著者
田村 直樹
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.285-303, 2013-03

本稿では、非営利組織が地域ブランドを確立するための戦略的提携として、地域メディアの捉え方について検討する。従来のマーケティング研究では、即物的な利己的発想をベースとしたパートナーシップとして捉えられる しかし、本稿では、そういった利己的発想のパートナーシップのフレームでは捉えきれない戦略的提携の可能性を探りたいと考えている。本稿の構成は次の通りである。II節では、代表的な先行研究を取り上げて従来のマーケティング論による戦略的提携のフレームを確認する。III節では、先行研究のフレームでは捉えきれないと思われる事例を検討する。IV節では事例についての考察を行い、地域ブランドの確立には「交換概念」だけではなく「関係性概念」を取り入れた議論の必要性を示唆する。結論として、本事例を成功に導いた決定的なポイントは、消費者間のコミュニケーションを活発にするような話題性(質)と消費者との接点数(量)のシナジー効果が発揮されたことを明らかにする。
著者
久保田 美佳
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.71-87, 2016-03

視覚動詞 look/see、「みる」/「みえる」には、物理的に視覚で知覚する意味と、心理的なイメージを伴う心的に知覚する意味の両方があるが、本稿では、主に物理的な視覚による知覚について認知言語学的に比較・分析する。一般的には look at が「みる」、see が「みえる」であると考えられているが、これら日英の視覚動詞のそれぞれが独自の意味範疇を有し、このような単純な対訳では不十分であると思われる。このことを考察するために、これまで意味特定の基準として広く用いられて来た「動作主の有無」の妥当性を問うとともに、生態学および認知科学的な視覚情報の処理プロセスに関する知見を基に look/see、「みる」/「みえる」によって喚起される概念や機能の顕在化または希薄化の傾向を示し、言葉自体の意味が文脈によって変化する可能性を検討する。
著者
仲川 浩世 Hiroyo Nakagawa
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
関西外国語大学研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
no.104, pp.117-128, 2016-09

本研究の目的は、本学短期大学部四技能統合型の必修クラスにおいて実施したパラグラフ・ライティング指導の効果について報告することである。1 年生を対象に日本人教員とネイティブ教員が同じクラスを担当し、共通の題材を用いて、総合的な英語力の底上げを試みている。本学の学生は、留学希望者も多く、オーラル・コミュニケーションを中心とした授業内活動に関しては、学習意欲も高い傾向にある。しかし、ライティング学習に対しては、苦手意識を持つ者も少なくはない。本実践では、社会問題を扱ったリーディング教材の内容把握を実施し、語彙、構文を習得後、自分の考えをパラグラフ内に英語で述べるよう指導した。さらに、対象学生にはパラグラフ・ライティングの学習経験が不足しているため、明示的に書き方についても指導した。本稿では、具体的な実践概要と指導前後のライティングの伸び、さらに自由記述アンケートの結果に関しても考察する。
著者
高屋敷 真人
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.21-41, 2012-09

中上健次(1946-1992)は、自己形成において他者との同一化と自己同一化を廻る自己矛盾を感じ、それが自らの書くという行為の永続化の要因であると感じていた。書くという行為においては相反するものが同時に存在し複雑に絡み合いながら反復し続けることを「無間地獄」と名付け、敢えてそれを志向するために書くのだと宣言した。本稿では、中上健次が考えた、このような終わりのない「永続化する二項対立構造」と宮沢賢治(1896-1933)の「四次元芸術」の創作術、すなわち、唯一の決定稿を持ちえない今ここにしかない決定の連続の中で行う創作行為を比較し、賢治が「第四次元」の時間軸に沿って常に移動変遷していく世界から物事のすべてを眺め自覚的に確立したものと、中上健次が相対するものとは対立の果てに和合するのではなく、反復しながら永遠に終わりを引き伸ばすものであると考えたこととの相似について検討する。
著者
藤田 弘之
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.105-121, 2014-03

本論文は、生徒指導にあたって、不可欠な場合に、児童生徒を統御あるいは抑制するために、必要な限りで教師が体罰とは異なる適正な物理力を行使できること、またその行使のあり方について、イギリスにおける問題を考察しつつ明らかにしようとするものである。イギリスにおいては、1986年第2教育法によって体罰が禁止されたが、その過程で、やむを得ない場合における教師の合理的な有形力の行使を認めた。この有形力の行使については、その後行使の形態やあり方について明確化、詳細化され今日に至っている。我が国においても体罰関係の裁判の判例、また文部科学省の通達において、こうした有形力の行使について言及されてはいるが、その内容やあり方については不明確であり、具体的ではない。本稿ではこうしたことを踏まえて、児童生徒への他の懲戒のあり方の検討とともに、こうした有形力行使のあり方について明確化、具体化すべきことを指摘した。
著者
日木 くるみ 田村 知子
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.57-76, 2007-09

