著者
坂井 礼文
出版者
国際言語平和研究所
雑誌
コスミカ
巻号頁・発行日
no.45, pp.13-24, 2016-01-31
著者
高橋 照彦
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.133-169, 1995-03-31

本稿は,平安時代における緑釉陶器生産の展開と終焉を検討対象とし,生産地の拡散過程・生産体制ならびにその歴史的背景について考察することを目的としている。緑釉陶器生産の盛衰過程は6段階に整理され,巨視的にみれば3度にわたる生産地の拡散が認められる。このうち,本稿は第2次拡散以降について検討を試みることにした。まず,第2次拡散期である9世紀中頃には,山城・尾張において基本的にその生産国内の技術により,国内の範囲で生産地拡散が行われる。この背景には,公的用途に限定されない需要の増大が推測され,9世紀前半からの緩やかな変質を認めることができる。その一方で,長門ではおそらく在地の生産基盤の薄弱さなどのために,他地域のように十分な生産の拡大は達成できなかったとみられる。この時期の緑釉陶器の生産体制としては,在地の生産組織に依拠しながらも中央の介在による共通規範の設定が行われていたものとみられ,国衙による生産過程への一定の関与が推測される。第3次拡散では,旧来の生産国を越えて丹波・美濃・近江・周防・三河などの新たな生産地が成立する。ここに9世紀的な3国による生産が崩れ,より一層の在地的展開が起こったことになる。ただし,生産体制としては従来から指摘のある荘園制的な新たな生産に転化したとは考えられず,それ以前からの延長的側面が残存していたと判断される。特に10世紀前半代には,近江窯の成立を初めとして9世紀代の緑釉陶器生産・供給体制を再現するために国家的に生産の再編が行われた可能性がある。11世紀前半代には,緑釉陶器生産がほぼ終焉を迎えることになる。この段階では緑釉陶器の需要が消滅したとは言えないため,終焉の背景としては生産側の要因がより大きかったと判断した。その一因としては原材料である鉛の不足も確かに重要であるが,規定的な要件はむしろ他の手工業生産にもわたるような国家的な変動の中で旧来的な生産が維持できなくなったという生産体制自体の変質に求められると考えた。平安期緑釉陶器生産は,奈良時代の中央官営工房による独占的な体制から,国衙が関与しつつ在地の窯業生産に依存する生産体制へと変容したことが大きな特質であった。そして,その生産は中世への萌芽的様相を見せながら変質していくが,最終的には国家的な後ろ楯なくしては存立できない古代的な生産体制に留まっていたために,在地に技術が根付かなかったものと結論付けた。
著者
森川 潤 モリカワ ジュン Jun Morikawa
雑誌
広島修大論集. 人文編
巻号頁・発行日
vol.42, no.2, pp.1-31, 2002-02-28

Im Marz 1881 bringt der Staatsrat Shigenobu Ohkuma den Entwurf der Verfassung vor, und fordert die Einberufung des Parlaments im Jahre 1883 und die Einfuhrung des englischen Parlamentarismus. Kowashi Inouye, der dem preussischen Monarchismus nach seinem kurzen Aufenthalt in Berlin im Mai 1873 angehangen hat, behauptet dem Vizekanzler Tomomi Iwakura, den preussischen Monarchismus stufenweise einzufuhren. Er fordert Furst Hirobumi Itoh, um entweder den preussischen Monarchismus oder das englischen Parlamentarismus zu wahlen. Im Oktober wird die Sekte von Ohkuma, welche auf das "Mitregieren von Monarch und Volk" zielt, durch die Daimyats-Clique (hanbatsu) von Satsuma und Choshu aus der Regierung vertrieben. Die Aufgabe dieses Aufsatzes ist aufzuklaren, welchen Planen Kowashi Inouye vor dem Coup d'Etat geschmiedet hat.
著者
森川 潤 モリカワ ジュン Jun Morikawa
雑誌
広島修大論集. 人文編
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.I-36, 2000-03-10

Im Marz 1881 reicht der Staatsrat Shigenobu Ohkuma einen Entwurfu uber die Begrundung des Parlaments dem Minister Sanetomi Sanjo ein. Der Entwurf fordert die Begrundung des Parlaments bis 1883 und die Einfuhrung des englischen Kabinettswesens fordert. Aus Anlaβ dieses radikalen Entwurf wird die Dajokan-Regierung erzwungen, das Kabinett entweder auf englische oder preussische Art zu wahlen. Durch den Coup d'Etat des Oktobers wird die sogenannte Ohkuma-Gruppe aus der Dajokan-Regierung ausgerottet. Dahinter manovriert ein Taktiker Kowashi Inouye, der die Einfuhrung des preussischen Konstitutionalismus behauptet. Im Prozeβ zum Coup d'Etat des Jahres 1881 fangt die Reform der Universitat Tokio an, und der Verein fur deutschen Wissenschaften wird gegruendet. Die Aufgabe dieses Aufsatzes ist, die politische Absicht dieser Bewegung aufzuklaren.
著者
森川 潤 モリカワ ジュン Jun Morikawa
雑誌
広島修大論集. 人文編
巻号頁・発行日
vol.40, no.1, pp.I-19, 1999-09-30

