2 0 0 0 OA 研究史

著者
劉 志偉
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.5-12, 2020-08-01 (Released:2020-08-14)
著者
呉 揚
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.1-17, 2015-01-01

空間的配置動詞「そびえる」は、金田一(1950)では終止述語になるとき必ずシテイル形式になるとされる。一方、影山(2012)では「そびえる」にはシテイル形式もスル形式もあるとし、両形式によって事象叙述と属性叙述が区別されると主張する。本稿では、テクストとの相関性を全面的に視野に入れ、「そびえる」のアスペクト・テンス形式のテクストにおける分布の実態を調査し、その意味と機能について考察した。その結果、「そびえる」は、非アクチュアルなテクストに現れ、恒常性を表す客観的用法を基本とするが、出来事の展開のあるアクチュアルなテクストでは、書き手と登場人物の捉え方や他の出来事との時間関係が浮かびあがってきて、主観的な側面とタクシス的機能が前面に出てくることが明らかになった。「そびえる」に限らず、空間的配置動詞のアスペクト・テンス形式を分析する際には、テクストとの相互作用を考慮しなければならない。
著者
吉田 永弘
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.78-92, 2006-01-01

いわゆる断定の助動詞のタリは,従来ナリと比較して考察され,ナリに比して文体・用法の面で制約のあることが明らかになった。しかしながら,それが何を意味するのかについては必ずしも明らかになっているとは言えない。そこで本稿では,タリの制約の理由を明らかにし,語法上の位置づけを試みる。まず,主として文体・上接語の偏りに着目し,タリがナリとではなくニテアリと相補的な関係にあることを指摘する。そして,断定表現ではなく存在表現であることを主張し,文法化を果たさなかった形式であることを述べる。あわせて,ニテアリが中世に文法化することを確認し,タリが衰退する契機をニテアリの文法化に求める。
著者
神永 正史
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.11, no.2, pp.1-15, 2015-04-01

日本語の大きな変革期にあたる中世末期の口語資料である狂言台本虎明本には,有情物を主語とし,動詞連用形に「〜てある」がついた形で,アスペクトの動作の完成(〜シタ)の意味を表す用例が多数みられる。中古の「〜てあり」には全くみられなかったこの用例が,なぜ中世末期という時期にみられるのか,主語が有情物なのにどうして「〜ている」が用いられなかったのか,また,この用例がその後みられなくなったのはなぜかなどについて,抄物資料の「中華若木詩抄」や,狂言台本の虎寛本,および近松の世話浄瑠璃等を資料にして考察を試みた。その結果,完成の「〜てある」の出現は,テンス形式(た)の発生に伴う「たる」の衰退によるものであり,また,その消滅は,その後の,「たる」から生じた「た」への吸収によるものであることを明らかにした。
著者
原田 走一郎
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.12, no.4, pp.103-117, 2016-10-01 (Released:2017-04-03)
参考文献数
14

南琉球八重山黒島方言には二重有声摩擦音が観察される。本稿は、この二重有声摩擦音について以下のことを述べるものである。(1)黒島方言には二重有声摩擦音と単子音の有声摩擦音との音韻的対立を認める(2)基底に二重有声摩擦音をたてる必要がある(3)二重有声摩擦音の実現には揺れがあるが、それは言語類型論的傾向に合う二重音と単子音の有声摩擦音は、複合語の後部要素の先頭にたった場合にふるまいが異なる。具体的には、二重音のほうは無声化することがあるのに対し、単子音のほうは無声化しない。このような形態音韻的差異があるため、これらは音韻的に対立していると考えられる。また、言語内事実(動詞活用と母音同化の例外の除去)と言語類型論的傾向から、二重有声摩擦音を基底にたてるべき理由についても述べた。
著者
森 勇太
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.17-31, 2011-04

