著者
数井 誠人 長谷山 美紀 北島 秀夫
雑誌
情報処理学会研究報告オーディオビジュアル複合情報処理(AVM)
巻号頁・発行日
vol.2000, no.116(2000-AVM-031), pp.85-90, 2000-12-14

本研究では,運転支援システムが曲線路において走行可能領域を推定するための,Hough変換に基づくレーンマーキングの推定手法について提案する.提案手法では,レーン形状パラメータの直線成分を,複比を考慮した直線束を用いて推定する.また,変数変換後のエッジ座標から,レーン形状の曲率成分を角度ヒストグラムによって推定する.実際の道路画像に対して提案手法を適用し,走行レーン推定の安定性について検討する.
著者
浦田 有佳里 下村 憲輔 白石 敬典 田 娟 中原 道智 瀬戸 洋一
雑誌
コンピュータセキュリティシンポジウム2016論文集
巻号頁・発行日
vol.2016, no.2, pp.792-796, 2016-10-04

個人情報の収集を伴うシステムを構築する際,プライバシー保護には,プライバシー影響評価 (Privacy Impact Assessment) を事前に実施することが有効である.PIA の目的は,公共の利益を確保し,個人のプライバシーを守ると共に,ステークホルダー間の信頼関係を確保することにある.カナダや米国では行政システムを構築する際,PIA の実施を法的に義務付けている.日本で実効性をもって実施するには,理論的な裏付けが必要である.本稿では,PIA が,ユーザープライバシーを尊重するプライバシーバイデザインの考え方,およびステークホルダー間の対話による合意形成を行うマルチステークホルダープロセスより構成されることを考察する.
著者
平井 佑樹 井上 智雄
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.72-80, 2012-01-15

プログラミング教育では,プログラム言語の文法やプログラム書法を理解する能力とアルゴリズムを組み立てる能力が要求される.プログラム言語の文法や簡単な例題を理解することができても,実際にプログラムを作成するときにはいくつかのつまずきが発生する.プログラミングを行う方法の1つとして,2人1組になって行うペアプログラミングがある.ペアプログラミングによるプログラミングは協調作業であるが,これはプログラミング学習の方法としても用いられている.本研究では,プログラミング学習時のペアプログラミングの成功事例と失敗事例を比較分析した.分析では作業中の会話に着目し,失敗事例の方が発話が長いこと,説明の繰返しが多いこと,一方的な発話が多いことが分かった.この知見は,ペアプログラミングにおいて協調作業がうまく進んでいるかどうかを判断する手がかりを提供し,協調作業の状態推定に有効であると考えられる.
著者
香川修見
雑誌
情報教育シンポジウム2001論文集
巻号頁・発行日
vol.2001, no.9, pp.265-265, 2001-08-21

学校で与えられるほとんどの課題には正解が用意されている.学生は正解や正解に到達する方法を教えられ課題に取り組む.しかし,社会で遭遇するほとんどの問題には正解が用意されていない.問題の所在を見付け,調査や議論をして対策を立て,実行して解決に至る. 学生が問題を見付け解決策を考えるスタイルの教育が必要なことは多くの教師が気付いている.海外では特にインターネット普及を契機に,このスタイルヘの取組みが盛んである.しかし,我国では筆者の知る限り,卒業研究などのゼミナール以外で本格的に授業で実施している例は少ない.筆者は大阪学院大学で,情報系と非情報系の学科の学生を対象にコンピュータ演習(選択)を担当している.この科目では,学生は興味のあるテーマを自ら設定し,自分のペースで取り組む.教師からの知識伝達は可能な限り少なくする.即ち「教えない授業」である.学生は自らWebやPowerPointなどのコンピュータツールの使い方を学び,それらを使って調査・発表・報告書提出をし,教師は助言と評価を与えている.途中経過であるが次の成果を得ている.(1)一方的な伝達型の講義に比べ知識や技術の量と定着度が大きく,達成感も大きい.(2)脱落する学生も多く学習の格差が大きい.(3)学生・教師ともに負担が大きい.半年(3時間/週)では足りない.(4)コンピュ-タツールのオンラインマニュアルやサポート要員が重要な役割を果たす.本稿では非情報系学科での「教えない授業」の手法と途中経過について述べる.
著者
Lidin Olof G
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国際日本文学研究集会会議録 = PROCEEDINGS OF INTERNATIONAL CONFERENCE ON JAPANESE LITERATURE (ISSN:ISSN0387)
巻号頁・発行日
no.6, pp.96-107, 1983-03-01

