著者
田縁 正明 松村 真宏
雑誌
エンタテインメントコンピューティングシンポジウム2016論文集
巻号頁・発行日
vol.2016, pp.208-213, 2016-11-05

スマートフォン(スマホ)の利用拡大に応じて,事故などを引き起こす歩きスマホが社会問題として注目されている.本研究ではその歩きスマホを防止するため,指向性スピーカーを用いた手法「おしゃべりスマホ」の可能性について検討した.アンケートと観察結果にて,「おしゃべりスマホ」のスマホ防止策としての有効性が明らかになり,またエンターテイメント的展開の可能性と羞恥心と嫌悪感が行動変容に及ぼす影響が示唆された.
著者
村上 正行 飯山 将晃 美濃 導彦
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.66-69, 2018-12-15

筆者らは,2014年度から2016年度にかけて「京都ICT教育モデル構築プロジェクト」として,京都市立西京高等学校附属中学3年生を対象に,タブレットを活用したさまざまな教育実践を行い,多様な学習ログを取得した.その学習ログを分析して得られた成果として,(1)学習している時間帯や解答時間などの学習状況の可視化,(2)問題を解く際のペンストロークの分析による解答停滞個所の検出,(3)数学の図形問題を対象に,解答に至る過程を可視化した上で特徴毎に分類,を紹介した.
著者
鶴田 武良
雑誌
美術研究 = The bijutsu kenkiu : the journal of art studies
巻号頁・発行日
no.384, pp.48-78, 2004-11-12

“Research on the History of Chinese Painting of the Past 100 Years - VII,” published in No. 383 of this journal, introduced the Chûnichi Kaiga Rengő Tenrankai exhibitions jointly organized by Japan and China for a total of five exhibitions between 1921 and 1929. The article discussed the chronology and process of the organization and execution of the exhibitions, and discussed the evaluation of Nihonga paintings in China. In terms of catalogues of works exhibited in these five exhibitions, there are type-set catalogues for the First and Second exhibitions, bound into the Ministry of Foreign Affairs records, Tenrankai kankei zakken, vol. 1 [Miscellaneous items related to exhibitions], in the Diplomatic Record Office of the Ministry of Foreign Affairs. A pamphlet-sized catalogue was produced for the Beijing venue of the 3rd exhibition, and a single sheet catalogue was distributed at the Shanghai venue of the 3rd exhibition. A single sheet catalogue was printed for each of the 4th exhibition venues in Tokyo and Osaka. The 5th exhibition was held at Shanghai and Dalian venues, with a pamphlet catalogue of Chinese paintings and a single sheet catalogue of Japanese paintings published for the Shanghai venue. A single pamphlet catalogue recording both Chinese and Japanese paintings was produced for the Dalian venue. These various catalogues are important reference materials regarding the state of affairs of the Chinese painting circles of the early Zhonghua Minguo (Republic of China) period, and are also extremely rare documents recording one extreme of the market for paintings during that period. However no organization in Japan has original copies of all of these catalogues. Those extant are scattered amongst the Diplomatic Record Office of the Ministry of Foreign Affairs, the Tokyo National Research Institute for Cultural Properties, and the Tokyo National University of Fine Arts and Music. The dearth of extant originals of these publications makes viewing of the actual materials difficult. Thus, this issue presents the exhibition catalogues for all five exhibitions. The data elements from some of the catalogues have been rearranged, and a consecutive numbering system has been added, but with those exceptions, the original data and contents of the catalogues have been fully reproduced. Please see the notes section at the end of each catalogue listing regarding the physical format and bibliographic information for each catalogue.
著者
柴山 翔二郎 中本 千尋 清水 剛 高柳 浩 西田 眞
雑誌
ソフトウェアエンジニアリングシンポジウム2018論文集
巻号頁・発行日
vol.2018, pp.257-258, 2018-08-29

働き方改革を具現化するため,ビジネスパーソンの生産性を向上させるアプリケーション構築に取り組んでいる.メール種別を自動分類し,その種別に応じたタスク支援機能を提供することを目指している.本研究では,実際のメールを用いて分散表現空間を構築し,一部のメールに教師ラベルを付与した.教師データを学習することで,メールのタスク種類を分類する分類器を構築した.
著者
小林 幹男
出版者
長野女子短期大学出版会
雑誌
長野女子短期大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.6, pp.15-29, 1998-12-21

中山道は、東海道に次ぐ主要な街道であり、板橋・草津宿間67次であるが、一般的には東海道と重なる草津宿と大津宿を加えて「中山道69次」といわれている。中山道の宿駅は、社会の安定と経済の発達に伴って、物質の輸送や人馬の継ぎ立てが増加し、参勤交代の大名、一般旅行者の通行によって賑い、江戸後期になるとさらに輸送量と通行者が増加して繁栄した。しかし、宿駅や助郷村は、一方で無賃、または低賃銭の伝馬役などを強制され、その不足分を補填しなければならなかったため、財政が窮乏し、幕府や藩に窮状を訴えて減免を願い、宿駅と助郷村の紛争も相次いだ。孝明天皇の妹和宮が、公武合体の政治的意図によって、将軍徳川家茂に嫁ぐため東下した文久元年(1861)のいわゆる「和宮様の御通行」は、空前の大行列であった。この大行列の人数は、京方1万人、江戸方は京都所司代をはじめ、お迎えの人数を合せて1万5千人、合計2万5千人といわれ、御興の警護12藩、沿道の警護29藩、総勢およそ8万人と伝えられている。この大行列通行のために動員された人馬は「御小休」の長窪宿の場合、定助郷12か村、当分助郷29か村、人馬6,350人、645疋と記録されている。このことからも「御泊」の和田・八幡・沓掛宿、「御昼」の芦田・小田井・軽井沢宿などの負担を窺うことができる。
著者
太田 昌孝
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.57-69, 2005-01-14

本論は、1、詩「白い鳥」に見られる宮沢賢治の宗教観について、と、2、宮沢賢治作品の原風景としての安倍氏の興亡(白鳥伝説)とに分けられる。1においては大正11年11月の、妹宮沢トシの死を契機に賢治の宗教観(死後観)が如何に推移したかを、詩「白い鳥」の作品分析を行うことにより明らかにした。それによると、「白い鳥」制作時(大正12年6月)における賢治は未だトシの死がもたらした喪失感から抜け出す気配はなく、『古事記』に描かれている倭建命の死後の姿に仮託する形でトシの死を受け止め、やがて賢治が立ち向かうことになる、「青森挽歌」での、トシの死の意味づけとは遠い境地にあることを考察した。また、2においては、岩手に生まれ、岩手に生きた宮沢賢治の意識の原風景の中に刷り込まれていると考えられる、前九年の役における安倍一族の興亡の現実と賢治の作品への影響を、具体的な作品を提示することにより論考した。宮沢賢治の作品(詩)に前九年の役(安倍氏の興亡)を明らかに表しているものは発見できなかったが、それをイメージの源泉にしていると考えられる作品は幾つか提示した。加えて、前九年の役に内包されている〈白鳥伝説〉と賢治詩との相関についても若干の考察を試みた。