著者
深川 宏樹
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.92-92, 2011

本発表では、ニューギニア高地エンガ州における呪いの事例から、軋轢の解消と身体の社会的構築の関係について論じる。エンガ州では、ある人が軋轢を理由に他人に悪意を抱いて死ぬと、それが呪いとなって相手を重病におとしいれる。人は重い病にかかると、故人との軋轢を想起し、故人の息子との仲裁で軋轢の解消を試みる。この事例から本発表では、個人の身体の変調や死が、軋轢の解消を導く社会的過程の要となっていることを論じる。
著者
嶺崎 寛子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.204-224, 2013-09-30
被引用文献数
1

本稿は、宗教を淵源とするディアスポラ・アイデンティティの構築とその次世代再生産にかかる日常実践を、在日アフマディーヤ・ムスリムを事例として描く。アイデンティティの構築性を前提として、それが構築されるということを、行為主体としての個人だけでなく、個人が帰属する共同体、さらには社会的背景をも視野に入れつつ、民族誌的文脈のなかから捉え返そうとする試みであるともいえる。その際には、グローバル化や越境、国家との関係、言葉、ジェンダーに特に注目する。アフマディーヤは19世紀末、英領インドのパンジャーブ州に興ったイスラーム系の新宗教である。インド・パキスタン分離独立の際本部をパキスタンに移し、その後さらにパキスタン政府からの迫害により本部をイギリスに移転、現在に至る。信徒数は公称数千万、現在はパキスタンよりも欧米や西アフリカで勢力を伸ばしている。極端な平和主義と教団の高度な組織化、カリフ制の採用などに教団の特徴がある。本稿ではアフマディーヤ信徒たちを、国家の外縁に確信的に逃れながら、居場所とアイデンティティ保持のために平和的に交渉する多様な主体として位置づける。そして信徒らがどのようにアイデンティティを保持し、その世代間継承につとめているか、国家との関係や距離感、ホスト社会の内部での立ち位置の取り方などを具体的に検討する。それによって、ディアスポラにとってのアイデンティティや「いま、ここ」が持つ多様な帰属のあり方の意味と可能性、そして限界を明らかにしたい。なお本稿は2012年5月から現在に至るまで継続的に主に愛知県で行ったフィールド調査で得たデータに基づく。
著者
宮西 香穂里
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.3, pp.332-353, 2008-12-31

日本人妻をはじめ、米軍男性と結婚した外国人軍人妻は、概して受動的な存在として記述されてきた。彼女たちは、軍隊の理解が欠如し、さらには米国の文化、慣習や言語の障害をも抱える、無力で従属的な立場に置かれている女性であった。本稿では、およそ1年間の調査に基づき、横須賀米海軍基地における日本人妻の結婚と家族生活に着目し、日本人妻がけっして受動的なかたちで日々の生活に追われているわけではないことを明らかにする。すなわち、先行研究における外国人軍人妻描写に認められるステレオタイプを是正し、彼女たちの多様な生き方に迫る。同時に、従来われわれの眼にふれることの少ない日本人妻の民族誌を描くことを試み、軍人との結婚生活に大きく関わる軍隊の組織や軍人の生活や文化について記述し、その理解を目指す。日本人妻は、米国社会からも、軍隊生活からも、さらには日本社会からも「よそもの」扱いされ、周縁的であることを考慮すると三重に(トリプル)アウトサイダーである。日本人妻は、夫の階級が異なる妻同士の交際の制限や夫のエスニシティに関する問題に直面し悩み苦しんでいた。一方で、軍人妻として夫や夫の所属する部隊の妻たちの先頭に立って生きる日本人妻もいた。またアメリカで夫の家族や親族との衝突や日本社会からの差別に苦しむ妻もいた。彼女たちは、先行研究で描写されているような無力で受動的な存在ではない。日本人妻は、積極的な適応や抵抗ではないが、結婚生活の中で見られるさまざまな困難についで悩み、苦しんでいる。彼女たちの悩み、苦しむという姿は、無力で受動的であることを必ずしも意味しない。本稿では、悩み、苦しむということもまた妻たちの能動的な態度であるという認識が、妻たちを無力で受動的とみなす視点を克服する第一歩であることを指摘した。
著者
島田 将喜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.386-405, 2015-12-31

