著者
師田 史子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.86, no.3, pp.365-383, 2021-12-31 (Released:2022-04-14)
参考文献数
31

本稿では、フィリピンの数字くじを事例に、賭けの実践と結果の解釈についての検討を通じて、賭けに繰り返し没頭する人びとによって遊戯の世界がいかに想像·構築されているのかを考察する。遊び理論の中で、単調で純粋な偶然性の遊びである数字くじは遊戯者の自律的関与が及ばない「つまらない」遊びに分類されるが、事例においては「面白い」遊戯として遊び変えられている。愛好家たちは、抽せん数字を予想するために日常世界のあらゆる存在や出来事から数字のサインを読み取る。また、賭けの結果は賭けた自己をとりまいていた過去を遡及的に参照することで理解される。こうした数字への賭けの反復は、無根拠な数字くじの遊戯の世界に恣意的な意味づけをし、賭ける自己と数字の間に関係性を想像しながら、偶然的事象を幸運の物語として認識する行為である。経験や知識は秩序づけられて未来の賭けに運用されるものの、数字くじの偶然性は絶対的に残存し続ける。この点において数字への賭けは、いまここにおいて幸運であるか否かという自己の現在的状況を確認する契機として機能する。幸運と戯れ、幸運を狩りたてることに、遊戯としての数字くじの面白さは醸成されている。
著者
福井 栄二郎
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第55回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.G16, 2021 (Released:2021-10-01)

近年の人格論はストラザーンのdividual/individualという議論をいかに乗り越えるかという点に焦点が当てられており、そのなかでバード=デイヴィッドらは「状況的人格」という概念を提起している。本発表はこれを手がかりに、ヴァヌアツ・アネイチュム島における死の場面の事例を考察し、ストラザーンの議論の限界を指摘する。そして状況的人格の特徴を「二人称的」であることとし、その学術的意義を再考する。
著者
西 真如
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第55回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.F00, 2021 (Released:2021-10-01)

私たちは、意図するかしないかに関わらず、日常生活においていつも誰かや何かを心配し、係り合いになってしまっている。本分科会では、ケアフェミニズムおよび関連する人類学の近年の議論を参照するとともに、ケアの実践における非人間(non-human)の役割を探求する。またそのことを通して、他者との具体的な関係性に立脚した民族誌研究の地平をおしひろげるとともに、関係論的な思考の限界についても検討する。
著者
今関 光雄
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.367-387, 2003-03-30 (Released:2018-03-27)

本稿は、「ファン・コミュニティ」の文化人類学的研究というテーマの下に、あるラジオ番組のリスナーたちの行っている「集い」を、フィールドワークによる調査研究に基づいて分析し、オーディエンス/ファン同士のコミュニケーションの重層性を明らかにするものである。リスナーが番組に「告知」を投書し、行う集会を「集い」と呼ぶ。実際に出会うことで友人関係を構築しようという試みである。そこでは、同じ番組に関する情報を持つ「比較可能で代替可能な者」同士の関係を、具体的な「個別性を持った顔のある誰か」同士の関係に変換していくという実践が見られる。これは、メディアを介して作られたファン・コミュニティにおけるコミュニケーションを情報交換のみの関係として語ってきた「おたく」論の一面性を批判するものである。また、オーディエンス研究において「受け手」の能動性を考える場合、受け手の行う「流用」がよく議論される。ここで明らかになるのは、その「流用」がメディア上だけで、すなわち顔の見えない「サイバースペース」だけでなされるのとは違って、「個別性を持った顔のある誰か」との繋がりにおいてなされることが重要であるということである。本稿は、そのような顔の見えない「サイバースペース」における繋がりを「個別性を持った顔のある誰か」との繋がりに変換し、コミュニケーションの重層性を創りだしていることに注目する重要性を明らかにする。それらの実践がメディアによる人びとの分断や抽象空間としての「国民文化」への回収に抵抗する「流用」であるということを示唆する。
著者
加藤 恵津子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.202-220, 2006-09-30 (Released:2017-08-28)

本稿では、ポストコロニアル研究隆盛のさなかで「日本人によるネイティヴ人類学」は何をするべきか、またその仕事にはどのような困難が伴うかを論じる。「日本人によるネイティヴ人類学」とは、日本人の人類学徒による自文化研究すべてを指すものではない。それは「ネイティヴ」という語の前提にある欧米中心的ヘゲモニーを、意識し批判することを必然的に含む。「日本人によるネイティヴ人類学」の主要な仕事は、自文化について日本語と欧米言語の両方で書くこと、そして欧米人類学による日本/人の表象に批判を加えることである。だがこれらの作業には、二つの異なる言語・読者の間で、記述内容や書き手の立場が不安定にならざるを得ないという困難や、巨大なヘゲモニーの中で自分の声を聞かせることの困難がつきまとう。これらについて、筆者の日英語での出版経験や、英語圏の研究者に向けた「異議申し立て」の学会発表の経験をもとに考察する。

