著者
板橋 春夫
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.135-145, 2002-03-29

桐生新町の天王祭礼は由緒ある祭礼で、市神は桐生織物と深い関係にある。御旅所は当番町の天満宮寄りに安置するのが習わしであった。桐生新町では明治三十年代まで鉾や屋台を引き回していたが、電灯線が引かれ渡御に支障が出るようになって中止となり、御輿も現在廃止した。近世期のにぎわいぶりは彦部信有「桐生の里ぶり」に詳しいが、現在、その面影を見出すのはむずかしい。そこで隣接する在郷町である大間々町の天王祭礼でその様子を見ていく。桐生新町の御輿は「天王伝右衛門」という人物がかつて掌握していたが、何らかの理由で退転。正徳二年(一七一二)に江戸の職人が御輿を製作。桐生新町の御輿は大間々へ回っていたという。大間々町の天王祭礼は、寛永六年(一六二九)、京都から八坂神社の分霊を市神として勧請し、三丁目大泉院内に祀ったのが始まりである。仮御輿だったので万冶元年(一六五八)に新規製作。町の大火で消失してしまい、寛政三年(一七九一)に新規製作した。祭日は徳川家康が関東に入った際に絹織物を献上したところ、それが勝利の吉例になったのにちなむというものである。大間々町の天王祭礼に関する聞き書きを行い、具体的な祭りの様子を記述した。全国各地で伝統的祭礼が衰退し、代わりに行政主導型の新しいイベントとして改編する動向がある。桐生市や大間々町の天王祭礼はそれぞれ高度経済成長期に大きな変化があった。本稿では大間々町の天王祭礼を聞き書きと地元紙『東毛タイムス』の記事を利用して変化を探った。
著者
安田 吉人
雑誌
調布日本文化 = The Chofu's Japanese culture
巻号頁・発行日
vol.5, pp.一五三-一八四, 1995-03-25
著者
寺町 晋哉 Shinya TERAMACHI 宮崎公立大学人文学部 Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.77-101, 2020-03-06

本稿では、教職に就く予定の学生がもつ友人関係の経験に着目し、それらの経験が彼(女)らの教職観をいかに規定するのかを明らかにする。そのことで、彼(女)らが教師となり教育実践を続けていきながら、彼(女)らの固有の経験が職業的社会化といかなる関係を築いていくのかを明らかにしていくための出発点として本稿を位置づける。 分析の結果、以下のことが明らかとなった。第一に、彼(女)らの友人関係の経験や学級経験は、彼(女)らの生徒指導観や学級経営観を支える重要なものとなる可能性が示唆された。職業的社会化と教師個人の側面との関係性を考える上で、こうした友人関係の経験を重要な変数として考えていく必要がある。教師として生徒指導や学級経営の実践を行なっていく中で、関係性の経験が再解釈されたり、その経験に強く規定されることで、職業的社会化と教師個人との関係を明らかにすることができるだろう。 第二に、彼(女)らの関係性への認識はジェンダー化されているという点である。しかし、協力者たちがジェンダー・ステレオタイプを有していると批判することが目的ではない。従来の「ジェンダーと教育」研究が明らかにしたように、学校教育経験はありとあらゆる場面で、ジェンダー化されたているため、彼(女)らもまた、ジェンダー化された存在であり、関係性に対するジェンダー化された認識というのは、現状の学校教育を考えると当然の帰結だと考えられる。ジェンダー化された関係性への認識と学校現場との相互作用を描いていくために、教職課程学生がジェンダー化された関係性への認識をもっていることと、それをもつに至った経験を本稿では明らかにした。
著者
リヒタ ウヴェ 渡部 貞昭
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.255-261, 2003-09-30

2001年1月31日、ドイツ連邦政府は急進右翼のドイツ国民民主党(NPD)の禁止を連邦憲法裁判所に申し立てた。その理由は、外国人への暴行及びユダヤ人施設への冒涜・破壊行為の件数が増大したからであった。本稿はホロコーストと同胞のユダヤ人にたいする西ドイツ戦後社会の態度の考察である。
著者
林 鎭代 ハヤシ シズコ Hayashi Shizuyo
雑誌
研究紀要
巻号頁・発行日
vol.12, pp.37-46, 2011-03-31

昔話は,子どもが好む児童文化の一つとして,長い間子どもに語り継がれ親しまれてきたものである。しかし,昔話には子どもが楽しむというだけでなく,大人が子どもに重要な様々な情報を知らせる方法の一つとしても活用されてきたのである。そうした意味からも,昔話に登場するものは,子どもに示すべき何かを象徴するという役割をもっているのである。 日本の昔話には,恐ろしい存在としての"鬼"が度々登場してくる。そして,韓国の昔話にも,日本の"鬼"と同じ姿を持つ"トッケビ"が登場している。しかし,"鬼"と"トッケビ"は,その性質が同じようには表現されていない。日本の"鬼"と韓国の"トッケビ"は,どのような象徴とされ,どのような意図を持って子どもに語られてきたかを考察した。
著者
安徳 勝憲
出版者
長崎国際大学
雑誌
長崎国際大学論叢 = Nagasaki International University Review (ISSN:13464094)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.21-31, 2020-03

松下電器産業(現パナソニック)創業者松下幸之助(以下幸之助)は、戦後復興途上の昭和26年に市場調査のため訪米した。滞在中に多くの工場を視察した幸之助は、自社も含めた日本の製造業の遅れを痛感せざるを得なかった。3か月後、幸之助は日本の素晴らしい景観を生かしたインバウンド観光の振興こそが戦後復興の鍵ではないかとの考えを携えて帰国した。そして『文藝春秋』昭和29年(1954)5月号に発表した「観光立国の辨」において、①観光省を新設し、観光大臣を任命して、この大臣を総理、副総理に次ぐ重要ポストに置く、②国民に観光に対する強い自覚を促す、③各国に観光大使を送って、大いに宣伝啓蒙する、そして④いくつかの国立大学を観光大学に改編して観光ガイドを養成するといった具体的なインバウンド観光振興策を提言したのである。同年の外国人入国者数がわずか5万人足らずであったことを勘案すれば、幸之助の先見の明に驚かされる。その後も、工場立地による瀬戸内海景観の棄損に警鐘を鳴らすなど、幸之助は松下電器産業経営の傍ら、国内観光資源の維持の大事さを訴え続けた。本稿は、幸之助が「観光立国の辨」を発表するに至った軌跡をたどるとともに、「経営の神様」という呼び名にふさわしい厳密なソロバン勘定と緻密な論理の組み立て方を紹介するものである。没後平成24年(2012)、日本の観光振興へ多大な貢献をしたとして、幸之助は観光庁長官表彰を受賞している。
著者
大蔵 真由美
出版者
学校法人松商学園松本大学
雑誌
松本大学研究紀要 = The Journal of Matsumoto University (ISSN:13480618)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.55-67, 2020-03-10

戦時期日本において地域において組織的に展開されていった農村文化運動を取り上げ、その中心的存在となっていた社団法人農山漁村文化協会が行った取り組みの一端を明らかにし、社会教育の機能をどのようにして取り入れようとしたのか考察することを目的とする。文化施設実験村は農村文化運動の効果を調査するために千葉県の3つの町村で行われたものであり、芸能や読書などの事業が展開された。文化施設実験村の数々の取り組みは方法面では社会教育的な機能を取り入れていたが、その内容は総力戦体制に組み込まれていく過程となっていき、地域課題への気付きを糸口とした抵抗の可能性はすり抜けてしまったと言える。