著者
稲葉 浩幸
出版者
近畿大学商経学会
雑誌
商経学叢 = Kinki University journal of business and economics (ISSN:04502825)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.1-18, 2003-12-20

"本稿では, ファイアマークの図案を分析し, その由来や意図を検証することを目的とする。ファイアマークとは火災保険契約の証として, 被保険者宅に取り付けられたプレートのことであり, わが国では1887年に設立された東京火災のファイアマークが最古のものである。ファイアマークの役割は, 消防組織が消火活動を行う際の目印また保険会社の広告・宣伝という実益的な機能がクローズアップされるが, そのデザインには「水」や「魔除け」といった図案が多用され, 防火の「お守り」としての側面も見られる。こうしたファイアマークの歴史的・文化的価値を評価し, わずかに現存するファイアマークを保存していく必要がある。HIROYUKI INABA. Features of Fire Marks in Japanese Insurance Companies. In this paper, fire marks' designs are analyzed and it aims at verifying those origins and intentions. Fire marks are the plates attached in the insured's houses as a proof of a fire insurance contract, and the fire mark of the Tokyo fire insurance company founded in 1887 is the oldest thing in Japan. As fire marks' roles, there are utility-functions of the mark at the time of a firefighting organization performing fire-extinguishing activities and the advertisement of insurance companies. However, designs, such as ""water"" and a ""talisman"", are used abundantly and the side as a ""charm"" of fire prevention is also looked at by Japanese fire marks. It is necessary to evaluate such fire marks' historical value and cultural worth, and to save the fire marks who are slightly living."
著者
友野 清文
雑誌
學苑 = GAKUEN (ISSN:13480103)
巻号頁・発行日
vol.907, pp.1-16, 2016-05-01
著者
阿部 幸太朗 森口 一郎 アベ コウタロウ モリグチ イチロウ Kohtarou Abe Ichirou Moriguchi
雑誌
東京情報大学研究論集
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.63-72, 2014-03-01

DDoS攻撃による被害軽減を目的としたシステムの構築と評価を行った。DDoS攻撃の対策としてはトラフィック量を制御することが一般的であるが、この手法では正規ユーザのパケットもトラフィック量の中に含まれるため正規ユーザだけにサービスを提供することができない。本システムでは、まずIDSが攻撃ホストからの攻撃を検知し、Webサーバ及びDNSサーバにDDoS攻撃回避要求を申請する。回避要求を受けたWebサーバは自身のIP addressを変更することで攻撃を回避する。また、正規ユーザを回避先のWebサーバに誘導するため、DNSサーバはzoneファイルのAレコードを変更する。しかし、WebサーバのIP addressを変更する際、ネットワークを再起動する必要があるため、IP address切り替え時間を考慮しWebサーバを2台稼動させたdual apacheシステムを構築し、性能比較を行った。この結果、DDoS攻撃に対して本システムの有効性を示すことができた。しかし、IP addressを変更しても再びDNSに対し正引きアクセスする機能を持つ攻撃に対しては、本システムが性能を十分に発揮できないことも明らかになった。
著者
島﨑 美奈 Mina Shimasaki
雑誌
教育学研究論集 (ISSN:21877432)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.63-73, 2009-03-31

本研究の目的は, 修身教育で使用されていた例話を繙いていくことで,例話の特徴および、例話を使用した意図を明らかにすることである。学校現場で実施されていた修身教育の詳細な姿を知るために,淡路島にあった瑞井尋常小学校の課程日誌『表第二四号ノ壱 第一年生課程日誌 瑞井尋常小学校』と『表第二四号ノ弐 第二年生課程日誌 瑞井尋常小学校』の二冊の史料を使用することとした。その史料に基づき,瑞井尋常小学校第一学年と第二学年の修身教育のなかで使用された例話について考察した。
著者
野呂 智哉 大嶽 智裕
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.60, no.10, pp.1048-1049, 2019-09-15
著者
加川 敏規 Toshinori Kagawa
出版者
電気通信大学
巻号頁・発行日
2013-03-25

