物質資料研究としての特質を踏まえた再検討が不可欠であることを指摘した。つぎに筆者が、城郭構造研究から提唱した戦国期拠点城郭(千田1994、のち千田2000a)が、文献史学から提唱されている「戦国領主」と具体的にどのように関わるかを検討した。この結果、戦国期拠点城郭は、大名の拠点としてだけではなく、戦国領主の拠点としても共有されており、戦国領主の城郭は大名による戦国期拠点城郭のミニチュア的存在であったと評価できた。大名領の内部には細胞の核のように戦国領主による戦国期拠点城郭が分立し、判物を発給して一定の排他性を備えた領の中心として機能したのである。隣接した領をもった戦国領主が必ずしも友好的関係とは限らず、係争地であった境目には軍事機能を卓越させた城郭が出現した。このように物質資料研究の成果を文献史学の研究成果と勘案することで、地域における多様な城郭の分布の歴史的意味を読み解けるのである。
著者
神野 雄二 ジンノ ユウジ Jinno Yuji
出版者
熊本大学
雑誌
熊本大学教育学部紀要 人文科学 (ISSN:0454613X)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.275-286, 2010-12-03

本論では、山田寒山の印学面での業績を論述するとともに、『寒山本印章備正』の成立と内容を見、『印章備正』に纏わる事柄を精査し、日本印学史の一端を明らかにする。尚、本稿は第十六回書学書道史学会において口頭発表した「日本印人研究-山田寒山の印学と『印章備正』を中心に-」を基に、その後の新知見を追補し纏めたものである。
著者
利行 榧美
出版者
奈良大学史学会
雑誌
奈良史学 (ISSN:02894874)
巻号頁・発行日
vol.24号, pp.119-144, 2006-12

はじめに国忌は前代の天皇の忌日に弔意を表し、忌口に、官で定められた寺院で追善供養の斎会を行うもので、国忌口は養老儀制令太陽麟条によって、廃朝・廃務が規定されていた。①養老儀制令太陽葛条凡太陽葛。有司預奏。皇帝不レ視レ事。百官各守本司・。不レ理レ務。過レ時乃罷。皇帝二等以上親。及外祖父母。右大臣以上。若散一位喪。皇帝不レ視レ事三日。国忌日。謂。先皇崩日。依別式・合廃務・者。三等親。百官三位以上喪。皇帝皆不レ視レ事一日。どの天皇の忌日を国忌として認定するかという点に関しては、国忌指定の記事がすべて残っているわけではない。大宝二年~延暦十年までの間で国忌指定の記事が残っているのは、天武・天智・草壁皇子・藤原宮子・光明子・施基皇子・紀橡姫の七人のみである。それは、中村一郎氏がいうように[国忌の記事がないのは先皇の崩口を国忌とするという令の制度があるので特別に記載しなかった」ためと考えられる。また令には、国忌口は先皇の崩口とあるので天皇以外の人については原則として国忌指定はされなかったと推測される。この国忌の成立に関して先ず重要な史料は二つである。②日本書紀持統二年二月十六日乙巳条詔日、自レ今以後、毎レ取国忌日・、要須レ斎也。③日本書紀持統七年九月十日丙申条為浄御原天皇一、設無遮大會於内裏一。繋囚悉原遣。史料③の日付は天武の忌日に一日遅れてはいるものの、斎が行われていたことと、持統二年の詔が守られていたことを示している。廃務こそまだ行われてはいないが、この時期天武天皇の国忌日は確実に存在していたことが確認できる。滝川政次郎氏は『京制並びに都城制の研究」の中で、国忌を制度化することは持統からはじまり(このことは各氏共通)、養老儀制令にある条文は、その条の集解に古記が引かれているので大宝令に存したことは明らかであるとし、天智の忌日を国忌日としたのは、天智天皇の皇女である持統天皇のお力であったと思う。奈良時代に最も大切にされたのは、天武天皇の国忌日と大内山陵とであって、大内陵に物を献じた記事は、続紀に畳見するが、山科陵に物が献じられたのは、天平勝宝六年三月に只一回あるのみである。と述べている。これまでの国忌研究では、国忌制度の開始時期とともに、国忌の改廃や、国忌の行事内容などが明らかにされ、国忌がその天皇に対する評価として重視されてきた。特に、桓武天皇が国忌を再編(省除)するという延暦十年の政策は、天皇の皇統の問題として注目され、「天武系から天智系へ」という皇統の交替と絡めて論じられることが多かった。しかしながら長い間、廃務それ自体の検討はなされていなかった。こうした中で、初めて廃務を取り扱った藤堂かほる氏の研究が注目される。藤堂説の特徴は、奈良時代の国忌日廃務遵守の検討から、八世紀の先帝意識を探った点にある。その要点を列挙すればa、範とされた唐では国忌廃務が高祖の忌日に際して創出され、初代皇帝高祖が至高の存在として重視されていたことを受けて、日本においての先帝は天智天皇であるとしている点、b、国忌日記事の検討から、八世紀の国忌廃務制度においては天武天皇が唯一至高の権威とされていた形跡はみられず、天智の方が名実共に最高の地位を占めていたとしている点、c、奈良時代は必ずしも天武系の時代とはいえず、光仁・桓武朝における天智系皇統意識の成立は同時に、[皇統意識」そのものの成立でもあったとしている点、である。そして、律令国家における国忌廃務という制度が、国家統治者としての近代先帝を祀る国家祭祀として位置づけられていたとし、律令国家の初代皇帝として遇されたのは天智天皇であると結論づけしている。つまり、藤堂説が成り立つならば、「天武系から天智系へ」という皇統の交替という通説の見直しがせまられるのである。果してそれは妥当なのであろうか。以下、藤堂氏の論点をとりあげ、検討を加えることとする。私は、藤堂氏が検討されたように、国忌日の記事を検討することは、各天皇の個性を明らかにする一つの手がかりになると考えている。そこで本稿においてはまず、奈良時代(称徳朝まで)の国忌の特徴と先帝意識を確認する。その上で桓武朝における国忌日記事の内容と、天武忌日における桓武天皇の姿勢に考察を加えていくことにしたい。それらの検討から、奈良時代は天智・天武の二帝が先帝として位置づけられており、天武天皇の血筋が重視されていたこと、桓武天皇は延暦元年から天武系皇統を否定しており、国忌制度を利用して官人達の「先帝11天武」という意識の変革を行っていたこと、そして、延暦十年はまさに皇統が「天武系から天智系へ」とうつったことを国忌の面から宣言した年であることを明らかにする。
著者
萱村 俊哉 井関 良美
雑誌
武庫川女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09163115)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.53-59, 2009-03-31

