著者
崎浜 聡 サキハマ サトシ Sakihama Satoshi
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.34, pp.181-192, 2013

ランゲフェルド(Martinus Jan Langeveld, 1905-1989)は、教育学における現象学の導入には一定の制限を加えることによってのみ受け入れることができる、と主張した。そのため、教育学における現象学は主に方法論に限定される方向付けがなされた。特に、日本では、ランゲフェルド研究の第一人者である和田修二(1932- )が無批判的に受容したため、より強い影響力を与えてきた。本研究の目的は、ランゲフェルドの著作に散見される現象学に関する記述をまとめ、現象学への批判が具体的にどのようなものだったかを明確にし、ランゲフェルドの視点から現象学批判の核心を絞り出すことにより、現象学に内在する根本問題が実践学への転用を困難にしている様を把握し、この問題を乗り越えようとする新しい現象学である「生の現象学」の可能性に言及することである。The purpose of this study is to describe phenomenology as it appears in Langeveld's writings as well as provide a clear summary, concrete criticism of phenomenology, and present the basic problems inherent to phenomenology. This will be accomplished by rst squeezing the core of phenomenology criticism from Langeveld's standpoint. On one hand, I propose " Phénoménologie de la vie " to overcome this problem.
著者
竹田 恵子 Takeda Keiko
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.41, pp.19-35, 2020-03-31

社会学 : 論文障害に関する医学的観点は、障害者の家族形成を妨げる原因の一つを提供してきたとされる。しかし、障害に関する医学的観点は既成概念的に扱われる傾向にあり、その内容は実証的に解明されているとは言いがたい。本稿では、計量テキスト分析によって障害と生殖に関する医学的観点の特徴を解明した。障害と家族形成の両方を扱う保健医療関連分野の日本語論文を用いたクラスター分析の結果、論文の背景部分では11の主題(障害者福祉の歴史的変遷・支援効果の検討・妊娠の心理的衝撃・家族形成の困難の克服・周産期に生じる医学的課題・在宅療養・生活面での医療的支援・保育事業・児童虐待・長期的な健康障害の影響・ストレスの研究)、考察部分では9の主題(脊髄損傷者の家族形成・障害者の自律性の尊重・保育支援体制の整備・家族形成と人生の意味・障害者の家族形成に関連する要因・障害の受容過程・気持ちにより添う・在宅療養制度の問題・教育機関との連携)が抽出された。医学的観点は障害を克服した健全な家族形成を理想とするが、十分な支援が実現できないことへ苦悩し、自らを障害者と重ねて共に歩もうとする面もあった。
著者
妹尾 麻美 Senoo Asami セノオ アサミ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.37, pp.17-33, 2016-03-31

新規大卒就職活動において「同時期」に「一斉」に活動を行うことは、個々の学生の活動にどのような影響をもたらすのだろうか。この点を明らかにするため、本稿では、就職活動を行う大学生がどのように他の就職活動学生を認識しているのか、就職活動過程で経時的に行った聞き取り調査のデータから検討する。1990年代後半以降、就職活動は早期化・長期化した。また、早期化・長期化する就職活動が大学生のQOLを著しく阻害するとも指摘されている。しかし、先行研究はもっぱら活動量と結果の関連および採用スケジュールに焦点をあててきたため、学生間の競争には注意を払ってこなかった。そこで、就職活動過程で経時的に聞き取り調査を実施し、収集した大学生8名のデータを用いて、大学生が他の就職活動学生をどのように認識しているのかを分析する。その結果、大学生は、常に他者と比較し、自らの活動量や進捗状況を把握していることが明らかになった。このような他者との比較が、彼らを就職活動へと駆り立てている。さらに、大学生は「内定取得は活動量が要因となる」と認識し、他者や自身を評価していた。早期に内定が得られず就職活動を継続する場合、彼らは、結果への「納得」を評価基準とし、他者と比べていた。以上より、就職活動において、大学生は他の就職活動学生と常に比較し、互いに評価を下し/下されるものとなることを指摘した。
著者
梅川 由紀 Umekawa Yuki ウメカワ ユキ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.42, pp.31-45, 2021-03-31

