1 0 0 0 OA 江戸名所画讃

著者
〔歌川広重//画〕
出版者
巻号頁・発行日
vol.2,
著者
中山 昌久
出版者
東京学芸大学
雑誌
東京学芸大学紀要. 人文社会科学系. I (ISSN:18804314)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.1-28, 2013-01-31

1 0 0 0 OA 海山仙館叢書

著者
清潘仕成輯
巻号頁・発行日
vol.[119], 1849
著者
京堂 健
出版者
青土社
雑誌
ユリイカ (ISSN:13425641)
巻号頁・発行日
vol.27, no.14, pp.p256-265, 1995-12

1 0 0 0 OA 辛卯震災録

出版者
図書出版会社
巻号頁・発行日
1891
著者
織井 弘道 森谷 良智 難波 幸一 海老原 直樹 川本 和弘 伊藤 公一 村井 正大
出版者
特定非営利活動法人日本歯周病学会
雑誌
日本歯周病学会会誌 (ISSN:03850110)
巻号頁・発行日
vol.39, no.4, pp.495-502, 1997-12-28
参考文献数
23
被引用文献数
1

本研究は,チタン製インプラントにプラークや歯石が付着した場合を想定し,日常臨床で用いられている種々の清掃法によってチタン表面を処理し,それが培養細胞の初期付着に対してどのような影響を及ぼすのかについて検討したものである。実験材料として,チタンを99.5%以上含むチタン板を実験に供試した。チタン表面にプラークや歯石が付着したことを想定し油性マジックを塗り,それを手用キュレット型スケーラー(HSc),超音波スケーラー(USc),歯面研磨装置(QJ),ラバーカップ(RC:歯面研磨剤を併用),プラスチックスケーラー(PSc)で除去した後の表面粗さ(中心線平均粗さ)を計測した。なお,未処理のチタン板をコントロール(C)とした。次に,そのチタン板を滅菌後,チタン表面にヒト歯槽骨由来骨芽細胞およびヒト歯肉線維芽細胞を播種し,通法に従い3, 6, 12および24時間培養を行い,走査電子顕微鏡により付着細胞数のカウント,細胞形態の観察を行った。その結果,チタン板の表面粗さには,HSc-QJ, HSc-RC, HSc-PSc, HSc-C, USc-QJ, USc-RC, USc-PSc,およびUSc-C間において統計学的有意差が認められた(p<0.05)。走査電子顕微鏡観察によると,HSc, UScによって処理したチタン板上の細胞はCと比較して発育が悪く,付着細胞数も減少傾向にあった。QJでは付着細胞数において減少傾向が見られたが,細胞形態自体にはさほど影響は見られなかった。RC, PScでは細胞形態,付着細胞数ともに良好な結果が得られた。よって,in vitroにおいて,培養細胞の付着様相は粗いチタン表面よりも,平滑なチタン表面のほうが良好であることから,チタン表面がプラークで汚染された場合の清掃法として,プロフィーペーストとラバーカップの併用あるいはプラスチックスケーラーによる方法は,有効であることが示唆された。
出版者
図書出版会社
巻号頁・発行日
1891
著者
難波 幸一 織井 弘道 森谷 良智 内山 寿夫 吉沼 直人 伊藤 公一 村井 正大
出版者
特定非営利活動法人日本歯周病学会
雑誌
日本歯周病学会会誌 (ISSN:03850110)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.477-483, 1996-12-28
参考文献数
32
被引用文献数
2

本研究は,チタン表面に形成されたプラークを安全でかつ効果的に除去することのできる清掃法を確立することを目的とし,ラバーカップ,ポリッシングブラシに,各種ポリッシングペースト,浮石沫,水をそれぞれ組み合わせた清掃法が,チタン表面に対してどのような影響を及ぼすのかについて比較検討した基礎的実験である。実験材料として,チタン99.5%以上のチタン板を実験に供試した。チタン表面に油性マジックを塗り,各種清掃法でこれを除去した後の表面粗さを計測した。次に,チタン板を保持装置に固定し,口腔内に装着しプラークを付着させた。このプラークを各種清掃法で除去し,走査型電子顕微鏡を用いてチタン表面性状およびプラークの除去状態を観察し,プラーク付着スコアで評価した。チタンの表面粗さは,全ての清掃法とコントロールの間に統計学的に有意差は認められなかった。また,チタン表面性状およびプラークの除去状態は,48時間口腔内に装着しプラークを蓄積したコントロールと比較し,全ての組み合わせにおいて統計学的に有意差が認められた。この研究結果から各種清掃法は,全ての組み合わせにおいてチタン表面性状を変えることなく短時間でプラーク除去が可能であり,またラバーカップよりもポリッシングブラシを使用した清掃法がプラーク除去効果の高いことが示された。
著者
河合寿造 著
出版者
武田交盛館
巻号頁・発行日
1896
著者
津上 智実 Motomi TSUGAMI
出版者
神戸女学院大学研究所
雑誌
神戸女学院大学論集 = Kobe College studies (ISSN:03891658)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.127-140, 2017-06