In this research, we carried out the autism spectrum disorder(ASD) screening questionnaire(ASSQ-R)for 119 child nursing institutionalized children of three places in K city in order to examine inter-rater reliabilityof ASSQ-R and search problems existed in this type of screening in child nursing homes. As a result,it revealed that although ASSQ-R showed an appropriate inter-rater reliability, it had a difficulty of distinguishingASD from reactive attachment disorder. On the basis of these results and the results of a more detailqualitative analysis of the questionnaire, we pointed out that the neuropsychological tests of motor and perceptualdevelopment were indispensable to distinguish between ASD and reactive attachment disorder.
著者
渡邉 眞依子
出版者
広島大学大学院教育学研究科
雑誌
広島大学大学院教育学研究科紀要. 第三部, 教育人間科学関連領域 (ISSN:13465562)
巻号頁・発行日
no.55, pp.185-192, 2007-03-28

Dieser Beitrag berichtet die Projektpraxis in Deutschland. Seit Mitte der 80er Jahren wird das Verhältnis zwischen Fachunterricht und Projektunterricht diskutiert. Herbert Gudjons und Johannes Bastian vorschlagen eine neue Unterrichtsform „Projektlernen im Fachunterricht". Damit werden die Projektidee in den Fachunterricht hineingetragt kann. Diese Studie analysiert drei Beispiele; (1)Projektunterricht in einem Mathematikgrundkurs; (2)Projektzeiten als Fachtage; und (3)Projektlernen bei fächerÜbergreifendem Thema. Die Grenze des „Projektlernen im Fachunterricht" liegt darin, dass Über Abweichungen bzw. Reduzierungen von Projektmerkmalen nachgedacht werden muss. Aber die Hineinnahme von „Projektarbeit in den Fachunterricht" ermöglicht das Lernen am Leben fürs Leben, SchÜlerorientierung und die Überschreitung der gewohnten Schranken des Schulalltags.
著者
瀬田 祐輔 牧 恵子
出版者
愛知教育大学実践総合センター
雑誌
愛知教育大学教育実践総合センター紀要 (ISSN:13442597)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.91-100, 2010-02

