著者
外川 昌彦
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.4, pp.563-583, 2022-03-31 (Released:2022-07-20)
参考文献数
72

本稿では、バングラデシュのイスラーム主義を掲げる宗教政党と、それを「原理主義」として批判し、世俗主義を標榜するNGO団体との関係を、1990年代を中心とした多様な相互交渉と対立の過程を通して検証する。公共領域でのイスラーム的価値の実現を求めるバングラデシュの宗教政党と、社会開発への取り組みを通して公共領域から宗教の分離を試みるNGO団体との、互いの参照や批判を通した二極政治の形成過程を跡付ける。 一般にイスラーム主義は、社会のイスラーム的変革を求める政治的イデオロギーや運動とされ、日本語ではバイアスを含んだ「イスラーム原理主義」に代わる用語として用いられるが、実際には、改革運動からジハード主義までを含む多様な用法が見られ、たとえば、日本人7名が犠牲となった2016年のダカ・テロ事件では、イスラーム政党・団体は一括りにイスラーム主義とされた。しかし、イスラーム主義が、西洋近代の「世俗」概念との対比から、それを逸脱する「宗教」運動として一元的に規定されると、それはかつての「原理主義」と同様の問題を内包するだろう。本稿では、バングラデシュの二極政治の構成が、「公共領域」の変容をも導く経緯の検証を通して、イスラーム主義を、「ムスリム社会が国民国家や市民社会を構成する過程で、イスラーム的価値を政治的イデオロギーとして再認識し、実践する運動」と定義する。
著者
長坂 格
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第55回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.D09, 2021 (Released:2021-10-01)

イタリア、およびフィリピンでの調査にもとづき、イタリア在住のフィリピン系第1.5世代移住者たちのイタリア、フィリピン、そして他国に広がりつつある実際上の、そして想像上の社会圏を、「社会生活の舵取り(social navigation)」[Vigh 2009]として描写し、併せてそれを彼ら/彼女らを取り巻く、絶えず変化する社会環境との関連で考察する。
著者
出口 顯
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.439-459, 2002-03-30 (Released:2018-03-27)

臓器移植は生命の贈り物といわれるが、いかなる意味で「贈り物」なのかを考えたい。少なくともそれはモースが考察の対象とした「アルカイック」な贈与とは異なることがアメリカでの臓器移植を積年研究してきたフォックスとスウェイジー批判で示される。さらにこの問題を考えるとき、人類学で培われた贈与理論がどの程度有効なのかを、ワイナーとゴドリエからマリリン・ストラザーンへと、比較的新しい理論からそれ以前の理論へいわば脱構築しながら検討する。ゴドリエの理論は「贈与」されるのが生命それ自体であり、臓器はその表象であることを明らかにするのに有効であるが、西洋近代の人格概念を前提にしているため、ドナーと自らの二つの人格あるいは生命が併存する共同体として自己を受けとめるレシピアントの体験を据えきれない欠点がある。むしろ、ストラザーンのメラネシアの人格観のモデルが、そうした体験をうまく説明できるものとなっている。しかしストラザーンのモデルでは、柄谷行人の言う「他者」が不在であり、また柄谷にしてもストラザーンにしても「自己」が「他者」化する可能性は全く考慮されていない。自己自身にとって他者となる自己という主題を考察してきたのは、さらに時間を遡るが、レヴィ=ストロースである。自己の内部に出現する他者や侵入者というその視点から、臓器移植は概して外部からの侵入者の物語であることがわかるが、それを内部の侵入者としてとらえる余地はないか最後に検討を試みてみる。
著者
上田 紀行
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.269-295, 1990-12-30 (Released:2018-03-27)

