著者
杉本 昌裕
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.40, pp.83-100, 2007-03

金属工芸(以後、「金工」と表記する)は、伝統的な工芸の中でも専門的な施設、機械、道具が必要である。また、指導者が少ないのと金工を指導する学校が少ないため、学校教育の授業に取り入れるためには、教材開発や指導者育成などの工夫が必要である。一方で、指輪やネックレスなどの金属加工の装飾品の需要と人気は高いものがある。金や銀製品は、だれもが欲しいものの一つである。本学では工芸実習、デザイン実習に金工制作を取り入れている。本稿でまとめるのは、このような金属を使った制作が、ライフデザインを充実させるとともに、学校教育で生かせると考えるからである。金工や金属素材を生かす教材研究を進めることで、日本の伝統的な技術を守り続ける心や、新たなものを創造できるような土台を築き上げたい。「買うもの」から「つくるもの」「つくれるもの」として、金工や金属素材を生かした工芸を、私たちの生活の中に、位置付けていくことがねらいである。なお、本研究は平成18年度跡見学園女子大学特別研究助成によるものである。
著者
酒井 智宏
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2010

「文脈から独立した言語的意味」という概念が自然言語の意味論から除去されるべきであることを示した。トートロジー (「猫は猫だ」) 分析で用いられる「等質化」概念 (「どの猫も似たり寄ったりだ」) に見られる理論的混乱は、語 (「猫」) の意味の共有という想定を放棄すれば解消される。矛盾文 (「ねずみを捕らない猫は猫ではない」) に見られる規範性解釈 (「ねずみを捕らない猫は猫と呼ばれるべきではない」) は、複数の異なる言語システムの対立から生じる。
著者
土屋 博映
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.19-34, 2010-09-15

本稿は「04紀要」掲載論文、「09紀要」掲載論文をふまえ、第一部末尾部分の章段と第二部冒頭部分の章段を吟味することにより、第一部冒頭部と第二部末尾部の境界を明確にし、あわせて著者兼好の思考の変遷を明らかにしていこうとするものである。 09紀要では、第三一段から第三七段を一部から二部への「つなぎの巻」ととらえ、第三八段を、「復活」の謎を解く段だと考えたのである。 本稿は「一、はじめに 二、最近の『徒然草』研究から 三、従来の『徒然草』観 四、本分の考察 五、第三八段の再検討 六、一部の関連する段 七、『方丈記』との関連 八、第三八段の過激性 九、結論」の八章からなる。一番重視したのが第三八段であり、本段に、以前の段はどのように流れ、関連しているのかということと、本段以降どのように流れ、展開していくかという点に重きをおいた。その結果、一部から二部への、彼の執筆態度(姿勢)が、書物(漢籍)を友としているうちに、老荘思想に大きな影響を受け、老荘思想を根幹に、成長・発展したとう事実を物語っていると推定された。 二部は、第三一段から書き始められ、第三七段まではいわゆる「つなぎの段」と考える。 第三一段からは、基本的に、抽象的な、無名の人間の意見をとりあげ、「をかし」「よし」と肯定している。そして、それこそが、本作品の意義だと確認し、第三八段を力強く記すに至った。その後の兼好の価値観は、第三九段の法然上人の教え、第四○段の因幡国の娘の話、第四一段の競馬にまつわる話、第四二段の恐ろしい病気にかかった行雅僧都の話などへとバラエテイに富んだ内容を描き出す。これらはいずれも新しい発見である。兼好の既得の知識・価値観からは想像もつかない事実の発見に目をむけたと言えよう。 とにかく第三八段は、本作品にとって、もっとも重要な段の一つとして位置づけておかなくてはいけないというのが本稿の結論である。
著者
山川 淳次郎
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.91-98, 1983-03-15

