著者
天笠 邦一 Kunikazu AMAGASA
出版者
昭和女子大学近代文化研究所
雑誌
学苑 = Gakuen (ISSN:13480103)
巻号頁・発行日
no.916, pp.12-23, 2017-02-01

Social Media, such as LINE, Facebook, Twitter and Instagram, are getting more and more popular and becoming an indispensable part of everyday life. We select and use these ubiquitous social infrastructures, which have different characters. This research tries to show the relationship between such selective utilization of social media and Bourdieu’s concept, “habitus.” The results of our internet survey suggest that users’ leisure activities correlate with their favored form of social media. The style of leisure activity is related to users’ choice of social media, and can be considered a form of habitus.
著者
鈴木 賢一
雑誌
芸術工学への誘い (ISSN:21850429)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.17-27, 2015-03-31

欧米の学校建築には、日本にはない多様な計画設計の実例がある。1)学校規模と南面教室配置、2)教える教室と学ぶ教室、3)魅力的な廊下、4)学習リソースの未来、5)学校の管理運営、6)場所から生まれる形、7)歴史を刻む学校、という7つの観点から、日本と欧米を比較しながら学校建築の計画条件と実際に構築された学習環境の違いを記述した。多様な姿かたちを表わす海外の学校建築を知ることは、建築技術以上に、前提となる考え方の違いに触れることである。ひいては、日本における学校の計画設計の選択肢を増やすことにもつながる
著者
平林(宮部) 真衣 吉野 孝 河添 悦昌
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.29-44, 2022-01-15

非常事態下では流言が拡散しやすく,マイクロブログ上での対策の検討は急務である.本論文では,新型コロナウイルス感染症流行(非常事態)下でのTwitter(マイクロブログ)上の流言の特徴を,約6カ月分の流言訂正データにより分析した.分析の結果,非常事態下におけるマイクロブログ上の流言には特徴が見られ,今後流言対策において考慮すべき特徴として以下の点を明らかにした.(1)期間全体では,収集される流言情報全体のうち非常事態関連の流言が占める割合は少ないが,日によって割合は異なり,多くの割合を占める日もある.また,割合が急増する前には,原因と考えられる実社会上の出来事が存在する場合がある.(2)非常事態関連の流言の内容は11種類の主題に大別され,人間の行動につながりうる内容や,社会的に影響を与えうる内容が含まれた.これらは,個人・社会一般の「経済状況」や「精神的健康状態」に対して悪影響を及ぼす可能性がある.(3)期間中の訂正数の推移を分析した結果,特定期間に集中的に発生した後に収束していくものと,訂正数の突出箇所が期間中に複数出現するものが見られた.(4)マイクロブログ上の流言拡散には,従来の流言流布に関する知見が適用できない可能性がある.
著者
加藤 秀雄
出版者
成城大学
巻号頁・発行日
2021-07-15

成城大学学位規則 第6条第3項
著者
森本 あんり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.42, pp.165-186, 2011-03-31

ニューイングランド社会は、本国で既存の体制に対する異議申立者だった人々がみずから体制の建設者となったという点で、またその建設の課題が政治体制と宗教体制との両方であったという点で、特筆すべき歴史的実験であった。その建設の途上では、バプテストやクエーカーに対する不寛容な一面が見られた。彼らの不寛容を現代の倫理感覚で批判することはたやすいが、本稿ではその不寛容に内在する論理を尋ね、これを本来の文脈の中で理解することを試みた。 アメリカにわたったピューリタンは、教会の設立ばかりでなく市民社会の設立に際しても、参加者全員による契約を求めた。コトンやウィリアムズは、世俗的であれ宗教的であれ権力はすべて民衆に由来すると論じており、ウィンスロップや植民地政府の特許状は、この原則に基づいて建設される社会が「閉じた集団」であることを明記している。地縁血縁を脱して自発的意志による社会を構成するというヴォランタリー・アソシエーションの原理は、ひとまずは閉鎖的な私的共同体を結果する。 さらにここには、中世的な寛容理解が前提されている。中世後期の教会法によれば、寛容とは相手を否定的に評価した上で「是認はしないが容認する」という態度を取ることであった。寛容は善でも徳でもなく、その対象は「より小さな悪」に他ならない。中世社会でこの意味における寛容の典型的な対象となったのは、売春とユダヤ教であった。 ニューイングランドでもこの理解が踏襲されている。教会と社会を自己の理念に則って新たに建設するという課題を前にした彼らは、異なる思想をもつ人々を受け入れる必要がなかったので、比較考量の上で当然のごとく不寛容になった。必要に迫られていないのに寛容になることは、真理への無関心であり誤謬の奨励である、と考えられていたからである。かくして中世社会とニューイングランド社会は、同じ中世的な寛容理解の評価軸に沿って、一方は寛容に、他方は不寛容になった。 だが、やがて変化が訪れる。1681 年にインクリース・マザーは、寛容が「必要な義務」ではあるが、「大きな船をバラストするのに必要なものは小さな船を沈没させてしまう」と記している。この発言には、なお消極的な態度ながら、実利を越えた原理的な善としての寛容理解が芽生えている。かかる変化の背景には、王政復古後の本国からの圧力という外在的な原因と、彼ら自身の世代交代という内在的な原因があった。かくして、「ゼクテ」として出発したニューイングランド社会は、ひとたび断念した普遍性を再び志向するようになり、人々の公的な社会参加を求める「共和国」となっていった。やがてアメリカは、寛容でなく万人に平等な権利としての「信教の自由」を新国家建設の基盤に据えて出発することになる。