著者
瀬川 泰知 長瀬 真依 齋藤 雄太朗 加藤 健太 伊丹 健一郎
出版者
The Society of Synthetic Organic Chemistry, Japan
雑誌
有機合成化学協会誌 (ISSN:00379980)
巻号頁・発行日
vol.80, no.11, pp.994-999, 2022-11-01 (Released:2022-11-05)
参考文献数
42

The selective and predictable C-H functionalization of arenes is a valuable method for the synthesis and modification of organic molecules in which regioisomer formation is often controlled by electronic factors or the presence of coordinating groups. On the other hand, the iridium-catalyzed C-H borylation of arenes can achieve unique steric-controlled regioselectivity. In this account, we describe our recent studies on the iridium-catalyzed C-H borylation of arenes: the development of novel catalytic systems that exhibit steric-controlled para-selectivity for mono- and unsymmetrically 1,2-disubstituted benzenes; and their application to the functionalization of large polycyclic aromatic hydrocarbons (molecular nanocarbons).
著者
加藤 健太 加納 政芳 山田 晃嗣 中村 剛士
出版者
日本知能情報ファジィ学会
雑誌
日本知能情報ファジィ学会 ファジィ システム シンポジウム 講演論文集 第30回ファジィシステムシンポジウム
巻号頁・発行日
pp.1-4, 2014 (Released:2015-04-01)

解決すべきヒューマン・ロボット・インタラクションの問題の1 つに,ロボットの外観をどのようにデザインするのかという問題が挙げられる.ロボットの外観はインタラクションしているユーザの感情に影響を及ぼすことが先行研究によって示されており,その1 つが,森によって提唱された「不気味の谷」である.この「不気味の谷」に陥るのを回避しつつ好感の持てるロボットをデザインするため,本研究では"萌え"の要素を取り入れることを提案する.しかし"萌え"という概念が曖昧なため,対話型進化計算(Interactive Genetic Algorithm: IGA) を用いた3Dのデザインシステムを構築し,それを用いて"萌え"の概念を調査した.
著者
加藤 健太
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集 日本デザイン学会 第57回研究発表大会
巻号頁・発行日
pp.H08, 2010 (Released:2010-06-15)

国土交通省が公的に使用している乗用車の平均乗車人数の値は1.3人である。これは現在市販されている乗用車の多くが4人以上の乗車定員だということを考えると、乗車定員数削減による小型化が大いに可能なように思われる。そこで本研究では、乗用車の定員数と生活者の意識の変遷を文献調査から分析し、現在の乗車人数と利用実態をアンケート調査によって明らかにした。それをもとに乗用車の乗車人数を適正化する手段の一つとして少人数乗りの乗用車の可能性を考察した。その結果、2人乗りのパーソナルモビリティが今後普及する可能性があると分かった。また、5人乗り以上の乗用車は非所有化し、レンタカーなどを利用することが望ましい。しかし、少人数乗り乗用車を購入する事による利点が消費者にとって少ないのが現状である。今後はこの利点を明白にし、実現の可能性のための解決策を具体的な数字で明らかにしすることが課題であると言える。
著者
後濱 龍太 岸本 慎也 加藤 健太郎 横山 圭 島田 茂伸
出版者
デジタルアーカイブ学会
雑誌
デジタルアーカイブ学会誌 (ISSN:24329762)
巻号頁・発行日
vol.4, no.3, pp.284-291, 2020-07-01 (Released:2020-07-01)
参考文献数
13

