著者
衣畑 智秀 岩田 美穂
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.6, no.4, pp.1-15, 2010-10-01

本稿では,現代日本語に見られる,カの名詞句位置の用法のうち,特に選言,不定の成立過程を明らかにした。カは中古まではほぼ疑問の助詞として用いられていたが,覚一本平家物語に文末で選言と意識される用法が見られ,その後15世紀以降名詞句の位置で選言の用法を発達させていく。不定は従来江戸後期から見られるとされていたが,本稿ではその前段階として副詞的な不定の用法が見られることを示した。従来の歴史変化の記述は,ある特定の用法が特定の時代にあるかないかを問題にするものが多かった。それに対し本稿では,用法は突然発生するものではなく,漸次的に成立していくものであることを,構文的観点から再現性の高いデータを提示することで示した。また,以上と間接疑問を含めたカの歴史は,名詞性の獲得と疑問詞との共起性という点から記述できることを論じた。
著者
山田 昇平
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.10, no.4, pp.33-47, 2014-10-01

本稿では「言便(ごんびん)」を扱う。「言便」は中世中期の義源撰『法華経音義』で発音に関する事柄を広く指すのに用いられる。しかし中世後期には口語的資料の上で発音の良し悪しに関する用法に多く使用される。この用法は「音便」にもみられるが,「音便」は言語事象を説明する文脈に多用され,両者には用法による棲み分けが確認される。また「言便」は,「ゴンビンザワヤカ」の形で多用されるが,近世初期にはこの形が「ゴンビザワヤカ」へと変化した。これにより「言便」は使用の場を狭める。一方で近世中期になると学術的文脈で「言便」が確認されるが,これは先の事情により従来の「言便」が使用されにくくなったため,新たに生じたものと考える。本稿では特に「言便」と「音便」との用法による棲み分けに注目し,学術用語「音便」の成立には,この語の俗語的な側面を「言便」が担っていた背景があると考える。
著者
上野 和昭
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.5, no.4, pp.16-30, 2009-10-01

中世後期から近世前期の複合名詞(和語{2+3構造})アクセントを、『平家正節』と「近松世話物浄瑠璃譜本」をもとに調査し、その結果を分析してみたところ、古代からの伝統をひくHHHHL(H4)型とHHLLL(H2)型とを基本とする体系から、近世前期にはH2型に統合しつつあったことがわかった。この段階では、複合名詞と前部成素との間の「式一致」はほとんどあらわれておらず、後部成素による複合名詞アクセントへの関与も認められない。このような同時代的要素が複合名詞アクセントに明確になるのは、史的変遷の過程としてみれば、「近松」の段階よりも後のことである。それ以後については、近畿中央式諸方言とも関連づけて、中世後期以降現代京都にいたる複合名詞アクセントの史的変遷を追ってみた。
著者
根本 真由美
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.106-94, 2007-10-01

本稿は、主に「語を単位」とした語釈が配置されていると考えられる『[和漢/雅俗]いろは辞典』(以下『いろは辞典』)を観察し、明治期語彙研究資料としての『いろは辞典』の有用性を述べることを目的とした。和語・漢語項目共に最も多く観察できた「語釈」のかたちは「見出し項目-漢字列(=漢語)-和語釈義」であった。これは漢語には和語を、和語には漢語を配置しているとみることができ、書名の「和漢」につらなる方針と考えられる。また、漢字列に「漢語」が配置されたということは、明治期においてはそれが最も自然なかたちであったからと考えられる。明治期非辞書体資料に現れる漢字列と振仮名をそれぞれ語と認めたとき、『いろは辞典』の「見出し項目」と「語釈」として「循環」することが見いだせた。これらは「結合」を有していた二語であると考えることができ、明治期の語(や語彙)を考える際に『いろは辞典』が有用であると考えられる。
著者
前川 喜久雄
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.82-95, 2008-01-01
被引用文献数
1