本稿では聞き手に利益のある行為を話し手がおこなうことを申し出るときの表現(以下,申し出表現)の考察を通して,「-てあげる」「-てさしあげる」などの恩恵を与えることを示す形式(以下,与益表現)の運用の歴史的変化について調査を行った。現代語で上位者に「-してあげましょうか」と,与益表現を用いて申し出を行うことは丁寧ではない。一方で,与益表現は「-てまいらす」などの表現をはじめとして,中世末期ごろにその形式が現れるが,中世末期から近世にかけては与益表現を用いて上位者に申し出を行う例が一定数あり,その待遇価値は高かったものと考えられる。この歴史的変化の要因としては,(1)恩恵の示し方の歴史的変化(聞き手に対する利益を表明することが抑制されるようになった),(2)利益を表さない謙譲語形式の有無の2点が考えられる。
著者
下地 賀代子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.4, pp.76-91, 2006-10

多良間島方言のsi: ukiという形式は,〈動作・変化の完了とその変化の結果の継続〉,〈動きの完了とその痕跡〉,〈経歴・記録〉というパーフェクト的な意味を表すための形式である。継続相のsi: buLもパーフェクト的な意味を表すことができるのだが,〈パーフェクト〉のsi: buLには,上の3つのパーフェクト的な意味の他,〈動作の開始とその過程の継続〉の意味を表す用法も見られた。これは,両者の「中核的な時間的意味」が異なっていることの現れである。そして,si: buLが,パーフェクト的な意味を実現している場合においても〈継続性〉という中核的な時間的意味が取り出されるのに対し,si: ukiは,その形式が表わす文法的意味は常に基準時点以前のデキゴトの完了の段階を捉えるものであることから,その中核的な時間的意味として〈完了・以前性〉が取り出されることを示した。
著者
荻野 千砂子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.3, no.3, pp.1-16, 2007-07-01
著者
村上 謙
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.4, pp.17-32, 2006-10-01

本稿では近世前期上方で生じた状態性を有する尊敬語表現「テ+指定辞」(ex.聞いてじゃ)の成立過程について論じる。これについてはこれまで、省略説、体言化説、状態化説、「ての事だ」の関与説、の四説が論じられているがいずれも採るべきではなく、本稿ではこれらに代わるものとして、「テゴザルからの変化」説を提出する。この説は、状態性を有する尊敬語表現形式テゴザルのゴザル部分をジャなどで代用することで新形態「テ+指定辞」が出現したと考えるものである。このように考えれば、「テ+指定辞」が敬意を有する語を含まない尊敬語表現であった事、近世前期に生じた事、状態性表現であった事を有機的に関連づけて説明できる。
著者
張 愚
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.32-47, 2014-01

本稿では,漢語「むざん(無慙)」という一語を取り上げ,その語義変化と文中での統語的機能の変化との関わり合いに注目し,日本語史におけるその受容と変容の過程について考察した。初期の文献に見られる「むざん」は,形容(動)詞の連体修飾用法として多用されており,「心に恥じない」の意で用いられていたが,平安後期以降になると,述語文の位置に現れることによって,本来含まれている感情的意味がより強調されるようになり,「ひどい」という新しい意味を派生し,その後「ひどい」の意を表す用法との意味上の隣接性を元にして,「いたわしい・かわいそう」といった意味をも獲得した。さらに,近代に入ると,「むざん」は連用修飾用法で用いられることによって,程度性を表す特殊な用法も派生したことが見受けられる。考察を通して明らかになったのは,「むざん」の語義変化がその文中での統語的機能の変化に深く関わっているということである。
著者
三宅 知宏
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.3, pp.61-76, 2005-07

本稿は,現代日本語における「文法化」について,特に内容語と機能語の間のカテゴリーの連続性ということに着目して,考察することを目的としたものである。具体的には,文法化とみなす現象の範囲を再検討した上で,文法化に関する共時的な研究を行うことの意義を明確にした。本稿の主張は,文法化に関する共時的な研究の意義を,(1)同一の形式における内容語的な用法と機能語的な用法との連続性,及び両者の有機的な関連性を捉えることが可能になること,(2)文法化後の機能語としての意味・文法機能を説明する際に,文法化前の内容語としての意味からの類推が可能になること,の2点(ただし(2)は(1)の帰結)に求める,ということに集約される。さらに,そのような視点に立った場合に,現代日本語において,文法化として共時的に研究することに有効性を持つと思われる現象を,具体的かつ可能な限り網羅的に示し,それらの問題点の整理,及び研究の方向性の示唆を行った。
著者
小柳 智一
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.1-15, 2013-04-01