スリランカ南部農漁村地帯の祓礼儀霊の減少は, 一般に近代科学の後進的な呪術に対する勝利という自明性のもとに語られる。しかし, 本論文における, 儀礼の扱う患者像と, その減少の特異性の詳細な検討の結果は, そのステレオタイプを否定する。従来ひとまとめに考えられていた祓霊の患者像は, 儀礼の種類によってまったく異なっていることが24のケースの分析から明らかにされる。すなわち急激なストレスによる解離的なヒステリー性症状を病む患者に対する儀礼と, より症状が身体的である患者に対する儀礼のうち減少しているのは後者であり, 前者の比率が急激に高まっているのである。それは長期的に見れば, 西洋医療の浸透によって身体症状を病む患者が祓霊を行なわなくなったことと関連する。しかし, 最近20年間の儀礼の増減からは, 社会的な不平等が強まり, 村の民衆が強い剥奪感を抱く時期に, 解離型の患者が増加するという傾向を見てとれる。つまり, 伝統的治療儀礼は近代化, 急激な資本主義化による村落共同体の解体, 個の疎外といった現代的状況とこそ深く関わっているのである。
著者
若松 大樹
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.146-170, 2011-09-30 (Released:2017-04-17)

本稿では、トルコ共和国のアレヴィーと呼ばれる集団の社会変化に関する一考察として、これまでの先行研究においてアレヴィー社会の「スンニー化」と呼ばれてきた現象に関して、批判的検討を行う。本稿では、西部アナトリア・キュタフヤ県のアレヴィー村落におけるデデ権威と、それに関連するオジャクと呼ばれる帰属概念を事例として取り上げる。オスマン朝時代、スンナ派イスラームが国教とされ、この教義とは異なるイスラーム的伝統を持つアレヴィーの人々は、中央政府から「異端派」としてレッテルをはられるだけでなく、ムスリムとすらみなされず、宗教実践や教義を理由にしばしば迫害を受けてきた。ところが、世俗主義と政教分離を国是として1923年に成立したトルコ共和国においては、人々はいかなる宗教によっても差別されないとの憲法上の規定があるため、アレヴィーの人々はトルコ共和国の国是を肯定し、多数派であるスンナ派の人々からの差別をある程度免れてきた。しかしながら、1990年代以降、スンナ派中心のイスラーム主義運動の高揚に伴い、この国是が揺らぎ始め、さらに農村部から都市部への移民の増加によって、アレヴィーとスンナ派の人々の直接的な接点が増え始めた状況において、アレヴィーの人々は再びスンナ派の人々から侮蔑的な偏見を被ることとなり、アレヴィーの人々の多くは、自分たちのアイデンティティをムスリムとして再定義し、多数派であるスンナ派の人々に対して、アレヴィー・ムスリムとしてのアイデンティティを主張する必要に迫られてきた。このような主張の中には、アレヴィーの人々がトルコ的イスラームの真髄を体現するものであり、スンナ派よりもむしろイスラームの本来の教えを実践しているという主張さえある。こうした現象は、これまでの先行研究においてアレヴィー集団の「スンニー化」としてとらえられてきた。しかしながらこうした見方は、アレヴィーの人々の主張を正確に反映しているとは言い切れない。本稿では、第1にアレヴィーの「スンニー化」をめぐる先行研究が、儀礼実践の変化という側面にのみ注目してスンニー化と述べていることを明らかにする(第II章)。第2に、西部アナトリア・キュタフヤ県のアレヴィー集落を事例として取り上げ、そこでの聞き取り調査や儀礼観察の結果、彼/彼女らが自らをアレヴィーとして自己規定する根拠として、オジャクという帰属概念が重要な役割を果たしていることを明らかにする(第III章)。第3に、デデと呼ばれる宗教権威や人々が「固有のアレヴィー性」を主張する際に影響を与えているのが、スンナ派系のイスラーム主義運動やアレヴィー系知識人の作り出した言説にあることを示し(第IV章)、これまで研究者の側が無意識であれ、そうした言説に左右されている可能性があることを指摘して、これまでの先行研究において「スンニー化」として記述されてきた現象が、実は儀礼実践の変化など、可視的な変化のみに着目して安易に論じていることを解明する。したがってこうした分析軸は、フィールドに暮らす人々の自己規定を必ずしも反映するものではなく、「スンニー化」の語を、とりわけ本稿で扱うアレヴィー社会の社会変化に適応することは不適切である。人類学者が社会変化を扱う場合は、社会変化の可視的な部分だけでなく、人々の自己規定など、複数の要素から深く検討して記述する必要があることを、本稿で提起する。
著者
川本 崇雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.57-74, 1976-06-30 (Released:2018-03-27)