インタラクションの結果、ある動物Aが相手の動物Bを死亡させてしまうことがある。死亡させた側の行動に肉食や防御といった社会生物学的利益が明白に見いだされる場合には、殺しの因果プロセスモデルを適用できるため、その現象を動詞「殺す」を用いて「AがBを殺す」と記述できる。しかし野生チンパンジーと他動物との間の「狩猟」や遊びのインタラクションにおいては、結果として相手の動物が死亡する場合でも、チンパンジーの行動に明確な殺意や相手を殺す動機を認めることのできない事例が多く観察される。チンパンジーにとって他動物とのインタラクションは相手の動物からアニマシーを最大限引き出すこと自体やインタラクションの持続自体に動機づけられた感情的な実践である。チンパンジーの他動物に対する「狩猟」はアニマシーを有する対象と対峙し、互いに相手の動きを読みあうといった高度な駆け引きを要するゲームであり、インタラクションの持続自体に動機づけられていると考えられる。ヒトの殺しは動機、殺意ともに多義的であるといわれるが、仮にチンパンジーと他動物のこうしたインタラクションを、「チンパンジーが他動物を殺す」と記述することを許容するならば、その含意はヒトと同じく多義的でありうる。
著者
島田 将喜
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.386-405, 2015

インタラクションの結果、ある動物Aが相手の動物Bを死亡させてしまうことがある。死亡させた側の行動に肉食や防御といった社会生物学的利益が明白に見いだされる場合には、殺しの因果プロセスモデルを適用できるため、その現象を動詞「殺す」を用いて「AがBを殺す」と記述できる。しかし野生チンパンジーと他動物との間の「狩猟」や遊びのインタラクションにおいては、結果として相手の動物が死亡する場合でも、チンパンジーの行動に明確な殺意や相手を殺す動機を認めることのできない事例が多く観察される。チンパンジーにとって他動物とのインタラクションは相手の動物からアニマシーを最大限引き出すこと自体やインタラクションの持続自体に動機づけられた感情的な実践である。チンパンジーの他動物に対する「狩猟」はアニマシーを有する対象と対峙し、互いに相手の動きを読みあうといった高度な駆け引きを要するゲームであり、インタラクションの持続自体に動機づけられていると考えられる。ヒトの殺しは動機、殺意ともに多義的であるといわれるが、仮にチンパンジーと他動物のこうしたインタラクションを、「チンパンジーが他動物を殺す」と記述することを許容するならば、その含意はヒトと同じく多義的でありうる。
著者
木村 忠正
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.76-76, 2009

本報告では、まず、地域SNSをコミュニティネットワークの文脈に定位し、社会関係資本と情報ネットワークとの関係という観点から分析を行う。さらに、今後の研究発展に向け、数理社会学的社会的ネットワーク分析(SNA:social network analysis)ではなく、John Barnes、Clyde Mitchellら、文化的意味、質的分析を含みこんだマンチェスター派の研究を改めて検討する。
著者
木村 周平
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.71, no.3, pp.347-367, 2006-12-31

災害の人類学は従来、洪水などの周期的な災害に対する、その地域の災害観や伝統的な対応(「災害文化」)、地震や産業災害など突発的に起きる災害の復興過程のエスノグラフィ、あるいは災害の被害拡大の社会的(歴史的・文化的)要因に着目しながらの持続的開発にかかわる応用実践などを中心的に扱ってきた。中でもこの「災害の社会的要因」の研究は、1990年代の「国際防災の10年(IDNDR)」以降、広い分野で注目を集め、「社会的要因」は「コミュニティ(あるいはそのサブカテゴリー)の脆弱性(vulnerability)」という概念として定式化され広く普及しているが、その枠組みには検討すべき点も残る。本論文は筆者が2004-5年に行った調査に基づき、過去の災害と将来の災害の間にあるイスタンプルのあるコミュニティを事例に議論を進める。地震学の蓄積はイスタンプルで近い将来大きな地震が起きる可能性がきわめて高いことを明らかにしているが、本論文ではそのコミュニティにおいて、災害という問題がどのように認識され、またそこで暮らす人々がどのような対応を取り、それがどのように状況を変化させているのか(あるいはさせていないのか)を分析する。
著者
岩谷 彩子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.441-458, 2009-12-31

