著者
二通 諭
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1017, 2011-10-10

本誌2010年5月号の本欄で取り上げた山田洋次版「おとうと」は,市川崑版「おとうと」(1960)へのオマージュであることを字幕で明らかにしている.両作とも発達障害的性質を抱える人物を登場させており,市川版ではADHD(注意欠陥多動性障害)傾向の強い碧郎(川口浩)だが,山田版では碧郎に当たる鉄郎に加えて,新たに祐一を配している. 市川版の碧郎は大正時代の人物であり,若くして肺結核で命を落としている.山田は,市川版「おとうと・碧郎」が生きていたら,果たしてどんな人間になっていったのか,さらに,周囲はどのようにつながっていったのか,というその後の碧郎と家族のありさまを描こうとして,山田版「おとうと」を企図した1).つまり,山田版における笑福亭鶴瓶演じる鉄郎は,時空を超えた碧郎の晩年の姿だったのだ.
著者
井上 拓也 伊藤 浩充 池添 冬芽 小林 紗織 傍島 崇史 市橋 則明
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.617-622, 2010-07-15

要旨:本研究の目的は,ブリッジ運動における足部の高さと頭部の位置が体幹・股関節伸展筋の筋活動に及ぼす影響について検討することである.対象は健常成人30名とした.脊柱起立筋胸椎部,脊柱起立筋腰椎部,大殿筋,大腿二頭筋の筋活動量,ならびにこれら主動筋間の筋活動比を算出した.ブリッジ運動は,頭部を挙上させない通常の場合と,頭部を挙上させて行う場合の2つの条件下で,足部の高さを床面から-20cm,0cm,20cmと変化させた.その結果,足部を高くすることで脊柱起立筋胸椎部・腰椎部の筋活動量は増加した.一方,足部を低くすることで大殿筋の筋活動量は増加し,脊柱起立筋腰椎部と大腿二頭筋に対する大殿筋の筋活動比はともに高まった.また,頭部を挙上させることで大殿筋の筋活動量は増加し,脊柱起立筋に対する大殿筋の筋活動比および脊柱起立筋胸椎部に対する腰椎部の筋活動比も高まった.本研究の結果から,ブリッジ運動において足部高を変化させ,あるいは頭部を挙上させることで,主動筋群内のより選択的なトレーニングが可能であることが示唆された.
著者
杉山 貢 渡辺 桂一
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.221-226, 1985-02-20

消化管穿孔は汎発性もしくは限局性腹膜炎を伴う,急性腹症の代表的疾患であり,ごく少数例を除いては,緊急手術を必要とする.ここでは主に上部消化管穿孔の外科治療のノウ・ハウについて,以下の項目につき,また特殊な症例も紹介し,具体的にその要領を述べる.1.穿孔部の修復(①穿孔部の探索法,②穿孔部閉鎖法),2.原疾患の根治手術(胃・十二指腸潰瘍,胃癌など),3.腹膜炎に対する外科的処置(①腹腔内洗浄法,②腹腔内ドレナージ,③腹腔内術後持続洗浄). 近年,上部消化管の穿孔性腹膜炎の病態に対する認識も深まり,ultrasonographyなどの画像診断の応用や治療,技術の進歩により,外科治療の成績は飛躍的に向上している.そのため,一方では,緊急手術であつても背後の原病に対する根治が要求されるようになつて来ている.しかし,上部消化管の穿孔性腹膜炎の外科手術にあたつては,先ず救命を第一に考え,"push to safe side"を心掛けることが大切であろう.
著者
松岡 孝一 小片 富美子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.391-398, 1984-04-15

抄録 甲状腺機能亢進症ないしバセドウ病に伴う精神症状はよく知られている。また,その病象は原因の如何にかかわらず,過活動を中心としたある共通した特徴を持っていることも周知の事実である。しかし稀にではあるが,本来の病像とは逆の,すなわち能動性が減退し,感情の表出に乏しく,挙動も遅鈍で活気を欠き,だらしなく無関心な生活態度を示すといったapathetic stateを示すものが存在するという。著者は若年者で,この稀な臨床症状を呈し抗甲状腺剤で精神身体症状の消失した2症例を経験した。症例を検討すると思春期という心身の発達的過程の時期でありapathetic stateの発症に心因あるいは心的外傷体験が状況因子として密接に関連していることが推測された。そこで症例を報告するとともに本来の過活動性を示す甲状腺機能亢進症との相違を検討し,若干の考察を加えた。
著者
大隣 辰哉
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1224-1232, 2021-11-10