This is one of the attempts to present lexical evidence relating Japanese to the Austronesian languages. Most of the Old Japanese (OJp.) kinship terms are, according to the author, derivative from or cognate with Proto-Austronesian (PAN) or its branches Proto-Indonesian (PIN), Proto-Eastern-Oceanic (PEO), and Proto-Polynesian (PPN), as follows : 1.1. OJp. titi, ti 'father, forefather' <*tu-i (*i=suffix forming the independent form of a noun) : PAN tuqa 'old ; father, forefather.' 1.2. OJp. fafa, fa 'mother' ; cf. ModJp. paipai 'mother's breast' : PAN bayi 'mother ; motherly. ' 2.1. OJp. omo 'mother,' the nasal form (n. f.) of OJp. ofo- 'grand-' : Malay (Ml.) empuan 'woman', probably : PAN e(m)pu 'grandmother, grandfather.' 2.2. OJp. ofodi 'grandfather' <*ofo-ti, ofoba 'grandmother' <dfolfa : PAN e (m)pu 'grandmother, grandfather.' 3.1. OJp. kaso 'father': Ml. ketua 'elder,' Maori katua 'full-grown, adult, of animals' : PAN ka- prefix, PAN tuqa 'old ; father.' 3.2. OJp. iro- 'maternal' ; cf. OJp. ira 'descent from a royal family' : the Banks Island languages iro 'personal article feminine,' ira 'personal article plural.' 4.1. ModJp, toto 'father' <*tu (reduplicated) : PAN tuqa 'father.' 4.2. ModJp. kaka 'mother': PAN kaka 'elder sister.' Cf. Fiji (Fi.) tua-ha 'elder brother, elder sister': PAN tuqa-kaka. 5.1. OJp. oya 'parent' <*oyo-a (-a=noun-forming suf.) <*moηtua : Ml. me-nua-kan 'let s. t. grow older, riper' <*meη-tua-han (*meη-=verbalizing pref., *.-kan transitive suf.) 5.2. OJp. ko 'child, son, ago 'dear child, dearest,': PAN a (η)ken 'mine' ; cf. Dayak aken 'nephew, niece.' 5.3. OJp. mago 'grandchild' : PAN makempu 'grandchild.' 6.1' OJp. mama 'step-', n. f. of *fafaru : PIN balu 'step-.' 6.2. OJp. mama 'foster mother', ModJp. child 1. mama 'food' : PAN mamaq: PPN mama 'food which, after being chewed, is to be fed to a baby.' 7.1. OJp. ani 'elder brother' : PAN Rani 'manly.' 7.2. OJp. ane 'elder sister' <*anne <*manne <*mamine, n. f. of *fafi,ee : PlN babi 'womanly,' PAN binay 'woman' : PPN fafine 'woman.' 8.1. OJp. ye 'elder brother of a man, elder sister of a woman' <*yd <*ntua : Ml. tua 'elder of the two' : PEO tuaka 'elder brother of a man, elder sister of a woman.' 8.2. OJp. oto 'younger brother of a man, younger sister of a woman' <*uto by vowel alternation (v. a.) <*uta : PAN uda 'young' ; Ml. muda 'younger of the two' <m-uda. 9. 1. OJp. se 'brother of a woman, husband' <*so : PAN tuqa : PEO tua 'father, man.' Cf. OJp. se, so 'the back ; remoter side' : PEO tua 'the back ; remoter side.' 9.2. OJp. imo 'sister of a man ; wife,' n. f. of *ifo : PAN ibu 'mother.' 10. OJp. tuma 'spouse' : PAN teman 'companion' 11.1. OJp. wo 'man, husband' <*mpu : PAN pu 'gentleman' 11.2. OJp. me 'woman, wife' <?*mi, n. f. *fi : PAN binay 'woman' 12.1. OJp. wotoko 'man, husband,' woto <*mputo 'young, marriageable,' v. a. of *mputa ; -ko 'man' : PAN buza 'young, marriageable, 12.2. OJp. wonna, womina 'girl' <mpomina : PPN fafine 'woman' 13.1. OJp. tozi 'mistress' <*tunsi: PAN tu(n) zuk : PPN tusi 'to bewitch s. o. by pointing at him ; sorcery, priest' 13.2. OJp. nusi 'master, minister,' n. f. of *tusi : PAN tu (n)zuk : PPN(View PDF for the rest of the abstract.)
著者
新本 万里子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第47回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.1, 2013 (Released:2013-05-27)