社会学 : 論文本稿の目的は、高度経済成長期に掃除機と電気冷蔵庫が普及することによって、ごみと人間の関係がどのように変化したのかを明らかにすることである。婦人雑誌『主婦の友』と東京都清掃局内の新聞『清掃きょくほう』を中心に分析を行った。分析の結果、三つの傾向を指摘した。第一に、高度経済成長期に生じた住宅構造の変化は、ほうきを用いた「掃き出す」掃除から、掃除機を用いた「吸い取る」掃除へと変化を余儀なくした。吸い取る掃除は掃除の際に空間を舞うチリやホコリの量を減少したが、その結果、人々は逆に空間を舞うチリやホコリを強く意識するようになったことを明らかにした。第二に、電気冷蔵庫の登場は食品を「冷やす」だけではなく「保管」することを可能とした。すると人々は、ついよけいに買いすぎ・作りすぎ・しまい込み・結局だめにするという、「余剰品」を生みだす様子を明らかにした。第三に、掃除機や電気冷蔵庫が「粗大ごみ」として出されるようになると、粗大ごみの異質性が際立つようになった。ここから、粗大ごみ登場以前のごみが「燃やすことができ、埋め立てることができ、土壌化できる、小さな存在」であると理解される様子を示した。以上の分析結果から、人々は空間を舞うチリやホコリ、余剰品、粗大ごみというごみを「発見」し、ごみ概念自体を拡大させている様子を明らかにした。
著者
中尾 香 Nakao Kaori ナカオ カオリ
出版者
大阪大学人間科学部社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.23, pp.283-301, 2002

本稿は、一九三四年に誕生し今なお活動をつづけている学習グループ、札幌の「白雪会」の活動を跡づけ、そこから時代の変化の意味を考察しようとするものである。「白雪会」は、一九一六年に創刊された雑誌『婦人公論』の、全国に点在する愛読者グループのひとつである。熱心な女性解放論者であった嶋中雄作が入社してまもなくこれを創刊し、一九三一年からは、新たな読者層を開拓していくために先頭に立って全国をまわった。「白雪会」も、これを契機に誕生する。「白雪会」のユニークさは、戦前から戦中そして戦後へと、ほとんど途切れることなく活動をつづけてきたことである。このように継続してきたことの要因としては、①発会当時に山下愛子という、知性・人望に優れた人物がリーダーとして存在したこと、② 戦時中には特高対策のため知人に頼ったり、『婦人公論』の廃刊中に連続して講義をしてくれる講師を得るなど人脈に恵まれていたこと、③中央から著名な作家・思想家が「白雪会」を訪れ座談会をもつなど、知的な刺激にあふれていたこと、彼らが訪れなくなった一九六五年以降も地元の有識者に定期的に講義を受けていること、④戦後の活動のメインとなる「読書会」.も充実したものであったことなどである。中央公論社のつくりだした「文化圏」のなかで雑誌も読者グループも成長し、メンバーたちはグループに「解放」の場を見出していたということが言える。
著者
Dolinsek Saso ドリンシェク サショ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.41, pp.111-127, 2020-03-31

人間学・人類学 : 論文本論文では、明治時代に活躍した記者・革命家である管野須賀子の思想および〝生き方〟における無政府主義の位置と重要性に関して論じる。須賀子の思想形成をフェミニズム・社会主義・無政府主義の三つのイデオロギーを参照軸として分析する。須賀子におけるこれらイデオロギーの関係を検討する中で、須賀子の受けた性差別に起因する問題は、社会主義によっては解決不可能であったことを示す。そのことにより、国家の廃絶を唱える狭義の無政府主義に留まらず、何にも誰にも支配されない自由な〝生き方〟としての無政府主義/アナーキズムに解決が求められる必然性を示す。須賀子の〝生き方〟と、広義のアナーキズムとが響きあう通底を探る。
著者
藤田 翔 Fujita Sho フジタ ショウ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.123-141, 2016-03-31