シラーはその『哲学的書簡』の中で愛の哲学を展開する。それによれば、愛とは宇宙におけるあらゆる偉大なもの、美なるもの、卓越するものを表象し、そのことによって、それらをわがものとして同時に実現する能力である。このように解された愛とは、実は想像力に他ならない。というのは、想像こそあらゆる表象を目ざめさせ、多様なものとし、それらを高め、神性の理想に近づくことができるからである。そして「各人がすべての人間を愛するならば、各人は世界を所有し、神性に近づく。」想像力豊かな詩人は愛するものであり、全宇宙を愛し乍ら所有する可能性をもっている。このような愛を客観的愛とよぶならば、主観的愛は感覚的魅力において作用し、心の感受性を意味し、血の情熱を意味する。したがって主観的愛は、肉体的、性的脅威をもつ。それゆえ、シラーはこの主観的愛を Elysium にまで高め、愛を安全なものとして永遠化しようとする。以上のような「愛」についてのシラーの見解を、かれの戯曲作品を通じて跡づけてみる。『フィェスコ』では愛と権勢欲が対比され、両者が同一人においては共存、合一し得ず、破局に導かれる。『ルイーゼ・ミレーリン』では個体的な愛を目ざすものの悲劇、階級の対立を超越して、自らの独特の人格性の根抵のうえに新らたなる愛の世界を創造せんとしたものの破局がとかれる。さらに『ヴァレンシュタイン』において、本来、この世のものではない高次の愛を、この世において実現しようとしたものの悲劇がとかれている。
著者
渡邉 大輔
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

本研究は、戦後の日本映画における児童の映画観客の映画受容の実態・動向を多角的に明らかにしたものである。さらに本研究では、そのために当時の観客や視聴者調査にまつわる言説群も参照した。1950年代から60年代にかけての児童映画観客の実態は、主に二つの劇場外の映像受容の文脈と密接に結びついていることが明らかとなった。第一に1920年代から活発化した「映画教室運動」や「学校映画会」と呼ばれる学校施設での映画上映、そして第二に国産のラジオドラマやテレビアニメーションといった新たな放送メディアとの関わりである。とりわけ本研究では、1960年代に国産テレビアニメが児童映画観客に与えた影響を分析した。
著者
村松 正隆
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
pp.103-115, 2003-03-15

論者は本橋において,フランス革命期に学問上のリーダーシップをとると同時に,現実の医療政策にも少なからぬ影響を与えたイデオロジスト,カバニスの議論を取り上げる。カバニスの哲学は市民に対して,「自らの情念が公益のかわりを占めてしまうことがないように」良識を要求するものであったが,この要求は何らか超越的審級への訴えによってなされるものではなく,人間本性それ自身に基盤をもつものであった。この論点を理解するためには,カバニスの主要著作『心身関係論』の議論を整理しなければならない。「感覚性」の概念を導きの糸としつつ人間における「肉体的なもの」の重要性を強調するカバニスは,さらに人体において諸器官がお互いに「共感」しあいながら,全体的なネットワークをなしていることを強調する。この「共感」の概念は,さらに他者とのコミュニケーションの場面においても重要な意義を持つようになる。人間は他者に「共感」することによって初めて自らの情念ではなく公益に従う存在となる。だからこそカバニスにとっては,「共感」の能力,ならびにこれと密接なつながりをもつ「模倣」の能力を陶冶することが重要となる。
著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.A19-A30, 2005-03-15

本稿は一九九〇年代から現在に至るクロアチアの歴史教育と歴史教科書の問題について概括的な考察を行ったものである。九〇年に社会主義体制を放棄し、九一年にユーゴスラゲィア連邦から離脱して独立を達成したクロアチアは、この二つの変化を歴史教育の分野にも反映させる必要があった。それはクロアチア・ナショナリズムに立脚しつつ、連邦体制下で強調されてきた南スラヴ諸民族の一体的な歴史叙述を放棄し、かつてタブー視されていた<クロアチア独立国>などを再評価する動きにあらわれている。社会主義時代から国定教科書しか存在しなかったクロアチアでは、独立後も一元的な歴史教育が導入されていたが、一九九〇年代末から二〇〇〇年にかけて教科書出版社および教科書の複数化が実現し、各教科書の叙述もようやく一面的なものではなくなった。しかし、全体的にクロアチアの独自性を強調するあまり、周辺諸国との関係さえ理解しにくいほどに叙述のバランスを欠くものとなっており、現在では若干修正されているとはいえ、なお大きな問題となっている。また、教科書の種類の多さに比べると、各教科書の特徴はさほど明確ではなく、この点でも新たな教科書づくりが求められている。
著者
新藤 武弘
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1992