姉小路式と呼ばれる中世の秘伝書群に「たましゐをいれべきてには」という条があり,そこには「ただ」「なほ」「など」「いとど」という副詞と「だに」「さへ」という助詞が挙げられている。これら6語が一括りにされている理由を探る。最初に「てには」の歴史を概観し,中世の「てには」という術語の使い方では,助詞と副詞を一括りにすることが不自然でなかったことを確認する。次に,6語を検討して,副助詞との関連が特に強い副詞と副詞との関連が特に強い副助詞が主として選ばれていることを指摘する。そこから,「たましゐをいれべきてには」の根底に,ある種の副助詞とある種の副詞の間に意味的な同質性を認める視点のあったことが読み取れる。最後に,これと同型の視点は,助詞と副詞を区別するようになった近世以降にも散見され,それらを繋ぐと,富士谷成章-山田孝雄-森重敏という副助詞論の系譜が描けることを述べる。姉小路式もこの系譜に位置づけられる。
著者
岡崎 和夫
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.17-32, 2014-04

古代の暦日語のうち、『今昔物語集』本文の「吉日」につき、古鈔本本文の用例データの解析にしたがってその語形が「よきひ」とみなされること、また古鈔本の欠落をおぎない得る新写本本文にしたがって音読の語形の存在も推測されることを論証する。これにあわせて、従来の知見を批正しつつ、次下2つの事実をあらたに報告する。・『大鏡』の最有力古鈔本とされる東松本本文にもとづく「最吉日」の語について、これがけっして古今にわたる日本語資料中の孤例ではないこと。・中世後期の日本語資料に散見する「最上吉日」の語についても、従来知られた初例を遠くさかのぼる永長年間の確例のみいだされること。
著者
高田 祥司
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.4, pp.32-47, 2008-10

日本語東北方言と韓国語には,過去形として,「〜タ」/-ess-ta(過去形1)の他に,「〜タッタ」/-essess-ta(過去形2)という形式が存在する。後者は前者と異なり,(1)現在との断絶性,(2)直接体験・認識の解釈,(3)トキ節/ttay節で<限界達成後>を表さない,(4)反事実条件文への使用という特徴を持つ。これは,<過去>の<継続性>を表す「〜テアッタ」/-e iss-ess-taを出自とし,その文脈的意味を受け継ぐためだと説明される。-essess-taは,より原形に近い古い用法を保ち,<継続性>やその派生的意味<過去パーフェクト><発見>を表し,存在動詞への使用は難しい。一方,「〜タッタ」は形容詞・名詞述語に用いにくい。また,両言語の回想表現「ケ」/-te-も(1),(2)を持つが,話し手の行為の体験は表さず,過去形2とは逆に(2)(認識)に基づき,文脈的に<過去>や<継続性>を表す。両言語では,過去形1が現在の状態を表すことと関わり,(1)を持つ過去形2や回想表現が<過去>を現在から明確に区別している。
著者
平塚 雄亮 原田 走一郎
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.1-13, 2012-01

本稿では,鹿児島県北薩方言のセンという文末詞について,当該方言話者への面接調査を通して記述を行った。文末詞センは,コピュラ/zyar/の否定疑問形式である「〜ジャラセン」を出自としており,ジャラセンはジャーセン,ジャッセン,ジャセンと変化し,「コピュラ(ジャー/ジャッ/ジャ)+セン」という分析によってセンが析出され,他の用言にも接続できるようになった(文末詞化した)と考えられる。また,否定の用法はもたず,全年齢層に共通してみられる基本的な用法は同意要求であるが,若年層では確認要求としても用いられるようになるという用法面の変化も起こっている。これは,「聞き手の判断をたずねるという意味をもつ形式をわざわざ判断を下す必要のない環境に適用することによって,話し手の発話を追認させる,という効果を生み出す」というプロセスで,同意要求の用法が拡張したものである。
著者
森山 由紀子
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.62-77, 2010-04-01

