著者
犬飼 己紀子
出版者
上田女子短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:09114238)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.95-104, 1984-03-31
著者
杉木 恒彦
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.47-69, 2014-03-01

アッサムの女神カーマーキャーは、毎年雨季の頃、生理になると信じられている。この女神の生理の開始と終了に合わせて行われるアンヴァーチー祭は、インドにおけるタントラの伝統の主要な大祭である。2013年のアンブヴァーチー祭は、6月22日から6月26日にかけて開催された。祭りそのものは公式には26日で終わりだが、翌日27日まで祭りの内容の一部は続いていた。南アジア地域におけるタントラの思想・文化研究の一環として、筆者は2013年6月22日から6月27日までアンブヴァーチー祭の第1回現地調査を行った。主たる調査方法は、参与観察(祭りに参加した人々への聞き取りを含む)である。その後、同年9月4日から9月8日まで再び現地を訪れ、祭りの期間に調べることのできなかった要素の補足的な調査を行った。本稿は、自身の今後の調査の礎とすることと、日本ではほとんど知られていないこの大祭の内実を紹介することを目的として、途中経過的ではあるが、調査の際に作成したフィールドノーツのいくつかをまとめ、調査報告とするものである。
著者
松木 秀明 榎 悦子 小川 哲平 瀧脇 収二
出版者
東海大学
雑誌
紀要 (ISSN:13474162)
巻号頁・発行日
no.7, pp.53-58, 2001

ブラジルには100万人以上の日系人が在住し、そのうち約70%の日系人がサンパウロに居住している。本研究はサンパウロの日系移民を対象とし、食事、喫煙、飲酒等のライフスタイルと健康状態との関連について調査を行った。調査はサンパウロ市内の日系病院の簡易人間ドックを訪れた301名(男性:130名、女性171名)を対象に、食事・喫煙・飲酒などのライフスタイルに関する質問調査を実施し、同時に身長・体重・血圧・総コレステロール・中性脂肪等の血液検査を実施、対照群は性・年齢をマッチさせた日本在住の日本人とした。その結果、日系人の体重・BMI・最高血圧・最低血圧・総コレステロール・中性脂肪が日本人に比べ有意に高レベルであった。また日常の肉類・卵類の摂取レベルも日本人より多量であった。日系人は日本人に比べ、虚血性心疾患などが高率であると報告されている。本調査からも、ライフスタイルの変化が生活習慣病の成因として関与している可能性が示唆された。
著者
深澤 圭子 高岡 哲子 根本 和加子 千葉 安代
出版者
名寄市立大学
雑誌
紀要 (ISSN:18817440)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.63-68, 2010-03

本研究の目的は、終末期ケアを検討するための知見として、高齢者自身が終末期における「生死」に関してどのように考えているかを明らかにすることにある。10例の対象者へ半構成的面接を行い、データを質的に分析した結果7カテゴリーを抽出した。高齢者は〈痛みの回避〉や〈傍にいてほしい〉等《苦痛緩和》を望んでいることがわかった。《死の準備》では〈妻と対話〉〈身辺整理〉や〈遺言〉等を考えていた。《延命は望まない》では〈高度の医療は不要〉等をあげていた。《終の棲家》では、〈できれば自宅〉〈住み慣れた地域〉とする一方、〈病状悪化時病院〉とし、その裏には家族への遠慮もある。《平安なる死》では〈眠るが如き〉や〈自然死〉等を希求していた。《死の恐怖感》では、〈死への恐れ〉を抱き、それを抱く一方、〈死と共に〉生死は表裏一体と考えている。《死後の世界》には〈信じる〉〈肉親に会える〉等、死後の世界を希求していると考えられる。以上のような高齢者の気持ちを汲み取り尊厳・尊重した終末期の《苦痛緩和》ケアが重要であることが示唆された。
著者
勝野 まり子
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.3-18, 2012-03-01