Point・頚椎後方除圧法である椎弓切除術や椎弓形成術において,後方固定を加えるという概念がなぜ存在するのかを知っておく必要がある.・頚椎椎弓形成術は,国内では独自の進化を遂げて後方除圧法の主流となったが,海外では必ずしもそうではなかったことを理解しておく必要がある.・頚椎後方除圧は固定も含めて術式そのものにこだわり過ぎず,患者の病態に合わせてよりよい術式を選択することが最も重要である.
著者
田渕 康子 吉留 厚子 伴 信彦 草間 朋子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.248-255, 2014-06-15

目的:本研究の目的は,正常周期女性の月経状態および月経随伴症状を明らかにすること,および1周期あたりの月経血量を実測し,月経血量の多寡に関する自己の認識を明らかにすること,さらに月経血量と月経随伴症状との関連を分析することである。 方法:19~39歳の女性184名の1周期の月経血量を実測した。初経年齢や月経周期日数,月経持続日数,月経血量に対する自己の認識,月経随伴症状について質問紙を用いて調査した。 結果:質問紙の回収率は168部で,正常周期133名,正常周期でない者27名(稀発月経,頻発月経など)だった。正常周期女性の1周期の平均総月経血量は77.4gであった。その中には,過少月経が4名,過多月経が11名いた。月経血量は月経開始後2日目にピークがあり,その後は急激に減少するパターンを示した。月経血量に対する自己の認識は,「少ない」17名,「ふつう」104名,「多い」11名だった。月経時の下腹部痛を自覚している者が74.7%,腰痛が54.9%であった。月経血量と腰痛との間には有意な関係が認められた。 考察:184名の女性の1周期の月経血量を測定した。正常周期月経にある女性の月経状態を明らかにした。月経血量の多寡を正しく自己判断することの困難さが示唆された。
著者
嶋田 隆一 石井 良和 ボンジェ ペイター 塩路 理恵子
出版者
日本作業療法士協会
巻号頁・発行日
pp.581-590, 2021-10-15

要旨:作業療法士(以下,OTR)とクライエント(以下,CL)が,治療関係構築時の経験をどう意味づけているかを理解するために解釈学的現象学による質的研究を行った.回復期病棟入院中のCLとOTR 3組に参与観察と面接を実施した.その結果,治療関係構築の意味づけとして,CLでは6つ,OTRでは5つのテーマが明らかになった.OTRとCLの間には,関係構築のための関わり,経験の共有を通したOTRとCLの関わり,関係の帰結に向けての関わりがあると示唆された.治療関係構築についてOTRは〈思いを汲み取ろうという態度〉と意味づけており,CLは〈改善の兆候の実感〉や〈いまの自分を知ってくれている存在〉と意味づけていた.
著者
鈴木 猛
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.212-214, 1951-11-15

長い間進歩が停滯していた殺虫剤の領域も第二次大戰を契機に,DDT,BHCのように微量で卓效ある有機合成剤があらわれ,一時は,昆虫と人間の闘爭も終末に近づいたかの觀があつた。しかし出現當時オールマイティのように思われたDDTも,その後の廣範綿密な實験によれば,ある種の害虫には效果が必ずしも十分でなく,又昆虫のDDTに對する抵抗性獲得という問題も最近漸くとりあげられてきている。一方,更に新しくChlordane,Aldrin,Dieldain TEPP,Parathionなど,鹽素,燐,硫黄を含む新有機殺虫剤が次々と發見され,まだまだ今後に意想外の強力な藥剤が見出されないとはいえない。しかし現在では,DDT,BHCは依然として衞生殺虫剤の中心をなすものであり,その長所短所を知つて,これを適切に應用することは,衞生害虫防除の上から甚だ重要なことであろう。 DDT,BHCは何れも白色結晶状の有機鹽素化合物であり,昆虫には喰毒と接觸毒の兩方の作用を持つている。その外BHCは蒸氣壓がかなり大きいため,呼吸毒としても作用するようである。
著者
久保 成子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.358-361, 1997-05-25

私の脳裏をかすめたこと 1996年12月,厚生省の「准看護婦問題調査検討会」が報告書をまとめた.発表された報告書には,将来的展望として「現行の准看護婦養成課程の内容を看護婦養成課程の内容に達するよう改善し,21世紀初頭の早い段階を目途に,看護婦養成制度の統合に努めることを提言する」とある.そのために,①地域医療の現場に混乱を生じさせないようにすることが不可欠であり,国において医療機関に看護職員を提供できる体制の整備に努めるべきこと,②現在就職している約40万人の准看護婦・士が看護婦・士の資格を取得するための方策を検討すべきこと,等々が提言されている. この①に関連して危惧される,過去に起こった出来ごとが私の脳裏をかすめた.それは,「副看護婦養成」の問題である.副看護婦の問題は昨1996年12月初旬(メディファクス2649,同2650号),日本医療労働組合連合会,東京地方医療労働組合連合会によってその存在が現在の看護関係者にも明らかにされつつあるが,乏しい資料注1)から私が知り得た養成の経緯について考えてみたい.
著者
大竹 安史 福田 衛 石田 裕樹 中村 博彦 花北 順哉 高橋 敏行 兼松 龍 南 学 妹尾 誠
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1198-1210, 2021-11-10

