著者
三池 秀敏 南野 郁夫
出版者
日本時間学会
雑誌
時間学研究 (ISSN:18820093)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.1-18, 2019 (Released:2020-05-27)

家庭用の太陽光発電の「余剰電力買取制度」が始まって10年が経過しようとしている。いわゆる「2019年問題」は、太陽光発電への今後の向き合い方が変わることを示唆している。本稿では著者の一人の小規模な個人発電所における10年間の発電記録データと、その分析結果から読み取れる、(1)地域気候の特徴や暦との関係、(2)長期的に運用される太陽光発電の課題とその対策等についての考察を通して、時間学研究との関わりや太陽光発電の“光と影”について議論している。
著者
加藤 三四郎 小山 恵美 川北 眞史
出版者
日本時間学会
雑誌
時間学研究 (ISSN:18820093)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.19-37, 2019 (Released:2020-05-27)

自己発信可能なメディアの普及に伴い、炎上現象も増加している。前報では、インターネット掲示板(以下、掲示板)における炎上現象の時系列定量評価手法を提案し、投稿数の時系列変動を評価する単位として、物理的時間よりもスレッドを用いる方が効果的であることも明らかにした。ただ、この手法だけでは、投稿数の急増が、炎上であるか、議論の活発化であるか判別できないなどの課題が残った。この課題を解決するには、投稿内容を質的に評価する必要がある。この質的な評価には、極性辞書に基づく、PN(ポジティブ/ネガティブ)判定が有効とされる。しかし、既存辞書の多くは口語的表現に対応せず、それらが多用される掲示板上の分析には不向きである。そこで本研究では、炎上現象の時系列解析の精度向上をめざし、投稿内容の評価に適した極性辞書を作成する。 本研究では、口語表現などへの対応を念頭に、評価者20名の8775語に対する極性評価を基に辞書を作成した。この辞書を評価するため、炎上事例を対象に前報で炎上の量的評価指標として導入した炎上値を算出し、既存辞書と本辞書それぞれを基にPN判定により求めたPN値との相関係数を比較した。炎上のピークを平準化するため、20スレッド移動平均による炎上値とでは、本辞書で強い有意な負の相関がみられた一方、既存辞書では弱い有意な負の相関にとどまった。本辞書を用いることで炎上現象をより精確に分析できる可能性が示された。
著者
安永 信二
出版者
日本時間学会
雑誌
時間学研究 (ISSN:18820093)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-19, 2013 (Released:2017-06-30)

前424年、喜劇詩人アリストファネスは『雲』の中で、市民たちを前に「暦が月齢に合ってない」と月の不満をこぼさせた。この一節と前5世紀終わりのアテナイの暦をめぐって、これまでMerittとPritchettをはじめ多くの研究者たちが当時の暦について議論してきたが、説得的と思われる論はまだ出されていない。そこで本論は、これまで議論の根拠とされてきた碑文史料と文献史料を再検討することとした。 当時、暦は1年を10に分けたプリュタネイア暦(評議会暦)と、月齢に即した祭祀暦の2つがあり、始まりも終わりも同じ日になることはなかった。これまで研究者は、どちらかが規則性を持っているが、もう一つは不規則だったために「月の不満」になったと考えてきた。しかし、IG i3 369、i3 377などの碑文を再検討することにより両暦ともに一定の規則性を持っていた可能性があることを発見したのである。しかしこの規則性は前5世紀終わりを通して続いたものではなく、少なくとも1回は改訂されていた。改訂後も一定の規則性を有しており、これが研究者を悩ましてきた問題ではないかと思われる。
著者
源 邦彦
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.127-150, 2020 (Released:2020-10-09)
参考文献数
80

支配集団である白人による黒人(米国アフリカ系奴隷子孫)の母語(黒人言語)に対する科学的ディスコースの構築という観点から、黒人言語に関する研究の歴史は四つの時期―第一期:異常英語論、第二期:誤謬英語論、第三期:欠陥英語論、逸脱英語論、第四期:民族英語論、固有言語論―に分けて考えることができる。各時代は特定の社会変動と社会構造に一致し、黒人言語についての研究は、諸権利獲得と人種間平等への機運が黒人のあいだで高まり、白人の既得権益が脅かされるとパラダイムシフトする傾向にあったといえる。 本研究で扱う第三期の欠陥英語論は、東西冷戦、1954 年の公教育施設での人種隔離政策に違憲判決を下したブラウン裁判、1964 年以降の各種公民権法制定など大きな社会変動のなか、黒人による権利要求の高まり、白人による既得権益の死守などが相互作用した結果、基本的には白人側が一方的に構築した科学的パラダイムであると考える。この時代は、アフリカやアメリカの黒人社会など非白人地域に関する研究、すなわち欧米中心主義的な知識の構築に向けて、米政府や同国慈善財団が社会科学に莫大な投資を行う時期で、黒人言語の言語的病理性を説く欠陥英語論、その言語的正当性を説く逸脱英語論という、黒人言語の解釈を巡り一見相対立する立場をとる両分野に対して投資が行われていた。本稿では、利害一致論(Bell 1980, 2004)の観点から、既存社会構造の維持に貢献し、その一部は時代横断的にも見られる、欠陥英語論の五つの特徴―カラーブラインド・ディスコース、誤謬としての黒人言語、疾患としての黒人言語、排除されるべき黒人言語、逃避的相関分析―を分析する。第二次世界大戦までの生物学的決定論に立脚した近代的人種主義とはある部分では決別した欠陥英語論が、どのようなディスコースを構築し、どのように人種主義を合理化し、どのように既存の社会体制を維持しようとしていたのか、利害一致論の視座か ら論究する。
著者
張 碩
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.11-34, 2020 (Released:2020-10-09)
参考文献数
55