生理用品(ナプキンなど西洋起源の経血処置の道具)の受容による月経のケガレ観の変容を、パプアニューギニア・アベラム社会を事例に明らかにすることを目的とする。月経小屋があった当時、作物の栽培に危険な月経中の女性は可視化されていた。生理用品の受容によって、月経は、女性個人のものとなった。月経が作物の栽培に危険なものであるという感覚が希薄化し、当該社会の月経のケガレ観は変容していると考えられる。
著者
李 婧
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第57回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.A14, 2023 (Released:2023-06-19)

コロナ禍において人々の行動が制限されるため、地域行事の開催も政策などを通じて制限されている。その一方で、人々はこの危機に際してレジリエンスを発揮して柔軟に対応している。本発表で取り上げる東京都王子の「狐の行列」という地域行事はその一例である。本発表の目的は、コロナ禍における「狐の行列」をめぐる新たな取り組みに焦点を当てながら、地域行事がいかなるレジリエンスを発揮するのかを明らかにすることである。
著者
井上 瞳
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第57回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.B11, 2023 (Released:2023-06-19)

本発表では、性暴力被害にあった人びとへのグループ形式の聞き取り調査からえられたデータをもとに、医療のモデルから取りこぼされてきた当事者の「生活世界」を、医療人類学と現象学という二つの学問分野から領域横断的に考察するものである。具体的には、当事者によって生きられた性暴力の「その後の世界」に着目し、そこで性暴力にあった人びとがどのように周囲の他者との社会的な関係性を構築、応答しているかを明らかにする。
著者
大戸 朋子 吉田 悠 東條 直也 新井田 統
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第54回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.D10, 2020 (Released:2020-09-12)

本発表は、子育て期にある母親とKDDI総合研究所との共創プロジェクトを事例とし、母親にとってのサードプレイスとはどのような場所なのかを検討したものである。Oldenburgはサードプレイスを、社会的な立場や役割から解放された“私”に戻れる場所だと捉えているが、今回のプロトタイプでは、子育て期の母親にとってのサードプレイスとは、“母親としての私”が満たされる場所であることが明らかとなった。
著者
大村 敬一
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.1, pp.057-075, 2021-06-30 (Released:2021-09-23)
参考文献数
39

本稿の目的は、先住民の存在論の1つ、カナダ極北圏の先住狩猟採集民のイヌイトの存在論を近代の存在論と比較することで、多種多様な生命体がダイナミックにもつれ合う現実の宇宙という地平で多様な先住民の存在論と近代の存在論を対称的に理解することがどのような可能性を拓くのかを考えることである。そのために、本稿ではまず、イヌイトが実際の宇宙で実践している生業活動の現実にイヌイトの存在論と近代の存在論を位置づけて検討する。そして、そのどちらか一方が現実を正しく映し出し、他方が単なる空想の産物であるというわけではなく、どちらの存在論も、その真偽を直接に確認することはできないが、生業活動でイヌイトが実感している経験を妥当に説明しうるものであるという点で等価であることを確認する。そのうえで、そうであるにもかかわらず、イヌイトが近代の存在論ではなく、イヌイトの存在論を採択しているのは何故なのかを考えながら、この2つの存在論をイヌイトの生業システムに位置づけて比較し、これらの共通点と差異を析出する。最後に、この分析に基づいて、多様な先住民の存在論と近代の存在論を等しく位置づけ、多種多様な生命体がもつれ合う現実の宇宙のなかで存在論がどのようなメカニズムで機能しているかを探る局所的な関係論的生成論の視点が、人類学の未来にどのような展望を拓くのかについて考察する。
著者
浜本 満
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.360-373, 1997-12-30 (Released:2018-03-27)

