著者
和田 俊和
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.104-108, 2019-01-15

近年のオープンアクセスジャーナルの流れに沿って登場し,増加の一途を辿っている粗悪学術論文誌と粗悪学術会議について,その背景,見分けるためのチェックポイント,具体的な弊害,ブラックリストの必要性,研究者倫理との関連,対策,等について概説した.
著者
柳谷 あゆみ
出版者
東洋文庫
雑誌
東洋学報 = The Toyo Gakuho (ISSN:03869067)
巻号頁・発行日
vol.99, no.1, pp.01-017, 2017-06

Tārīkh al-dawla al-Atābakīya mulūk al-Mawṣil li-Ibn al-Athīr (Ms. ARABE 1898, Paris) is the only extant manuscript recognized as Ibn al-Athīr’s dynastic history titled al-Tārīkh al-bāhir fi al-dawla al-Atābakīya. Based on this manuscript De Slane published a revised edition in 1876, and then in 1963 Ṭulaymāt published a newly revised edition. Currently the latter is mainly utilized for research as an improved version of De Slane’s edition. In his work, Ṭulaymāt improved the technical inadequacy of De Slane’s edition and refuted (or ignored) De Slane’s claim of the existence of additions to the manuscript in later eras. Focusing on this point, the author of this article examined the descriptions of the manuscript and compared the two editions based on the same manuscript to make clear its contents and the later additions. For verification, since no other manuscript of al-Bāhir has been found, the author utilized as comparative materials two historical texts, Abū Shāma’s Kitāb al-Rawḍatayn and Ibn Qādī Shuhba’s al-Kawākib al-Durrīya, which include many quotations from al-Bāhir. As a result of the close examination, the author selected for detailed textual criticism two chapters, Chap. 97 and Chap. 133, which were suspected of being added to the original text in a later era. Chap. 97 is the chapter which De Slane had considered it as an addition, while Ṭulaymāt did not. The author examined the description and confirmed the authenticity of De Slane’s argument. As for Chap. 133, to which both editors paid no particular attention, the author pointed that its description was possibly not from Ibn al-Athīr’s text, but added from Abū Shāma’s text, by comparing the texts and checking the word “qultu” (= I said) in the texts, which indicated the description was not a quotation.As a result of the examination, the author concluded that the manuscript was supposed to contain some complements from the descriptions which were left in the form of citations by other historical materials which have gone missing.
著者
上野山 勝也 大澤 昇平 松尾 豊
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.55, no.10, pp.2309-2317, 2014-10-15

経済の成熟にともないベンチャー企業への期待が高まっている.ベンチャー企業の上場または事業売却(以降Exit)を高い精度で予測できれば,資金や人材はより適正なベンチャー企業に移動するため価値は高い.一方で,ベンチャー企業のExitを予測するモデルは,データ取得の制約からベンチャー企業の「社内資源」特に資金調達に関する素性を元にしたものが多かった.一方で本稿は「社外資源」である創業メンバーや従業員が持つ過去の人間関係に関わる資産がExitに寄与しているという仮説に基づきExitを予測する手法を提案する.Web上に構築されているCruchbaseという人材データベースを活用することで,これまでデータ取得が困難であった転職履歴情報を活用することでExitを予測する手法を提案する.2万社に対し人材の転職履歴情報を用いてExitの予測を行うことで,用いない手法より10ポイント高い精度でExitを予測できることを確認した.
著者
井上 隆弘
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.142, pp.257-291, 2008-03-31

近年、神楽祭儀の根底にある死霊祭儀としての側面に光があてられている。筆者も前著『霜月神楽の祝祭学』において、静岡県水窪町の霜月祭と呼ばれる湯立神楽の深層にある死霊祭儀としての性格について明らかにした。そうした知見をふまえるなら、同じく死霊祭儀としての性格をもつ念仏踊と神楽の比較研究は必須のものといわなければならない。本稿は、こうした立場から、水窪における霜月祭と念仏踊の祭儀の構造比較をとおして、両者に共通する死霊祭儀の特徴的な性格を明らかにし、三信遠における神楽や念仏踊の研究に資することを意図したものである。まず霜月祭についてみると、そこには特有な二重性が見られる。神名帳には一般の神々と区別される形で、ともすれば崇りやすい山や川などのさまざまなマイナーな神霊の名が挙げられ、また死霊の名が公然と記されているのが水窪の特徴である。また、この二重性は湯立や神送りの祭儀にも見られる。死霊を祀る湯立や死霊を送る神送り祭儀が、一般の神々のそれとは明確な区別をもって執行されているのである。念仏踊について見ると、霜月祭と同様の神名帳を読誦する大念仏などと称される踊りが行われるのが水窪の特徴である。新盆踊においては新霊供養の和讃が重視されるが、それ以外の施餓鬼踊、送り盆などでは神名帳を読誦する念仏のウエイトが高い。このように念仏踊は、神々を祀り鎮めるものでもあるのである。その神々のなかには、在地のマイナーな崇り霊とともに、さまざまな死霊も挙げられている。このように霜月祭と念仏踊でともに祀り鎮められる死霊のなかでもとくに重視されたのは禰宜死霊である。禰宜死霊は神名帳のなかでも特別の存在であり、念仏踊の送り盆においては、一般の死霊と区別される形で、まず最初に禰宜死霊が送られるのである。このような禰宜死霊の存在は、村社会における呪的カリスマとしての禰宜の存在の反映であった。禰宜はそのような存在として、さまざまな崇り霊を鎮めたり憑き物を落したりする祈祷を行い、村人の日常生活に欠かせない存在であったのである。このように禰宜死霊が特出した位置をもっているのが、水窪に代表される三信遠における死霊祭儀の特徴といえるであろう。
著者
森田 正典
雑誌
情報処理学会研究報告ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)
巻号頁・発行日
vol.1987, no.33(1987-HI-012), pp.1-9, 1987-05-14

