著者
高橋 沙奈美 Sanami Takahashi
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.235-251, 2015-11-27

マダム・ブラヴァツキーは幼少のうちから,ひとところに長く落ち着いて生活することのない「遊牧民的」生活を余儀なくされた。様々な民族と宗教が混在するロシア帝国の南方を転々と放浪する生活をしたこと,特にアストラハンで遊牧民のカルムィク人とそのチベット仏教に出会っていたことは,彼女のその後の人生に少なくない影響を及ぼしたと考えられている。母エレーナは,この放浪生活に耐えがたい疲弊を感じていたが,その一方で,西欧文明とは異なる生活の中にインスピレーションを見出し,「異郷」を舞台とした一連の小説を発表した。時に,1820–1830 年代のロシア文壇を風靡したロマン主義は,「カフカスもの」と称されるロシア南方を舞台とした小説を輩出していた。エレーナ・ガンの創作も,この潮流に棹差すものだったのであり,1838 年に彼女が発表した,カルムィクを舞台とする小説「ウトバーラ」もまた,ロシアのオリエンタリズムが生み出した作品の一つといえる。本稿はガンを育んだ人々や環境,彼女が抱き続けた理想や,彼女が生きた時代の歴史的・文化的背景を踏まえながら,ガンが見たカルムィクと仏教世界を小説「ウトバーラ」の中から読み解く試みである。
著者
井上 岳彦 Takehiko Inoue
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.215-233, 2015-11-27

本稿では,マダム・ブラヴァツキーが少女時代を過ごしたロシアにおいて,1830 年代から40 年代にカルムィク人やチベット仏教に関する知識がいかなる状況にあったかを考察する。18 世紀には外国人学者・探検家が中心となって,カルムィク人とその信仰は観察され描写された。カルムィク人の信仰はモンゴルやチベットとの類似性が強調され,カルムィク草原は東方への入口として位置付けられた。19 世紀になると,ロシア東洋学の進展ととともに,カルムィク人社会は次第にモンゴルやチベットとは別個に語られるようになった。こうして,学知としてはモンゴルやチベットとの断絶性が強調された一方で,ロシア帝国の完全な支配下に入ったカルムィク草原では,ロシア人の役人が直接カルムィク人と接触するようになる。マダム・ブラヴァツキーの母方の祖父A・M・ファジェーエフが残した『回顧録』からは,彼とその家族のカルムィク体験は鮮烈な記憶として家族のあいだで共有されていたことが読み取れる。
著者
野村 真理 Nomura Mari
出版者
金沢大学経済学経営学系
雑誌
平成20(2008)年度 科学研究費補助金 基盤研究(C) 研究成果報告書 = 2008 Fiscal Year Final Research Report
巻号頁・発行日
vol.2006-2008, pp.4p., 2009-04-02

ナチ・ドイツによるユダヤ人迫害(ホロコースト)は、一般によく知られているが、その最大の犠牲者は東ヨーロッパのユダヤ人であり、また、そのさい東ヨーロッパ現地の住民が迫害に加担した事実は、ほとんど認識されていない。本研究の成果である著書『ガリツィアのユダヤ人--ポーランド人とウクライナ人のはざまで』(人文書院、2008年)は、現在ではウクライナに属する東ガリツィアを例に、文献資料の他、回想録や同時代の日記史料を用い、現地住民とホロコーストとのかかわりを人びとの心性にまで立ち入って解明した日本ではほとんど唯一の著作である。
著者
西野 春雄
出版者
野上記念法政大学能楽研究所
雑誌
能楽研究 : 能楽研究所紀要 = Nogaku kenkyu : Journal of the Institute of Nogaku Studies (ISSN:03899616)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.173-190, 1994-03-30

