著者
高見 昭
出版者
山脇学園短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:03898814)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.35-43, 1985-12-01
著者
吉田 恵子 柳生 純代 江面 恵子 小松 明美 石黒 敬子
出版者
つくば国際短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:13433814)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.125-135, 2004-08-31
被引用文献数
1

本学学生と,文化祭に来学した一般の方を対象に,味覚感度検査(五味識別検査,閾値検査),異なるだしで作成したみそ汁の識別,嗜好検査を行った結果,以下のことが明らかとなった。1.五味識別検査の正解数は,学生,一般人ともに3.5前後であり,有意差はなかった。性別と学生と比較すると,学生がわずかに高かったが,有意差は認められなかった。2.五味を味別(甘味,塩味,酸味,苦味,旨味)で正解率を比較すると,甘味,塩味の正解率は高く,酸味の正解率が有意に低かった。3.塩味,甘味の識別閾値は学生が有意に低く,感度が良いことがわかったが,塩味の認識閾値は1年生が有意に高く,甘味の認識閾値は,すべての群で高値であった。4.3種のだしで作成したみそ汁の識別については,学生は半数以上が識別できた。5.3種のだしで作成みそ汁の嗜好は,1年生,2年生,10才代では,ほんだしでのみそ汁が好まれ,他の2種のみそ汁と0.01%の危険率で有意差が認められた。
著者
古牧 徳生
出版者
名寄市立大学
雑誌
紀要 (ISSN:18817440)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.1-26, 2013-03-31

本稿はプラトンノイデア論を、彼の師であるソクラテスの思想史的位置から考察したものである。イデアは自然哲学者たちが問うたピュシス論の一形態であること、最終的にはその不可知性ゆえに提唱者のプラトン自身が懐疑的になっていたことが説明される。
著者
鹿嶋 桃子
出版者
名寄市立大学
雑誌
紀要 (ISSN:18817440)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.27-35, 2013-03-31

自由遊びへの保育者の介入をめぐっては、指導と子どもの自発性のバランスのあり方をめぐる対立がある。そこで、本研究ではこうした対立を乗り越える視座として、子どもに必要な経験を保育者が読み取り、その発達に必要な支援をする過程として遊び指導を位置付けジユウアソビ場面の分析を行った。その結果、次のことが示唆された。保育者は遊びを指導する際に、保育者の指導上のねらいを意識下あるいは無意識下で参照しながら指導する。しかしながら、指導を通した子どもと保育者の相互作用結果としての遊びの展開内容はその場の状況によって変化しうるという意味で、保育者のねらい通りには展開しない自由で創発的過程である。すなわち遊びの指導とは、子どもの活動の自由が保障されている分だけ管理保育とその性質を異にし、子どもたちの発達支援を保障するものと考える。
著者
村上 重良
出版者
東京神学大学
雑誌
紀要
巻号頁・発行日
vol.1, pp.80-100, 1990-03-31
著者
中山 渡
出版者
上田女子短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:09114238)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.A1-A15, 1986-03-31
著者
塩月 亮子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.49-66, 2008-03-01

本稿では、沖縄における死の変容を、火葬の普及、葬儀社の出現、葬儀時の僧侶への依頼という3つのファクターから考察することを試みた。その結果、沖縄では近代化が進むなか、特に1972年の本土復帰以降、火葬場が多数設置されて火葬が広まり、土葬や洗骨の風習が廃れていったこと、および、今ではその多くが入棺が済むとすぐ火葬場へ行き、そこに隣接する葬祭場で告別式をおこなうという順番に変わったことを明らかにした。また、葬儀社の出現が、葬儀の均一化・商品化、仏教との提携をもたらしたことを指摘した。さらに、このような変化は、伝統的に死の世界を扱い、憑依などを通して人々に生々しい死を提示してきた民間巫者であるユタと、それらの慣習を否定し、新たに死の領域に介入し始めた僧侶との深刻なコンフリクトを生じさせていることも示した。沖縄におけるこのような葬儀の本土化・近代化は、すべて生者の側からの利便性・効率性の追求、換言すれば、死者や死の世界の軽視にほかならない。そのため、沖縄でも、これまでみられた生者と死者の密接な関係が失われ、今後は日本本土と同様、死の隠蔽・拒否が強まるのではないかということを論じた。
著者
清瀬 久美子
出版者
北星学園大学
雑誌
紀要 (ISSN:03871932)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.73-87, 1988
著者
勝間 みどり 伊藤 明美 西村 理恵 柿原 繭子 西川 千歳 善家 里子 神徳 規子
出版者
神戸市看護大学短期大学部
雑誌
紀要 (ISSN:13428209)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.17-25, 1998-03-05