Point・Anterior cervical foraminotomyは最小限の骨削除を行うことで固定を回避しつつ,神経根をピンポイントに除圧する術式である.・可能な限り支持組織を温存することと,最大限の神経除圧を行うことは相反する概念であり,これらのバランスをとるのに習熟を要する.・狭い術野で正確に神経根に至るためには,解剖学的知識,術中の良好なorientationが肝要である.
著者
斎藤 環
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.374-379, 2021-07-15

存在論的、郵便的 前回予告したように、今回は「否定神学」がなぜ批判され、衰退していったかについて検討してみたいと思います。 何度か触れてきたように、この衰退においてもっとも大きな影響をもたらしたのが、哲学者で批評家の東浩紀の存在でした。1998年、東は弱冠28歳でデビュー作『存在論的、郵便的』*1を出版します。本書のインパクトは非常に大きいものでした。私が知る限り、東より下の世代の思想家、批評家のほとんどが、心酔するにせよ反発するにせよ本書の大きな影響下にあります。
著者
飯高 哲也
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.737-742, 2012-07-01

はじめに 本総説では顔認知に関わる脳領域を,機能的磁気共鳴画像(functional magnetic resonance imaging:fMRI)による脳賦活検査で調べた研究について述べる。fMRIは脳血流の変化をblood-oxygen-level-dependent(BOLD)コントラストとして計測し画像化する手法で,1990年にOgawaら1)が世界で最初に報告した技術である。この手法を用いた脳賦活検査により,脳機能を非侵襲的かつボクセル単位で計測することが可能になった。また,計測された脳画像を扱う解析ソフトウェアの技術的進歩も目覚ましいものがある。脳賦活検査の基本的手法は,認知的差分法(cognitive subtraction)といわれるものである。これはある精神状態とほかの精神状態でそれぞれ脳画像を取った場合,2枚の差分画像には2つの精神状態の差異が反映されているという理論である。この方法は神経細胞の応答を直接測定しているものではないが,非侵襲性という点において現在の神経科学領域では欠かせない実験方法となっている2)。 顔認知に関わる脳機能は,顔自体に対する反応,表情の認識に関わる反応,顔の動きに対する反応,顔の記憶や有名人顔に対する反応など広範囲にわたっている。最近では顔の印象や信頼できるかどうかなど,顔認知の社会的側面への興味も広がっている。研究対象となる脳領域も後頭葉,側頭葉,前頭葉,辺縁系などにわたっている。したがって,脳全体の活動を比較的自由に計測することができるfMRIは,このような研究目的には最適な手法といえる。本稿では顔に対する脳内の反応を,主に側頭葉外側面に位置する上側頭溝(superior temporal sulcus:STS)の活動として計測した研究について代表的なものを取り上げる。この領域は顔認知の中でも,視線の向きや表情の変化などに関係していることが知られている3)。またfMRIが普及する以前からサルの実験では,顔に対するSTS領域の神経応答が積極的に調べられていた4)。STSの働きを多面的に論じた総説では,この領域が運動知覚,言語処理,心の理論,聴覚視覚統合,顔認知のそれぞれに関係していると述べられている5)。STSを左右半球と前半・後半の4領域に分けて認知機能との関係を調べた結果では,左前半は言語処理に,左後半は顔認知と聴覚視覚統合に,右前半は言語処理に,右後半は顔認知と運動知覚にそれぞれ関係していた。 このようなSTSの多機能性は,STSと同時に活動が亢進する脳領域が広範囲にわたることと関連している5)。すなわち,STS後半部は同時に紡錘状回などの賦活を伴うことで顔認知処理を遂行し,一方MT/V5領域の活動を伴うことで運動知覚処理を遂行するということである。最近では心の理論に関わるミラー・ニューロン・システムへの情報入力が,STSを通じて行われていると考えられている6)。本総説ではSTSの機能を顔認知に限って論考し,STSの前部・後部による機能差についても検討する。本総説が医学,心理学,教育学など広い領域の読者において,顔認知研究に対する理解を深めることに役立てば幸いである。また本論文はメタ解析の手法を用いたものではなく,必ずしも該当するすべての研究報告を網羅してはいない。紡錘状回(fusiform face area:FFA)や扁桃体(amygdala)などの活動も顔認知には重要であるが本総説では触れないこととする。
著者
山崎 正志
出版者
三輪書店
巻号頁・発行日
pp.1085-1092, 2019-12-25