本稿は、インドの移動民ヴァギリが想起し語る夢を事例として、日常的に変容を続ける自己の営みを探求する試みである。従来の人類学的な夢研究では、テクスト化された夢を当該社会の集合表象として分析する研究や、危機に陥った自己が新しい世界観や時間構造のもとで自己を語りなおし、社会のなかで再構造化される契機として夢をみなす研究が提出されてきた。これに対して本稿では、語りや解釈を逃れる夢のイメージの持続が反復的な夢の想起をうながしている状況に着目した。ヴァギリ社会には「神の夢を見たら儀礼をする」という言説があり、多くの夢は儀礼を契機に想起されている。しかし、夢は必ずしも安定的に想起され語られるわけではない。本稿では同一個人に時間をあけて同じ夢を語ってもらい、その語りの変容について考察した。そこで明らかになったのは、第一に、ヴァギリの夢に繰り返し立ち現れる内/外を行き来する運動イメージの重要性である。この運動のイメージが夢の解釈を握る重要な基点となっており、そこから夢を見る主体がおかれた状況の変化に応じるかたちで、夢に現れる身体感覚や表象のあり方に変化が見られた。第二に、夢の想起と語りは、常に自己をとりまく他者との関係に依存しているという点である。夢を反復想起して他者に語る過程で、類似したイメージの夢が異なる主体間で反復されていた。また、語りに夢のイメージを意味づける観点が導入されたり、語りそびれた部分が残ることで夢のイメージが保持されていた。このように他者との関係において夢として想起され語られた運動イメージと身体感覚の持続と消失が、その後の夢とその語りを自己にもたらしていた。自己は予測不可能な他者との出会いと想起の機会に依存し、語りつくせない夢のイメージに導かれている。本稿では、そのような自らにずれを生じ続ける自己を〈身体-自己〉として例証した。それは、自己がメタモルフォーシスする持続的な過程なのである。
著者
久保 明教
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.456-468, 2013-01-31

Recently, it has become increasingly difficult to employ "culture" as a comprehensive analytical concept in anthropology. Nevertheless, in the practices of people researched by anthropologists, culture has recently taken on increasing importance as a vital tool to categorize human groups and manage their relations, owing to the ongoing process of globalization. Because of that, the Japanese anthropologist Shoichiro Takezawa has insisted that we must maintain the academic concept of "culture." However, the increasing practical importance of culture does not necessarily connote its importance as an analytical concept. Rather, we need to investigate how the concept works in people's practices today, and whether culture as an academic concept works in their analysis. Also, if the concept of "culture" hardly ever works, we must explore a way to demolish it as a concept and reconstruct analytical methodology. In this paper, I investigate the practices of IT workers in Bangalore, South India, in order to examine how culture is practically utilized there, as well as to try to understand why the academic concept of culture does not work well in analyzing their practices. I also examine the kind of framework required to describe them appropriately. In Chapter 2, I point out that in the Indian IT industry, a vital element for economic success has been identified as the understanding and adoption of foreign (mainly Western) cultures in order to communicate more smoothly with foreign clients, co-workers and customers in the global and virtual workplaces that make up informational networks. In Chapter 3, I examine two ways used to explain the practices of Indian IT workers engaged in managing cultural differences: the narratives of "cross-cultural management" and "sanskritization." Then, I show how the practical concept of culture utilized in these narratives has dual qualities ("something to control and invisible" and "something controlled and visualized"), and demonstrate that the analytical concept of culture hardly ever works for analyzing existing situations in which the practical concept of culture is employed, because it also implicitly contains those dual qualities. In Chapter 4, I examine an event encountered during my field research in Bangalore to suggest that the daily practices of IT workers deeply depend on a heterogeneous "actor network" composed of human/ nonhuman entities from different regions, which cannot be sufficiently comprehended by employing the practical/analytical concept of culture. In Chapter 5, I try to configure an analytical framework sufficient to describe their practices appropriately, connecting the relational ontology proposed by the actor-network theory to a vital idea of anthropology, namely, "their perspective." Referring to Donna Haraway and Marilyn Strathern, I insist that the concept of "their perspective" is not an (inter) subjective viewpoint, but the effect of a recursive movement of the actor network to visualize itself. Finally, I suggest that Indian IT workers are penetrated by different ways of organizing and visualizing the actor network, which are equivalent to four spatialities proposed by the discussion of ANT topology, and that their perspective is being generated and transformed through mutual interferences among them.
著者
金関 丈夫
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.30, no.4, pp.274-276, 1966-03
著者
飯田 卓
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.69, no.1, pp.138-158, 2004-06-30