カリフォルニア大学バークレー校美術史学部制作の『明代絵画と絵画作品デ-ダベース』の提供を受け、データの補充に協力、それをもとに明清画に止まらず、宋元に遡る広範な研究を行なった。平成4年10月、上海で開催された四王国際学術研討会で「四王与黄公望」、無錫で開催された倪〓之生平与藝術国際学会で「関干倪〓像」を発表し、平成5年5月、美術史学会全国大会で研究発表「書斎図考-元代文人の理想郷-」を行ない、平成6年12月には同学会東支部会例会で「石涛についての新知見」を発表。メトロポリタン美術館前東洋部長アルフリダ・マーク女史(台湾在住)を招き、所属機関(跡見学園女子大学)と美術史学会支部例会で講演を行なった。これらの研究交流の成果はワープロ版『明清画研究ノート』に掲載し、現在、7号に至っている(添付資料参照)。平成4年春、ネルソン美術館の特別展『薫其昌の世紀』を見学、同東洋部長何恵鑑の論文「薫其昌の藝術における卓越性」、またメトロポリタン美術館東洋部研究員張子寧の「石涛《白描十六尊者》巻と《黄山図》冊」を翻訳、『研究ノート』II,V号に掲載した。平成6年末、北京の中央美術学院・故宮博物院における明清画透析研討会、平成7年3月、上海と湖州で開催された趙孟地〓国際学術研討会に出席、その成果は、現在準備中である。「石涛与《廬山観瀑図》」(『研究ノート』V)は米国美術史家協会年次大会(ニューヨーク大、1994年2月)におけるシンポジウム「石涛《廬山観瀑図》」の関係者に送付したものである。
著者
鷲尾倭文
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園短期大学紀要 (ISSN:02874164)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.A13-A24, 1988-03 (Released:2009-12-24)
著者
鷲尾倭文
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園短期大学紀要 (ISSN:02874164)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.A1-A13, 1983-03 (Released:2009-12-24)
著者
梅宮 創造
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.83-104, 1993-03-20

本稿では若きサッカレイの生活模様に主眼を置く。チャータハウス校を出てケンブリッジ大学に入り、その後の精神放浪、結婚、家庭、妻の発狂、等々、サッカレイのくぐり抜けた甘い苦い経験を凝視してみたい。そこから何が生れるか。作家誕生の過程が、作品制作の秘密が、そして何よりも、サッカレイなる人物の体温が直かに感じられるものなら喜ばしい。たび重なる苦難の日々に悲哀となり夢となり、陰に陽に現れている彼の素顔、それを明らかにすることが当面の仕事である。サッカレイ文学の深い理解のためにも、欠かすべからざる仕事であろう。大作『虚栄の市』に至るまでの道程は生易しいものではない。サッカレイは一とき画家を志し、新聞記事を書き、小説を試みては批評文を物すなどした。その下積みは何年も続いた。剰え、サッカレイには生活の不如意が、家庭の悩みが絶えなかった。それやこれやが彼を鍛え、文章に磨きをかけ、結果としてはその作品が類稀なる光芒を放つに至った。しかし、これが彼自身にとって仕合せな結果であったか否か、判らない。後世の我々は遺された作品を読み、手紙や日記を検め、さらに夥しい証言や伝記の類に眼を通すばかりである。そうして一作家の像を心中にふかく刻み、末永く、個人の大切な所有物として蔵って置こうとする。それで良いのだろうと思う。もとより文学は他人に押付けるものではない。他人を説得するものでもない。文学研究上の「新発見」などにせよ、多くは既に発見された真実の「再発見」であろう。何故なら、文学における真実とは、幾度も幾度も重ねて発見されるべきものであり、一個の動かぬ力を揮って人を黙らせる代物ではない筈だから。
著者
吉田 信夫
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
コミュニケーション文化 (ISSN:18818374)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.119-125, 2007-03
著者
町田 栄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.53-66, 1991-03-20