日本文入力方式の優劣評価の重要要素である「キー配置の記憶負担量」と、「熟練者の到達入力速度」の二項目について、各種の異なる入力方式の性能を、合理的且つ定量的に比較評価する計算方式を導いた。この計算方式によって、既存の各種方式を比較評価した結果、子音と母音を分離し、且つ音読漢字を左右の一対打鍵で入力できるように工夫した「M方式」が「記憶負担量」において格段に「仮名文字入力方式」に勝るのみでなく、「熟練者入力速度」においても優れていることが明らかになり、既に得られている使用実績を理論的に裏付けることができた。
著者
吉水 眞彦
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.179, pp.199-228, 2013-11-15

天智天皇の近江大津宮は667年,後飛鳥岡本宮から遷都され,5年数ヶ月を経た672年の壬申の乱によって廃都と化した短命の宮都である。7世紀代の宮都で大和以外の地へ宮都が移されたのは前期難波宮と大津宮だけである。その一つである大津宮跡は,現在,琵琶湖南湖南西岸の滋賀県大津市錦織に所在することが判明している。大津宮の実像を知るために宮の構造や白鳳寺院の実態,周辺の空間構造を発掘調査で確認された遺構や出土遺物である第一次資料を再評価することと新たな発掘資料も加えて検討した。その結果,大津宮の特殊性が見えてきた。すなわち,対高句麗外交や軍事上の拠点整備を推進するために陸上・湖上交通の整備に重心が置かれ,大津宮の形が短期間のうちに推進されていた点である。大津宮遷都前夜までの比叡山東麓地域は,渡来系氏族の大壁建物や掘立柱建物の集落が営まれ,また各氏族による穴太廃寺や南滋賀廃寺などの仏教寺院も建立されており,周辺には萌芽的な港湾施設も存在していたものと推定される。このように遷都を受け入れる環境が一定程度整備されていた地域に大津宮は移されたのである。そして遷都の翌年,錦織の内裏地区の北西方の滋賀里に周辺寺院の中では眺望の利く最も高所に崇福寺を新たに造営し,対照的に宮の東南方向の寺院の最低地にあたる現在の大津市中央三丁目付近の琵琶湖岸にほぼ同時期に大津廃寺を建立した。つまり崇福寺跡と大津廃寺は川原寺同笵軒丸瓦を共通して使用していることから,大津宮と密接な関係がみられ,前者には城郭的要素があり,後者には木津川沿いの高麗寺と「相楽館」のような関係を有する港湾施設を近隣に配置し,人と物の移動ための機動力を重視して造営された。これらに触発されたかのように周辺氏族は穴太廃寺の再建例にみられるように再整備を行なっている。このように大津宮の内裏地区や,大津廃寺を除いた仏教寺院は高燥の地に立地し,かつ正南北方位を意識した配置がみられるのに対して,木簡などを出土した南滋賀遺跡の集落跡などは低地に営まれ,かつ正南北方位を意識しない建物を構築している。おそらく内裏地区や白鳳寺院,諸機能を分担した各施設は整斉に計画され,その周辺には地形に左右された集落などが混在した空間を呈していたものと思われる。近江朝廷の内裏や寺院・関係施設などを短期間に新設し,ハード面を充実させていくにつれて渡来系集落的景観から大津宮の交通整備重視の未集住な空間へと変遷していったものと考えた。
出版者
国際日本文化研究センター
巻号頁・発行日
pp.1-932, 2018-02-28

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著者
三浦 宏文
出版者
実践女子大学
雑誌
実践女子大学短期大学部紀要 = The Bulletin of Jissen Women's Junior College (ISSN:13477196)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.23-36, 2015-03-21

本稿では、日本の刑事ドラマである『相棒』と『踊る大捜査線』という二つを取り上げ、そこに現れるインド思想について考察した。『相棒』の主人公杉下右京はインドの古典『バガヴァッドギーター』の義務(dharma)の遂行という倫理にのっとった行動を示していた。また『踊る大捜査線』の室井慎次は、『ギーター』のクリシュナのように捜査員の苦しみや迷いを受けとめる神としての存在であった。すなわち、この二つのドラマには『ギーター』と同じ主題が流れていたのである。
著者
工藤 祥子
出版者
大谷大学
巻号頁・発行日
2017-03-17