異文化表象に関するこれまでの議論では、完成した作品を取りあげることが多く、制作過程にまで考察が及ぼされることは少なかった。この結果、作家の意図と社会的制約の葛藤ないし妥協といった問題が軽視されたため、現実に即した実践論を提示しえていないという指摘がある。本稿では、マダガスカルの漁村生活に関する日本のテレビ・ドキュメンタリー番組を取りあげ、その制作状況までを含めて考察することで、現代日本の不特定多数者に向けた情報発信がいかなる現状にあるかを明らかにした。また、その現状をふまえつつ、メディア社会日本において人類学的実践に取り組むうえでの基本姿勢を再確認した。問題の番組は、取材でじゅうぶん確認できなかった情報を作品中で言及しただけでなく、それをことさら大きく取りあげて番組構成の柱とし、それに沿って登場人物の語りを操作的に翻訳していた。情報の鵜呑みは取材不足によるものだが、操作的翻訳は編集作業の問題である。編集段階でこうした誤りが生ずる背景としては、限られた経費と取材期間で不特定多数の視聴者の関心を喚起するという、テレビ番組制作における強い制約を指摘できる。テレビ制作者は「公益性の高い」作品づくりをめざした結果、現地の文脈に照らしつつ作品の妥当性を検証する作業を怠ったのである。メディアの受け手を意識した作品編集は、テレビ番組にかぎらず、民族誌の執筆においてもおこなわれている。人類学者もまた、メディアのもつ制約から自由ではないのである。しかし、調査地の文脈に意識的になれる点では、人類学者はテレビ制作者よりはるかに有利な立場にある。調査地と現代日本、両方の文化的脈絡をふまえ、質の高い情報発信をすれば、メディアが越境すると言われる時代においても、人類学者の役割が低下することはないだろう。
著者
谷 泰
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.96-113, 1999-06-30

ヤギ・ヒツジ群への人の管理的介入をやめて放置すると, 家畜としての行動特徴を失い, 野生種としての行動特徴を示すようになる。このことは, 家畜としての特徴が, 牧夫による日々, 季節ごと, 世代を通じて繰り返される技法介入によって再生産されており, 家畜を家畜たらしめた初期的介入も, 牧夫の介入のレパートリーの中に潜在的に隠されていることを暗示している。このような考えのもと, 筆者はかって, ヤギ・ヒツジの家畜としての行動特徴, 考古学的証拠, そして家畜として固有の行動特徴の獲得に関連すると考えられる技法的介入を相互参照することで, 中近東での家畜化の初期過程を再構成することを試みた。本論考では, この先行仮説において, 家畜化の初期過程ですでに適用されたと見なした二つの介入技法をとりあげ, 新たに知りえた家畜飼養に関する考古学的遺構事実を参照することで, その成立時期を確定し, その意味を論ずる。その技法とは, 1)キャンプ地での雌の密集状況下, 実母に接近できない新生子を抱えて母雌の脇腹に押し込む哺乳介助技法-個体レベルでの人との親和性の成立をもたらすだけでなく, 搾乳技法の開発にとっても基本的前提条件をなすもの。2)同じく雌の密集状況下で夜間成雌に踏みつぶされないため, 新生子を夜間, 小囲いに隔離する技法-同世代集団の共同保育によって, 野生段階で顕著な母子凝集傾向に対して, 水平的でアモルファスな群形成を強化するものである。ちなみに, これら中近東での介助技法についての事実は, 独自に搾乳技法を開発しないばかりか, 家畜化開始以来幼児死亡率がきわめて高いといわれるアンデスの牧畜民を考えるさいにも, ひとつの対比的参照項としても意味をもつはずである。
著者
大川 真由子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集 日本文化人類学会第45回研究大会 (ISSN:21897964)
巻号頁・発行日
pp.11, 2011 (Released:2011-05-20)