There have been ongoing debates on the existence of spacetime for a long time. This paper will offer one way to interpret more recent debates and present the important aspects of the philosophy of spacetime. General Relativity shows spacetime has a curvature and is bent, due to the infl uence of matter. While substantivalists claim that the bent spacetime exists like other matter and fi elds, relationists claim that spacetime should be reduced to such matter or their properties. In 2000, structural spacetime realism was adovocated, and as a new perspective, it reconciled conventional substantivalism and relationism. Structural spacetime realism recognizes spacetime exists as a whole structure made by metric (gravitational) fields and not by manifolds. Physical worlds exemplify this structure and can be described mathematically. However, I think not only this structural spacetime realism but also some substantivalists and relationists can agree that the nature of spacetime consists in metric and the whole structure created by metric is spacetime's unique identity. Through this paper, making allowance for general covaliance in General Relativity, I will reveal that it is the "relation" which is important, and realists and anti-realists, including structural realists, discuss spacetime in the same way despite differeces in their formulations.時間と空間とは何か?この問い掛けに関しては、紀元前より多くの議論が交わされてきた。近年ではこの問い掛けは、科学の最先端である物理学によって大いに解明されてきた。20世紀初頭にアインシュタインによって提唱された一般相対性理論によれば、時間も空間の一種であり、時空間そのものは構造を持っていて、その構造は存在している物体によって影響を受ける。時間の流れるスピードは一定ではなく、時空間は曲がっているという、当時の常識を越えた発想は、時空の哲学を益々飛躍させた。さらにその後も物理理論は休むことなく進展し、現代宇宙論や量子重力でも時空は4次元を超えて、物理の最も根本的な系(パラメータ)として扱われている。本論文は、その最も根本的とされる時空間の存在を、改めて哲学的にカテゴライズし、一般相対性理論の枠組みにおいて、時空の実在性にある種の答えを提供することを目的としている。時空に関してその存在を主張する実体説 (substantivalism) と、時空をあくまでモノの性質と見なす関係説 (ralationism) の長い対立を背景に、構造実在論(structural realism) という考え方を介入することによって、結局はいずれの相反する立場も突き詰めれば共通して、「時空の本質はその構造全体にある」ということに着眼していることを示す。
著者
平田 公威 Hirata Kimitake ヒラタ キミタケ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.51-62, 2017-03-31

人間学・人類学 : 論文『差異と反復』において、ドゥルーズは、即自的差異を思考するために、同一性の優位を批判し表象を退けていた。しかし、超越論的領野を描くという同じ意図にも関わらず、ドゥルーズは、『意味の論理学』で、出来事は表象されるべきものであると論じている。ここに、ドゥルーズの態度の重要な変更があることは確かである。本稿では、ドゥルーズが、『意味の論理学』へのストア派の物体と非物体的なものの二元論の導入のために、出来事(非物体的なもの)の物体化と表象の理論を問題化していると考える。まず、われわれは、ストア哲学に焦点をあて、非物体的なものの表現を含み非物体的なものを物体化する表象の理論を明らかにし、ドゥルーズが、出来事の表現と思考のためにこの表象を必要としていることを示す。この試みは、『意味の論理学』の狙いとその限界を明らかにするだろう。In Difference and Repetition, Deleuze criticizes the priority of identity and avoids the representation in order to think about the difference in itself. Nevertheless, in spite of the same intention to describe the transcendental fi eld, Deleuze, in The Logic of Sense, argues that the event is what must be represented. Here, it is certain that there is an important change in Deleuze's attitude. In this paper, we hypothesize that Deleuze, because of the introduction of the stoic dualism of bodies and incorporeals into The Logic of Sense, problematizes the incarnation of the event (the incorporeal) and the theory of representation. First, focusing on Stoicism, we describe the theory of representations, which comprehends an expression of the event and materializes the incorporeal, and then demonstrate that Deleuze needs this representation in order to the expression and the thought of the incorporeal. This attempt will reveal an aim and a limitation of The Logic of Sense.
著者
藤高 和輝 Fujitaka Kazuki フジタカ カズキ
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.71-86, 2016-03-31

Judith Butler is well known as a feminist and queer theorist. Also, her thought is understood to have been infl uenced by poststructuralism. However, her philosophical background also includes Hegelian philosophy. Indeed, her academic career started from a study of Hegel, which was published as Subjects of Desire: Hegelian Refl ections in 20th Century France (1987). In this sense, it can be said that Hegelianism is an indispensable to comprehending her thought. Thus, we must elucidate how Butler interprets Hegel, and how her Hegelian background is linked to her own theory from Gender Trouble (1990) on. Therefore, this article examines Butler's Hegelianism, focusing on a reading of Subjects of Desire. From the fi rst to third sections, I clarify the "Hegelian subject" Butler describes in Subjects of Desire. In the fourth section, I prove that the Hegelian subject is structuralized by melancholy. Through these discussions, I would like to suggest a connection between Butler's early work on Hegel and her theory of melancholy after Gender Trouble.ジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの転覆』(1990年)の出版によってフェミニスト/クィア理論家として知られ、またその思想はポスト構造主義に連なるものとして理解されている。しかし、バトラーの思想的バックグラウンドはヘーゲル哲学にある。バトラーのキャリアはヘーゲル哲学研究に始まり、へーゲル哲学を扱った彼女の博士論文は一九八七年に『欲望の主体―二〇世紀フランスにおけるヘーゲル哲学の影響』として出版されることになる。この意味で、「バトラーのへーゲル主義」は彼女の思想を理解する上で欠くことのできない視角である。したがって、『欲望の主体』におけるバトラーのヘーゲル解釈がどのようなものであり、それが『ジェンダー・トラブル』以後のバトラー自身の思想にどのような影響を与えたのかが考察されなければならない。そこで本稿では、バトラーの『欲望の主体』を中心に「バトラーのへーゲル主義」を考察する。第一節から第三節では、バトラーが描く「へーゲル的主体」とは何かを明らかにする。第四節では、バトラーが提示した「ヘーゲル的主体」がメランコリーの構造をもつものであることを論証する。それによって、初期のへーゲル論と『ジェンダー・トラブル』以後のメランコリー論の架橋を図りたい。
著者
大久保 将貴 オオクボ ショウキ Okubo Shoki
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
no.34, pp.73-91, 2013