本論の目的は、近代日本における「芸術歌曲」としての「日本歌曲」という概念の成立と用語法の変遷を歴史的に明らかにすることである。今日、「ドイツ歌曲」等と並んで「日本歌曲」というジャンルがあるのは自明のこととなっている。しかるに戦前の音楽活動を調査すると、「歌曲」という用語の不在に驚かされる。音楽雑誌『月刊楽譜』(東京:松本楽器、1912~1945)の附録楽譜について言えば、「歌曲」という用語が安定して出現するのは1936年と遅く、それまでは「歌曲」よりも「独唱曲」の方が広く用いられていた。芸術歌曲としての「歌曲」が用語として現れ、概念として定着するまでには、どのような道のりがあったのだろうか?この問いに答えるために、本論では、1)音楽辞典類、2)語学辞典、3)放送用語、の3つを取り上げて考察した。その結果、芸術歌曲としての「Lied」ないしは「song」の訳語として「歌曲」という用語が出現する例は1920年代までに散発的に見られるものの、音楽辞典における訳語として定着するのは1949年以降であることが明らかになった。これは音楽雑誌や演奏会プログラム等における表記が1930年代半ばから一般的になったのに比べて、さらに遅い。1949年の日本放送協會『放送音樂用語』で「歌曲」という訳語が定められて以降、ほぼすべての音楽辞典で「歌曲」という用語が統一的に用いられるようになったが、「Liedform」については「歌曲形式または歌謡形式」とされており、戦前の用語法の名残を引き摺っている例が見受けられる。このように近代日本における芸術歌曲としての「歌曲」概念は、さまざまな紆余曲折を経て、想像以上に長い時間をかけて成立・定着したものである。今日ごく当たり前の概念として用いている「日本歌曲」ないし「歌曲」という用語は、明治の開国以来150余年の歩みの中で、その半分以上を費やして形成されてきたものなのである。The paper aims to make clear the birth and formation of the concept of the Japanese art song in modern Japan. Today the concept of art song and its translation as 'Kakyoku' (歌曲) are firmly established and believed to have been so for a long time. However once one makes surveys of musical activities in the Meiji and Taisho eras in Japan, one must be surprised by the absence of the technical term 'Kakyoku' in music journals or concert programs. In the case of the music magazine Gekkan-Gakuhu (月刊楽譜) or Musical Quarterly, published in Tokyo from 1912 until 1945, it is only from the year 1936 that the demonination 'Kakyoku' consistently occurs, the term 'Dokushoka(独唱歌)', which is 'Solo Song', being used much more often before that year. In order to elucidate the establishment of the concept 'Kakyoku' in modern Japan, this paper examines: 1) music dictionaries, 2) language dictionaries, and 3) terminologies of radio broadcasting. As the result of this survey, it has become clear that it is as late as after the year 1949 that the German term 'Lied' or English 'Song' were traslated as 'Kakyoku' in music dictionaries, with some sporadic usages until the 1920s. This happened later than the middle of the 1930s in the cases of music journals and concert programs. It seems important that the term 'Kakyoku' was selected and established in the music dictionary for radio broadcasting published by Japan Broadcasting Association in 1949. Almost all the music dictionaries followed it, but with some remmant of the former tradition to translate the German 'Liedform' or 'song form' not as 'Kakyoku-keishiki' but as 'Kakyoku- keishiki'. Thus the consept and the terminology of 'Kakyoku' was formed after many twists and turns in the first half of the twentieth century.
出版者
日経BP社
雑誌
日経アーキテクチュア (ISSN:03850870)
巻号頁・発行日
no.1070, pp.68-71, 2016-04-28

インバウンド需要を追い風に、アパグループは大規模ホテルの開発を予定している。例えば客室数1015室の「アパホテル&リゾート2両国駅タワー>」(東京都墨田区、19年春完成予定)と、同約2400室の「アパホテル&リゾート2横浜ベイタワー>」(横浜市、19年秋完…