本稿では、身体表現における演者の「身体形状」および「動き方」の両方が唯一性や希少性を備えており、原資料としての性質を帯びているとのアイデアに基づき、動作する人体をデジタルアーカイブする方法を提案する。3次元デジタイザを用いて取得した高解像度かつ高寸法精度な形状データに、モーションキャプチャを用いて取得した動作データを統合することで、動作する人体のデジタル復元である「動作可能モデル」を生成する方法を明らかにする。動作可能モデルとデジタイズ直後の形状データの寸法変位RMSは1mm未満であり、提案手法がデジタイズ形状の寸法をほとんど変化させないことを示した。本手法が舞踊などの無形文化財やスポーツのアーカイブへ適用しうる基盤技術となることを期待する。
著者
臼井 一茂 加藤 健太 田村 怜子 原 日出夫
出版者
神奈川県水産技術センター
雑誌
神奈川県水産技術センター研究報告 (ISSN:18808905)
巻号頁・発行日
no.10, pp.43-49, 2019-12

本報では異なる餌料による短期養殖によって、生殖巣のGIと、特に遊離アミノ酸で甘味のグリシン、アラニン、旨味のグルタミン酸、そして苦みのバリンの含有量変化について検討した。今回のキャベツウニと比較している市販ウニは、その地域や種類全体を表すものではないが、キャベツウニは市販されていた天然ムラサキウニや天然キタムラサキウニと比べ、味わいで劣ることはないものと思われた。試食では飲食店関係者より、十分に使える味であるとの評価をしてもらったことから、実用化に向けた取り組みを民間事業者や県内の漁協とで進めたいと考えている。今回、ムラサキウニの採取場所によっては生殖巣が極めて少ないことと、さらに生殖巣の色彩がチョコレート色から墨色のような褐色であるものも多かった。それらは最後まで身入りが悪く、さらに苦みが強いことなど新たな課題も見いだされた。全国的な磯焼けの発生は、ウニ類の異常ともいえる増殖に伴う海藻類への食圧の増大が一因となっている。磯焼けした漁場ではウニ類の餌となる海藻類が減少していることから身入りが少なく、漁獲対象になっていない状況が、更なるウニ類の増加につながっている。ウニ類の除去を促進させるためにも、今後も未利用の陸上農産物を使った効率的なウニ類の身入り方法等、養殖技術の確立が必要であると思われる。
著者
加藤 健太郎
出版者
帯広畜産大学
雑誌
若手研究(A)
巻号頁・発行日
2012-04-01

原虫感染における糖鎖の役割について、以下の研究成果を得た。質量解析を用いて、原虫の膜蛋白質に結合するレセプター因子を含む複数の宿主細胞因子を同定した。また、原虫の感染阻止に効果的な物質を作製するため、多糖類に硫酸化等の修飾を付加した物質を作製し、細胞培養系においてその原虫侵入阻害、増殖阻害の効果を解析した。さらに硫酸化等の化学修飾を付加した糖鎖について、原虫感染を阻害する糖鎖分子と実際に結合する原虫蛋白質の同定に成功した。また、同定した原虫分子が実際に宿主細胞に結合することが示された。これにより、原虫感染に関わる糖鎖レセプターの役割を解析することに成功した。
著者
田中 康雄 遠藤 剛 山本 良一 岡邨 直人 関根 裕之 大野 健太 佐々木 幸絵 加藤 健太郎 山本 智章
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.C4P2184-C4P2184, 2010