近年我が国では,高齢化社会の到来により独居者や在宅医療を受ける患者が増加し,患者の健康状態評価や生存確認を行う目的で,生体情報の24時間常時モニタリングの必要性が高まっている.このような背景の中,バイタルサイン(脈拍数,呼吸数,心電図,運動量,血圧など)の無侵襲・無拘束計測技術の研究が盛んに行われている.無侵襲・無拘束計測技術とは,利用者の身体を傷つけず,日常生活や生活行動を制限することなく,利用者のバイタルサインを取得することを目指すものである.本研究では,人間のバイタルサインをモニタし,必要な情報をインターネットなどを介してリアルタイムで医療,介護,健康管理センタに提供するヘルスケアネットワークシステムの実現を目指している.ヘルスケアネットワークは1)バイタルサインセンサ,2)Body Area Network (BAN),3)インターネットを用いた情報ネットワークで構成される.1)バイタルサインセンサとはバイタルサインの常時センシングを可能とするセンサ群であり,2)BANとはバイタルサインセンサ群から得られたセンシングデータを本用途に特化した最適な通信方式によって集約するネットワークである.3)インターネットを用いた情報ネットワークとはBANが集約したセンシングデータを医療,介護,健康管理等の目的でインターネットを介して利用できるようにする仕組みである.その中で本論文では,1)バイタルサインセンサがセンシングするバイタルサインの中で脈拍数と呼吸数に着目し,毛細血管からの赤外線反射を利用して得た光電脈波から呼吸数・脈拍数を測定するセンサを検討した.脈拍数・呼吸数を無侵襲・無拘束で計測する技術は,大きく分けてi)センサを身体に取り付ける方法(ウェアラブル型),ii)環境にセンサを設置しリモートセンシングを行う方法(環境埋め込み型)の2つがある.環境埋め込み型は,ウェアラブル型と異なり身体に器具を取り付ける必要はないが,例えばベッド上に圧力センサを配置し,呼吸に伴う体表面の上下変位を取得するといった方法で呼吸数を計測する.しかしこのような方法の場合,バイタルサインの計測がベッド上などの場所に限定されてしまう.利用者は自由に動き回るため,連続的なバイタルサイン測定をするためには場所を限定することのないウェアラブル型が望ましい.本論文では,利用者に対するストレスのない24時間連続測定を可能にするために,既に日常生活に溶け込んでいる腕時計の形をした腕時計型のセンサに着目した.従来の腕時計型脈拍数測定センサは脈波検出が安定せず,脈拍数の精度も低かったが,脈波波形を安定して取得できるアレイ状フォトインタラプタ,および脈波波形を周波数解析し体動状態を検出することで体動状態除去をするアルゴリズムを考案し実装することで,高精度かつ安定した脈拍数測定が可能となった.さらに,呼吸数測定センサでは,脈波波形に呼吸性変動が重畳することに着目し,腕時計型脈拍数測定センサから得られた脈波波形を周波数解析し脈波波形内の脈拍数成分と呼吸数成分を切り分けることで,脈拍数と呼吸数を同時に腕時計型センサで取得することを可能にした.これらの要素技術を組み合わせた脈拍数・呼吸数計測法によって,従来の技術では空間的に限定され,また精度の低かった脈拍数測定を場所や時間を選ばずいつでもどこでも的に限定され,また精度の低かった脈拍数測定を場所や時間を選ばずいつでもどこでも常時測定できるものにし,さらに呼吸数を同時に測定する方法を確立した.これらの技術は,独居者や入院・在宅患者の健康状態をより正確かつ詳細にモニタ可能にするもので,現在の高齢化社会において重要な役割を担うと考える.
著者
久野 潤 クノ ジュン Jun Kuno
雑誌
国際研究論叢 : 大阪国際大学紀要 = OIU journal of international studies
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.45-57, 2013-01-31

The opinions and discourse of intellectuals during the Sino-Japanese conflict from 1937 had a great effect on the construction of theories favoring escalation of the conflict. Many liberal intellectuals were involved in drafting important national policies while Fumimaro Konoe was premier and some such groups even attempted to promote socialism; influencing public opinion to approve of the war and distancing Japan from the US and UK. Eijiro Kawai was a typical liberal intellectual, but unique in that he approved of the war against China, especially the Communist Chinese, advocated parliamentarianism, and also viewed Comintern as a threat. His advocacy was never wavering or ad-hoc, but based on a reasoned awareness of crisis and understanding of the international situation.
著者
十津 守宏 Morihiro TOZU 鈴鹿短期大学 Suzuka Junior College
雑誌
鈴鹿短期大学紀要 = Journal of Suzuka Junior College (ISSN:13450085)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.105-116, 2014-03-10

歴史的現実の中での「義人の受難」そしてそれに伴う「悪人の隆盛」は、有史以来の普遍的テーマである。旧約聖書における「ヨブ記」が到達した形而上学的な一つの回答--神の超越性の発見--は、人類の思想史の中での一つの頂点とも看做されうるものである。しかし、その回答が普遍性を持つことはなかった。むしろ、人々に受容されたのは、ユダヤ教後期の黙示文学が展開した現世と来世の二元論、時間的かつ彼岸的未来に投影された因果応報の教理の成就であった。原始キリスト教がその黙示文学の強い影響下で成立したことに議論の余地がない。しかし、原始キリスト教の担い手達が間近なものと感じ取り、そして希求していたこの世の終りは一向に到来する気配がなく、一方で黙示文学的希望と熱狂のもとで闘われたローマ帝国からのユダヤ民族の独立運動は惨澹たる結果を民にもたらし、ユダヤ民族は流浪の民となったのである。この期待とは相反する歴史的現実を経験しても、キリスト教がその命脈を保つことが出来た大きな要因はパウロの「十字架の神学」の成立に拠るところが大きい。なぜなら「十字架の神学」は、不幸や災厄に満ちたあらゆる歴史的経験・現実に対する宗教的かつ積極的な価値付けを、神の子イエスが経験した悲惨このうえない受難の十字架にこそ神の栄光と「救い」が顕れるという逆説--この逆説の真理はかの「山上の垂訓」に包含される精神によっても支持されるものである--のもとでなさしめるものであるからである。人間を真に打ちのめすものは、不幸や災厄そのものではなく、その原因が分からないことである。しかし、「十字架の神学」は、人々が経験している過酷な歴史的経験・現実をイエス=キリストの受難の十字架への道を重ね合せることにより、その歴史的経験・現実に宗教的かつ積極的かつ逆説的な意味付けをなさしめるものである。この「十字架の神学」への道は、既に原始キリスト教における福音書の成立の段階--より厳密に述べるのであれば、史的イエスにまつわる伝承成立の段階--において既に準備されていたものであった。永遠回帰の原初的楽園を捨てて歴史と進歩にとりつかれた人間にとっての真の宗教とはキリスト教である、というエリアーデの指摘が実に正鵠を得たものである。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである(ヨハネ9.3新共同訳)」というイエスの言葉は、原始キリスト教の災因論の根幹をなすものであると同時に、黙示文学だけでなく、歴史的現実における不幸や災厄に対しての意味付けを否定的なそれから積極的なそれへの転換をなさしめたという意味において、原始キリスト教が古代イスラエルの宗教的伝統における因果応報の教理のもとでの災因論の超克を果たしている事を象徴的に表現しているのである。