1 0 0 0 OA 山と通婚圏

著者
瀬川 清子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.32, no.4, pp.270-278, 1968-03-31 (Released:2018-03-27)

The purpose of this article is to investigate changes in the intermarriage spheres of the inhabitants of four villages of hilly districts, throughout the past hundred years or so, with relation to the expansion of the spheres of their village life. In addition to this the writer tries to trace the tradition of old marriage customs in those villages, such as the institution of common houses for young men and women and an old form of marriage in which the husband nightly visits the wife dwelling in her parents home.
著者
広瀬 鎮
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.133-159, 1979-09-30 (Released:2018-03-27)

In 1978 in Hikari City Hall, Yamaguchi prefecture, the author delivered a lecture on "Japanese Monkeys and the Japanese People : the History of the Feeling of the Japanese to the Monkey." From this time members of the Sarumawashi no Kai (The Group of Monkey Trainers for the Restoration of Traditional Performances of Monkeys) and the author began a survey of the environment and actual lives of monkey trainers as well as the accompanying lore of the traditional monkey training techniques in Yamaguchi, along the Shimada and Nishiki rivers to their upper basins. Throughout the long history of Japan there has existed a special feeling for the Japanese monkey and the traditional Monkey Performances. Once the monkey was regarded with fear as a sacred animal or as a motif for god, but gradually in the development of Japanese society, the feeling changed. In modern Japan, year by year the traditional monkey lore is vanishing along with the opportunities for Monkey Performances. The author recognizes the fact that in the fields of natural science, ethnology and folklore there is intense interest in the relationship between man and non-human primates. Since ancient times the Japanese attitude toward the Japanese monkey has altered. The Monkey Performances were included events after the feeling of fear of the monkey was conquered. A study of the depth of feeling for the monkey in Japanese culture and the psychological evaluation of monkey lore appeared in Mayazaru Shinko, referring to the belief of the stable with monkey and horse, which had some historical influence in early times. The actual characteristics of Monkey Performances in the religious dances, objects of worship and in documents were arrived at through textual information and successive folklore in Japanese culture. From the medieval period of Japanese history the characteristics and value of the peculiar Monkey Performances gained a reputation in many fields and were respected by the people of Japan. Next, the author dealt with the traditional successive transmission of Monkey Performances, and through a questionnaire of those who appreciated the Monkey Performances in their youth, mentioned the keen observations of those of the Meiji, Taisho and Showa eras. In 1977 the Suwo Sarumawashi no Kai was organized and started the training of monkeys to maintain the Monkey Performances and the members shared the knowledge of training techniques. An analysis was made between the acquired knowledge of the old trainers and their successors, so that the methods of tradittonal training and the understanding of the behavior of monkeys by the old trainers is now known. The consciousness and feeling of the people toward monkeys, and the way the monkey lore has developed in Japan are analyzed, and some comparable feelings toward monkeys could be seen between the trainers and appreciators of monkeys. There is considerable regional variation in the attitude toward monkeys and in different age groups. Since training of the monkeys to stand up had already been started by contemporary trainers of Monkey Performances, it was possible to discuss the methods and to observe the reaction of the people present as the group performed all over the country. The special techniques and the concepts are the result of long experience.
著者
藏本 龍介
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.730-749, 2021 (Released:2021-07-06)
参考文献数
50

インド系宗教の贈与はいかなる社会を想像/創造するか。この問題について本論文では、ミャンマーのダバワ(Thabarwa)瞑想センターを事例として検討する。それによって、「善行」という仏教的規範に基づく贈与がいかなる組織を形づくっているかを明らかにすると同時に、宗教的規範と組織が相互構成的な関係にあることを示す。ダバワ瞑想センターは、あらゆる人々に善行の機会を提供し、その善果として真理を会得させ、救いを促すために設立された。つまりこのセンターの根幹にあるのは「善行」概念である。本論文では第1に、「善行」概念が、長老を中心とした再分配システムの形成、センターの社会福祉センター化、ヒト・モノ・カネの異種混交的な集積、組織構造の自生的発展(生成変化と動かしにくさ)といった組織の創造をいかにもたらしているかを分析する。第2に、こうした組織の創造の中で、「善行」概念自体にも「誰でもいつでも受け入れる」、「実践共同体」、「反管理」といった新たな意味が付け加わっていくことを示す。それはその都度、センターの理想のあり方を想像するという作業でもある。その結果、センターにおける「善行」概念は、センターという組織のあり方と不可分なものとなっている。このように組織の(再)創造は、「善行」概念の探求(組織の(再)想像)と表裏一体の関係にある。
著者
黄 蘊
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第52回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.141, 2018 (Released:2018-05-22)