人類学者は, さまざまな実践をまちまちな理由に基づいて「呪術」に分類しているように見える。呪術というカテゴリーがなんらかの統一された研究対象を規定しているとは考えないほうがよいのかもしれない。本論は, 行為とその結果の結び付きについての知識の特殊な性格が, その知識を前提とした慣行を「呪術的」に見せているような場合について検討する。ケニア海岸地方のドゥルマにおいては, 水甕を夫が動かすことが, 妻に死をもたらす行為であるとして禁じられている。ここでの, 水甕を動かすことと妻の死との因果的な結び付きについての知識を構成している諸要素の関係を明らかにすることが本論の具体的な課題である。この知識の内部では, 妻と彼女が所属する屋敷との関係についての「隠喩的」な語り口の内部での必然性と, 水甕を動かすことと土器の壷をめぐるさまざまな慣行とのあいだの相対的有縁性が, 恣意的な規約性によって結び付いている。この種の規約性と因果性の配置は, 呪術と分類されがちな慣行が前提としている知識の特徴のーつである。従来の象徴論的な分析が, この配置についての誤認に基づいたものであることも示される。
著者
大戸 朋子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第52回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.180, 2018 (Released:2018-05-22)

本発表では、アカデミックな人類学的フィールド調査の訓練を受けた後、企業が運営している「研究所」(企業研究所)に雇用されているエスノグラファである発表者(大戸)を通して、日本国内の研究所で行われているビジネスエスノグラフィの実践が、企業組織文化との絶えざる交渉の結果として、また、文化人類学的エスノグラフィを企業組織に導入・適合させようとする諸実践の産物として流動的に形成され続けていることを明らかにする。さらに、ビジネスエスノグラフィが、伝統的なエスノグラフィの型をなぞるだけではなく、新技術(360度カメラやVRゴーグルなど)の導入や使用検討を行うなど、新たなエスノグラフィの試みを積極的・実験的に行っていることをなどについて、具体的な事例を提示する。
著者
岸上 伸啓
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.70, no.4, pp.505-527, 2006-03-31 (Released:2017-09-25)

本稿では、カナダ国モントリオールの都市イヌイットをめぐる私自身の人類学的な調査を検討することによって、人類学的実践の限界と可能性を論じる。本稿で概略したように、私は1996年からモントリオールの都市イヌイットの中で人類学的な調査を実施してきた。そして1997年調査の結果は、モントリオール在住の何人かのイヌイットがモントリオール・イヌイット協会や月例夕食会を開始する契機となった。人類学者として私は都市イヌイットの民族誌を作成しようとした。また、同時にモントリオール・イヌイット協会のボランティアの協力者として協会に関係する問題に関して都市イヌイットの間や、彼らとカナダ政府の役人との間で仲介者の役割を果たしてきた。さらに、協会の代表者たちやカナダ政府の役人たちは、彼ら自身の目的のために私のデータや調査結果を利用している。前者の人たちは、カナダ政府からよりよい経済的な援助を受けようとして私の調査データを利用している。後者の人たちはオタワで政策を立案するために都市イヌイットの現状をよりよく理解するためにデータを利用している。このような状況の中で、私は人類学的実践や人類学者の役割を再考せざるを得なかった。とくに私は私自身の調査が多くの人々の生活に影響を及ぼすことを知ったので、人類学的な調査を行なう時には、倫理的な問題とかかわらざるを得ない。私は、文化人類学の目的とは現地調査において当事者と外部の両方の視点から、ほかの諸民族や諸社会とのかかわりの中で所与の人々が産み出す実践や言説、社会・文化現象を理解し、記述することであると考えている。この論文で示したように、人類学者は、主流社会に属する人々が無視する傾向があった人々の生活や文化を描き出すことができる。これは人類学の学術的な意義のひとつである。さらに、そのような調査の結果は、不遇な境遇にある人々の生活を改善させるための社会運動や政策形成に応用することができるので、人類学者は実践的なやり方で人類の諸問題の解決に大いに貢献することができる。概して現代の人類学は、目的に応じて民族誌の作成と応用人類学に大きく分けられる傾向にあるが、実際には両者の実践は相互に関係している。すなわち、長期の現地調査に基づいた研究は、現代の世界における数多くの多様な問題の解決に応用することができる。近年、「行動人類学」や「公共人類学」が人類学者の間で注目されてきた。本論文で私自身のモントリオール調査の事例で紹介したように、人々の生活に影響を及ぼす人類学的な実践の正当性の問題や集団内に派閥を作り出したような多くの倫理的な問題が付きまとう。これらの問題を避けることは不可能であるが、すべての人類学的実践を人類学者自身が自省しつつ行なうこと、そしてその人類学者以外の人がその実践を評価・批判し、常に相対化することによって、状況は改善されるであろうと私は主張する。最後に、民族誌的な表象における「文化を書く」ショックの問題を取り上げたい。ほかの諸民族や諸文化を研究し、記述する時に、新しい民族誌の描き方を開発するだけでは文化を記述する諸問題を解決することはできない。なぜならば、その間題は部分的には調査者とかれらのインフォーマントとの間にある世界システムが生み出す政治経済的な権力関係の不平等性に基づいているからである。しかしながらこの間題を部分的にせよ解決するもしくは改善させるためには、私は、個々の書き手(人類学者)、共著者(人類学者とインフォーマント)、インフォーマントおよび彼らと同じ集団のほかの成員、そのほかの読者(民族誌の消費者)が参加し、表象を検討しあうフォーラムの場をつくり、評価・批判しあう方が、新たな人類学的な知識、さらには新たな民族誌表象を生み出す可能性があるという点ではるかに実り多いと主張したい。民族誌に関するこの種のフォーラムでは、個々の民族誌の文化表象や集団表象の諸問題を完全には解決することはできないが、新しい人類学的な知識を生み出す刺激を提供することができる。
著者
関根 久雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.72, no.3, pp.361-382, 2007-12-31 (Released:2017-08-21)
被引用文献数
10

