著者
大野 邦夫
雑誌
研究報告デジタルドキュメント(DD)
巻号頁・発行日
vol.2014-DD-93, no.1, pp.1-8, 2014-03-22

欧米の文書管理は、組織における管理責任に基づく文書の分類とアクセス管理を支援する厳格なファイリングシステムにより特徴付けられ、結果的に文書の執筆者、編集者、発行者などの個人的役割と責任が明確化される点に特徴を有する。それに対し、日本の文書管理は、発端が単に綴じ紐で分類されるだけの文化であったことから、個人の関わりや責任はあいまいであり、組織やグループの便宜的なルールに支配されることが多い。その結果、重要な文書が廃棄されたり隠蔽・改ざんされる事態が発生し、日本の社会制度の一つの欠陥となっている。欧米の文書管理の伝統は真理の探究を標榜する西欧キリスト教文化における組織の正統性の確保のための情報管理に端を発する。科学技術の発展に伴う脱宗教の時代においても事実と論理を重視しするために、組織における記録文書の役割や位置づけは明確に規定され、それがアクセス管理と厳格なワークフロー管理に継承されている。本報告では以上の問題を技術文書の管理について具体的な分析を試み考察すると共に、欧米流文書管理と日本的文書管理をフィードバック・モデルで考察する手法を提案し、今後の文書管理のあり方や専門家の育成への展望を試みる。
著者
高橋 愛典 野木 秀康 酒井 裕規
出版者
近畿大学商経学会
雑誌
商経学叢 = Shokei-gakuso: Journal of Business Studies (ISSN:04502825)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.77-99, 2017-03-31

[概要]京都府北部の日本海側に位置する丹後半島では,高度成長期以降,過疎化と人口減少が一貫して進行し,様々な政策に影を落としている。2004年に6町が合併して京丹後市が発足したことをきっかけに,公共交通政策の転換が求められた。2006年から実施されている上限200円バスの施策は,バス利用者を倍増させ,自治体による補助の費用対効果を高めている。また近年では,タクシー事業者の撤退に伴い,新たな公共交通機関を導入する必要に迫られているが,その中で地元の非営利組織が運行する「ささえ合い交通」は,日本で初めてウーバー(Uber)が本格導入される事例として注目を集めている。本稿では,京丹後市の道路公共交通政策の背景と展開を概説するとともに,特に上限200円バスとささえ合い交通に焦点を当て,これらの施策の評価を試みる。[Abstract] Tango Peninsula, which is located in the north of Kyoto Prefecture, has been suffering from depopulation and aging of the communities for fifty years. In these ten years, the municipality (Kyotango City Government) has got to reconstruct its policies for road passenger transport, including bus, taxi and demand-responsive transport. The reduction of bus fares to 200 yen and the introduction of Uber system to community transport are the most important features.
出版者
弘前学院大学文学部
雑誌
紀要 (ISSN:13479709)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.25-33, 2017-03-17
著者
チャプレン マイケル 羽田 美也子
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Language and Literature (ISSN:09145729)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-30, 2014-09-01

早川雪洲主演のサイレント映画 『チート』 (1915)は、金・女・悪人という普遍的なテーマを扱いながら、その底流に人種問題を密接に絡み合わせた衝撃的な作品である。その後のリメイク作品4本を併せて取り上げ、それぞれの作品の背景、テーマに込められた意味を比較文化的見地から考察する。
著者
山口 瑞鳳
出版者
東洋文庫
雑誌
東洋学報 = The Toyo Gakuho (ISSN:03869067)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1~4, pp.481-513, 1985-03