本稿の目的は、「人に物を渡すとき」に使用できる4表現(Here you are / Here you go / There you are / There you go)の機能を明らかにすることである。 4表現の機能は、here / there で表される「促し(start)/ 達成(goal)」対立と、are / go で表される「状態(state)/ 行為(action)」対立の組み合わせによって、規則的に生み出される。 その結果、4表現はそれぞれ以下のような機能を持つ。Here you are 「you が"ready"な状態になるように、話者が you を促す」Here you go 「you が次の行為をするように、話者が you を促す」There you are 「you が話者の期待する状態に達したことを、話者が表明する」There you go 「you が話者の期待する行為を遂げたことを、話者が表明する」 この考え方に基づけば、映画から集めた実例を説明できるだけでなく、なぜ4表現がいずれも「人に物を渡すとき」に使用できるのか、などの疑問に対しても説明を与えることができる。 本稿では、4表現の機能に関する考察を通じて、イディオムと呼ばれるものの中にも、個々の語彙の意味を組み合わせて説明できる表現があり得ることを示唆した。
著者
丹下 和彦 Kazuhiko Tange
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.87-99, 2012-03

小論はエウリピデスの悲劇『フェニキアの女たち』の作品論である。本篇の上演年代は不明であるが、作者晩年のものと見なされている。古代から人気作品として知られているが、それが作品の完成度と必ずしも一致しない。劇は冒頭から最後に至るまでテバイ攻防戦を巡る各場面が連続してパノラマ的に展開するが、それらを繋ぐ統一的なテーマが見つからない。同時上演の他の作品との関連から、息子たちに対するオイディプスの呪いをそのテーマに擬する説もあるが、小論はそれを採らない。また劇の初めと終わりに登場するアンティゴネ像に人間的成長を認めて、それを本篇の意義と捉える説も採らない。論者は、本篇は互いに内的関係に乏しい、そして統一的テーマに欠ける各場面のパノラマ的展開の劇であり、その展開の妙こそが人気の源であったとする。
著者
北野 剛 Go Kitano
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.111, pp.131-149, 2020-03

本稿は満洲事変の背景をなしたとされる満蒙問題のなかでも、特に商租権問題に着目し、その概要を知るうえで必要な基礎的事項について明らかにするものである。商租権問題は1915年の対華21ヶ条要求の結果認められた、南満洲において土地を用益する権利であるが、設定当初より中国側の妨害を受け、外交問題化した。この問題について、これまでの研究では日中対立の側面に注目する一方で、商租行使の概況やその時期的展開については、十分に明らかにしてこなかった。また、商租権問題の事例についても、一部の争点化したもののみが取り上げられ、総体的な考察はなされてこなかった。そこで本稿では、そうした研究状況をふまえ、まず、基礎的事項を把握すべく、外務省記録にある毎年の領事報告をもとに、面積や件数などの統計を整理し、概況について分析した。また、その状況が日本国内および在満日本人にどのように認識されていたのかについても論及した。
著者
安井 寿枝 Kazue Yasui
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.116, pp.87-104, 2022-09

本稿は、高浜虚子の三作品「風流懺法」「斑鳩物語」「大内旅宿」にみられる京都府方言・奈良県方言・大阪府方言の特徴を確認し、虛子の各方言に対する意識を考察するものである。それぞれの方言が特徴的に用いられているのは、尊敬語表現・文末表現・接尾辞であった。尊敬語表現の助動詞では、京都府方言は「お~やす」が、大阪府方言は「やはる」が特徴であり、奈良県方言は両方言の特徴を併せ持っていた。また、「なはる」は京都府方言としては避けられる傾向にあり、大阪府方言としては命令表現で使われていることがわかった。文末表現では、京都府方言は「え」「おす」「どす」が、奈良県方言では「なー」「おます」「だす」が、大阪府方言では「おます」「だす」が特徴であった。一方で、「です」のように共通語と同じ語形は避けられていることが予想された。接尾辞では、大阪府方言の特徴として「どん」が使われていた。
著者
片岡 修 長岡 拓也 Osamu Kataoka Takuya Nagaoka
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.69-88, 2015-03