本稿は、NGO関係者など開発援助の実務に携わる人々と人類学者との相互関係のあり方を「対話」と「協働」の視点から捉え、フィールドにおける人類学者の応用的実践スタイルを提示することを目的とする。1980年代以降の開発援助は、地域住民や女性などの社会的弱者をエンパワーすることに目配りする社会開発が強調されるようになった。とりわけ「住民参加」の理念が重視され、PRAはその代表的な調査法として知られる。参加型開発において、現地の文化的側面に対する配慮は、理念的に自明である。しかしそこで必要とされる「現地の文化」に関する知識や洞察は、適度な情報量とその提示方法によってもたらされるものであり、決して人類学者の書く「厚い」民族誌でもレトリカルな表現を駆使した論考というわけではない。開発援助の実務者たちは、人類学者による社会や文化に関わる情報や助言よりも、支援活動に直接関係する実用的な技術や専門知識を求める。むしろ彼らは、人類学者に対しては、そのような専門家に対する技術的期待とは異なり、現地の社会や人々について語り合う「対話者」(あるいはディスカッサント)としての役割を期待する。本稿では、人類学者がフィールドワークを通して開発援助の文脈に関わることについて、地域住民の視点に寄り添い、社会文化的視点からの解釈を交えながらそのプロセスに参与することを前提に、状況に応じて多様な形態・形式のもとで生み出される人類学者と「現地の人々」との対話やそれに基づく媒介者的・エイジェント的実働(「つなぐ」行為)との連続性を重視する創発的協働を、基本的な実践スタイルとして提示する。そしてさらに、その協働を実体化させるために、従来人類学者から疎遠であった開発援助業界で「常識化」している事柄にも親和性を維持し開発援助の文脈における発話機会を戦略的に確保する必要について指摘することを通じて、開発援助に関わる人々(「現地の人々」を含む)と人類学者との「意味のある」協働の可能性について考察する。

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著者
相田 豊
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.87, no.3, pp.407-420, 2022-12-31 (Released:2023-04-21)
参考文献数
109

Taking its cue from the articles in this special issue, this introduction explores what value the debates over the "post-relation" might have for Japanese anthropology and its studies on music. It argues that in these two decades after 2000, Japanese anthropology has valued and quite frequently overvalued the social power the relation may have, influenced by the precarious social situation of Japanese society, which has experienced a drastic post-industrialization shift. Especially focused on the studies on music, which has had a significantly active role in those relation-focused debates, it demonstrates how mainstream Japanese anthropological debates have been dependent on and reproduced its relational thinking. Hence, it maintains the necessity of the revaluation of solitude or being alone as an ethnographic concept, overlooked and even ignored although sometimes found in people's actual lives. This introduction is not intended to provide any theoretical definition for "solitude." Instead, it reviews the three original strategies and techniques—the institutionalization of the relation, self-enjoyment, and in-relation analysis—that the articles of the special issue used to expose their ethnographic details.