本稿の目的は、社会科学における制度研究をサーベイするとともに、一連の制度研究が、日本の社会保険制度の発展構造分析にいかに応用できるのかを考察することである。「制度変化はいかにして起こりうるか」という問いは、現在、社会科学者が直面している難問である。制度研究は「制度とはなにか」という問いに始まり、過去に多くの研究成果が提出されており、とりわけ、政治学、社会学、経済学において活発に議論されている。制度研究においては、各分野の固有の分析枠組みが相互対立的に捉えられがちであったが、近年では、各方法論は相互補完的であることが認識されるに至っている。本稿では第1 に、社会科学における近年の制度研究をサーベイし、各分析枠組みの特徴と限界を整理する。第2 に、「社会保険制度の発展構造はいかなるものか」という問いを軸に、制度変化の理論的枠組みを提示する。第3 に、提出された制度変化理論の諸段階で生じている制度強化と意図せざる制度帰結に関するモデルを提示する。社会保険制度の発展構造分析における主要な問いは、「ある特定の社会保険制度が、歴史上のさまざまな場面で、なぜ、どのように出現し、何がその存続と衰退をもたらしたのか」というものである。この問いに応えるためには、各制度構造とその前史の成立過程を複眼的に分析し、各時代における制度をとりまくプレイヤーが直面する制約条件と選択肢を「追体験」することが不可欠である。This paper asks why and how institutions change and proposes an analytical-cum-conceptual framework for understanding institutional change in social insurance in Japan. First, it surveys preceding studies on institutions and institutional change in the social sciences. Second, it proposes a theoretical framework for institutional change in social insurance in Japan. Third, it proposes models over institutional reinforcement and unintentional outcomes.
著者
八幡 恵一 ヤハタ ケイイチ Yahata Keiichi
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.55-70, 2016-03-31

本稿では、シャルル・ペギーの『クリオ 歴史と異教の魂の対話』という著作における歴史の哲学について論じる。ペギーはこの作品で、「老い」という概念を中心とする独特な歴史の理論を展開している。まず、ペギーがこの老いの概念についてどのような説明をあたえているかを確認する。かれによれば、老いとは、「不可逆性」を特徴とする「消耗」の運動である。老いのなかでは、あらゆるものが失われていき、そしてなにもとりもどすことができない。ペギーは、このような老いの概念を中心に、かれ特有の歴史哲学を構築する。つづいて、ペギーのこの老いの歴史と、メルロ=ポンティの制度の歴史を比較的に考察する。メルロ=ポンティは、ドゥルーズとならんで20世紀におけるペギーの重要な読者のひとりだが、両者のあいだには、歴史の思想をめぐって決定的な隔たりが存在する。この隔たりの意味と、そしてそれを生む原因となったメルロ=ポンティの誤解を明らかにする。最後に、以上をふまえてペギーにおける「出来事」の概念について論じる。ペギーは、ドゥルーズをはじめとして、ときに出来事の思想家とみなされるが、かれの思想における出来事の意味は、一般に理解されるそれとは異なる。つまりペギーにとって、出来事はいっさい特異性をもたない。そして、そのような特異的でない出来事がもつ「老い」を利用して、その出来事を内部からさかのぼるというのが、『クリオ』におけるペギーの試みであり、ここでは、それを反-特異的な出来事の歴史学と名づける。
著者
藤田 翔 フジタ ショウ Fujita Sho
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.123-141, 2016-03-31