東日本大震災により東京電力の福島第一原発に深刻な事故が発生後、日本国内に留まらず、全世界の原発政策に重大な影響を及ぼしている。筆者の母国中国では、政府が同年の3月16日に原発の新規建設計画の審査・承認の暫定的凍結を決定したが、関連報道ではその後原発運行・推進に傾いたことが見受けられる。 福島原発事故が発生した際に、中国のメディアは連日事故に関する報道を流し続けた。その中で、中国中央電視台で東日本大震災と福島原発事故の情報を取得した人が74.8%に達した1)。本稿は中央電視台で放送された唯一の長篇ドキュメンタリー番組シリーズ『日本大地震啓示録』を分析することを通して、(1) 中国のテレビメディアは原発および福島原発事故をめぐる報道中に隠されたイデオロギーを解明し(2) それらのイデオロギーを維持するのに使用された言語要素を明らかにすることを目的とする。今まで、福島原発事故をめぐる中国メディアの報道に関する研究は多いが、談話分析の研究は殆どないため、本稿では、分析にあったては主にトポス(Wodak 2001,2010) と前提(Fairclough 2003) の理論枠組みを用い、『日本大地震啓示録』におけるナレーション、ジャーナリストおよび専門家などの談話 から5 つの抜粋を取り上げ、ミクロ分析を行う。それによって、福島原発事故の被害が悪化することを避けられると主張し、事故の深刻化を東京電力と日本政府に帰責する意図を解析できた。また、同番組において、専門家は原発の必要性・重要性を強調し、原発の稼働を当然視するイデオロギーも読み解かれ、さらに『日本大地震啓示録』はそれらのイデオロギーが視聴者に受け入れられやすいように使用された言語ストラテジーを明らかにした。
著者
西田 梨紗
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.95-116, 2019 (Released:2019-10-21)
参考文献数
18

本研究の契機は、なぜローレンスとリーはヘンリーの悪夢のなかで、エドワードに兵隊の音頭をとるドラマーの役割を与えたのか、という疑問である。エドワードのモデルはラルフ・ウォルド・エマソンの息子エドワード・ウォルド・エマソンであり、エドワードはヘンリー・デイヴィッド・ソローを慕っていた。ヘンリーとエドワードの親しい関係は劇中で描出されている。だが、ヘンリーがみた悪夢のなかでは、エドワードには兵隊の音頭をとる役割が与えられており、彼にこの役割は不似合いであるために違和感を覚える。 この問いを明らかにするため、本研究ではまず1960年から1970年頃におけるソローの評価とともにベトナム反戦運動に着目し、Jail が執筆された時代背景を振り返った。次に、この戯曲中でアイデンティティの問題が主張されている場面と、権威に対する不服従の精神が描かれている場面を取り上げた。ここでは、ソローが生涯を通じて持ち続けたʻʻCivil Disobedienceʼʼ の精神をテーマにしたJail が、なぜこの時代に営利目的としない劇場や大学で次々と上演されていたのかをベトナム戦争における問題と関連付けながら考察し、当時求められていた精神を明らかにした。最後に、ヘンリーがみた悪夢の場面に着目し、戦場で兵隊の音頭を取るエドワードの姿はなにを意味するのかをWalden に流れるʻʻDifferent Drummerʼʼを鍵語に検証を行った。 検証の結果、エドワードに兵隊の音頭をとる役割のみならず、攻撃を受け負傷させることで、戦争がもたらす脅威を観客に訴えかけようとしたローレンスとリーの意図が明らかになった。また、彼らはヘンリーが登場人物たちに自分自身の存在を再認識させる場面を織り込むことで、当時の若者たちが模索していたアイデンティティの問題をも観客に投げ かけているといえよう。
著者
須納瀬 淳
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.143-161, 2019 (Released:2019-10-21)
参考文献数
29

