著者
経済学会
出版者
京都大學經濟學會
雑誌
經濟論叢 (ISSN:00130273)
巻号頁・発行日
vol.110, no.5, pp.335-337, 1972-11
著者
Saito Akira
出版者
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部インド哲学仏教学研究室
雑誌
インド哲学仏教学研究 (ISSN:09197907)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.13-22, 2011-03-31

初期サーンキヤ派が導入した学説の一つにpratibimba(影像)説がある。この学説は、原質(prakṛti)と純粋精神(puruṣa)との二元論に立脚する同学派にとって、いかにして、原質由来の非精神的な知性(buddhi)等が知覚という精神的ともいえる行為をなし、他方また、行為主体でないと規定された純粋精神が対象を知覚しその結果を享受する行為をなしうるのか、という根本問題への回答という文脈において導入された。じっさい同学派において純粋精神は、行為主体でなく、変化することがなく、遍在すると規定される一方、見る者、知る者、結果を享受する者等と伝統的に特徴づけられている。// サーンキヤ派のpratibimba 説については従来の研究も少なくない。『中観心論』Madhyamakahṛdayakārikā およびその注釈『論理炎論』Tarkajvālā を通して、バヴィヤによる同学説批判を論じた研究も複数ある。しかしながら、これらはいずれも『中観心論』のサンスクリット語写本の公開と本格的な校訂研究以前の成果であり、同写本とその校訂作業を基礎にした本論題に関する再検証が待たれていた。一方また、同派のpratibimba説は、イーシュヴァラクリシュナ(4–5世紀)作『サーンキヤ・カ-リカー』には見られず、伝説では第二祖のアースリ頌に帰せられるという。しかしながら、じっさいに同偈頌が引用されるのは、後代のヴァイシェーシカ派やジャイナ教徒等の手になる論典あるいは注釈文献であり、そのテキストと解釈についても今なお問題を残している。// このような意味で、『中観心論』およびその注釈『論理炎論』の第6 章「サーンキヤ派の真実[説への批判的]入門」は、サーンキヤ派による最初期のpratibimba 説を伝える資料としてきわめて重要である。本稿では、総計65偈からなる同章の中から、pratibimba 説の前主張を示す第2偈、および後主張にあたる第22,23両偈を、それぞれに対するバヴィヤの注釈内容とともに分析する。これと併せ、『中観心論』第3章「真実知の探求」第53偈と同偈に対する注釈を手掛かりとして考察し、以下のような結論を得た。// (1) バヴィヤが紹介するサーンキヤ派のpratibimba 説によれば、純粋精神は、その上に月の影像などが映し出される静かな水に喩えられる。すなわち、影像を映す水に喩えられるのは知性(buddhi)ではなく純粋精神(puruṣa)である。// (2) したがって、このばあい静かな水に喩えられる純粋精神は、知性によって確認された知覚対象を間接的に映し出すのであり、あたかもその映像の前後において水自体に変化がないように、純粋精神そのものに変化はないとサーンキヤ派は主張する。// (3) 以上のような前主張に対して、pratibimba 説は「他のものを生じる原因とはならない」「変化しない」等といわれる純粋精神の特質に矛盾する、とバヴィヤは批判する。// (4) バヴィヤはまた、初期のサーンキヤ派には、純粋精神が知性に似てはたらくことの理由を、pratibimba 説とならび、純粋精神の変異(pariṇāma)によると説く学説があったことを紹介する。この学説に対してバヴィヤは、精神性、非原因、遍在性という純粋精神本来の特質との矛盾を指摘して批判を加える。
著者
朴 紅 青柳 斉 伊藤 亮司 張 錦女 坂下 明彦
出版者
北海道大学大学院農学研究院
雑誌
北海道大学農経論叢 (ISSN:03855961)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.61-69, 2011-03-03