The utilization of Chinese historical sources by Tibetan historians in their accounts of early Tibetan history has resulted in no little confusion and error. Buddhist historians made no attempt to rectify these errors; rather, they give the impression of having devoted their efforts to producing tales thought useful for the propagation of Buddhism on the basis of these erroneous accounts.For example, the Hu-lan-beb-ther, the first work in which Chinese materials are utilized, states that the Chinese army occupied Lhasa around 670. In the rGyal-rabs-gSal-ba’i-me-long the Chinese invasion is described as if it had been undertaken for the purpose of carrying off to China the gilt bronze image of Śākyamuni enshrined in ‘Phrul-snang Temple. Yet in Bu-ston’s History of Buddhism, composed a little earlier than the above two works but dating from the same 14th century and uninfluenced by Chinese materials, there is no reference whatsoever to this important event.A re-examination of the Chinese materials, corroborated by the T’ufan Chronicles 吐番編年紀 from Tun-huang, reveals that the T’u-fan army defeated the Chinese forces at the Ta-fei River 大非川, and that the Chinese had in this same year given up all hopes for a restoration of T’u-yü-hun 吐谷輝. Thus, there is no evidence whatsoever of the Chinese having invaded Lhasa. There is also, of course, no reason why they should have mobilized a large army simply for the sake of acquiring a single Buddhist image.It seems probable that Princess Wên-ch’êng 文成 had brought this gilt bronze image of Śākyamuni from China in 646 and had enshrined it in Ra-mo-che Temple, from where it was later transferred to ‘Phrul-snang Temple. Princess Wên-ch’êng remarried the father of her deceased husband, and by the 14th century this historical fact was already being mistakenly linked with Princess Ching-ch’êng. Therefore, it is not at all surprising that Princess Wên-ch’êng’s request for a Buddhist image from China in memory of her deceased husband should have been distorted in an unexpected manner, resulting in the assertion that this image had been hidden in the ‘Phrul-snang Temple in order to protect it from the depredations of the Chinese army and that Princess Chin-ch’êng later rediscovered it.In order to justify this story, it was maintained that the hidden image had been presented to Princess Wên-ch’êng by the Chinese emperor T’ai.tsung 太宗 upon her departure for Tibet, and that it had been the emperor’s most highly prized Buddhist image. This latter point was further substantiated by the claim that this image had reached China from India and dated from the time of Śākyamuni, having been consecrated by the Buddha himself.In summing up, it would appear that the explanation of the origins of this image represents a fusion of the historical account of the arrival of a margosa Buddhist image from India during the reign of Emperor Wu of Liang and the legends relating to the production of the first image of Śākyamuni by the king of Udayana and the invitation of Kumārajīva to China.
著者
小田嶋哲哉 李珍泌 朴泰祐 佐藤三久 塙敏博 児玉祐悦 RaymondNamyst SamuelThibault OlivierAumage
雑誌
研究報告ハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)
巻号頁・発行日
vol.2013-HPC-138, no.25, pp.1-9, 2013-02-14

GPU クラスタ上でのプログラミングは,様々なプログラミングモデルが直交しており,複雑になってしまうことが多い.本稿では,分散メモリ環境向け高水準並列プログラミング言語である XMP を GPU クラスタ等のアクセラレータを持つ並列計算機向けに拡張した言語仕様 XMP-dev において,GPU と CPU によるハイブリッド協調計算を実現する XMP-dev/StarPU を提案,実装を行った.XMP-dev は,ノード間通信をベースとし,データの分散や GPU へのオフローディングが可能な並列言語である.しかし,CPU を計算リソースとして GPU と並行して用いるには複雑なプログラミングが必要である.これに対し,StarPU をバックエンドのスケジューラとすることで,計算をタスクという単位で GPU や CPU へスケジューリングすることによりワークシェアリングが可能になる.本稿では,実際のアプリケーションに XMP-dev/StarPU を適用することで,GPU のみを計算に利用するときよりも 1.1~1.2 倍ほどの高速化が可能であることを示した.また,指示文ベースのプログラミングモデルである XMP-dev/StarPU は,通常のプログラミングよりもコストが大幅に削減できることも示した.
著者
御手洗 みどり
出版者
北九州市立大学
巻号頁・発行日
2021-09-24