本発表は、本国の植民地化活動に伴い属領の東アフリカに移住したのち、脱植民地化の過程のなかで本国に帰還した入植型帰還移民、アフリカ系オマーン人にとっての帰還およびその後の実践に着目することで、彼らの歴史認識を明らかにすることを目的としている。東アフリカでのオマーン人の歴史を残す作業のなかで彼らが元移住先をどのように語っているのかをみたうえで、その認識を形成する歴史、社会的諸要因について考察する。
著者
加藤 剛
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.424-449, 2003-03-30

開発の語られ方を、革命の語られ方との対比で検討する。舞台はインドネシアであるが、革命と開発は、第2次世界大戦後50年間のインドネシア現代史を二分するキーワードである。二つの社会的出来事についての語りを、リアウ州のコトダラム村(仮名)における過去20年ほどの定点継続調査の結果と、政府関係文書の記述などから比較・検討する。インドネシアにおける革命は、1945年8月17日の独立宣言から始まり、49年12月末の主権移譲まで、再植民地化を図ったオランダにたいする戦争、すなわち独立戦争を意味している。インドネシア初代大統領スカルノは、「指導される民主主義」時代(1959-65年)に、オランダが依然として支配していた西イリアンの奪回と、インドネシア式社会主義社会の建設を唱え、革命の復活・継続を叫んだ。しかし、1962年から63年にかけて西イリアン解放が実現すると、革命の説得力は色褪せ、経済の破綻や軍の画策もあって、政権は崩壊した。スカルノに代わって大統領となったスハルトは、32年間に渡って開発主義的政策を推し進めた。第1次から第6次まで立案・実施した5カ年開発計画のように、自己の権力も繰り返し更新可能と考えたのであろうが、長期政権下で汚職、癒着、縁故主義が蔓延し、1997年のアジア通貨危機の1年後、政権の座から滑り落ちている。革命と開発を比較するとき、前者は動員、参加・犠牲、体制打倒、記憶、再生(リプレー)と結びつき、開発は選挙、充足・消費、体制維持、計画、更新と結びつく傾向にある。革命は潜在的に危険であるがゆえに、一般に現存政権にとっては記憶されるべき過去であり続けることが望ましい。他方、開発は過去を振り向かない。プロジェクトの立案、すなわち、完成後いずれは自己陳腐化する非日常性を企画する開発には、自己更新の内的性向が組み込まれている。そして、開発プロジェクトとともに、予算、支出、充足、投票、さらにはしばしば汚職も同時に計画されるがゆえに、開発は権力と同じく内部から腐敗しやすい、といえよう。
著者
土佐 桂子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.215-242, 1996-09-30