時間と空間とは何か?この問い掛けに関しては、紀元前より多くの議論が交わされてきた。近年ではこの問い掛けは、科学の最先端である物理学によって大いに解明されてきた。20世紀初頭にアインシュタインによって提唱された一般相対性理論によれば、時間も空間の一種であり、時空間そのものは構造を持っていて、その構造は存在している物体によって影響を受ける。時間の流れるスピードは一定ではなく、時空間は曲がっているという、当時の常識を越えた発想は、時空の哲学を益々飛躍させた。さらにその後も物理理論は休むことなく進展し、現代宇宙論や量子重力でも時空は4次元を超えて、物理の最も根本的な系(パラメータ)として扱われている。本論文は、その最も根本的とされる時空間の存在を、改めて哲学的にカテゴライズし、一般相対性理論の枠組みにおいて、時空の実在性にある種の答えを提供することを目的としている。時空に関してその存在を主張する実体説 (substantivalism) と、時空をあくまでモノの性質と見なす関係説 (ralationism) の長い対立を背景に、構造実在論(structural realism) という考え方を介入することによって、結局はいずれの相反する立場も突き詰めれば共通して、「時空の本質はその構造全体にある」ということに着眼していることを示す。
著者
藤高 和輝 フジタカ カズキ Fujitaka Kazuki
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.71-86, 2016-03-31

ジュディス・バトラーは『ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの転覆』(1990年)の出版によってフェミニスト/クィア理論家として知られ、またその思想はポスト構造主義に連なるものとして理解されている。しかし、バトラーの思想的バックグラウンドはヘーゲル哲学にある。バトラーのキャリアはヘーゲル哲学研究に始まり、へーゲル哲学を扱った彼女の博士論文は一九八七年に『欲望の主体―二〇世紀フランスにおけるヘーゲル哲学の影響』として出版されることになる。この意味で、「バトラーのへーゲル主義」は彼女の思想を理解する上で欠くことのできない視角である。したがって、『欲望の主体』におけるバトラーのヘーゲル解釈がどのようなものであり、それが『ジェンダー・トラブル』以後のバトラー自身の思想にどのような影響を与えたのかが考察されなければならない。そこで本稿では、バトラーの『欲望の主体』を中心に「バトラーのへーゲル主義」を考察する。第一節から第三節では、バトラーが描く「へーゲル的主体」とは何かを明らかにする。第四節では、バトラーが提示した「ヘーゲル的主体」がメランコリーの構造をもつものであることを論証する。それによって、初期のへーゲル論と『ジェンダー・トラブル』以後のメランコリー論の架橋を図りたい。
著者
久山 健太 クヤマ ケンタ Kuyama Kenta
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.1-17, 2014-03-31

本稿では職業資格の受験行動の規定要因を探る。社会学分野では、教育資格=学歴については階層性や社会的地位獲得手段としての性格が実証的に研究されてきたが、職業資格=いわゆる一般的な「資格」(国家資格、民間検定など)についての実証的・経験的な研究蓄積は乏しい。分析にはSSP-I 2010データを使用した。従属変数は「資格や検定試験などを受験する」という項目であり、受験行動の頻度を尋ねたものである。独立変数には社会的属性に加え「資格活用志向」、「文化行動志向」という変数も作成して用いた。また、教育資格では男女で獲得の意味付けに違いがあると指摘されており、職業資格についても同様の性差が存在すると推測されるため、男女別にデータを分けて分析した。分析の結果、受験行動の規定要因は男女で大きな差の生じている部分と、共通する部分とが存在していた。特筆すべきは学歴と文化行動志向の関係である。文化行動志向は男女とも大きな正の効果を示し、職業資格の受験には文化行動としての側面があり、「文化資格」という類型の存在が示唆された。一方、基本モデルにおいて男性では学歴に効果がなく、女性では高等学歴に正の効果が表れていた。しかし文化行動志向を投入した拡張モデルでは、男性では高等学歴に負の効果が出現したのに対し、女性では逆に高等学歴の正の効果が消滅し、性別による学歴と資格の複雑な関係が示された。
著者
藤高 和輝 フジタカ カズキ Fujitaka Kazuki
出版者
大阪大学大学院人間科学研究科 社会学・人間学・人類学研究室
雑誌
年報人間科学 (ISSN:02865149)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.103-117, 2015-03-31

本稿は、J・バトラーの一九八〇年代における身体論を考察する。バトラーの代名詞といえる『ジェンダー・トラブル』における理論的観点は一挙に形成されたわけではない。それは八〇年代における思索を通じて、ゆっくりと形成されたのである。八〇年代のバトラーにとって、第一義的な問題は身体であり、ジェンダーもそのような思索の延長にある。身体とは何か、身体の問題にいかにアプローチすべきかという問題は、八〇年代のバトラーを悩ませた大きな問題であった。この問題へのアプローチは八〇年代を通じて、「現象学からフーコーへ」の移行として描くことができる。逆にいえば、現象学との対決は『ジェンダー・トラブル』におけるバトラーの理論を生み出すうえでひじょうに重要な契機だった。本稿では、私たちはバトラーの思索において現象学が果たした役割を明らかにし、それがいかにフーコーの系譜学へと移行するかを示したい。