今夏の調査に基づき、(1)確認したシャウテレウル王朝期の遺跡を検討し、(2)ナン・マドール遺跡の調査成果とユネスコ世界文化遺産登録申請の進捗状況を紹介し、(3)今後の課題を明確にした。 ナン・マドール遺跡に隣接するテムエン島内で、3種の祭祀遺構を確認した。テムエン島だけでなくポーンペイ島各地に築かれた同類の遺構との比較研究から、ナン・マドールを基盤にポーンペイ全島を統一したシャウテレウル王朝の支配構造を理解する上で重要な考古学資料となった。 ナン・マドール遺跡については、ユネスコ世界文化遺産登録のために実施した2011年の現状調査に始まり、その後、現地政府の関係機関、土地所有者、観光や環境や文化財関連の専門家らによるワークショップが開催されてきた。2015年2月の申請に向けて書類作成のための協同作業が進行中である。本調査の採集情報が申請書の基礎資料となることは確実である。
著者
堀 素子 Motoko Hori
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.57-74, 2006-09

英語の法助動詞(modals)は日本では文法事項として指導されているが、語用論的機能については英会話の中で触れられる程度で終わることが多く、真にそれらがどのような使われ方をしているかにまでは及んでいないと思われる。 本論文ではブラウンとレビンソンのポライトネス理論に基づき、ネガティブ・ポライトネスの代表とされる「慣用的間接表現」に使われる法助動詞をコーパスのデータによって分析する。特に「依頼表現」に焦点を当てて、それらの表現がもつ意味と機能を日本語の敬語と比較しながら議論する。英語母語話者は「依頼」を「フェイス侵害行為」(FTA)と捉えているために、相手の「領土への侵害」を緩和することを第一の目標として、modalsを含む慣用的間接表現を使用している。日本語の敬語にも類似の表現があるが、それは対話者間の上下関係を明示するためで、行為自体を問題としない点で、英語の敬意表現とは鋭く対立する。
著者
平田 一郎 Ichiro Hirata
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.1-19, 2018-09

本稿はJ.J. ギブソンの生態学的知覚論と、相互関係的な過程存在論という点でギブソンと立場を同じくするホワイトヘッドの知覚論を比較して、知覚や自然についての見方を深めようとする。まずギブソンの知覚論において特徴的な直接知覚論やアフォーダンスを取り上げ、ホワイトヘッドの主張と通じるところがあることを示した。しかし神経生理学的な問題、アフォーダンスの特定化の問題では、ホワイトヘッドによって補える部分がある。さらにギブソンの知覚の問題点を示した。それは過去の知覚物が現在のものとして現前している時、何らかの「表象」を認めざるを得ないのでは、という問題である。その点でホワイトヘッドの知覚論では直接知覚を根底に置きながら、表象の可能性を残している。総じてホワイトヘッドの哲学は、ギブソンの生態学的知覚論の主張を包含しながらも、それを補える部分が多いということを示した。
著者
松田 健 Takeshi Matsuda
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.181-198, 2013-03

19世紀の終わりに発明された録音技術は、音楽聴取を演奏現場から解放した。しかしその後100年ほどは「自宅に設置した装置で」再生するのが基本形であり続けた。その後音楽聴取デバイスのポータブル化と個別化が進み、CDに代表される音源のデジタル化は高品位の音源を簡便に入手できる環境をもたらした。 音楽の個別聴取化とデジタル化が進行した後に生まれた「デジタル世代」の大学生たちはどのように音楽行為(Christopher Smallの言葉を借りると"musicking")をしているのだろうか。筆者は2011年に118人の大学生に探索的な質問票調査を行った。 その結果、彼らの音楽聴取は個別形態をとる傾向が強く、スピーカーよりもイヤホンで音楽聴取をする時間が長いことがわかった。音楽聴取時間のうち「ながら聴取」が占める時間がおよそ4分の3に達することもわかった。またおよそ6割の回答者がパソコンを音楽聴取デバイスとして使用している状況もわかった。
著者
丹下 和彦 Kazuhiko Tange
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.103-116, 2009-03