従来のビルマの宗教研究は仏教と精霊信仰など民間信仰との共存をいかに理解するかを主に議論してきたが,そのなかでウェイザー信仰は断片的に触れられるに留まってきた。ウェイザーとは錬金術や呪薬などの術(ローキー・ピンニャー)や仏教的修行を通じて超能力を獲得した存在であると信じられている。本稿はウェイザーになることを目的に結成されたガインの調査をもとに,内部の師弟関係や世界観,儀礼などを記述する。更にウェイザーの理解や伝授されている術はガインによって異なることを導きだし,ガインの人々が自らを語る際にローキーとローコゥタラという一対の概念を用いることに着目する。それぞれのガインが自ら特徴をいかに強調するかを分析することで,それぞれの主観に基づく「仏教」のあり方がローコゥタラという尺度を通じて複数生成している状況を指摘し,多様なガインの展開を静態的なモデルに収斂させることなく把握する試みを行う。
著者
吉野 裕子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.45, no.2, pp.134-159, 1980-09-30

In the serialized reports the writer gave in this journal's previous issues entitled "Studies on Ise Shrine, Part I-III, the contention is that what we conceive of as typically Japanese festivities observed and conducted in the Shrine were actually very much influenced by the old Chinese philosophical thinking of "Cosmic Dual Forces and Five Natural Elements' as envisioned in the enshrining of AMATERASU, the Imperial ancestral goddess in the Ise Shrine. She was the incarnation of the Chinese cosmic god of Tai-Yi, the mythical identification of the North Star and to the Geku goddess, the outer Shrine, the enshrining of the Big Dipper. While festivals observed at Ise Shrine are Imperial Household rituals, the thought of Cosmic Dual Forces and Five Natural Elements was also widely and forcefully applied and practiced in the public domain such as in the festivities, seasonal change customs and in conjurations to avoid ill omens and calamities. The present report is a study of such phenomena. According to ancient Chinese philosphy. CHAOS was the one and only absolute being in the primordial age. Out of this CHAOS, the light, clear and clean Yang (陽) atmosphere rose to form the Heavens while the dark, heavy and murky Yin (陰) atmosphere descended to form the land. Since the two poles of Yin (陰) and Yang (陽) are the spinoff from the same maternal substance, the CHAOS, their roots are identical and therefore, they would attract one another, mingle and react, and as a result, would produce the five natural elements of Wood, Fire, Earth, Metal and Water. Every phenomenon was categorized into one of these five natural elements. The colours, directions, seasons, times, virtues, sounds and the kinds of living creatures to such natural phenomena as thunder, wind and so forth were all conformed into one of these five natural elements. To illustrate, the wood spirit symbolizes the Spring of the seasons, blue is its colour, East is its direction, and Morning in time, while the Fire spirit symbolizes Summer, Red, South and Noon, and Metal, Autumn, White, West and Evening respectively. There was another thought regarding these five Natural Elements which was reactionary in its function:one was continuity and amity, while the other was conflict and struggle. Continuity and amity will bear Fire from the Wood while Fire will bear Earth and the Earth, the Metal and the Metal bears Water while Water bears Wood. This is the plus or positive factor relation. The conflict and struggle are negative or minus relation in which the Wood overcomes Earth, and Earth the Water and Water the Fire and Fire the Metal, with Metal overcoming the Wood. These two opposing and reactionary functions serve to guarantee the perpetuation of all living matter. What the Chinese emphasized most was the smooth transition of the four seasons. They believed that people should actively participate and assist the natural transition of seasons and to this end the ancient Chinese emperors wore blue clothes and blue jewels to meet the Wood spirit on the first day of Spring (calendar date) and walked out to the East suburb to personally welcome the Spring. By the same token. in summer they wore red clothes and red jewels and walked out to the South suburb. Thus, by personally greeting the four seasons, they encouraged the natural transition of the seasons. For the Japanese, a race dependent on rice crops, they too would seek a regulated transition of the four seasons and the principle practiced in China would be utilized and practiced.
著者
箭内 匡
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.73, no.2, pp.180-199, 2008-09-30