【目的】<BR>平成19年度より小学5年生以下を対象とした学童野球検診を行っている.2年間の学童野球検診の結果より成長期投球肘障害の要因として身体機能面だけでなく,指導方法や大会運営など選手を取り巻く環境の問題が考えられた.昨年から各試合の投球数報告を義務付け,1投手の投球数を70球以内とする努力目標を掲げている.今回,3回目の検診を行なうとともに,指導者に対するアンケート調査と投球数の調査を実施した結果から障害予防活動の課題・展望について報告する.<BR>【方法】<BR>対象は学童新人野球大会に参加した62チーム中検診を希望した33チーム482名(5年生275名,4年生154名,3年生42名,2年生10名,1年生1名).大会会場にブースを設け医師,PTによる直接検診として四肢の理学所見および肘関節の超音波診断を行った.異常のあった投手に医療機関の受診をすすめた.事前に問診票を配布し,身長,体重,野球開始時期,投球側,練習時間,疼痛の有無,ポジション,痛みがある時の対応などについて調査した.また指導者に対してアンケートを配布し,野球経験,指導経験,練習時間,検診の必要性,投球制限,日本臨床スポーツ医学会の提言の認知などについて調査し,大会期間中の投手の投球数報告を集計し解析した.<BR>【説明と同意】<BR>事前に文書と口頭で各チームの監督,保護者に対して検診の目的,内容について説明し同意を得ている.<BR>【結果】<BR>超音波による直接検診で上腕骨小頭障害の選手は482名中8名(1.7%)であった.事前に配布した問診票は523名から回収し,肩・肘に痛みを感じたことのある選手は227人(43.4%).「肩・肘の痛みがあるとき誰に知らせるか」の質問に260名が回答し,親160名(61.5%),監督53名(20.4%),知らせない29名(11.2%),その他18名(6.9%)であった.「肩・肘に痛みがあるとき,投げることを休んだか」の質問に対し209名が回答し,「休んだ」98名(46.9%),「ポジションを変えた」7名(3.3%),「休まなかった」104名(49.8%)であった.複数回答による疼痛部位は,肩97名,肘86名,足首54名などであった.また指導者のアンケートでは38名(51.3%)から回答があり,年齢43.9±7.0歳,指導経験7.2±7.8(1~35)年で日本臨床スポーツ医学会の提言を知らない指導者は27名(71.1%)であった.大会での投手の投球数はコールドゲームを含めた大会98試合での投球数は平均78.9球であったが,コールドゲームを除いた34試合では88.1球で,投手交代の無かった試合での一人あたりの投球数は平均75.5球であった(昨年87.8±14.0).<BR>【考察】<BR>学童野球検診の目的は障害の早期発見であるが,大会会場にて直接検診を実施し,8名(1.7%)の上腕骨小頭障害を発見することが出来た.一方,問診票の結果から野球の競技特性から肩・肘の疼痛の訴えが多い.肩・肘に痛みがある場合,親に知らせる選手が160名(61.5%)と多く,肩・肘に痛みを有していても投球を休まない選手が104名(49.8%)と半数近い結果となった.成長期投球障害は進行した状態で初めて医療機関を受診する可能性があるため,チームの監督・コーチだけでなく保護者への障害予防の啓発も重要と考えられる.今回の投球数ではコールドゲームを除いた一人投手試合では平均75.5球と昨年の大会における同様の調査に比べて12球の減少で,投球数制限に対する指導者の理解が少しずつ浸透している結果と考えられた.しかし日本臨床スポーツ医学会の提言における50球という制限をはるかに越えていることから,今後さらに障害を予防するために現場と医療側との連携が求められる.<BR>【理学療法学研究としての意義】<BR>学童野球検診は障害を早期発見することが目的である.特に上腕骨小頭障害は重症化することが報告されており検診において早期発見する意義は大きい.検診結果,問診結果,投球数を検討することは現在の子ども,監督の状況を把握し,野球をする子どもたちを守るための障害予防の一助になると考えられる.
著者
加藤 健太
出版者
経営史学会
雑誌
経営史学 (ISSN:03869113)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.3-27,100, 2006-06-25 (Released:2009-11-06)
被引用文献数
2

The purpose of this paper is to consider the effects of the mergers in the electric power industry during the inter-war period in Japan, based on the case of Tokyo Electric Light Co. (TELC). The foci of our analysis are the formation of a largearea electric supply network and the change in the company's performance.Through the 1920's, the aim of the mergers of the TELC changed. In the beginning of 1920's, the firm consolidated the electric power companies that supplied the industrial areas of Tokyo and its surrounding environments. The purpose of these mergers was to secure access to the electric power demand from which growth was expected. Afterwards, because TELC urgently needed to increase its electric power capacity to meet the greater demand, the firm acquired electric power companies with large-scale hydroelectric power plants one after another. Subsequently, in the latter half of 1920's, when an oversupply of the electric power became strong, TELC merged with three electric power companies that owned wide supply districts.Though the purpose of the mergers was different depending on time, the equipment and facilities obtained by TELC through the various mergers worked to expand the company's electric supply network. Toward this end, the company actively improved existing power lines and substations and built new ones in order to tie organically each power plant together. As a result, in the latter half of 1920's, achievements in cost reductions at each stage (transmission, transformation, delivery) of the supply of electric power were made possible due to progress made in the electric power ream system and through the possession of an advantageous supply district with a high customer-density.
著者
加藤 健太
出版者
経営史学会
雑誌
経営史学 (ISSN:03869113)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.1-27, 2004-09-24 (Released:2009-11-06)
参考文献数
71