本報告は、マレーシアとシンガポールの上座仏教徒たちのインド仏教聖地巡礼について、その背景、意義、その行為に隠されている意味について分析することを目的とする。本報告は、マレーシアとシンガポールの上座仏教徒はどういう目的、何をめざしてインドの仏教聖地に赴いているのかを考察し、またそこからこの両国における上座仏教はどのような過程を経て自己完成に向かっているもしくは向かおうとしているのかを明らかにしていきたい。
著者
根本 達
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.3, pp.345-366, 2013-12-31 (Released:2017-04-03)
被引用文献数
1

本論では後期近代の特徴が見られるインドの中間集団として、宗教社会運動の中で再創出されてきたナーグプル市の仏教徒(「不可触民」)集団を取り上げ、ヒンドゥー教から仏教への改宗運動に取り組む仏教徒活動家と、宗教を分断する活動家の働きかけを受けつつも宗教間の境界に立ち続ける「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」の視点に着目する。仏教徒たちは指導者アンベードカルの教えを基盤とする仏教徒共同体を創出している一方、生活世界から立ち上がる「親族」関係の網の目の中にもそれぞれの居場所を持っている。前者は「国民的同一性」の論理に依拠する閉鎖的で排他的な共同体であり、国際社会を宗教によって切断・分類するものである。そこでは「エンジニア」のやり方を基礎とする「分ける者」の連帯が構築されている。後者は「関係性による同一性」の論理に依拠し、水平的に拡張する対面関係の網の目であり、それぞれが家族的な愛情によって繋がっている。現在のナーグプル市では仏教への改宗運動における取り組みを通じて、排他的共同体と対面関係の網の目が対立しており、「過激派」を含め、仏教徒たちは「差別に抗する団結か、家族的な愛情か」という二者択一の問いの前でジレンマに直面している。このような中、「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」と呼ばれる仏教徒青年たちは抗議デモと日常的な喧嘩の間に類似性を見出し、排他的共同体と対面関係の網の目を繋ぎ合わせ、「団結か、愛情か」という二者択一のジレンマを乗り越えている。そこでは「ブリコルール」のやり方を基礎とする「繋ぐ者」の連帯が構築されている。不確実性を特徴とする後期近代において、「分ける者」の連帯の形成が排他的共同体間の対立に繋がるものである一方、「繋ぐ者」の連帯には別々の共同体に属する自己と他者が別の経路を通じて同一の連帯に参加する可能性が常に残されており、自己と他者の交渉の場が開いたままになっている。
著者
荒木 健哉
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.1, pp.095-112, 2018 (Released:2019-02-24)
参考文献数
32

本稿はナイジェリアのラゴス州において、数字宝くじを購入する人々が宝くじの購入(消費)を余暇活動や娯楽ではなく、他の生計活動とは異なる独自の労働や仕事とみなす論理を、宝くじの当せん番号の予想をめぐる実践に着目して明らかにすることを目的とする。ギャンブルを対象とした人類学的研究では、不確実性の高い状況下において人々は生活のあらゆる側面を経済活動の領域に位置づけることが指摘されてきた。ナイジェリアにおいても宝くじを購入する人々は、生計多様化戦略の1つに宝くじの購入を位置づけている。しかし、その他の生計活動と宝くじでは、前者における不確実性が社会関係に起因しがちなのに対し、後者は最小限の人為性しか介入せず、ある種の公正さを伴う純粋なチャンスのゲームであることが異なっていた。他方で興味ぶかいことに、宝くじの購入者たちは、宝くじの幸運は受動的に降りかかってくるものではなく、一定の技術により主体的に獲得できるものだとみなしていた。本稿では、この予想をめぐる実践を検討し、彼らが予想の技術を何らかの認識論的な枠組みにおいて解釈せず、ただ<存在する>とみなすことを通じて希望を創造/贈与することを論じる。そこから宝くじの消費実践を生計実践=仕事に埋め込む論理を探る。
著者
鈴木 和歌奈
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第50回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.H08, 2016 (Released:2016-04-23)

