著者
丸木 恵祐
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.37, no.1, pp.24-44,129, 1986
被引用文献数
1

人間の日常経験の形態とその意味を社会的状況との関連で考察する人びとにとって、E・ゴッフマンのドラマツルギーは、きわめて刺激的である。ドラマツルギーは演劇の比喩を用いて、社会的相互作用の主観的事実と客観的事実を同時に記述するアプローチである。それは、舞台上の「人物」が劇場外の広い世界と何のかかわりもなく既成の台本の産物と見なされるように、「自己」を劇場、つまり社会的状況という閉鎖的体系の中に呈示された人工物と見なす。本稿では、行為者が状況適合性のルールにふさわしく自己を呈示し、自己の行為を他者に有意味なものにするために利用する「形態」に注目する。そのことによって、ゴッフマンが行為者の創造的主観性を強調するシンボリック相互作用論の流れをくみながら、なぜ禁域とされてきた状況の客観的側面にふみこみ、社会的事実の拘束性を説くデュルケムの偏見に染まって行ったのかが明らかにされる。その際、外見上の個々の経験の背後に潜み「形態」に意味を付与する「構造」が確認できよう。
著者
梶田 孝道
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.32, no.3, pp.70-87, 1981
被引用文献数
1

多くの近代化論者たちは、業績主義が現実化してゆくにつれて属性主義は次第に消滅するか、たかだか例外的な形で残存するにすぎないと考えた。しかし、業績主義が社会の主要な配分原理となりほとんどのメンバーが業績主義者と化した現在、純粋な意味での業績主義はむしろ例外的な存在であり、かえって属性主義に起因する社会問題群が新たに生み出されてきたという事実に気づく。一方ではアチーヴド・アスクリプション (業績主義の属性化) が、他方ではアスクライブド・アチーヴメント (属性に支えられた業績主義) が発生している。本稿では、業績主義・属性主義についてのリントンの定義およびパーソンズの定義の問に存在する微妙なズレに固執することによって、上記の二つの問題領域を社会学的にクローズアップさせ、あわせて両領域に属する問題群の整理とそれへの対策の検討を試みる。
著者
太郎丸 博
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.504-521, 2002-03-31 (Released:2010-04-23)
参考文献数
54
被引用文献数
2

本稿の目的は, John H. Goldthorpeの問題構成と研究スタイルの検討を通して, 社会階層論とミクロ・マクロ・リンクの関係を明らかにすることである.ミクロ・マクロ・リンクの意味と枠組みを確認した上で, Goldthorpeの問題構成と研究スタイルを検討する.その結果, 以下のような知見がえられる.冷戦下では, マルクス主義と産業主義という2つの歴史主義的な理論を量的なデータ分析から “反証” することがGoldthorpeにとって最も重要な課題であり, そのためにはマクロ社会学がもっとも有効なスタイルであった.そのことが社会移動のミクロなプロセスの軽視につながった.しかし, 冷戦が終結し, マルクス主義も産業主義もその力を失ってしまったため, Goldthorpeにはデータを説明する物語がなくなってしまった.そこで, マルクス主義と産業主義にかわって物語を構築する理論として, 合理的選択理論をGoldthorpeは用いる.彼にとっては, 合理的選択理論はマクロな社会移動のトレンドを説明するためのミクロなプロセスの理論としてもっとも有望なものである.なぜなら, 合理的選択理論は抽象的で匿名的な個人像を仮定するがゆえに, マクロな現象に対して強い説明力を持つことができるのであり, 今のところ合理的選択理論以上にミクロ・マクロ・リンクに成功した理論はないからである.
著者
椎野 信雄
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.188-205, 1994-09-30 (Released:2009-10-13)
参考文献数
16

本稿は, EM (=エスノメソドロジー) 研究の達成業績に関する主張点を理解することを目的に, EM研究の方針と方法についてのガーフィンケルの議論を検討する試みである。EM研究と伝統的研究 (=形式的分析的社会学) が, 通約不能に代替的な社会学として対照的に識別される!それは, 社会学的研究が問題とする不朽の普通の社会における/としての (in and as) 秩序現象の産出やその説明=叙述可能性に対する強調点が異なるからである。従ってEM研究と伝統的研究における方針と方法を比較することで, EM研究の方針と方法が弁別的に明示されることになる。さらにまたEM研究というものが, 局所的に産出された, 自然にそして相互反映的に叙述可能なラディカルな秩序現象として, 秩序トピックを再特定化しており, そのことにはもっともな理由があるのだということが理解されるはずである!というのも再特定化された秩序現象には, 秩序産出のための通約不能で非対称的に代替的な二つのテクノロジーが有るからである!ラディカルな秩序現象のEM研究が見出しているのは, こうした二つのテクノロジーが, 自然に叙述可能な秩序現象を産出しているワークなのである。このような理解を通して, EM研究が社会学的研究にどのように寄与しているかを考察してみることにする。
著者
上野 千鶴子
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.31-50, 1980

異常とは「集団が境界の定義のために創出する有標記号のうち、マイナスのサンクションを受け、かつ状況的に発生するもの、こと、ひと」であり、異常の成立する諸次元には、 (1) ユニット・レベル (個体内の自己防衛機制) 、 (2) 間ユニット・レベル (個体間の協働、共犯的な状況の定義) 、 (3) システム・レベル (集団アイデンティティの防衛と維持) の三つを区別することができる。<BR>異常の創出が個人および集団の自己防衛機制に関わっているなら、そのために解発される攻撃性のターゲットが何であるかによって、異常を類型化することができる。それには (1) 葛藤の当事者である (同位の) 他者、 (2) 攻撃性を転位した「身代わりの他者」、 (3) 自己自身の三類型がある。それは二つの葛藤回避型の社会、葛藤をルール化した多元的な競争社会と、社会統合を代償に葛藤を物理的に回避した離合集散型の社会とを両極にした、一元的でリジットな社会統合から多元的でルースな社会統合に至るまでの、統合度のスペクトラムを分節している。即ち、異常の類型は、集団の統合の類型と対応しており、現実の諸社会は、このスペクトラム上のいずれかの地点に分布している。だとすれば、異常の表現型をインデックスとして、それを創出する集団の特性を推論することができる。<BR>異常の一般理論は、異常を扱う諸学の間に対象と方法の一貫性を導入し、異常の通文化的分析を可能にする。