著者
酒井 麻依子
出版者
日本メルロ=ポンティ・サークル
雑誌
メルロ=ポンティ研究 (ISSN:18845479)
巻号頁・発行日
vol.25, pp.73-88, 2021 (Released:2021-11-06)
参考文献数
16

Dès le commencement de sa carrière philosophique, Merleau-Ponty a conquis son attitude intellectuelle au travers du dialogue avec les diverses « sciences de l’homme ». De même, dans ses cours de Sorbonne, il puisait largement aux résultats de disciplines fort variées, lesquelles ne correspondent pas nécessairement à la psychologie et la pédagogie de l’enfant. Dans cet article, nous établissons d’abord la manière dont Merleau-Ponty comprend le rapport entre la philosophie et les « sciences de l’homme », en particulier la pédagogie et la psychologie de l’enfant. Ensuite, nous éclaircissons certaines implications de sa thèse principale, à savoir que dans ces deux domaines se rencontre une difficulté méthodologique : l’adulte, qui n’est plus d’enfant, étudie l’enfant en tant qu’« autrui ». Finalement, nous soulignons que cette thèse permet d’envisager le problème des relations avec « autrui » de façon plus variée, c’est-à-dire de considérer non seulement la relation avec l’enfant, mais aussi celle avec la femme, l’étranger et le malade.
著者
安田 将
出版者
日本倫理学会
雑誌
倫理学年報 (ISSN:24344699)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.97-111, 2020 (Released:2021-05-24)

In his dialogue On the Laws(De legibus), Marcus Tullius Cicero(106─43 B. C.)argues that laws should be something which, when adopted by the people, would allow them to live happy, honorable lives. In the first part(‘Part A’)of book 1, Cicero provides the theoretical foundation for this conception, embodied by the Stoic cosmology. In the second part(‘Part B’), Cicero argues for natural justice independently of this cosmology. In both parts, the naturalness of justice means that justice is common to all. Yet, in Part B, this point does not mean that there is a common ideal state which only a few can correctly recognize as justice, as it does in Part A. Rather, in Part B, all people, including bad people, recognize the basic feature of justice: its naturalness. This change in conclusion cannot be accounted for if, as scholars tend to believe, Part B is a mere appendix, i. e., a repetition of Cicero’s conclusion in Part A, achieved by refuting possible alternatives to his view. In order to provide a reasonable explanation for this change, I intend to start by highlighting the fact that Cicero regards the arguments in both parts as necessary for achieving the aim of this work, i. e., the preservation of the mixed constitution, wherein all people judge what is just or not without leaving such judgments to the few aristocratic leaders. On this basis, I will argue that it is necessary for Cicero to suspend the conclusion in Part A and modify it in Part B, because Part A concludes that the naturalness of justice cannot be recognized by all. The skeptical reservation put forward in Part A seems at first sight to be precisely the perplexing and superficial pretense that scholars considered it to be in the past. Yet, in fact it is necessary. Cicero needs to argue for natural justice as he did in Part B, not A, in order to achieve the overall aim of the work and present laws which can preserve the mixed constitution, i. e., the laws whose justness all people can judge and adopt by their own judgment. In this way, Cicero’s skeptical strategy enables him to evade some ideas from Greek philosophers and unfold his political thought philosophically.
著者
飯泉 佑介
出版者
日本倫理学会
雑誌
倫理学年報 (ISSN:24344699)
巻号頁・発行日
vol.67, pp.135-147, 2018 (Released:2019-04-01)

The purpose of this paper is to elucidate the referent of the “we” that appears in G. W. F. Hegel’s Phenomenology of Spirit(1807)and its intended significance for “we”. This attempt is accomplished by the immanent analysis of the relationship between “we” and the consciousness, whose path to “absolute knowing” is the focus of Phenomenology. Consequently, it is revealed that “we” refers to the public who are contemporary with Hegel, and Phenomenology must be planned as an educational project(das Bildung)for the public or a kind of public selfenlightenment. In contrast to Hegel’s later work, Science of Logic(1812─13/16/32), whose subject is the “speculative thinking” abstracted from the empirical world, the subject of Phenomenology seems to be obscure. Phenomenology describes the developmental path of consciousness headed for “absolute knowing,” but according to Hegel, “we” contemplates(zusehen)its path without any interruption. Since Hegel’s explanation for the methodological role of “we” is not sufficient and he lacks an account of its referent, there has been controversy on this subject. Some interpret the “we” as a philosopher or Hegel himself who has already attained “absolute knowing.” Others interpret the “we” as the reader of Phenomenology, who only reflects upon consciousness in each stage of its development. Then, first, this paper shows that both interpretations do not correspond to Hegel’s description of “we.” Second, it presents the real figure of “we” based on the analysis of the first shape of consciousness, “sense-certainty.” Besides, by comparison with the “we” in J. G. Fichte’s early philosophy(the Science of Knowledge), the distinctive feature of the phenomenological “we” becomes clear: the referent of “we” is indefinite and open. Therefore, “we” should be considered as the public, including the scholars and citizens of various philosophical or even non-philosophical positions. From this perspective, accordingly, the significance of Hegelian philosophy is interpreted as a radical self-examination of the public and the self-transformation of its knowledge.
著者
Arshin Adib-Moghaddam
出版者
独立行政法人 日本貿易振興機構アジア経済研究所
雑誌
中東レビュー (ISSN:21884595)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.51-64, 2020 (Released:2020-03-27)