本論文は、終末期医療の現場において、親の死を受容できず、無理な延命治療の要求や医療者への苦情として問題を表出している成人期の子どもへの理解と家族支援の課題を具体的な事例検討を通して明らかにしたものである。
巻号頁・発行日
no.3, pp.1-60, 1992-03-01

言語文化研究所年報 3号の全データ佐竹 秀雄「新言文一致体の計量的分析」平岡 照明「初期近代英語の2極性―母語への覚醒とナショナリズム―」市川 真文「情報リテラシー教育におけるコンピュータの機能」萬代 悟「会話システムMUSEØと自然言語処理」清水 彰「琉歌の助詞」
著者
瀬川 典久 村山 優子 権藤広海 山根 信二 宮崎 正俊
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.815-824, 2002-03-15

WWW(World Wide Web)上で動作するコミュニケーションシステムの1つである電子掲示板システムは様々なシステムに搭載され幅広い人たちに利用されている.これらのシステムの多くは,文字情報の交換を基本としている.そのため,情報の受け手と送り手とであらかじめ使用する文字コードについて合意する必要があり,さらに,図などを用いることができない.本研究では,文字コードによらないエンターテイメントコミュニケーションのための手書き伝言板システム「戸口伝言板」をWWW上に実装した.戸口伝言板とは,学生寮などで個人の部屋の扉に設置した伝言板のことである.実装したプロトタイプシステムでは,ユーザがマウスなどを用いて手書きでメッセージを作成する.このようなシステムでは自由で活発なコミュニケーションのために匿名性が必要となる.従来の電子掲示板のメッセージは,利用者自身が明らかにしない場合,匿名性が保証される.戸口伝言板では,利用者が手書きのメッセージを伝言板に残すため,筆跡から書き手を特定される恐れがある.本論文では,戸口伝言板のような手書きのメディアにおけるメッセージの匿名化について報告する.筆跡から書き手を特定できないようにするためには,書き手の筆跡の癖をその筆跡から取り除くことが必要であるが,同時に筆跡を取り除いた後のメッセージは読める形でなければならない.本論文では,筆跡における匿名化アルゴリズムを提案し,実装した.ユーザによる利用実験により匿名化アルゴリズムの評価を行い,その有効性を確認した.
著者
神田 愛子 Aiko Kanda
出版者
同志社大学一神教学際研究センター(CISMOR)
雑誌
一神教世界 = The world of monotheistic religions (ISSN:21850380)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.17-32, 2014-03-31

12世紀のユダヤ思想家マイモニデス(1138-1204)は、スペインのコルドバでラビの家系に生まれ育った。当時この地域はムワッヒド朝(1130-1269)下にあり、迫害を逃れるため一家はアンダルス南部と北アフリカを流転、モロッコのフェズ、イスラエルの港町アッコを経てカイロ旧市街フスタートに定住、自身はアイユーブ朝(1171-1250)の宮廷医となる。彼の著作には、アンダルス時代の『論理学』(Maqāla fī ṣināʿat al-manṭiq)や、ユダヤ暦に関する『置閏法』(Maʾamar ha-ʿibbur, 1157/1158)、転居後に執筆した『ミシュナー註解』(Pirush ha-mishnayot, 1161-1168)、『イエメン書簡』(Iggeret Teman, 1172)、『ミシュネー・トーラー』(Mishneh Torah, 1168-1177)、また哲学的著作『迷える者の手引き』(Dalālat al-ḥāʾirīn, 1185-1191)、『復活論』(Maʾamar tehiyyat ha-metim, 1191)の他、地中海沿岸のユダヤ共同体に書き送ったレスポンサや書簡が残存している。イスラーム王朝興亡の只中にあって、ユダヤ人のラビとして、またイスラーム王朝の宮廷医として、彼の遍歴が彼の著作にどう反映したのかを、『イエメン書簡』を中心に考察する。