学校図書館司書教諭講習科目「読書と豊かな人間性」は,司書教諭が,読書指導の直接の担い手となることばかりではなく,全校の読書指導の推進者としての役割を果たすことをも見据えた内容となっている。しかしながら,子どもを読書に誘うための個々の手法を実習または演習として組み込むのみでは,それらを駆使した計画・実践ができる力,いわば応用のきく力として身につけさせることは困難である。そこで本稿においては,この問題を解決しうる授業方法を探るべく,プロジェクト型の学習形態(「第2回科学・ものづくりフェスタ@愛教大」に参加し,科学読み物を中心とした読書材の読み聞かせ企画を受講生に運営させるという形)を組み込んだ授業を構想し,実施を試みた。その結果,「読書と豊かな人間性」において,プロジェクト型の学習形態を採用することには,読書指導に関する知識や技能を応用のきく力として身につけさせるという点で,一定の効果を見出すことができた。
著者
寇 冰冰 椎名 健
出版者
「図書館情報メディア研究」編集委員会
雑誌
図書館情報メディア研究 (ISSN:13487884)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.121-131, 2005-09-30 (Released:2013-12-18)

電子ペーパーはディスプレイと紙媒体の長所を両立させた理想的な表示メディアを目指しているといわれる。このコンセプトに基づいて,電子ペーパーに対するさまざまな期待や関心が集まりつつある。本論文は,電子ペーパーに求められる要件や実現形態などを概観した上で,電子ペーパーの課題や将来の用途を展望するため,読みに関するSD 法を含む媒体の評価実験(8 人,短時間での読書),およびアンケート調査(20 人)を実施した。評価実験の対象は電子ペーパー製品の一種類であるLIBRIe(ソニー),CRT モニター,LCD モニター,および文庫本の4種類の媒体であった。その結果,読みやすさにおいて,LIBRIeは文庫本には及ばないが,既存のディスプレイより優れていること,一方,操作性においてLIBRIe はCRT,LCD にも劣ることが示唆された。アンケートの結果において,電子ペーパー製品の読みやすさは評価されたが,操作性と重量が改善点として挙げられた。また,現有の電子ペーパーの普及率は予想したほど高くなかった。 Electronic paper (e-P) is a display medium which is believed to aim at the ideal media with the advantages of display and paper. On this concept, e-P has attracted various expectations and interests of people. Also, a rapid progress has been made in the technological development in this area. This report consists of two parts: First, essential factors asked for the e-P and the realized forms of these factors were summarized. Then the present existing state of the technological development was outlined. Second, an experiment (8 participants, reading in short time) was carried out to evaluate four types of display media: an e-P book (LIBRIe, SONY), a CRT, a LCD and a pocket book. Then a questionnaire was administered to survey the task and the usage of the e-paper in the future from 20 students in the University of Tsukuba. The results of the experiment in the comfortable reading suggested, that the e-P book was not as good as the pocket book but better than the CRT and LCD. On the other hand, in the easy handling, the e-P was inferior to the pocket book, CRT and LCD. The answers of the questionnaire confirmed the experimental results, and suggested that people were not so familiar with the e-P book by that time.
著者
米川 伸一
出版者
日本評論社
雑誌
一橋論叢 (ISSN:00182818)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.542-562, 1972-04-01

論文タイプ||論説
著者
坂本 義和
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.421-435, 2007-08 (Released:2007-00-00)

商学部創立50周年記念 = Commemorating the fiftieth anniversary of the faculty十川廣國教授退任記念号 = In honour of Professor Hirokuni Sogawa50周年記念論文・退任記念論文 Alfred D. Chandler, Jr. が明らかにした大企業の生成と展開のプロセスであるいわゆるチャンドラー・モデルは,これまで大企業の動向を説明する手段として経営史分野のみならず多岐にわたる学問分野において着目されてきた。しかしながら近年において,そのモデルでは20世紀後半以降の企業動向に対して説明に限界が生じるというポスト・チャンドラーの議論が展開されている。本稿では,このポスト・チャンドラーの議論,なかでも単に現状説明の限界を指摘するだけではなくChandlerの説明の背景理論を問題視するNaomi R. Lamoreaux, Daniel M. Raff and Peter Teminによる研究とRichard N. Langloisによる研究に焦点を当てることで,チャンドラー・モデルについて再検討を試みる。
著者
堀池 信夫
出版者
筑波大学哲学・思想学系
雑誌
哲学・思想論集 (ISSN:02867648)
巻号頁・発行日
no.29, pp.31-54, 2004-03-25 (Released:2013-12-18)

緒論 徐敬徳は李氏朝鮮初期の哲学者である。成宗の十九(二十)年(一四八九)誕生。字は可久、号は花潭、あるいは復斎。晩年に関城(ケソン)郊外の花潭に隠棲し、明宗の元年(一五四六)、五十八歳で卒した。 ...