著者
渡部 武
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.115-126, 1990-03-20

石田梅岩著『都鄙問答』における学問の性格を、本稿では学問の功用と、正統と異端の区別についての梅岩の見解に、『翁問答』と『童子問』との見解を対比して解明しようと試みるものである。梅岩は学問によって、五倫が立ち、士農工商が身を立てることが出来ると主張して、学問は現実的で、プラグマティックな功用を有する点で有用であり信頼できるとした。この点で、藤樹が身を立てることのみでなく心の安心に、仁斎が世俗の人倫的世界とそれとの一体性における立身の実現に学問の功用をみたのとは、異なっている。次に、梅岩は正統と異端の区別を立てはいるが、学問の世俗の功用とその実際の結果を重視したために、両者の区別は相対化され、異端もまたその功用によって認知されることになる。藤樹にあっては両者の区別を厳しく立てながらも、その主体的な日新の学問的態度によって、その厳しさが緩和され、他方仁斎にあってはその区別は明確な基準に従って厳格を極めた点で、梅岩はこれら両者とは異なっている。
著者
山崎 一穎
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.49-71, 2002-03-15

鴎外史伝の特異性は、読者が参加をすることである。書き手である鴎外の手元に読者から寄せられる情報、書き手が読み手へ情報の提供を呼び掛けるという双方向性が機能して、書き手と読み手との間にネットワークが成立し、伝記文学が誕生する。このようなネットワークを解明する資料で今日残されているのは、天理大学の天理図書館所蔵の「『伊澤蘭軒』森鴎外自筆増訂稿本」と、その補訂の論拠となった資料の一部が、東京大学総合図書館所蔵の鴎外の手沢資料集に収録されている。本稿では従来等閑に付されてきたこの両資料の関連を検討する。このことは初出稿と定稿との異同を探るだけでなく、鴎外が補訂した根拠資料を顕現化することになる。さらに情報ネットワークの実態を解明することは、『伊澤蘭軒』の本文の生成過程を明らかにすることになる。それのみならず、『伊澤蘭軒』に於ける資料の扱い方から、鴎外史伝の方法を解明することにもなる。本稿は補訂稿とその根拠資料を通して、本文の生成過程の一端を復元する。
著者
梅宮 創造
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.77-98, 1989-03-20

サッカレイが書いた様々な作品のうちでも、とりわけ『虚栄の市』を読めば、彼の抱えていたいろいろな問題に突き当る。ガンジス河のほとりに幼年時代を送り、その後イギリス本国へ戻って学校に入り、少年から青年に成長する。サッカレイは多感で神経質で、そのうえ母親にべったりなところがあったから、明るく楽しい思い出というような類は少ない。更に、成人して一家を構えるようになると、生活の重圧がもろに彼の肩に掛る。幼女の死、妻の精神異常、家庭崩壊、正しく悲運が悲運を呼ぶという具合だが、そんな生活の裡側でサッカレイの文学はゆっくりと熟していった。『虚栄の市』に彼の過去が揺曳していることは云うまでもない。サッカレイは自分の過去を凝視した人である。そこから人生を空と見る態度や、諷刺とか皮肉とか愛の精神、或は人物や事象の表裏を読む眼が鍛えられたものと思われる。『虚栄の市』ではそれらが作品を操る意図となり技法となって強く働いている。本稿ではそのあたりを出来るだけ作品から離れないで述べてみることにした。資料の勢いに流されることなく、作品の具体的な生命に触れるにはどうすれば良いか。そうなるとやはり、立返ってゆく所は作品そのものを措いて他にない。これは文学作品を扱う場合に常に重要な問題である。
著者
池上 貞子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.A1-A12, 2009-03-15

