著者
早川 勝
出版者
同志社法學會
雑誌
同志社法学 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.256-228, 2010-05

論説(Article)会社の資本金制度は、実際には債権者保護として機能しないという視点から会社法は最低資本金制度を撤廃した。株主の有限責任制度を維持しながら、どのように債権者保護を図るかということは、会社法の重要な課題である。本稿では、その一つの方策として、取締役の破産申立義務が債権者保護に役立つという視点に立ち、この義務を現行会社法の解釈から導くことを展開する。
著者
Marutschke Hans-Peter
出版者
同志社法學會
雑誌
同志社法学 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.68, no.1, pp.568-542, 2016-04

早川勝教授古稀記念論集Dedicated to Professor Masaru Hayakawa on his 70th birthday論説(Article)この論文の主旨は、明治時代における日独法学交流に関する研究である。特に会社法を中心にして、日本におけるドイツ会社法の継受とドイツにおいて当時に日本の会社法に関する知識がどのような形で広められたかは資料分析の対象であった。日本における会社法の近代化に、渋沢英一が重要な役割を果たし、ドイツ会社の継受とHermann Roeslerの名前が密接的に結ばれている。注目すべき点はRoesler会社法草案に日本の慣習法はどこまで認められているかである。逆に、日本法をドイツに紹介することにおいて、若手の研究者が決定的な役割を果たしていた。典型的な事例として、Halle大学に提出された高木新平(1890年、透明会社について)や神戸寅次郎(1902年、合名会社について)の博士論文を紹介する。The present paper is dealing with the history of academic judicial exchange between Japan and Germany in the Meiji-era, concentrating on the field of company law, especially on the reception of German company law in Japan and the question, how knowledge about Japanese company law was disseminated at that time in Germany. With regard to the development of Japanese company law at the beginning of the Meiji-era, Shibusawa Eiichi, also called "father of Japanese capitalism", introduced many economic reforms, including joint stock corporations. As these ideas needed a legal framework, the government invited foreign scholars to help shaping a modern legal system, especially - due to the constraints of the unequal treaties" – a modern commercial and company law. Hermann Roesler, a legal scholar from Germany, played an important role in this context through his draft of a commercial code. It is interesting to see, how traditional elements of Japanese law, especially commercial customary law, was dealt with in this draft. On the other hand, it is rather less known, that knowledge about the modernization of Japanese law, above others company law, was spread in Germany, amongst others, through PhD-theses at Halle-University by Takaki Shinpei (1890 on silent partnership) and Kambe Torajiro (1902 on general partnership).
著者
深田 三徳
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.58, no.7, pp.2369-2411, 2007-03

本稿は、近年、司法制度改革などとの関連で学問的関心を集めている法の支配について、法哲学の視角から考察しようとするものである。「人の支配」「力の支配」と対比される「法の支配」は多義的であるが、まず英米独仏における近代憲法上の法の支配(ないし法治国家)の歴史的展開について概観している。その後、その影響を受けている日本国憲法上の法の支配とそれをめぐる議論について検討している。そして善き統治・政府のあり方、善き法(システム)のあり方に関係する政治理念(ないし法理念)としての法の支配に照準を合わせ、それを形式的考え方と実質的考え方に区分している。その後で、とくに法の支配の形式的考え方に関連して、L.L.フラー、J.ラズ、R.S.サマーズの見解を比較しながら検討している。
著者
石井 忠雄
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.122-129, 1982-07-31

判例研究
著者
櫻井 利江
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.1807-1867, 2011-11

論説(Article)国家の所属集団に対する深刻な人権侵害から、自決権に基づいて同集団を救済することができるとする理論は救済的分離と呼ばれる。救済的分離権が認められるための条件は、所属政府によって集団が差別的に扱われ、人権が重大かつ深刻な状態にまで侵害され、国家の政策決定にその意見が反映されていないという状況が存在し(実体的条件)、および人権回復のためのあらゆる手段を尽くしたが、最終的手段として分離しか残されていないという状況が存在すること(手続的条件)である。 本件手続きにおいては立法論としての救済的分離に関する諸国家の見解が表明され、コソボ支持諸国およびセルビア支持諸国の双方に、救済的分離を国際法上の権利として認める諸国が存在することが確認された。また勧告的意見は救済的分離に関する実体的要件および手続的要件のそれぞれに含まれる要素が、本件において存在したことを間接的に認めている。また独立宣言立案者は「コソボ人民によって民主的に選出された人々」と判断した。そしてコソボ独立宣言に関して、一般国際法にも安保理決議一二四四にも違反しないと結論づけた。領土保全原則は分離権の存在を否定する根拠とされたが、勧告的意見は分離集団のような非国家主体には適用されないと判断した。勧告的意見が領土保全原則を分離の対抗概念として捉えていないことは、一般国際法における分離の禁止規則の不存在を示唆するであろう。本件手続きは救済的分離の権利としての発展状況を検証する場となった。
著者
望月 詩史 モチズキ シフミ Mochizuki Shifumi
出版者
同志社法學會
雑誌
同志社法学 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.68, no.3, pp.979-1021, 2016-07