This is the second of the essays that study the development of organic rice production areas based on the case of Heilongjiang Wuchang City, which is famous for being the breadbasket of quality rice. In this study, Minle Township, which is the core area of organic rice production in Wuchang City, is chosen for the research. This essay also summarizes the process Minle County underwent to become an organic rice growing area. Furthermore, three production and sales organizations are given as examples, and their organic rice management characteristics are analyzed. The first case is the Fengsu Cooperative, which is an extensive and specialized farmersユ cooperative established in 2006 with 450 household members and a 2,000-hectare production base. The next case is the Farming Science and Technology Association, which is an organization centered on skilled peasant households, established in 2002. This association is transregional and has 100 household members and a 300-hectare production base. The third case is the Meiyu Cooperative, established by villager groups in 2008. With 100 household members and a 200-hectare production base, the Meiyu Cooperative is an organization based on and controlled by an enterprise providing a residence community for their members. In addition, although several peasant households receive orders directly from the enterprise,spontaneously-organized peasant cooperatives are more common, against the backdrop that organic longgrain rice now sells at high prices. All these factors demonstrate the characteristics of Minle County as a production area of premium rice.
著者
山室 信一
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.63-80, 2011-03

1895年から1945年の敗戦に至るまでの日本は, 日本列島弧だけによって成立していたわけではない。それは本国といくっかの植民地をそれぞれに異なった法域として結合するという国制を採ることによって形成されていったが, そこでは権利と義務が差異化されることで統合が図られていった。こうした日本帝国の特質を明確化するために, 国民帝国という概念を提起する。国民帝国という概念には, 第1に国民国家と植民地帝国という二つの次元があり, それが一体化されたものであること, しかしながら, 第2にまさにそうした異なった二つの次元から成り立っているという理由において, 国民帝国は複雑に絡み合った法的状態にならざるをえず, そのために国民国家としても植民地帝国としてもそれぞれが矛盾し, 拮抗する事態から逃れられなかった事実の諸相を摘出した。その考察を通じて, 総体としての国民帝国・日本の歴史的特質の一面を明らかにする。
著者
古市 直樹
出版者
東京大学大学院教育学研究科
雑誌
東京大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13421050)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.435-443, 2013-03-10

This paper considers the evolution of structural thought in Heinrich Rombach. He developed the image of communication that underlies his original structural thought “structural ontology” on his new conception “image philosophy” und “hermetics”, but he failed to bring the developed image into his structural thought itself minutely.
著者
泉 桂子
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.133-184, 1998

近年,森林の公益的機能に対する一般の関心が高まりつつある中で,従来の木材生産中心の森林経営計画にかわって,森林の木材生産機能と公益的機能の両方に配慮した森林経営計画が求められている。このような多目的型の森林経営計画のあり方を展望する上で,90年余の経営蓄積を持ち,日本を代表する大都市水道局の所有・管理する森林である東京都水道水源林を対象として,研究を進めていく。筆者はこれまで,東京都水源林の経営計画の変遷について報告し,現在の経営計画は水源かん養機能高度発揮を目的とした水源林独自のものであることを明らかにした。しかし,水源林問題は河川をめぐる上下流の相互関係とも捉えられ,経営計画の変遷問題の解明にあたっても,この上下流の関係成立過程が極めて重要な意味を持つ。そこで,本研究では,水源林の経営前史における上下流の相互関係について明らかにすることを目的とした。
著者
岩松 正洋
出版者
文芸学研究会
雑誌
文芸学研究 (ISSN:13460641)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.136-145, 2013-03-31

講演報告(高見広春氏講演会)
著者
石井 卓郎 Ishii Takuro
出版者
名古屋大学農学国際教育協力研究センター
雑誌
農学国際協力 (ISSN:13475096)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.89-121, 2010-02 (Released:2013-03-05)

The proceedings included herein are the papers presented in the Seventh ICCAE Open Forum held in October 20th, 2006 at Nagoya University, Japan.