著者
菅原 祥
出版者
日本橋学館大学
雑誌
紀要 (ISSN:13480154)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.5-17, 2016-03-01

20世紀後半のポーランドを代表する作家スタニスワフ・レムは、自身の作品の中で一貫して人間の認知の問題、とりわけ理解不能な「他者」を前にしたコンタクトの可能性について考察してきた作家である。こうしたレムの問題関心は、現代の多くの社会学的問題、例えば認知症患者のケアの現場などにおける介護者-被介護者の相互理解の問題などを考える際に多くの示唆を与えてくれるものである。本稿はこうした観点から、スタニスワフ・レムの短編『テルミヌス』を取り上げ、理解不可能な存在を「受容する」ということの可能性について考える。『テルミヌス』において特徴的なのは、そこに登場するロボットがまるで老衰した、認知症を患った老人であるかのように描かれているということであり、主人公であるピルクスは、そうしたロボットの「ままならない」身体に対して何らかの応答を余儀なくされる。本稿は、こうしたレム作品における不自由な他者の身体を前にした人間の責任-応答可能性について考えることで、介護に内在する希望と困難を指摘する。
著者
大野 かおり 磯谷 悦子
出版者
神戸市看護大学短期大学部
雑誌
紀要 (ISSN:13428209)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.27-34, 1998-03-05

時系列変化の初期-被災後初期-には避難所などに待避する者が多い一方で,高齢者や病弱者などが自宅に取り残されている。阪神・淡路大震災時のローラー作戦の結果と今回の調査結果より,これら弱者の把握,ニーズの把握を適時に行い適切な看護援助を提供することは非常に重要であるということが明らかになった。すなわち救命救急医療期の終わった頃(災害から1週間程経った頃),在宅生活者の保健衛生管理や診療の継続のための看護援助が必要となるのである。そして時宜を逸せず看護援助を提供するには,大量動員による一斉訪問が有効である。また災害時の情報管理や平常時からの弱者把握により,一層効果的な援助が提供できる。訪問に際してはニーズの把握からケアの提供までトータルに対応できる看護職者が望ましい。以上の結果をより具体的に検討し在宅生活者に対する看護援助のモデル(一般化)としていかなければならない。
著者
西浦 郁絵 中野 智津子 能川 ケイ 藤原 智恵子 丸山 浩枝 服部 素子 小西 真千子 井上 由紀子
出版者
神戸市看護大学短期大学部
雑誌
紀要 (ISSN:13428209)
巻号頁・発行日
no.24, pp.91-99, 2005-03

本学は少子高齢化社会の進展を背景に、神戸市立看護専門学校を前身として、1981年4月に兵庫県下初の看護学単科の公立短期大学として関学した。その後、看護大学の開学に伴い、神戸市看護大学短期大学部へと名称変更し、第2看護学科の廃止、看護学科の定員減少をへて、平成17年3月に閉学を迎えるに至った。1993年以降卒業生を対象とした動向調査は行われていない。そこで、閉学を迎えるにあたり本学で学んだ閉学時までの全卒業を対象に調査しその動向を把握し、専門職者としての自立とキャリアアップについて本学の果たした社会的役割や貢献を明らかにするために2004年の8月から9月にかけて2593名の卒業生を対象に、アンケート調査を実施した。本報ではその結果の中から有効回答数668名の卒業生の動向および就業状況について明らかにした。
著者
安岡 龍太
出版者
田園調布学園大学
雑誌
紀要 (ISSN:02875268)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.20-35, 1979-09-10

1 0 0 0 鍾会論

著者
大上 正美
出版者
青山学院大学
雑誌
紀要 (ISSN:05181194)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.17-29, 1988
著者
西浦 郁絵 能川 ケイ 服部 素子 井田 通子
出版者
神戸市看護大学短期大学部
雑誌
紀要 (ISSN:13428209)
巻号頁・発行日
no.23, pp.23-32, 2004-03

約一年間に及ぶ在宅療養の結果、家族の看取りで在宅死に至った事例から、在宅死を迎えるまでに療養者とその家族に提供された看護を振り返り、在宅ターミナルケアの諸相と看護をまとめた。安定期、終末期に適切な訪問看護の介入がなされ、死の準備教育と家族の負担軽減のためにチームアプローチが適切に行われていた。その結果、在宅療養開始時には「状態が悪化すれば病院へ」と考えていた家族が「最期を家で過ごさせたい」という気持ちへと変化し在宅での看取りを家族で行うことができた。また、死別期においてもグリーフケアが行われており、在宅ターミナルケアにおいては療養者と家族を1つの単位としてサービスを提供するため、療養者が亡くなったあとも家族を対象としたケアは継続して行われ死後のグリーフケアも重要な看護である。1事例での振り返りであるが、川越氏による在宅ターミナルケアの諸相における看護が事例においても行われており、1つの手だてとして用いることが有効であると考える。今後はさらに在宅ターミサルケアの諸相に応じた看護の意図的な実践を繰り返し、より質の高い在宅ターミナルケアの援助方法へとつなげていく必要がある。
著者
Ishizaki Sharon
出版者
多摩大学グローバルスタディーズ学部グローバルスタディーズ学科
雑誌
紀要 (ISSN:18838480)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.43-49, 2015-03

The developing topic of NeuroELT (Neuroscience and English Language Teaching) is an area of research that has the possibility to inform ELT practitioners with an exciting pedagogy, which could further enhance their teaching repertoire. Most instructors may attempt to provide learning environments that include aspects of the teaching and learning construct they felt were lacking when they were students, and NeuroELT may be able to provide those missing elements. In this discussion, I have attempted to explain how the choices teachers and students are presented with can affect learning environments and outcomes; I have endeavoured to demonstrate that when tasks or classroom material have meaning and make sense to the learners, then long-term storage of information has a higher probability of taking place, and how emotions can adversely affect the storage of data.NeuroELT(神経科学と英語教授法)という開発中のトピックは、英語教育の実践家たちに心躍る教授法を知らせることができる可能性のあるリサーチ分野であり、教授法のレパートリーを更に広めるかもしれない。多くの講師たちは、自分たちが学生だった時に欠けていると感じた部分を指導と学習の構造に組み入れた学習環境を提供しようと努めるであろう。NeuroELT は、それらの欠けている要素を提供することができるかもしれない。本稿では、教師や学生が提示される選択がどのように学習環境や目標の達成状況を示す結果に影響するかということを説明しようと試みた。つまり、タスクもしくは学級教材がその学習者にとって意味があり、理解できれば、情報の長期保存がより高い可能性で起こるということ、また、どのように感情がデータの貯蓄に悪影響を及ぼすかということを論証することを試みた。