論説(Article)本稿では、清沢洌の提案により1928年に発足した二七会の活動状況について検討した。活動の中心は、毎月27日に開催された定例懇談会である。政治や経済などをテーマに議論したり、時折、来賓を招いて時局談を聞いたりした。会員は主に、『中央公論』に寄稿していた評論家と文学者である。この会は学術組織ではないため、会員の間で思想的な統一性や時局に対する共通の見解が存在したわけではない。だが、そこには「自由」に特徴付けられる独特の雰囲気が存在していた。This paper surveys the activities of 27-Club which was founded in 1928. Kiyosawa Kiyoshi who was famous journalist in modern Japan proposed that foundation. A regular meeting was held at 27th each month. The members discussed some themes: politics, economics, etc. Sometimes a guest was invited in the meeting. The members were mainly journalist and writer who contributed an article to CHUOKORON. As this club wasn't an academy, there were no ideological unity or a common view for the situation among the members. However, there was a unique atmosphere which was characterized by "Liberty" in 27-Club.
著者
國府 剛
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.94-106, 1969-06-30

判例研究
著者
石田 信平
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.58, no.5, pp.1941-2025, 2006-11

営業秘密は退職後の労働者による競争会社への漏洩によってその財産的価値が滅失する場合がある。そのため、多くの企業が退職後の競業避止特約を締結することによって、その漏洩を防止しようとしている。しかしながら問題は、こうした退職後の競業避止特約が労働者の職業選択の自由と衝突する点にある。 本稿では、以上のような営業秘密保護と退職後の競業規制について、アメリカの不可避的開示論の形成と展開を踏まえた検討を行った。ここで不可避的開示論とは、あるときは、わが国の不正競争防止法と類似する統一営業秘密法から直接競業差止という法的効果を導出する機能を果たし、あるときは、競業避止特約と秘密保持特約の限界を問う機能を果たす法理論であり、以上の問題に考察を加えるにあたって非常に示唆に富む議論を含んでいる。 本稿では、こうした不可避的開示論に関する裁判例、学説を分析し、日本の競業避止義務の課題と方向性を抽出することを試みたところ、労働者の競業避止義務には、労働者の背信性を軸とした「公正競争」の原理から要請されるものと、代償と軸とした「契約」の原理から要請されるものがあるという仮説を得た。わが国の裁判例は競業避止特約について明確な要件、効果が設定しているとは言いがたく、本稿では、この二つの原理によって、要件、効果を精緻化していくべきであるということを示唆した。
著者
坂田 雅夫
出版者
同志社大学
雑誌
同志社法學 (ISSN:03877612)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.931-960, 2006-06

各国が締結してきた投資保護条約の多くには、「他の締約国の国民との間で負った義務の遵守」を確約する条項(「傘条項」)が含まれている。この条項は、それが対象としている義務や義務違反行為の性質を条文上何ら限定していないことから、国家が条約の他の締約国の国民との間の契約に反する行為は、全て同時に投資保護条約のこの種の条項の違反になると解されてきた。近年、この「傘条項」を根拠に、投資保護条約が定める仲裁手続きを利用されることが急増し、仲裁付託数の抑制を図るために、この種の条項の適用対象を制限しようとする新たな解釈が判例及び学説において模索されてきている。それらの新たな解釈のなかでも有力なものとなりつつあるのが、国家が立法権や行政権を行使して外国私人との間の契約を無効化した場合のように、国家がその権力を濫用し、通常私人たる契約当事者なら取り柄ない行為を、国家が執った場合にのみ「傘条項」の違反が成立するという解釈(主権的権限論)である。本稿は、この主権的権限論の法的根拠について批判的に検討したものである。Most of the investment protection treaties have the clause (so-called "Umbrella Clause") which promises the observance of commitments entered with the investors of any other contracting party of the treaty. It is generally accepted that this clause protects the investor's contractual rights against any interference which might be caused by either a simple breach of contract or administrative or legislative acts. It is said that this clause is of particular importance because that it is not entirely clear under general international law whether such measures constitute breaches of an international obligation. In recent articles and arbitral awards published in these three years, a different interpretation of the Umbrella Clause is proposed. This newly advanced interpretation say that the government would breach the Umbrella Clause when it abuses its governmental powers to escape from its contractual obligations, and that the Umbrella Clause has no rule about normal contract disputes which the state acts as contractor, not as regulators relying its sovereign powers. Thomas W. Wälde, a most influential writer about investment protection treaties, powerfully argued for this new interpretation at recent article published in 2005. This article critically examines the legal grounds of this newly advanced interpretation of Umbrella Clause. Umbrella Clause was introduced to private drafts of the investment protection treaty in the 1950's and spread from 1959 to many contemporary investment protection treaties. Thomas W. Wälde argued that implied "Original Intention" of drafters of this clause in the 1950's was to internationalize the protection of investment (then mainly concession) contracts with governments against abusive governmental abrogation. And so it would not cover the dispute over contractual performance that are the "merely commercial", with the State not relying on its sovereign powers. But the research of intentions of relatively many members of drafters of Umbrella clause shows that this clause could cover also the small and purely contractual disputes. Many articles and textbook mention the Umbrella Clause also covering the "mere" or "simple" breach of contract. It is of particular importance that, from 1950's to nowadays, text of The Umbrella Clause of Investment Protection Treaties provide that "any" obligations should be observed and don't restrict the Clause to limited disputes. If the implied intention of drafters and contracting States is to limit the Umbrella Clause to the disputes of governmental power's abuses, it would be curious that in recent investment treaties States don't limit the Umbrella Clause application by clear provision in spite of many commentaries in articles and textbook contrary to their implied intentions.