本発表は、幹細胞を使った再生医療プロジェクトにおける多様な時間性に焦点をあて、アクターネットワーク理論で見過ごされて来た時間やリズム、ケアについて考察することを目指す。細胞の時間、社会的な時間、病気の時間などにどのようにプロジェクトが関わっているかについて「先取りの作業(Clarke forthcoming)」の概念をもとに、分析を行う。
著者
山崎 幸治
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第55回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.A16, 2021 (Released:2021-10-01)

本発表では、ウィーン世界博物館に所蔵されているハインリッヒ・フォン・シーボルト(1852-1908)のアイヌ・コレクション(約80点)について報告する。発表では、彼のアイヌ・コレクションの特徴と、その特徴を形づくった要因について検討するとともに、彼の北海道調査の旅程の一部を共にしたり、道中で出会ったりした2人の外国人による記述を読み合わせることから見えてくる1878年当時の状況についても検討する。
著者
木村 周平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.347-367, 2006-12-31 (Released:2017-08-28)

災害の人類学は従来、洪水などの周期的な災害に対する、その地域の災害観や伝統的な対応(「災害文化」)、地震や産業災害など突発的に起きる災害の復興過程のエスノグラフィ、あるいは災害の被害拡大の社会的(歴史的・文化的)要因に着目しながらの持続的開発にかかわる応用実践などを中心的に扱ってきた。中でもこの「災害の社会的要因」の研究は、1990年代の「国際防災の10年(IDNDR)」以降、広い分野で注目を集め、「社会的要因」は「コミュニティ(あるいはそのサブカテゴリー)の脆弱性(vulnerability)」という概念として定式化され広く普及しているが、その枠組みには検討すべき点も残る。本論文は筆者が2004-5年に行った調査に基づき、過去の災害と将来の災害の間にあるイスタンプルのあるコミュニティを事例に議論を進める。地震学の蓄積はイスタンプルで近い将来大きな地震が起きる可能性がきわめて高いことを明らかにしているが、本論文ではそのコミュニティにおいて、災害という問題がどのように認識され、またそこで暮らす人々がどのような対応を取り、それがどのように状況を変化させているのか(あるいはさせていないのか)を分析する。
著者
梶丸 岳
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.469-480, 2018 (Released:2019-05-12)
参考文献数
93
被引用文献数
1

Ong's seminal book Orality and Literacy has deeply influenced cultural anthropology and other cultural studies in Japan, though some of the works citing his book did not place such a high value on the academic context and the severe criticism on his and his colleagues' works. This review introduces the context of Orality and Literacy, the development of a research field called "New Literacy Studies," and suggests a vision for future orality studies. From the outset, research on orality and literacy has been an interdisciplinary topic. Parry and Lord were two of the earliest scholars who noticed a distinct linguistic style in oral tradition. Influenced by their research, Havelock argued that there was a great transition from oral to literate culture in ancient Greece during the time of Plato, whose theory of ideas, he said, was the outcome of 'literate culture.' While that research focused on Western culture, Goody expanded its focus to "primitive" non-literate cultures, insisting on the contrastive nature between orality and literacy. A similar discussion was also seen in research on intercultural comparative psychology by Greenfield and Olson. Of course, McLuhan's media study also exerted a prevailing influence on the topic. Ong's Orality and Literacy can be seen as one of the clearest summaries of the various works on orality and literacy, with some vision to further studies of electronic media. (View PDF for the rest of the abstract.)
著者
松本 信廣
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.99-108, 1948 (Released:2018-03-27)

Of the southern languages which have to some extent been incorporated within Japanese, Mon-Khmer ranks first and Malayo-Polynesian ranks second in the number of words which have influenced the Japanese language. This influence involves many important nouns for all parts of the human body, human relations, heavenly bodies, climate, as well as verbs, adjectives, etc. Moreover, a close morphological relationship can be seen. The prefix plays an important part in the Mon-Khmer and Malayo-Polynesian language groups. Characteristically, causative verbs are formed by the addition of the pa type of prefix. The same usage of p can be found in old Japanese, where the addition of p forms words or causative and emphatic character. Other prefixes, such as ma, which has an honorific meaning in Mon-Khmer, ka, ta, sa, and ya, are common to both languages. This use of the prefixes, which is never found in the old Ural-Altaic languages, has been inherited by Japanese from the southern languages. This is important to bear in mind in studying the origins of the Japanese language.