「サイコ・ナショナリズム」は、現在の中東地域において不安定要因を形成する主要な要因であり、それは排他的な国民意識の核となる集団的自己意識の半ば意図的に捏造された発明品である。本論は中東イスラーム世界における哲学的議論の豊かな蓄積―イブン・ハルドゥーンの政治学的・社会学的考察を含む―の上に、近年盛んに行われているアイデンティティー政治学の宗派主義・部族主義的な分析枠組みの脱構築を意図している。本論ではまずアラブ世界およびイラン世界における「想像的共同体」の具体的な構成要素に検討を加えたうえ、とりわけ中東地域においては人間集団間の長期的な混交と相互依存構築という歴史的な経験を踏まえた理性的な対話・交渉による関係の構築が地域的平和の実現のための不可欠の要件であることを確認する。
著者
小倉貞秀著
出版者
以文社
巻号頁・発行日
1986
著者
中條 秀治
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.100-114, 2022-01-31 (Released:2022-04-08)
参考文献数
24

21世紀の経営哲学は、「サスティナビリティ」を中核の思想とする「新しい資本主義」への歩みを進めるものでなければならない。そのためには新自由主義経済思想と「株主価値神話」が結びついた現行の「ダナマイト魚法」的経済システムからの脱却を目指さねばならない。「株主価値神話」は「死ななければならない」。「この神話を終わらせる」ために、われわれは何をしなければならないのか。イスラエルの歴史学者ハラリ(Harari,2014)は『サピエンス全史』の中で、人類の強みは巨大な規模で協力関係を作り出す能力にあるが、それを可能とするのは「虚構の物語(fictional story)」であると指摘している。さらに、人々が信じる「物語」が別の物語に取って代わることで、人々の物事の捉え方と行動が変わり、社会は変化すると主張している。われわれがこれまで教え込まれてきた「株主価値神話」から脱却しようとするなら、われわれは新たな「物語」を必要とする。再生させなければならない「物語」は中世キリスト教を起源とする「コルプス・ミスティクム(corpus mysticum:神秘体)」の「物語」である。株式会社は法人であり、株主という自然人とは次元を異にするフィクションとしての「擬制的人格」である。「株主価値神話」にはカンパニー(company)の会社観とコーポレーション(corporation)の会社観の混同がある。コーポレーションの会社観に基づく法人の論理を突き詰めることで、”生きている法人”は「誰のものでもない」という立場に立つことが可能となる。21世紀の経営哲学は、株式会社がその存在の根拠としたコルプス・ミスティクム(神秘体)という「虚構の物語」に一旦立ち返ることで、「株主価値神話」からの脱却の糸口を見つけ、「社会制度体」としての法人という観点から社会貢献活動を企業の経営実践に組み込むことが可能となる。
著者
涌田 幸宏
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.115-127, 2022-01-31 (Released:2022-04-08)
参考文献数
30

サステナビリティを主導する企業家、ないしサステナブルな企業家とは、社会的価値、環境的・生態系的価値、経済的価値を同時に追求する企業家である。2015年、国連でSDGsが採択されて以来、サステナブルな企業家活動に関する論文が多数発表されているが、その研究は端緒についたばかりである。本論文は、サステナブルな企業家活動に関する研究をレビューし、今後の研究に向けた指針を探ることを目的とする。具体的には、特に事業創造プロセスの観点から制度的多元性におけるビジネスモデルの構築について議論する。サステナブルな企業が追求するトリプルボトムラインの価値は、しばしば矛盾し対立する。そのため、企業家は制度的多元性のコンフリクトに直面することになる。本論文では、サステナブルな企業家は、どのようにロジック間の競合を解消し、ビジネスモデルの構築と刷新を行っていくのかについて考察する。そして、異質な価値への段階的・逐次的な対応とビジネスモデルの変化を説明し、資源としてのビジネスモデル、価値主導的なビジネスモデルの組み替えという視点を提示する。最後に、今後のサステナブルな企業家活動研究の課題を示唆する。
著者
福田 充男
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.2-16, 2021-04-30 (Released:2021-07-22)
参考文献数
15