国立国語研究所では、文科省科研費特定領域研究「日本語コーパス」との共同事業として、2006年度から5年計画で、現代日本語を対象とした1億語規模の『現代日本語書き言葉均衡コーパス』(略称BCCWJ)の構築を進めている。本稿の前半では、均衡コーパスとは何かを解説した後、国語研によるコーパス整備計画であるKOTONOHA計画を紹介する。これは、明治から現代にいたる日本語の書き言葉・話し言葉の全体を把握するために、複数のコーパスを順次構築しようという計画である。本稿の後半ではBCCWJに特化した解説をおこなう。BCCWJを構成する3種類のサブコーパスの関係に注目してHCCWJの基本設計を紹介した後、サンプル長と語の単位の問題に触れる。次いでこれまでによく受けた質問に対する回答を列記し、最後に実装作業の進捗状況と著作権処理に係る問題点を指摘した。
著者
小助川 貞次
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.15-30, 2008-01-01

本稿は、唐代写本として夙に著名な有鄰館蔵『春秋経伝集解巻第二』が、第一群点によるヲコト点本位の訓点資料であることを報告し、加点内容と加点方法の検討から加点年代を平安中期以前と推定する。さらに本資料に見られる加点の特徴を訓点資料の展開史の中で位置づけ、漢籍訓点資料には従来から指摘があるような仏書訓点資料との関係とは別に、中国様式を起源とするもうひとつの流れがあったことを推定する。
著者
倉田 賢一
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.82, pp.95-103, 2015

『浮世の画家』の邦訳者によれば,翻訳にさいしてカズオ・イシグロは,作中の「大正天皇の銅像」を「山口市長の銅像」に訂正した。この天皇の抹消は,その場面が持つ意義から,主人公の「戦争責任」をめぐる思考における,天皇の無視を反復するものとして見ることができる。「戦争責任」をめぐる言説における天皇の位置と,この作品で「浮世」(あるいは「浮遊する世界」)と呼ばれているものが,主人公の疑心暗鬼をかきたてるホンネとタテマエの使い分けにほかならないことを考えあわせると,この天皇の抹消は重層的に決定されていることがわかる。すなわち,主人公がおそれる左翼の文脈では,天皇が「浮遊する世界」に関連しているが,彼がかつて属した右翼の文脈では,天皇はむしろ「浮遊する世界」の克服に関連している。さらに,この両者を同時に抑圧する天皇の無視は,昭和天皇に帰せられる空虚な自己批判の身振りの反復によってなされるのである。
著者
室井 努
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.64-77, 2006-01

本稿は,古代語における数詞表現のあり方をみるために,その手がかりとして,『今昔物語集』において頻出する人数表現を中心とする数詞表現を,現代語の数量詞研究の成果を踏まえつつ,検討を加えたものである。まず,今昔全体の表現の偏りから,基調とする文体差によって名詞句に対する数量詞の前置・後置に差が見られることを確認する。その上で,それらの間には定・不定などの用法差がうかがえること,それらは現代語ではいわゆる数量詞遊離構文が果たしている機能が数量詞転移表現によってなされるなど,現代語とは異なった様相を見せていることなどを明らかにした。また,新たな展開を見せる表現として和文脈を中心に,いわゆる数量詞遊離構文が(平安仮名文において有力であったわけでもないのにも拘らず),その勢力を拡大しようとしているようすが認められた。
著者
宮内 佐夜香
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.1-16, 2007-10

本稿では、近代語逆接確定条件表現において中心的に用いられる接続助詞ケレド類について、接続助詞ガと比較しながら、江戸語・明治期東京語を対象に調査し、その特徴と変化について論じた。使用率では、江戸語はガが優勢であったが、江戸後期から明治期にかけてケレド類が増加する。形態面では、江戸語において<ケド>は認められず、明治期になってから<ケド>が散見されるようになる。機能面では、江戸語・明治期東京語におけるケレド類は、逆接的意味のない用法ではほとんど用いられないという、ガとの相違が認められたが、江戸語と明治期東京語とを比較すると、明治期に至って、逆接的でないケレド類が江戸後期より増加するという、時代的変化も確認された。以上のように、ケレド類の使用には、使用率・形態・機能の3つの面において、江戸後期から明治期にかけて変化傾向がみられることが分かった。
著者
深津 周太
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.1-15, 2010-04-01