The purpose of this paper is to analyze the effects of corporate acquisitions during the inter-war period in Japan, using the case of Oita Cement Co., Ltd. The focus of our analysis is the behavior and performance of the acquired company.In the first half of the 1920s, most of Oita Cement's directors were from among the firm's large shareholders, who at the same time held management positions in firms in other industries, for example banking, manufacturing, and commerce, and businessmen of local fame. Foremost among these was advisor Toyoji Wada, who was a leading magnate in financial circles and had significant influence over the firm's operating policy and decision-making.In the 1920s, Oita Cement pursued an aggressive growth strategy, including merging with two other cement companies, Asahi Cement Co. and Sakura Cement Co. At the time, Oita Cement had a burden of debt service and tried to reduce profitability through the issuance of debt bonds to finance an extensive capital expenditure program. The amount of debt increased from 1, 588, 000 yen to 7, 724, 000 yen through the 1920s.Onoda Cement acquired Oita Cement's stocks in 1930. Two directors, Shinzo Kasai and Shuzo Karim, who also held posts as Onoda directors, together with technical experts they dispatched to the firm, played an important role in formulating and implementing the recovery plan for Oita Cement through research of the firm's manufacturing capabilities, equipment, and factory management. With this acquisition as a turning point, by the end of 1934 Oita Cement paid back its borrowings from the Industrial Bank of Japan and other banks because the firm was able to borrow fixed-rate funds by issuing bonds. Onoda Cement's technological assistance made it possible for the firm to reduce manufacturing costs. Furthermore, in 1930 the firm adopted the accounting principle of listing incurred depreciation charges as expenses and also wrote off fixed assets. As a result, in first half of the 1930s Oita Cement saw a remarkable increase in net incomes both before and after depreciation.In conclusion, the acquiring company, Onoda Cement, promoted change in Oita Cement's behavior and contributed to its ability to regain profitability.
著者
加藤 健太
出版者
経営史学会
雑誌
経営史学 (ISSN:03869113)
巻号頁・発行日
vol.36, no.4, pp.52-75, 2002-03-25 (Released:2010-11-18)

The purpose of this paper is to make clear the effects of a nonfinancial corporation's intervention in a firm that fell into a management crisis during the high-growth period.In this paper, we first examine the change in a failed firm's stockholding structure and the board of directors. A nonfinancial corporation takes over a failed firm's stocks to become its largest stockholder and dispatches executives with skills and experience in management or production. The dispatch of directors is not to discipline poor management but to provide human resources.Second, in order to examine the motives and effects of a nonfinancial corporation's intervention, this paper focuses on three cases.In the case of Nihon Suiso, Mitsubishi Chemical Industries took over Nihon Suiso's stock in 1960 to acquire the firm's equipment for the production of chemical fertilizer. To cope with Nihon Suiso's financial difficulties, Mitsubishi Chemical helped the firm advance into a new business and to change its products by consigned production and technical guidance.In the case of Tokyo Hatsudoki (Tohatsu), Fuji Denki Seizo intervened with the object of continued selling of their products in the early 1960s. Although Fuji Denki provided a new low-interest loan of 17 billion yen, Tohatsu filed for bankruptcy under the Corporate Reorganization Law in 1965.In the case of Kurita Industrial, C. Ito, which entered into tie-up agreement with the firm in 1965, played an important role in Kurita's reconstruction process. C. Ito's motive was to secure the commercial rights to sell the firm's products in both the domestic and foreign markets. They were not only in charge of supplying a short-term loan to Kurita, they also guaranteed long-term loans that the firm borrowed from regional and trust banks.
著者
加藤 健太
出版者
日本デザイン学会
雑誌
日本デザイン学会研究発表大会概要集
巻号頁・発行日
vol.57, pp.H08, 2010