第二次大戦後から、カメルーンでは独立を求める人々とフランスとの間で戦争が行われた。独立した他のアフリカ諸国と比べたとき、この国には二つの特殊性がある。第一に、フランス植民地であった「ブラック・アフリカ」のなかで唯一、武力によって独立運動の弾圧が行われたこと。第二に、両国間で起きた戦争についての語りが、独立後のポストコロニアル国家および旧宗主国フランスの双方によって公的な場から排除されてきたということである。この意味で、それは文字通りの「隠された戦争」だった。 本稿では、カメルーンの戦争の認識をめぐるこうした困難な状況を辿った後に、国家が提示する公式の〈歴史〉に抵抗しつつ、この戦争について独自の視点から語ろうとしてきた作家たちの試みについて検討する。とりわけ、国家が歴史的な「真理」を決定してきたカメルーンのような国においては、いくつかの文学的作品は単なる「作り話」の範疇には 収まらない重要な意味を持っている。それらは、国家的〈歴史〉に対して、過去の出来事について複数の視点から為された作家たち独自の解釈による介入として読むことができる。 独立直後においては、その出来事についての語りが許されない状況下で、モンゴ・ベティは植民地主義の実態を告発するために小説を政治的ルポルタージュの代替表現として用いた。また彼より後、独立後に生まれた作家たちは、彼とは異なる観点や手法からその出来事にアプローチしているが、われわれはそこに認められる二つの特徴を重要なものとして挙げている。一つは独立闘争における女性の視点に焦点があてられていること。もう一つは過去が次世代に語り継がれる伝承が問題とされることである。 最期に、マックス・ロベの小説『打ち明け話』をとりあげ、アフロ・ディアスポラとしての主体が、戦争の過去と持つ特異な関係性を明らかにする。
著者
澤田 聖也
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.101-125, 2020 (Released:2020-10-09)
参考文献数
17

本論文では、沖縄の民謡クラブ(復帰前)と民謡酒場(復帰後)のコミュニティに注目し、両者のコミュニティがどのように変化してきたのか、そのプロセスを明らかにする。一般的に、現在の民謡酒場は観光芸術の文脈で語られ、観光客が期待する「沖縄らしさ」を演出したものになっている。しかし、民謡酒場の歴史を辿ると1960年代に民謡酒場の前身である民謡クラブから始まり、そこでは、地元の演奏者と客の相互コミュニケーションを通した強いコミュニティが形成されていた。民謡クラブには、観光芸術とは無縁の空間が広がっていた。だが、1972年に沖縄が本土復帰を果たすと、沖縄には、観光客が訪れるようになったことで、民謡クラブの客層が徐々に地元民から観光客に移り、それに伴いながら民謡クラブのシステム、音楽、環境なども変化していった。 復帰前の民謡酒場が、「演奏者―客」の連帯感が強い相互コミュニケーションがあったコミュニティに対し、復帰後は、「演奏者―客」の連帯感が弱いコミュニティーになった。それは客層の変化も大きく関係しているが、それ以外にもコミュニティの紐帯を強固にしたり、緩めたりする要素が含まれている。コミュニティの形成には、人と人の関係性だけでなく、モノと人の関係性も重要であり、ANT の視点も入れながら、本論文では、復帰前後のコミュニティの変化のプロセスを明らかにする。
著者
吉田 裕
出版者
カルチュラル・スタディーズ学会
雑誌
年報カルチュラル・スタディーズ (ISSN:21879222)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.125-144, 2018 (Released:2019-10-09)
参考文献数
61

本論文は、第三世界主義の決定的な瞬間の一つである、パリで開催された第一回黒人作 家芸術家会議を取り上げる。そして、英語圏、仏語圏の作家や知識人たちのあいだでの人 種を超えた連帯という表向きの祝祭的な雰囲気の影で密かに存在していた不協和音を検討 する。この論文の主な焦点は、合衆国の黒人作家であるリチャード・ライトによる発表「伝 統と産業化」とバルバドスの作家ジョージ・ラミングによって読み上げられた原稿「黒人 作家とその世界」を分析することにある。当時、パリに逗留していた若きアフリカ系アメ リカ人の作家ジェームズ・ボールドウィンによる会議の報告も一部、検討対象とする。合 衆国の内外での反共主義の隆盛という文脈において考えた時、フランス語圏の知識人たち とのあいだの共通性と差異、そして、目指されなかったものとは何なのだろうか。人種主 義と植民地主義を問題化するということはフランス語圏のアフリカ系知識人やカリブ系作 家らには共有されていたが、英語圏の作家らには別様に捉えられていたのではないだろう か。 前半では、人種主義と植民地主義の見え方に関して、合衆国代表団とフランス語圏の発 表者(特にエメ・セゼール)のあいだに存在していた軋轢に注目するが、その軋轢の要因 の一つとして合衆国代表団に共通してみられたのは何だったのかについて論じる。そして 後半では、この軋轢を反省的にとらえかえすための問いかけの出発点として、恥という情 動にラミングが傾注していることを論じる。そのことによって、冷戦期の情報戦や心理戦 が脱植民地期の「文化」概念に隠然たる影響を与えたことや、その影響に対する抗いの試 みの一端を明らかにする。