本稿は,従来認知的な概念拡張として説明される指示詞「これ」の感動詞化を,近世初期に生じた通時的な文法変化として捉え直す。変化の過渡期にあったと考えられる中世末期の口語資料や近世初期の狂言台本においては,'動詞命令形を述部とする動詞述語文の目的語'が指示詞「これ」である場合,その述部が「見る」系の動詞であれば助詞「を」を表示せず([これφ+見よ]),その他の動詞であれば助詞「を」を表示する([これを+その他])という相補分布が見られる。「これ」の感動詞化は,このうち,[これφ+見よ]構文において述部の項であった「これ」が述部と切り離され,感動詞へと文法的位置付けが変化する([目的語+命令形述部]→[感動詞+動詞述語文])という'再分析'によって生じた文法変化と見る。本稿の帰結は認知的要因による説明と完全に対立するものではなく,この変化には統語的条件も存在することを実証的に提示するものである。
著者
加田 哲二
出版者
慶應義塾理財学会
雑誌
三田学会雑誌 (ISSN:00266760)
巻号頁・発行日
vol.24, no.7, pp.989(1)-1048(60), 1930-07
著者
陳 君慧
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.3, pp.123-138, 2005-07-01

日本語の後置詞には動詞の中止形を含み,動詞から派生したと想定できるものがある。そのうちのヲモッテ,<原因>のニヨッテは文法化現象の例とされてきたが,それらは訓読語研究で漢文訓読との関連が指摘されてきたものでもある。それらが他言語からの借用なら,動詞からの意味変化として文法化理論から説明するには無理がある。本稿は,文法化研究が扱うヲモッテの多義性が借用かその一般化によるもので,上古の<道具>を表すモチ(テ)こそが動詞モツからの文法化の例であること,ニヨッテの文法化の前提とされてきた動詞の意味が漢文系資料に偏る一方,上古の和文系資料に存在していた動詞ヨル・<根拠>のニヨッテからの文法化が理論的に説明可能なことを検証し,文法化研究で誤った議論がされてきたことを指摘する。漢文訓読との関連が指摘される機能語は少なくないが,日本語における文法化研究では,借用現象を混同しないことが重要なことを主張する。
著者
青野 正明 Masaaki Aono 桃山学院大学国際教養学部
出版者
桃山学院大学総合研究所
雑誌
国際文化論集 = INTERCULTURAL STUDIES (ISSN:09170219)
巻号頁・発行日
no.39, pp.85-122, 2009-03-10

In 1936, the Japanese Government-General of Korea reorganized the colony's shrine system. This reorganization was carried out for two purposes: first, to promote some of the main shrines to the status of Kokuhei-shohsha (国幣小社), which ranked sixth among nationally-supported shrines; and second, to increase the overall number of shrines (神社・神祠) as a way of mobilizing Korean people to carry out the Government-General's policies. In this paper I examine principally the second of the two above-mentioned purposes, seeking to clarify the connection between the government's shrineexpansion policy and its statements about making use of Korean village rites. The enactment of the shrine-expansion policy itself will be considered in a subsequent paper.
著者
青野 正明 Masaaki Aono 桃山学院大学国際教養学部
出版者
桃山学院大学総合研究所
雑誌
国際文化論集 = INTERCULTURAL STUDIES (ISSN:09170219)
巻号頁・発行日
no.41, pp.133-185, 2009-12-22

In 1936, the Japanese Government-General of Korea reorganized the colony's shrine system. This reorganization was carried out for two purposes : first, to promote some of the main shrines to the status of Kokuhei-shosha (国幣小社), which ranked sixth among nationally-supported shrines ; and second, to increase the overall number of shrines (神社・神祠) as a way of mobilizing Korean people to carry out the Government-General's policies. In this paper I examine principally the second of those two purposes. By analyzing the Government-General's principle of having one shrine in each myeon (面), I seek to clarify the process through which that policy was formed.