In 1706 Ogyū Sorai went for his lord, Yanagisawa Yoshiyasu, to Kai Province. During the journey he wrote a travel chronicle, together with his companion Tanaka Shōgo, which was presented to Yanagisawa Yoshiyasu upon return to Edo. Four years later (1710) Ogyū Sorai revised this chronicle, made it shorter, and gave it the title Kyōchūkikō. The title of the first version was Fūryūshishaki.The Fūryūshishaki and Kyōchūkikō were Ogyū Sorai's first literary works. Before 1706 we do not find much written by him. In a certain sense they were also his last literary works. Most of his later writings were in philosophy, political science, military matters, and other academic fields. At 40 years of age Ogyū Sorai began his literary career by writing a travelogue in which he showed his rich personality as in no later academic work. Unfortunately, he never again tried his hand at this sort of literature.In the study of Ogyū Sorai the Fūryūshishaki and the Kyōchūkikō are the natural starting-point. From there one can continue with his philosophical works and perhaps finish with his political work Seidan, which he wrote late in life.
著者
高島 尚希 亀山 幸義
雑誌
情報処理学会論文誌プログラミング(PRO) (ISSN:18827802)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.27-27, 2012-03-28

本発表は,コントロールオペレータの表現力を解明すること,特に,捕捉される限定継続の範囲が入れ子になることを許すコントロールオペレータnested shift/resetを,入れ子を許さないコントロールオペレータcontrol/promptを用いて表現できることを厳密に示すことを目的とする.コントロールオペレータnested shift/resetは,よく知られているコントロールオペレータshift/resetに,タグを付加して拡張したものである.本研究の出発点は,独立に提案され研究されているnested shift/resetとcontrol/promptが,抽象機械のレベルでは非常に類似した構造を持つ,という観測である.この観測に基づき,抽象機械のレベルで前者を後者でシミュレートできることを証明する.この手法を拡張して,nested control/promptをcontrol/promptでシミュレートできることも示す.最後に,抽象機械をソースコードレベルに戻す変換を適用することにより,nested shift/resetやnested control/promptを,control/promptでマクロ定義可能であることを示す.本手法によるマクロ定義は,簡潔なデータ型を用いて実現され,多くの関数型言語でそのまま利用可能である.
著者
久野 靖 小泉 力一 宮寺 庸造 夜久 竹夫
雑誌
情報教育シンポジウム2014論文集
巻号頁・発行日
vol.2014, no.2, pp.111-118, 2014-08-17

今日のわが国の情報教育は、その目標である「情報活用能力」の内容を、「情報化の進展に対応した初等中等教育における情報教育の推進等に関する調査研究協力者会議」が 1997 年 10 月に公表した第 1 次報告 [1] に記された 3 観点としてきた。しかし、同報告の公表から既に 17 年を経過し、この間の情報技術や社会状況の変化を考えれば、この定義を見直すべき時期 が来ているといえる。近年、学術会議を中心に策定されつつある「情報学」の参照基準では、コンピューティングが多様な情報学の分野を横断する共通概念になっていることから、「情報活用能力」も「コンピューティング」を加えた新たな形となるべきだと考える。さらに、小学校・中学校・高等学校の各段階でどのような内容を経て「情報活用能力」を育成していくかについても提案をおこなう。
著者
金山 梨花 カナヤマ リカ Rika Kanayama
雑誌
国際基督教大学学報. II-B, 社会科学ジャーナル = The Journal of Social Science
巻号頁・発行日
no.60, pp.243-265, 2007-03-31

Gender can be rightly considered as the "universal otherness" regardless of cultural, ethnic, and/or national differences. This paper argues that masculinity/femininity in gender is the most familiar cultural differences and by practicing releases its "spiritual personality" via cross-cultural translation. Also, it further posits that understanding gender relations the sine qua non for the existence of each other belonging as a whole person. By deconstructing gender in two parts, each part becomes deformed, plagued, contaminated with its viability being lost. Similarly, Jung explains gender as a goal for personality formation, the concept of integrating masculinity and femininity arises in educating the original "self through liberating his or her contra-sexual archetypes in universal unconsciousness: "anima" refers to the latent femininity in man; and "animus" refers to the latent masculinity in women. The gender relations are meant not only to promote cooperation as fellow beings, but to translate each others' differences in order to activate creative spirituality as a unique personality. In this sense, the term "gender-free" points to the releasing spiritual-level individual identity, rather than females advancing and assimilating in androcentric society, or females becoming andro-genized or vice versa. This puts the border differences between males and females in adaptable and heterogeneous, equivocal binary opposition of males and females, allowing further pursuit for a new "female culture" or "male culture. "Thus, "gender-free" does not mean the demise of differences, but the emergence of the spiritual person within through gender cross-cultural translation.