台灣女詩人席慕蓉是一位暢銷作家。在台灣和大陸都曾經興起過席慕蓉熱。她的詩很受年輕人歡迎。大槪因爲這個緣故,有些學者認爲她的詩太過於浪漫,不値得硏究。其實,這位既做畫家、教師、散文家,同時又是妻子、母親的女詩人非同尋常。她的祖籍在內蒙古,自認爲是成吉思汗的後代,並引以自豪。她三十年來的寫作生涯可以說是一個嚮往原鄕,追求認同的過程。她怨恨青春不再來,不只是因爲時間不能倒流,更是因爲她當時沒能盛開。 她後來終於回到原鄕,尋到了自己的根。可是她彷彿擁又有了新的感槪和追求。並將這些表現在詩歌裡。筆者有幸飜譯,編輯一部日文版的席慕蓉詩選。期盼著通過分析她的作品,考察她究竟是如何把對原鄕的思念之情融入到自己的作品之中的,從而進一步探索她目前仍在苦苦尋求著的東西。
著者
渡部 武
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
no.25, pp.p171-195, 1992-03

本稿は石門心学の祖石田梅岩 (一六八五-一七四四) の主著『都鄙問答』における「都」と「鄙」の実質的内容を解明し、かつ両者がどのように関連しあって彼の思想形成を可能にしたかを追求する試みである。その結論は以下の通りである。「都」と「鄙」とは問答の当事者ではなく、両者は梅岩の二つの異質な生活体験である。「問答」とはそれぞれの生活体験を沈潜させた梅岩の内なる二つの自己の間の問答である。梅岩の思想は「都」と「鄙」の相互浸透による総合の過程としての問答の成果である。そしてその総合を可能にしたのが「都」と「鄙」の中間者としての梅岩であった。
著者
山田 奈生子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.195-210, 2008-03

行財政の構造改革は外交・安全保障、経済運営と並び基本的政策課題である。わが国が構造的な財政危機を抱えるなか、ともにその政治の主要テーマを「行財政の構造改革」とし5年間の本格政権を全うした中曽根政権と小泉政権。夫々の政治手法、時代認識、国家ビジョンの違いがその成果にどのように影響を及ぼし、結果として国民が手にした具体的成果とは何であったのかを検証することは、今後わが国の行財政の構造改革をさらに推し進めていく上で必要なことであると考える。本論文では、国民が「行財政の構造改革」により具体的成果を手にするためにはどのような手法をとるべきなのか。その答えを求める一つの方法として中曽根内閣の行った行財政の構造改革の手法と成果について論じる。
著者
古池 若葉
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.A87-A101, 2009-03-15

本稿では,ASD 児者における言語的な問題について,語用論上の困難に焦点を当ててその様相を示した上で,語用論的能力のアセスメントに役立つと考えられる検査や手法について整理し,今後の課題について考察した。その結果,主な知見として以下の3 点が得られた。第1 に,ソーシャルスキルにおいては言語的な側面が重要な位置づけにあるが,既存のソーシャルスキル尺度は語用論的側面をアセスメントする上で十分とは言えない。第2 に,ASD 児者は,形式的な言語に問題が見られなくても,談話や会話などの語用論的側面に問題を持つことが多い。第3 に,Wechsler 知能検査は,高機能ASD 児者の語用論的能力に比べて言語性知能を過大評価しやすく,語用論的能力を測定するアセスメント方法は未確立ながら,ナラティブの産出を調べる方法や,会話を分析する方法によるアプローチが行われている。これらの知見を踏まえて,心理士として,言語臨床にどこまで携わる必要があるかについての考察を加えた。
著者
高田 美一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.105-115, 1986-03-15

一八八六年七月三日、ヘンリー・アダムズと画家ジョン・ラ・ファージが日本を訪れ、フェノロサ一家とともに日光にて夏を過ごし、その後、フェノロサとともに鎌倉、京都、奈良、岐阜へと旅行し、日本古美術品を蒐集した。文部省派遣のヨーロッパ美術教育調査に出発するフェノロサと天心は、十月二日横浜出航のシティ・オヴ・ペキン号でアダムズ、ラ・ファージと同船し親交を結んだ。一九四〇年、パウンドは「アダムズ・キャントウズ」を出したが、それはアダムズ家のアメリカ建国の父祖第二代大統領ジョン・アダムズの功績と人格を顕揚したもので、その資料はヘンリーの父チャールズ・フランシス・アダムズ編の『ジョン・アダムズ著作集』からえた。ヘンリーも、ジェファーソンに焦点をあてたアメリカ建国時代の歴史の大著を出し、パウンドもまたジェファーソンの功績と人格を賞揚した。