瀬戸内晴美氏 (法名は寂聴師)、その文学と大納言久我雅忠の女、すなわち後深草院二条、その自伝『とはすかたり』との交渉は深く、長く、篤い。宿緑に結ばれているようだ。たんに、『中世炎上』と原典との関連ではすまない。また、その現代語訳者にとどまらぬ。何んと、十年も集注して固執し、やがて卒業して行く。おりから、氏自身が次のように回顧した、その時期にあたる。昭和四十一年に「一つの心理的転機」をきたして、「流行作家的生活を清算」 (自筆『年譜』)したいとの願いにそそられ、歳末、京都に転居してみる。東京との往復、二重生活を試みているのだ。なぜかについて説明はない。以来、ひそかに「私の文学変革」、「脱皮」はすすみ、昭和四十三年度には、それが「本格的」(『わが文学の履歴』、いずれも『昭和文学全集25深沢七郎・水上勉・瀬戸内晴美・曾野綾子・有吉佐和子集』昭六三・四・一刊小学館に収載) になったという自覚を持つ。さらに延長線上には、昭和四十八年十一月十四日の得度、出離がある。自然な、ひとつの帰趨であろう。一念発起とか、翻然として悟るとかの挙ではない。いま、瀬戸内文学の昭和四十年代を眺めわたして、転換期を設定するとき、推力の枢要部に『とはすかたり』を置かなければなるまい。後深草院二条に、氏は等身大の、血脈たる自己を見出したのだ。劇的ですらある。時代性を別してふたりの資質、性行、嗜好はあまりに酷似している。ほとんど寸分の狂いなく、重ね合わせられよう。両者の遭遇は、約七百年を隔てた骨肉の呼応と称しても、過言ではあるまい。この至純な邂逅によって好伴侶を得るが、同時に自己凝視、自己啓発をもたらす。いや、かえって、それを強いられたかも知れない。多年にわたって、『とはすかたり』に固執するゆえんである。氏の心酔、長い同行と追随のうちに触発され、促進され、督励され、そして自得されたものは何か。それらが、ゆるやかな転換へといざない、おのずから転換期を形成する。内実を明らめなければならぬ。瀬戸内氏と『とはずがたり』との交渉の生きた現場に立ち会って、検証する必要がある。具体的に、。『とはすかたり』との出会い 。受容-自己凝視と発露、出家出離 。残された問題の体験的自得などによって、考察を試みたい。『とはすかたり』という作品の特質も立ち現われて来よう。
著者
丹野 忠晋 山田 玲良 櫻井 秀彦 林 行成
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

理論パートでは医薬品卸と医療機関の間の交渉力の差によってどのように上流の製薬メーカーの利潤に影響を与えるかについて定性的な結果を得た.現行の薬価制度では卸の交渉力が高いほど上流の製薬メーカーの利潤は高くなる.実証分析による主要な結論は,病院や薬局の規模が大きいほど総価取引になる確率が高まることである.一方で,取引する卸の数が多くまたは後発医薬品の利用割合が高いほど単品単価取引に移行する確率が高くなる.四大医療用医薬品卸は上流の製薬メーカーに様々な情報を提供しており,その対価が大きな利益の源泉になっていることが明らかになった.
著者
柴橋 祐子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.49-74, 2004-03-15

青年期の適応をめぐる問題の中で大きな位置を占めるものに友人関係がある。友人に対し自分の意見をはっきり言えないことから, あるいは逆に自分の意見を一方的に主張してしまうことから, 結果的に適切な友人関係を持てなかったり, 友人との関係に悩みを持つ者も多い。友人関係の中で自分の気持ちや考えを率直に表明しあうことは, 自分らしさを求める基本的な欲求であり, また相互理解のための基本となる。こうした自己表明のやりとりの能力の獲得は青年期の重要な発達課題の一つと言えるが, その心理的背景について検討されたものはみられない。青年にとってどのような感情や考えが友人との率直なやりとりを支える, もしくは妨げる要因となっているのであろうか。本稿ではその手がかりを得るために, 面接調査を用いて探索的な検討を行った。友人関係の中での自己表現のあり方を先行研究 (柴橋, 2001) に基づき, 「自己表明」と「他者の表明を望む気持ち」の2つの側面から捉えて4つに類型化し, 各類型に属する中学・高校生16名を対象に半構造化面接を行い, 各被験者の特徴, および, 各類型の特徴を分析した。4類型の特徴の比較から, 次の5つの要因に違いがみられ, これらが自己表現のあり方と関連している可能性が見いだされた。(1) 自己表明することに対しての価値感, (2) 自己表明を受けとめてもらえた体験と友人への信頼感, (3) 他者の気持ちへの配慮や内省的な視点, (4) 熟慮性や攻撃性, (5) 言語化することへの自信。本調査の結果から, スキルの問題や性格特性だけでなく, 自己表明することへの価値感やこれまでの体験, 内省的な視点などが大きな影響を及ぼしていることが示唆された。この点は, 青年期の自己表現援助のあり方において十分考慮すべきことと言える。ただし, 本研究は探索的なものであり, 今後さらに, 多くの被験者を対象に実証的な検討を重ね, 心理的要因と自己表明との関連を明らかにしていく必要がある。