阪神・淡路大震災から2年が経過した時点での,学生の震災体験の状況,災害観と災害対策,災害看護の授業に関する調査を行い,平成11年度より開講される「災害看護」の教育内容を検討した。調査の結果,8割の学生が震災を経験し,心身や学習,住居などに影響を受けていた。災害観は日本人の特徴である災害を天災や運命ととらえる運命論や天譴論が多かった。しかし一方では,災害対策を講じれば被害はくいとめられるという災害意識を持っていた。また,6割の学生が災害看護の授業を希望しており,救護活動,応急処置,看護婦の役割と責任など実践的な内容に関心が高かった。以上のような学生の状況を認識したうえで,学生や講師の実体験を生かし,被災地の特性をふまえた授業内容・方法の工夫が必要である。さらに,授業を行うことが災害の啓蒙活動にもつながり,災害看護学を確立していくことになる。
著者
國分 真佐代 大石 恵美子 Masayo KOKUBU Emiko OHISHI 聖隷クリストファー大学看護短期大学部専攻科助産学特別専攻 聖隷クリストファー大学看護短期大学部専攻科助産学特別専攻
出版者
聖隷クリストファー大学看護短期大学部
雑誌
紀要 (ISSN:13483900)
巻号頁・発行日
no.27, pp.33-41, 2004
被引用文献数
1

本研究は、助言された産育に関する慣習の実行程度とその理由との関連を明らかにするために産後4ヶ月の母親14人に倫理的配慮を行った上で聞き取り調査を行った。その結果、母親が受けた慣習の総助言数は175件で、その内訳は実行群155件、形だけ実行群3件、不実行群17件、慣習内容は食事・日常生活行動・儀礼の順に多かった。実行した慣習は、子どもの健康や妊娠・分娩への影響についての科学的根拠や謂れを伴うものが多かった。ただし、謂れが不明でも実行していた「忌」の行為や、嫁の立場を優先して形だけ実行した「帯祝い」・「オデンギョウ」など慣習の謂れが明確であれば慣習を肯定して実行する可能性を含むものもあった。このため、看護師は母親が慣習の科学的根拠や謂れを知ることによって自分の産育慣習についてのより具体的な考えを持つことや、母親の自己決定を見守り支えられるような関わりができることが重要であると思われた。
著者
長澤 泰子 太田 真紀
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.3-13, 2004-03-30

ことばの教室における教師と子どもの相互交渉を分析した先行研究において,われわれは,つらい経験を原因とする吃音への感情を理解するために,顔の向きや表情あるいは沈黙のような子どもの非言語的表現を受けとめることの重要性を報告した。本研究は臨床における教師のより好ましい行動を明らかにするために,引き続き,別の2人のコミュニケーション分析を行なう。教師と子どもが話し合う相互交渉2セッションをVTRに録画し,子どもと教師の発話,体・顔の向き,表情,視線,その他の行動を指標として分析を行った。教師は40代女性,子どもは吃音のある3年男児だった。2人は子どもの吃音にかかわる経験について話し合った。そのとき,教師はタイトル「どもってもいいんだよね」という吃音に関する教材を用いた。1週目の話し合いにおいて,絵本に関する子どものコメントの後,教師は吃音をからかわれたことがあるかを質問した。このとき,教師は子どもを見ていたが,子どもに体を向けてはいなかった。教師は子どもの返事を確認することなく,いじめに関する新たな質問をした。子どもは教師の質問に答えようとしたが,体や顔を教師に向けずに,今はいじめられていないと繰り返し述べた。2週目の話し合いにおいて,教師と子どもの相互交渉は改善されていた。教師は体と顔を子どもに向けながら話をしていた。子どもは,今はいじめられていないと繰り返すことはなかった。このとき,子どもは体と顔を教師に向けていた。教師は子どものつらさを思いやるような声で,いじめ経験の詳細について確認し,質問していった。知見は以下の通りである。(1)教師が子どもの気持ちを受け止めるとき,子どもは自分の経験や気持ちを語る。(2)教師の気持ちは,体や声の調子などの非言語的行動に表れる。(3)教師の行動は子どもの行動によって影響され,子どもの行動は教師の行動によって影響されている。