他の悲劇作品同様、本篇もギリシアの古い伝承をその素材としている。しかしそこに描かれているのは、現代のわたしたちの周囲にもしばしば見られる日常風景、その中でも家庭内不和の物語である。ネオプトレモス家の正妻ヘルミオネと第二夫人アンドロマケとの女たちの葛藤が物語の筋をなすが、作者の意図は彼女らそれぞれの悲劇的人間像を構築することではない。題名となったアンドロマケも、またヘルミオネも劇の中途で舞台から姿を消してしまう。 一方、劇中に散見される激しいスパルタ批判は、この劇を政治色の濃いもの、時代背景を色濃く反映するものとの見方を生んだ。確かにそれは否定し難いけれども、本篇はしかし、いわゆるプロパガンタ劇でもない。これは、婚姻という最小の人間関係に端を発する日常次元の人間の家庭内悲劇を描いた作品である。
著者
平田 一郎 Ichiro Hirata
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
研究論集 = Journal of Inquiry and Research (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.114, pp.157-176, 2021-09

現在の心の哲学において主流となっているのは、世界の全ての物事は物理的であり、全ての現象は物理的な性質に還元されるという物理主義である。一方ホワイトヘッドのコスモロジーは無機的なものも含めたすべての生起が何らかの経験をしている経験の主体であるという汎経験論であるため、バークリー的な主観的観念論であるという印象さえ与えている。しかし興味深いことにホワイトヘッドは自然科学に敵対的どころかむしろ数学者出身で自然科学をも取り入れる形で、自らのコスモロジーを構想した。そのような彼のコスモロジーが物理主義とどのような関係にあるのか、むしろあえて経験という心的な出来事が遍在するということに何らかの意義はないのか。そういった問題意識によりながら、本稿ではホワイトヘッドのコスモロジーの持つ考え方を物理主義やそれを巡る諸々の主張と比較しながら、新たな自然観の可能性を考察したい。
著者
安川 慶治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.207-225, 2008-09

エズラ・パウンドは、1910年代のイギリスに自由詩の革新を謳うイマジズム運動を展開し、また後には独特のスタイルで長大な叙事詩『詩篇』The Cantos を綴ったことで知られるアメリカの詩人である。彼はまた、1933年にムッソリーニと面会し、イタリア・ファシズムを新しい時代の可能性ととらえ、その協力者とみなされる立場を取ったことでも知られる。第2次世界大戦後、パウンドはアメリカで13年間にわたって精神病院に拘禁されるが、その拘禁中に彼は、日本の能の形式での上演を夢見て、ソポクレスの悲劇『トラキスの女たち』を翻案・翻訳した作品を残した。自作への懐疑にとらわれ、ついに沈黙へといたる戦後のパウンドは『トラキスの女たち』に何を託したのか。本稿はパウンド版『トラキスの女たち』に、パウンドが自分自身の「悲劇」とどう向き合おうとしたのか、それを知る手掛かりを求める試みである。
著者
柏原 和子
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
関西外国語大学研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
no.85, pp.55-65, 2007-03

John Updikeの代表作である「ウサギ4部作」の主人公ウサギ(Harry Angstrom)の母子関係を基に彼を取り巻く女性たちとの関係を分析し、女性たちがウサギの人生の中で果たす役割を考察する。ウサギは抑圧的な母と強い絆で結ばれており精神的にかなりの影響も受けてはいるが依存関係はない。彼には、社会の抑圧からの自由を求めて優越感を得るために、支配できる愚かな女性を求め、知的な女性を好まないという傾向は見られるが、彼の女性関係を分析すると、長期間にわたって関係を続ける女性は、彼の自己探索を理解してくれる女性であり、具体的にはRuthとThelmaがこれに当たる。彼女たちはウサギの生き方を理解し、存在を肯定することで、彼の自己探索の旅に加担している。これがウサギの人生の中で女性たちが果たす役割である。
著者
平井 知香子
出版者
関西外国語大学・関西外国語大学短期大学部
雑誌
関西外国語大学研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
no.93, pp.197-214, 2011-03

サンドは旅行好きで、イタリア、スペインなど外国のほか、オーヴェルニュ、ノルマンディなどのフランス国内を旅し、またパリと故郷のノアン(ベリー地方)は幾度となく往復している。しかしどんなに他の土地の風景がよくとも、ベリーに勝るものはなかった。「よその国の槲(かしわ)の木より、自分の村の蕁麻(イラクサ)の方がいいんだ」と『笛師のむれ』の主人公エチエンヌは語る。ジョルジュ・リュバンによればこの言葉はサンド自身を代弁している。 農民の平穏な生活と森の住民の奔放な生活との対立と融合という、作者独自のテーマを展開しつつ、少年少女の微妙な恋愛心理を描きだす『笛師のむれ』。作品の背景となったベリー地方とブルボネ地方に着目し、シャンソン・ポピュレール「三人のきこり」(ショパンとポーリーヌ・ヴィアルドが愛したという)を分析しながらサンド文学の秘密に迫ってみたい。