国土交通省が公的に使用している乗用車の平均乗車人数の値は1.3人である。これは現在市販されている乗用車の多くが4人以上の乗車定員だということを考えると、乗車定員数削減による小型化が大いに可能なように思われる。そこで本研究では、乗用車の定員数と生活者の意識の変遷を文献調査から分析し、現在の乗車人数と利用実態をアンケート調査によって明らかにした。それをもとに乗用車の乗車人数を適正化する手段の一つとして少人数乗りの乗用車の可能性を考察した。その結果、2人乗りのパーソナルモビリティが今後普及する可能性があると分かった。また、5人乗り以上の乗用車は非所有化し、レンタカーなどを利用することが望ましい。しかし、少人数乗り乗用車を購入する事による利点が消費者にとって少ないのが現状である。今後はこの利点を明白にし、実現の可能性のための解決策を具体的な数字で明らかにしすることが課題であると言える。
著者
中村 文隆 藤井 正和 七里 圭子 西 智史 篠原 良仁 伊橋 卓文 横山 新一郎 武内 慎太郎 今村 清隆 渡邊 祐介 田本 英司 高田 実 加藤 健太郎 木ノ下 義宏 安保 義恭 成田 吉明 樫村 暢一
出版者
日本外科代謝栄養学会
雑誌
外科と代謝・栄養 (ISSN:03895564)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.71-77, 2018 (Released:2018-08-23)
参考文献数
29

ERAS の手術侵襲軽減策は,多職種のスタッフによる介入が不可欠である.入院前の不安要素は患者個々に異なり,消化器外科では,術後の食事摂取,人工肛門に対する不安は多い.各医療スタッフの専門的立場の助言が治療意欲を向上させる.術後の腸管機能の回復促進対策としては,輸液量の適正化,胸部硬膜外鎮痛,早期経口摂取,早期離床などチームで取り込む事項が多い.早期離床では,プログラム内容や行動目標を定め施行することが望ましい.疼痛管理としては,急性痛サービスAPS を組織することが,安心な周術期環境を効率的に提供し,今後わが国でも普及することが望まれる.回復を実感する環境づくりは,重要であり,チームメンバーは,各専門的な知識や技術を生かし患者のセルフケアーを支援することで,早期回復の実感と不安の解消につながり,満足度の高い退院につながる.
著者
加藤 健太
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.79, no.4, pp.521-543, 2014-02-25 (Released:2017-05-17)

本稿の目的は,戦間期の三菱商事(商事)と安治川鉄工所(安治川)の事例を対象にして,取引先企業との関係の中で発揮された総合商社の機能を検証することである。三菱商事は,国内,海外双方にわたる一手販売権の獲得を狙って,安治川鉄工所に対し多面的な機能を果たした。第1に,商事は,安治川の顕著な業績悪化を契機に積極的な経営介入へと方針転換を図り,無担保融資を実施するなど資金面で重要な役割を担った。同時に,安治川向け融資をめぐる条件の再設定にコミットし,同社の取引先である山口銀行との交渉役を演じた。第2に,商事は,出張ないし常駐という形で,複数の社員と経営幹部を安治川に派遣したが,こうした行為は経営資源の供給と経営監視の強化という2つの機能を併せもったと考えられる。同時に,商事は安治川の再建計画の策定と実施にあたって,積極的に関与していた。この一連の過程で,商事は,大阪支店を中心とする国内外の店舗間取引ネットワークを通じて,安治川製品の市場開拓も進めたのである。