はじめに 腰椎椎間板ヘルニアに対するコンドリアーゼ(ヘルニコア®)を用いた椎間板内注入療法(以下,コンドリアーゼ療法)が本邦で認可され,新しい椎間板内酵素注入療法として,その普及が期待されている.コンドリアーゼ療法を紹介する際に,しばしば話題に上るのが,1980年代に北米を中心として世界的に盛んに施行されていたキモパパイン椎間板内注入療法(以下,キモパパイン療法)である3).キモパパイン療法に対する評価のほとんどは,「アナフィラキシーショック,横断性脊髄炎や重度の腰痛などの重篤な副作用の発現により,施行されなくなった」という内容のものである.しかしながら,これらの評価は,適切な科学的解析のもとに下された結論といえるのであろうか? 筆者が渉猟し得た限りでは,キモパパイン療法を科学的に完全に否定している資料は見当たらない. キモパパイン療法が北米で全盛を迎えていた1980年代の初めに,これを本邦に導入することにひときわ情熱を傾けていたのが,当時千葉大学整形外科教授の井上駿一先生であった.井上先生の強力なリーダーシップのもと,千葉大学を中心にキモパパイン療法の基礎的臨床的研究が本邦においても盛んに行われた5,6,11,12).筆者も当時,大学院生として,その研究に加わっていた15〜17).1987年に井上駿一先生が研究半ばで急逝されたため,本邦におけるキモパパイン研究は,ややその勢いを失いかけた感はあった.しかしながら,その後も研究は継続され,Phase Ⅲ臨床試験までが行われた1).その結果は,十分に満足すべきものであり,重篤な合併症はなかったと記憶している.しかしながら,本邦でのキモパパイン療法の臨床使用が認可されることはなく,その後,コンドリアーゼ療法が登場するまでの約30年間は,キモパパイン療法が話題に上がることはほとんどなくなった. 今回,本邦におけるキモパパイン療法の基礎的臨床的研究を史的に考察した.確かに,キモパパイン療法そのものは歴史的な存在であろう.しかし,今後の発展が期待されるコンドリアーゼ療法の臨床的な効果を議論するうえで,キモパパイン療法との比較は,有益な情報をもたらすと考える.その意味で,本稿では,キモパパインとコンドリアーゼとの比較を加味して執筆を行った.
著者
長谷川 泉
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.36-37, 1959-08-01

明治・大正・昭和の3代に大きな足跡を残した永井荷風の死は,その孤独の死にざまの故に世間を驚かせた.いや世間は驚かなかつたかもしれないが,注目はした.身内がひとりもいない死の床の戸外には,50人余のジヤーナリストがつめかけていた.これは荷風死後のある瞬間における,荷風家をめぐる現実の姿であつた.人つ子ひとりも通らないような山奥で,身もともわからない他殺死体が見つかつて,まずジヤーナリストがかけつけたといつた環境とは全く違うのである. 老残の荷風は,みとる人もなく,ひとりで死の床に横たわつていた.発見されたのは,通勤の老婆が翌朝出勤してからのことである.荷風は長く独身で,身辺に人を近づけなかつた.女には近づいたが,共に住まなかつた.女ばかりではない,荷風の嫌人癖は徹底していた.それが荷風の方針であつたから,死の床にだれひとりいなくても荷風はもつてひとり瞑することができたであろう,恐らくは,その生涯をかえりみて,死期の後悔もなかつたであろう.その方針を貫いただけである.死に伴う必然の肉体的苦痛はあつたかもしれないが,精神のいたみは全々無かつたであろう.荷風はそのように生き,そのような最後をも自ら読んでいたことであろう.
著者
高橋 正雄
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.862, 2002-09-10

昭和7年に発表された宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』は,主人公のグスコーブドリが,凶作を未然に防ぐために自らを犠牲にして火山を爆発させるという物語であるが,そこには,農民のために自己犠牲的な人生を生きた賢治自身の人生が投影されている.この作品は,火山局に勤める27歳の青年ブドリがさまざまな技術で農民の収穫を増やし,最後には自らの命を投げ出して冷害を防ぐという設定になっており,特に,両親を早く亡くして3歳年下の妹と二人だけが生き残る形にしていることには,農民を救う自らの晴れ姿を妹に見せたいという賢治の思いをうかがうことができる.賢治は,24歳で亡くなった2歳年下の妹トシのことを誰よりも愛していたのであり,グスコー・ブドリとネリという兄妹は,ミヤザワ・ケンジとトシという兄妹の相似形になっているのである.(ブドリとネリが10数年の別離の後に再会するという設定も,当時既に死の床にあった賢治の,10年前に亡くなったトシと来世で再会したいという願望の現れと見ることができる.)