ここ数年、能楽界は催しの数も格段に増え、全国各地での薪能も頂点に達した感があった。各地の薪能の開催日・演者や番組・その他の内容について『観世』編集部が一冊にまとた『今年の薪能』が出版される程であるが、近年はバブルが弾けたためか、地方公共団体主催による薪能・野外能は、ひところよりは減少してきており、催会過密の解消にはむしろ歓迎すべき現象かもしれない。薪能ばかりが能の普及や観客層拡大の手段ではないはずで、これまでの成果を踏まえつつ、さらに工夫してもらいたいと思う。また近年の特筆すべき動きとして、横浜・名古屋・大津など地方都市に続々と能楽堂の建設が進んでいることである。国立能楽堂をはじめ各地の既存の能楽堂の長所を積極的に取り入れながら、その地域の特色や立地条件を生かした能楽堂の建設に期待したい。そして、ハードの面もさることながら、ソフトの面での清新な発想を望みたい。多目的がいつのまにか無目的になった例もあるから、慎重に進めてもらいたい。ところで、以前も本欄で取り上げたことがあるが、年間を通じての各流各派の常の会はいうまでもないが、昭和62年から始まった国立能楽堂の研究公演(武文・舞車・当願暮頭)をはじめ、梅若六郎・大槻文蔵などによる活発な廃絶曲の復曲活動や、古演出の復活上演などが、近年積極的に行われている。本研究所でも創立40周年を記念し「鐘巻」を復曲した(彙報参照)。一方、心臓移植の問題を取り上げた多田富雄作「無明の井」、W・B・イエーツ原作・高橋睦郎作「鷹井」などの新作能も盛んで、話題を呼んだ。今後とも、能の精神や技法に基づきつつも、類型にこだわることなく、誤り訛誤を正し、古典に新たな生命を吹き込んでもらいたい。現代と相渉る創作活動は、能が現代の演劇の一翼を担う芸術であるかぎり、将来も積極的に続けられるであろうし、そうあってほしい。ところで、国際化の波はあちこちに現れているが、国立能楽堂主催の外国人のための能楽鑑賞会もそのひとつであろう。年一回の公演ながら、着実な動きを見せつつある。概要を記した英語・中国語・ドイツ語・フランス語・朝鮮語・スペイン語によるパンフレットも有難く、演能に先立ちリチャード・エマート氏による英語の解説もある。さらに有料ながら、モニカ・ベーテ氏とリチャード・エマート氏、及びロイヤル・タィラー氏による戯曲構造に留意し対訳その他にいろいろと工夫が施された解説書も有益で(これまで「松風」「藤戸」「三井寺」の三冊を刊行)、これからも末長く継続してほしい。とくに技法面にも言及した解説書は、類書もあまりなく、これまでの英訳書の水準を抜いており、年一冊づつでも刊行されれば、将来の良き資料となるだろう。あまり知られていないが、国立能楽堂ならではの仕事である。このように能楽界は未曾有の盛況を呈しているが、一方で、シテ方・ワキ方・狂言方・囃子方ともに、それぞれかけがえのない人物を失った。明治の気骨を示した近藤乾三氏・柿本豊次氏をはじめ、激動の時代を支えて来られた方々を見送らねばならなかった。詳しくは物故者の欄を見ていただきたいが、能楽界も新旧交代が進んでいる。しかし、それ以上に、現今の催し物の増大と超多忙な状況が寿命を縮める一要因となっている点も否めない。特に福岡で「砧」を演じ終えてのち数時間後に亡くなられた観世左近氏の急逝は、氏が六十代の働き盛りであっただけに、哀惜の念をいっそう強くする。ところで、昭和五十九年度から始まった国立能楽堂による能楽(三役)研修事業も第一期(一期三年)・二期・三期と進み、第一期生・二期生はすでに舞台に出ている。選考試験に合格し、研修を受けても、途中で辞めていく生徒が出て来るのはやむを得ないとしても、指導に当たった先生方の努力の割りには、歩留まり率がいいとはいえない実情は、早急に検討すべき問題であろう。これまでの成果を踏まえつつ、研修制度の見直しと、遠い将来をも視野に入れた方策を根本的に考える時期に来ていると思う。以下、近年盛んな国際交流を象徴するかのように十年ぶりに開かれた能をめぐる国際シンポジウムの話題、栄誉・受賞、日本能楽会の増員と日本能楽会・能楽協会関係の記事、物故者などの記録を中心に記述する。
著者
東田 啓
出版者
横浜国立大学経営学会
雑誌
横浜経営研究 (ISSN:03891712)
巻号頁・発行日
vol.26, no.2, pp.35(197)-45(207), 2005-09-15

笹井均先生退職記念号
著者
武石 卓也 山縣 文治
出版者
関西大学人間健康学部
雑誌
人間健康学研究 : Journal for the study of health and well-being (ISSN:21854939)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.97-108, 2020-03-31

本研究の主たる目的は特に、社会的養護のあり方をめぐって対立的な様相を呈している家庭福祉領域と家族社会学領域における主張の相違点を整理したうえで、家庭養護の拡充にむけた論点を提示することにある。近年、日本における社会的養護は、国際動向の影響などにより、子どもの権利条約の理念に基づく社会的養護の整備に向けて抜本的な改革が図られることになった。家庭養護の拡充が国の方針として打ち出され、里親等への委託の推進や施設の小規模化といった家庭養護の拡充が着実に進展している。こうした動向のなかで、家族社会学研究者の一部から、家庭養護志向に内在する構造的視点や規範的視点などから、批判的な見解が寄せられている。その主たる論点は、1980年代以降の家族社会学における主要なパラダイムとして定着した近代家族論および子育ての社会化論における知見に基づくもので、「家族主義」「実子主義」といった近代家族規範をキー概念として、家庭養護を拡充するにあたっての懸念事項が提示されている。子どもの権利条約に基づく家庭養育の重要性に主眼を置く子ども家庭福祉領域と、家庭での子育てが抱える課題に主眼を置く家族社会学領域の議論は、対立的な側面を有している。家庭養護の拡充にむけては、「家庭養護対施設養護」といった対立的な議論に終止符を打ち、双方の領域が批判的な主張を超えた建設的な議論を展開していく必要がある。家庭養護を子どもの最善の利益を保障するためのシステムとしてだけではなく、社会的養護の核に据えるためには、家族社会学が懸念を示す家庭養護が内包する構造的課題、規範的課題に配慮しつつ、子どもの安定した生活環境やパーマネンシー保障の実現にむけた社会的養護のしくみを構築していくことが期待される。