この小論では、D. H. Lawrence の出世作となった、彼の生活体験を基として語られる短編小説"Odour of Chrysanthemums"について、二つのキーワード、"red"と"chrysanthemum"を取り上げて、次の3 点について考察する。(1)それら二つの言葉のリアリズムにおける働きとシンボリズムにおける働き(2)それらの言葉とこの作品のテーマとのかかわり(3)リアリズムがシンボリズムを超えて伝えるところである。この小説では、"red"は、初冬の寒くて薄暗い、無彩色の町に、昼夜燃える炭鉱の火の色、そこに生きる炭坑夫の妻の台所で燃える炎の色、彼女の娘が美しいと魅了されるかまどの火の色、その家族が使用した古いテーブルクロスの色として登場し、"chrysanthemum"は、その町の道端にピンクに咲く花、炭坑夫の妻に折り取られてエプロンに挿まれ、彼女の家に持ち込まれる花であり、彼女の小さな客間に持ち込まれ飾られる花であり、彼女の娘が美しいと感激する花であり、その花瓶を炭坑夫に割られて主人公によって処分される花として登場する。その二つの言葉は、どちらも読者の視覚、嗅覚、肌感覚といった五感に訴えながら、それ自体を、そして、舞台となっている、初冬の英国ノッティンガムにある作者の故郷である炭鉱の町と、そこで生きる人々の姿を読者の目の前に現存するかのように生き生きと描き、この作品のリアリズムの世界を作り上げている。その一方では、"red"と"chrysanthemums"という言葉が一致して象徴するものは、炭坑夫の妻である主人公の「所有欲」、その「所有欲」や自らの考えに囚われた主人公の意のままにならない子等や夫との死んだような家庭生活であり、彼女の夫の落盤事故による「死」であり、彼女の「所有欲」に占められた結婚生活と家庭生活の終焉である。主人公は、夫の「死」に遭遇することによって、それまでの自らの「所有欲」によって生じた誤り、自分を取り巻く生命体、つまり、夫や子やその他もろもろの生命体をありのままに見つめていなかったこと、そして、それら他の生命体を自分の意のままに支配しようとしてきた誤りを悟り、「死」ではなく、自らの新たなる「生」に向かうのである。それぞれの生命体はそれぞれの「生」を営み、他のどんな「生」をも所有できないという彼女の悟り、それがこの短編小説のテーマとなっている。主人公が新たなる「生」に目覚める以前の世界は、"red"と"chrysanthemums"の生むシンボリズムが提示するものである。その世界では、人々は己の考えや所有欲に囚われ死んだような生活を送っているのである。言い換えれば、作者は、人間心理に対する鋭い洞察力と巧みな言葉の使用によって生み出すシンボリズムによって、「死」に向かう世界観を伝えている。そして、それは、この短編小説の主人公Elizabeth のみならず、100 年以上も前にD.H.Lawrence が見た当時の多くの心悩める人々の世界であり、この現在に生きる多くの心悩める人々の世界にも繋がるように思わる。そして、主人公が、新たに求めることになる「生」を営む場は、二つのキーワード"red"と"chrysanthemums"という言葉が生き生きと描写し、彼女を取り巻いてすでに存在していた世界であり、それらの言葉のリアリズムにおける働きが伝えていた世界である。そこでは、それぞれの生命体がそれぞれの「生」を営み、他のどんな「生」をも所有できない世界である。言い換えれば、作者は、彼自身を取り巻く世界に対する優れた観察力と生き生きとした言葉による写実力によって生み出すリアリズムによって、自らの「生」に向かう世界観を伝えているのである。そのようなリアリズムとシンボリズムは、相矛盾することなく、この作品のプロットを運びテーマを提示しながら、作者が自らの周囲に見る両義的な世界を語り、作者と読者の豊かな対話をも生じさせている。さらに、そのリアリズムはシンボリズムを超えて、以前にも増して「死」に向かいがちな現代の読者に、自らを取り巻くあらゆる生命体を見つめ、自らの真の「生」に向かう知恵を伝えているのである。
著者
神尾 庄治
出版者
聖徳大学
雑誌
紀要 (ISSN:02863332)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.255-235, 1972-03-01
著者
保坂 務
出版者
国際短期大学
雑誌
紀要
巻号頁・発行日
vol.20, pp.1-10, 2005

コンピュータを用いた自動作曲の一例についてのべる。基本となるメロディを作り出すこと、これに伴奏を付けること、音形を変えて変奏曲を作ることなどを対象とする。音形の変更においては和声上の変位、全音階上の変位、半音階上の変位の3要素を用いて、一般的な記述ができることを示す。音色の選定は各声部の音色組み合わせパタンを用意しておき、その一つを選定するのが良い。音形、音色のランダムな組み合わせを選び自動的に変奏を繰り返すプログラムを作成した。
著者
島名 毅
出版者
札幌大谷大学・札幌大谷大学短期大学部
雑誌
紀要 (ISSN:18832105)
巻号頁・発行日
no.44, pp.171-174, 2014-03-31
著者
高根沢 紀子
出版者
立教女学院短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:0285080X)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.1-10, 2009
著者
小松加代子
出版者
多摩大学グローバルスタディーズ学部グローバルスタディーズ学科
雑誌
紀要 (ISSN:18838480)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.61-74, 2014-03

宗教とソーシャル・キャピタル論の研究は、地域社会での人々のつながりが脆弱になってきた現代社会において、人々の絆を再建するための宗教の役割を考察するものとなっている。しかしながら、ソーシャル・キャピタル論には、社会的関係の中にも権力関係が存在し、弱者が強者と同じ利益を得るわけではないという点が見逃されているとジェンダー研究者から指摘をされている。本論文は、ソーシャル・キャピタル論と宗教の議論について、その方法論にある問題を指摘し、ジェンダーの視点から宗教的活動とは何かを見直す機会としたい。A recent theme being discussed in Japan is religion's place in society and its role in fostering social capital. The role of religion and its contribution in building up a strong social network is being examined. However, these debates do not discuss the power structure and minority groups within society. This paper aims to point out the problems the debates on social capital involve and suggest what religious activities mean from the perspective of gender.
著者
山本 秀麿
出版者
上田女子短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:09114238)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.A33-A43, 1997-03-31