Aus Anlaβ des Erlasses der konstitutionellen Regierungsform vom Jahre 1875 zeigt sich einige Vorzeichen der 'Neigung zum Deutschland'. Nachstes Jahr Fordert der Auβenministerium, einen Rechtsberater aus Deutschland zu berufen. Im Jahre 1880 vorschlagt der Staatsrat Kaoru Inouye Kowashi Inouye, die Untersuchungsreise nach Deutschland zu machen. Die Aufgabe dieser Studie ist aufzuklaren, wie die 'Neigung zum Deutschland' im Prozeβ zum Staatsstreich vom Jahre 1881 Fortschritte macht. Dabei kann man nicht das Wesen des Kowashi Inouyes ubersehen, der seit seinem Besuch in Deutschland vom Jahre 1872 beabsichtigt, den Rechtsgrundsatz der vom preuβischen Konig autorisierten Verfassung nach Japan zu verpflanzen.
著者
小島 一秀 渡部 広一 河岡 司
雑誌
全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.第58回, no.人工知能と認知科学, pp.199-200, 1999-03-09
著者
福島 拓 吉野 孝 重野 亜久里
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.256-265, 2013-01-15

現在,在日外国人数は年々増加しており,多言語によるコミュニケーションの機会は増加している.医療の分野では医療機関を訪れる外国人患者とのコミュニケーションのために多言語問診票が使用されている.しかし,多言語対応の紙の問診票は種類が少ないため各医療機関の要求を満たすことができていない.また,日本人医療従事者が外国人患者の母語で書かれた紙の問診票を理解することは困難である.そこで我々は,用例対訳や機械翻訳を利用して診察に必要な基本情報である症状の伝達を支援する,多言語問診票作成システムの開発を行い,問診票入力機能についての評価を行った.本研究の貢献は次の2つである.(1)日本人医療従事者と外国人患者との間のコミュニケーションを支援する,多言語問診票作成システムの提案を行い,実現した.(2)用例対訳と機械翻訳を併用することで,病名や症状を含む文の正確性と,状況説明などの付与情報を含む文の網羅性を確保した多言語問診票の記入の可能性を示した.
著者
江草 由佳 高久 雅生 齋藤 ひとみ 寺井 仁 三輪 眞木子 神門 典子
雑誌
研究報告情報学基礎(FI)
巻号頁・発行日
vol.2009-FI-95, no.20, pp.1-7, 2009-07-21

本研究では,サーチエンジンを用いた Web の情報探索行動を対象に,サーバサイドのクリックスルーログからだけでは捉えることのできない,サーチエンジンから検索結果を取得した後の探索行動を含めた全体の情報探索行動の特徴を明らかにすることを目的とし,課題の志向性や利用者の経験が与える影響について実験的な検討を行った.実験には大学学部生 11 名および大学院生 5 名が参加した.実験参加者には,世界史のレポートを作成するための情報を収集する 「Report 課題」 と,国内旅行の計画を立てるための情報を収集する 「Trip 課題」 の 2 つが与えられ,それぞれ 15 分間ずつ取り組んだ.どれくらいサーチエンジンの検索結果から離れたかを示す指標:LinkDepth を提案し,Link Depth を用いて実験参加者の Web 閲覧の特徴を示した.
著者
葛毅 阿部 公輝 浜田 穂積
雑誌
情報処理学会研究報告システムLSI設計技術(SLDM)
巻号頁・発行日
vol.2000, no.2(1999-SLDM-094), pp.9-16, 2000-01-12

本論文では,URR(Universal Representation of Real numbers)を用いた32ビット浮動小数点乗算回路のIEEE規格との比較とVLSIへの実装について述べる.URRとは浮動小数点数値表現法の一つである.URRは指数部と仮数部を可変長とすることで,IEEE規格に比べて遥かに大きな値や小さな値を表現することを可能としている.しかし,可変長であることから指数部と仮数部の分離/結合処理を行う回路を必要とする.本論文ではURRを実装する際の回路量を評価している.主に次について述べる.(1)URRを用いた浮動小数点乗算回路の構成と分離/結合を行う回路構成の詳細な検討.(2)各構成要素の最適化.(3)IEEE規格の浮動小数点乗算回路との比較.IEEE規格との比較の結果,遅延時間で1.66倍,面積で2.52倍となった.なお,加算回路では遅延時間で1.68倍,面積で2.44倍となった.また,設計した乗算回路の試作チップを作成した.試作チップの主な製造条件は,CMOS0.6μm,4.5mm角である.設計はVerilog-HDLで行い,論理合成にDesign Compiler (Synopsys社),配置配線にAquariusXO (Avanti社)を使用した.