被支配待遇から丁寧語に変化した「ハベリ」の出現は900年前後とされ、『古今集』詞書の「ハベリ」もその例とされることが多い。本稿は、奥村(1957)の指摘を再検証し『古今集』諸本間の異同の分布と意味分類を対照することによって、『古今集』に当初からあった「ハベリ」は、すべて「人の存在」の意味の範囲内で用いられたものに限られることを明らかにした。このように、丁寧語として拡張した例を一例も持たない『古今集』詞書の「ハベリ」は、手紙引用部の1例を除き、11Cの和文に見られるような丁寧語ではなく、上代と同じ被支配待遇として、または、「仮想被支配段階」という丁寧語の前段階にあたる過渡的な例として考えるべきである。なお、手紙引用部の1例については、『伊勢』の他の1例とともに、900年当時、本来被支配待遇であった「ハベリ」が、すでに対人コミュニケーション場面に転用されていたことを明確に示す例として位置づけられる。
著者
森田 耕平
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.18-34, 2016 (Released:2017-01-24)
参考文献数
14

動詞中止形の継続相相当のアスペクト形式であるシテイテとシテオリについて、両形式の比較を通じて意味・機能を記述し、次のことを明らかにした。 ①シテイテとシテオリを比較すると、シテイテのみが用いられる場合がある。 ②継続相のシテイテとシテオリの共通の意味・機能は、定形動詞のアスペクトとの相関によって出来事間の同時的時間関係を表すことである。 ③シテイテのみが用いられる文の構文的特徴は、(a)定形動詞のアスペクトが完成相で、(b)二つの出来事の主体が同一であり、(c)シテイテが、定形動詞が表す偶発的な出来事が発生する状況を表す点である。 ④このときシテイテは、定形動詞と並列された述語というよりも、主語と述語が表す出来事に対して、任意的な文の成分である状況語的意味・機能を持つ。これは同じ動詞中止形で修飾語的に機能するシテとは異なったあり方を示す。
著者
岡崎 和夫
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.3, pp.33-48, 2011-07

この稿は、暦日の吉凶の謂いの表出をになう語の歴史的探究を目的とし、『高倉院厳島御幸記』、『古今著聞集』、『愚管抄』、『春のみ山路』、『鎌倉遺文』、『延慶本平家物語』など中世前期(鎌倉期)ごろの日本語を反映するとみとめられる諸資料を中心にその用例、またその用例に関する注釈的見解について検証を試み、(1)院政期までと同様、鎌倉期に至ってもなお「ひなみ」の暦日語としての確例は容易に見出し難いと判断される。(2)(1)にもかかわらず、『古今著聞集』や『愚管抄』など漢字表記例「日次」の認められる本文のばあい、従来の注釈的諸研究は、いずれも、その根拠を提示しないまま「ひなみ」の語としての認定がなされており、あらためて古代の暦日語彙のありようをふまえ、先入的認識を排除したたしかな知見の構築が求められる。(3)平安朝期全般にわたって、物語、日記、説話ほかの諸作品本文に暦日の吉凶の意をあらわす専用の語としておおくの確例のみとめられた「ひついで」は、なお、こののちも鎌倉期以降の資料においてもその確例をみとめ得るが、これまでのところ、管見に入った用例は何れも中世後期(室町末期)内に摂せられる。(4)(3)のいっぽう、「ひがら」は、暦日の吉凶の謂いの確実な古例がすでに鎌倉中後期にみとめられ、ひきつづいてのちの時期にも確例がみとめられるが、中世期全般を総じても、管見に入った総用例数は僅少である。の諸点をはじめとして日本語史にかかわるあらたな知見を呈示する。
著者
木村 一
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.35-47, 2005-04-01

『和英語林集成』1版(1867)の編纂に先だって,J.C.ヘボンは,ノート一冊本499ページ分からなる「原稿」を作成していた。「原稿」は,約7,000語を収録し,うち約四分の三の語が1版に収録されている。「原稿」の見出し語や漢字表記などについて,中・近世の節用集をはじめとする諸辞書と比較照合した結果,ヘボンは森楓齋著『雅俗幼学新書』(1855)を参看し,「原稿」に採録した可能性が強いと考えるに至った。その論拠について具体例を挙げながら諸面から指摘する。なお,『雅俗幼学新書』から「原稿」に採り入れられた見出し語や漢字表記などは,修正を施されながら1版に引き継がれていった。