本稿は、人類学的実践を言葉のみならずイメージの実践として再考しつつ、そうした「イメージの人類学」の中で、民族誌映像(写真、映画、ビデオ)の役割を考えることを提案するものである。ここでイメージとは、我々の意識に現前するすべてを指し、例えば人類学者のフィールド経験のすべては、一つのイメージの総体と見ることができる。民族誌映像は、こうしたフィールド経験のイメージ(より正確には、それに近いもの)の一部を定着させ、言葉による人類学的実践が見えにくくしてしまうような経験の直接的部分を我々に垣間見せてくれる。そうした視角から本稿でまず考察するのは、マリノフスキー、ベイトソン、レヴィ=ストロースの民族誌写真であり、そのショットの検討を通じ、各々の理論的実践がその下部で独自の「イメージの人類学」によって支えられていることを示す。そのあと、フラハティ、ルーシュ、ガードナー、現代ブラジルの先住民ビデオ制作運動の作品を取り上げ、映像による表現が、言葉による人類学が見逃してきたような民族誌的現実の微妙な動きや質感、また調査者と被調査者の間の関係を直接的に示しうることを示す。このように「イメージの人類学」を構想し、その中で民族誌映像の役割を拡大することは、「科学」と「芸術」が未分化な場所に人類学を引き戻し、それによって言葉による人類学的実践をも豊かにするであろう。
著者
YAMASHITA Shinji
出版者
日本文化人類学会
雑誌
Japanese Review of Cultural Anthropology (ISSN:24325112)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.3-25, 2011

What will Japan look like in 2050? By 2050, Japan's current population of 127 million will decline to 91 million, due to its low birth rate. The number of people aged 65 or older will increase to 40.5 percent of the total population by 2055. This is an ultra-aged society never experienced before in human history. Within such a demographic framework, Japan may be forced to "import" foreign labor for the survival of its economy. Thus, some foresee that Japan will have 10 million foreign residents by 2050, accounting for 11 percent of the total population, as compared with 2.2 million, or 1.7 percent, as of 2008. That necessarily leads to the scenario of Japan becoming multicultural. Against the background of such a future socio-demographic change in Japanese society, this paper examines transnational migration into Japan and the Japanese way of living together in a multicultural environment. Particularly focusing on the dreams of Filipina migrants, the paper discusses the cultural politics of migration, including the issues of citizenship and human rights, and seeks the possibility of establishing a public anthropology directed toward the future Japanese society.
著者
丸山 淳子
出版者
日本文化人類学会
雑誌
文化人類学 (ISSN:13490648)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.250-272, 2012-09-30

本論は、ボツワナの動物保護区からの住民立ち退きをめぐる裁判判決を題材として、アフリカにおける国家と狩猟採集社会の関係について考察する。狩猟採集社会は、その生活様式や文化の独自性から国家のなかの「逸脱者」とみられ、彼らを統治するための場に収容し、「国民」化することが望ましいと考えられてきた。しかし近年では、こうした人々が、自主決定の権利をもち、国際社会や国家のなかで主要なアクターとなりうる「先住民」とみなされ、彼らを一元的に包摂しようとする国家統治のあり方は再検討を迫られている。一方、このようなグローバルに普及する新しい考え方と、アフリカの個別の民族や集団が経験している現実の展開とのあいだには大きな開きがある。ボツワナでは、動物保護区に居住していた狩猟採集民サンが開発計画の一環で土地を追われたことを、「先住民」の権利の侵害とする判決が出され、高く評価された。しかし国民形成の途上にあるボツワナにおいて、サンを特別視する運動は、様々な緊張関係や齟齬を生み出した。また動物保護区には政府サービスを提供する必要がないとする判決と、政府が裁判の提訴者のみに帰還を許可したことによって、結果的に動物保護区では「伝統的な狩猟採集生活」、立ち退き先では「開発の恩恵を受ける生活」を強いられることになり、保護区に戻れる人と戻れない人のあいだの溝が広がるといった問題も生じた。それでもサンは、動物保護区でも立ち退き先でも、開発計画の恩恵をうけつつ狩猟採集生活を続けられるような状況を創り出すことによって、場のもつ意味をずらし、様々なかたちで協力関係を築きなおすことによって、戻れる人と戻れない人の境界にゆらぎを生じさせている。本論では、このような「統治の場」を自らの「生きる場」に変えていく試みの詳細と、その試みがもつ可能性と限界を論じる。