著者
綾部 二郎
巻号頁・発行日
2014 (Released:2015-04-02)
著者
下村 脩 SHIMOMURA Osamu
巻号頁・発行日
1960-04-15 (Released:1960-04-15)

名古屋大学博士学位論文 学位の種類:理学博士 (旧制) 学位授与年月日:昭和35年4月15日 「日本化学雑誌」Vol.81 No.1 (1960) pp.179-184.「海ホタルルシフェリンの構造(第2~3報)」を博士論文として提出したもの。
著者
平山 裕之
出版者
奈良大学大学院
雑誌
奈良大学大学院研究年報 (ISSN:13420453)
巻号頁・発行日
vol.14号, pp.196-198, 2009-03

日本の中近世は、多様で個性的な「集落(都市・町・村落)」が展開した時代とされる。近年、中近世考古学の顕著な進展に伴い、「集落遺跡」に対する関心も高揚しており、その調査・研究は学際的に結実することが多くなった。しかしながら、そうした学際的研究の場において、これまで議論の狙上に載ることがほぼ皆無であった集落も存在している。その典型例に「鉱山集落」を挙げられよう。鉱山集落を「都市」と認識する研究も存在しているが、「遺跡」としての認知度が低く、また開発行為に伴う緊急発掘の対象になることも稀で、考古学的にはその評価が判然としていない。本論文はこうした現状を鑑み、鉱山集落は「都市遺跡」との認識が可能か否かを念頭に置くものとする。そして集落の実相について考古学的な検討を行うが、特に「中近世移行期」における金銀山集落の再評価を目的としている。
著者
坂口 昂吉
出版者
三田史学会
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.131-135, 2007-06 (Released:2007-00-00)

研究余滴 (A) 物語(B) 教義の説明(C) Apologus(譬え話による教訓)
著者
熊本大学附属図書館 クマモト ダイガク フゾク トショカン
出版者
熊本大学附属図書館
巻号頁・発行日
1990-11-08

第七回熊本大学附属図書館特殊資料展 出品目録
著者
長尾 彰夫
出版者
日本教育学会
雑誌
教育学研究
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.239-247, 1988-09-30 (Released:2015-02-09)
著者
原 誠
出版者
京都大学東南アジア研究センター
雑誌
東南アジア研究 (ISSN:05638682)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.32-77, 1978-06

この論文は国立情報学研究所の学術雑誌公開支援事業により電子化されました。 Christianity in Japan was accepted not only by some intellectuals but by a large number of ordinary people, who played a significant role in the life of the church. An analysis of the acceptance of the Christian faith by these people is very important in the study of the history of the Japanese church. In this thesis the author attempts such an analysis. It is a case study of Jo Miura, who, during the time of the modernization and military aggression of Japan, lived most of his life in Indonesia after moving Southward (Nanshin), cooperating with the Japanese military occupation in the Second World War, recognizing the validity of the independence movement in Indonesia and finally taking his own life immediately after the war. Miura was born the son of a Christian pastor. After dropping out of Meiji Gakuin, he joined Nanyo Shokai, an export firm, and traveled to the Dutch East Indies, now Indonesia. He eventually settled on the island of Bali, winning the trust of the local people. During the war he cooperated with the Japanese military occupation as a civilian but at the same time strongly identified himself with the independence movement in Indonesia. The day of his death, September 7,1945,was the day scheduled for independence. The thesis follows the story of his life, focusing on his philosophy of life and the meaning of Christianity for him.
著者
尾松 徳彦 岸本 理和 神立 進 小畠 隆行 入江 大介 若月 優 唐澤 久美子 安藤 裕 鎌田 正
巻号頁・発行日
2012-09-22 (Released:2014-06-14)

【背景】骨盤の不全骨折は、閉経やステロイドなど、骨粗鬆症が背景にあり、軽微な外力で引き起こされる骨折である。骨盤の放射線治療も、原因は不明であるが、骨盤の不全骨折の原因となる。骨盤の不全骨折は、仙腸関節部の頻度が高いと報告されている。【目的】放射線治療後に仙腸関節部に不全骨折をきたした症例の画像所見と経過観察による画像の変化を調べた。【方法】2007年1月から2009年12月までの間、子宮腫瘍(子宮頸癌15例、子宮内膜癌1例、子宮癌肉腫1例)により、骨盤に放射線治療を行った患者のうち、MRIで、仙腸関節部に不全骨折、放射線骨炎をきたしたと考えられる17例(37〜81歳、平均年齢:66.4歳)について、不全骨折の部位、不全骨折までの期間、不全骨折が診断された時点の、ADC(見かけの拡散係数) mapにおける、仙腸関節部不全骨折周囲の浮腫や炎症を反映していると考えられる周囲骨髄よりも高値を示す領域のADCの平均値、不全骨折診断後の経過をMRIで調べた。治療方法は、X線治療(外照射49.8〜60.6Gy、腔内照射23〜30Gy)が11例、重粒子線治療(72GyE/20fx)が6例であった。【結果】17症例中8例が両側仙腸関節、4例が右仙腸関節のみ、5例が、左仙腸関節のみであった。治療終了後から、不全骨折が診断されるまでの期間は、145〜891日(平均437.5日)であった。ADCの平均値は、0.899〜2.099×10-3mm2/sec(1.658×10-3mm2/sec)であった。不全骨折と診断される前のMRI画像では、ADC mapを含め、異常所見は認められなかった。不全骨折と診断してからMRIで経過観察できたのは7例であり、そのうち、3例は、MRIで骨折、炎症と考えられる異常信号は変化ないか、拡大した。4例では、無治療での経過観察で骨折、炎症が縮小した。骨折、炎症が縮小した4例は、平均のADCが、1.488×10-3mm2/secであり、平均よりも低い傾向が認められた。 JSAWI2012 第13回シンポジウム
著者
渡邊 浩史
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大學大學院紀要 (ISSN:13442422)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.103-111, 2003-03-01 (Released:2008-08-14)

現在までこの「道化の華」の冒頭に用いられた「ここを過ぎて悲しみの市。」という一節は、ダンテの『神曲』からの引用であり、その翻訳としては、笠原伸生氏によっ提言された森鷗外訳『即興詩人』「神曲、吾友なる貴公子」の一節、「こゝすぎてうれへの市に」であると言われてきた。しかし、検討の結果、実はその翻訳は別にあるのではないか、という可能性が出てきた。小稿はその翻訳として、上田敏訳のテクストにあるものを一番大きな可能性とし、そこに書かれた「こゝすぎてかなしみの都へ」と「われすぎて愁の市へ」という訳稿を太宰が「道化の華」の冒頭に用いる際、一部改変し使用していたのだ、ということを提唱するものである。 翻訳 森鷗外 上田敏 ダンテ『神曲』