本研究では、Peter M. Senge (2006) 著「The Fifth Discipline」で提示されたディシプリンの1つであるシステム思考のうちの「問題のすり替わり構造」を主たる分析ツールとして援用し、沖縄県宮古市所在の自然塩製造・販売業者の経営理念浸透メカニズムの解明を試みた。この事例分析を通して、理念浸透を促進する「掲揚」と「実践」と「会話」という3つの行為が、相互に双方向に作用しあうという統合的学習モデルを、経営トップと経営チームと一般社員が共通して保有し、重層的なフラクタル構造を維持するときに、より深く組織に理念が浸透するという理念浸透メカニズムのモデルが導出された。
著者
橋本 倫明
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.17-28, 2021-04-30 (Released:2021-07-22)
参考文献数
22

2015年に適用が開始された日本版コーポレートガバナンス・コードは企業の持続的な成長と中長期的な企業価値の向上を図るため、とりわけ独立社外取締役の積極的な登用を促してきた。これにより、日本での独立社外取締役の選任は急速に進んだ。さらに、2018年6月のコード改訂に伴い、経営者の選解任や報酬決定プロセスへの独立社外取締役の十分な関与が求められ、この数年で多くの企業が独立社外取締役中心の指名委員会や報酬委員会を設置した。しかし、企業の持続的な成長や中長期的な企業価値の向上を実現するためには、独立社外取締役の果たす役割だけでは不十分であるとともに、独立社外取締役の役割を過度に強調してきたことが、形式だけの登用やそのなり手不足といった問題を引き起こしてきた可能性もある。本稿では、ダイナミック・ケイパビリティ論に基づくコーポレートガバナンス論を展開し、これらの独立社外取締役に関連する問題を解決して、変化の激しい今日のビジネス環境において日本企業の持続的な成長を実現するために必要なコーポレートガバナンスの新たな指針を示す。その帰結は以下の通りである。(1)エージェンシー理論に基づけば、独立社外取締役の積極的な活用は、従来の日本のコーポレートガバナンスの主要課題であったインセンティブ問題を解決するための有用な方策である。しかし、(2)変化の激しい環境ではインセンティブ問題の解決は企業の持続的な成長を保証せず、企業活動を正しい方向に向かわせる経営者のダイナミック・ケイパビリティ活用を促すことが取締役に求められる最大の役割である。(3)その実現には独立社外取締役に過度な役割を与えるのではなく、企業の内部事情や業界に精通しマネジメント経験も持つ社内取締役も積極的に活用することが求められる。したがって、社内取締役と社外取締役の適切なバランスについての議論が、今後の日本企業のコーポレートガバナンスの最重要課題となる。
著者
劉 慶紅
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.2-18, 2022-01-31 (Released:2022-04-08)
参考文献数
12

現在の中国は持続的な経済成長、環境保護、社会的安定の3つのバランスを維持する為の取り組みとして、純粋な経済成長のみに目を向けるのではなく社会的問題の解決にも優先順位を置くことに基づいた政治的イデオロギーを編み出した。中国社会では、国家構築の過程で経済成長を重視してきたが、それによって生じた社会的問題に対処する必要性が自明となったことで重要な転機を迎えている。中国に進出している日系企業は、中国市場における競争を優位に進めるために、このような政策への理解は欠かせない。また、中国社会の上記のようなイデオロギー的転換によって引き起こされた激変は日系企業にとってリスクが高い事象であることは疑いないが、同時に中国市場において日本企業がさらに成長し、より良い企業イメージを築く機会を提供しているともいえる。そこで本稿では、このような状況下において、中国市場に進出する日系企業の戦略的課題が経済的な競争力の確保のみならず、環境保護や社会の安定的発展に向けた社会貢献であることを提示する。そのために、中国市場に展開する日系企業の社会貢献活動の実態を把握し、欧米企業の社会貢献活動と比較した上で、日系企業の社会貢献に関する問題点と今後の課題を明らかにする。これまで「非市場戦略」を推進するという観点からの中国市場における日系企業の研究では、社会貢献と中国の「和諧社会」の実現を結びつけた比較分析は殆ど行われておらず、この実証研究は数少ない考察の1つである。
著者
川名 喜之
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.37-53, 2022-01-31 (Released:2022-04-08)
参考文献数
31

本論文の目的は、近年金融機関で発生した組織不祥事を事例として、各社を取り巻く外部環境、その外部環境を受けた組織的対応、そして組織から求められる個人行動の連関性に着目することで、不祥事発生のメカニズムを明らかにしていくことにある。組織不祥事に関する先行研究は、組織不祥事の発生を未然に防止する組織の構築を目指してきた。しかしながら、組織不祥事の発生要因を、外部環境、組織構造、および個人の利害追求に還元する形では、いかにして組織不祥事が生じるのかを十分に説明できないという理論的課題を有してきた。そこで本論文では、先行研究の検討を通じてステークホルダーや当該企業を取り巻く規制などの外部環境をマクロとし、組織(メゾ)、従業員(ミクロ)の連関関係を組織不祥事の発生メカニズムとして捉える新たな分析枠組みを提示し、スルガ銀行、商工中金で発生した組織不祥事を対象として事例分析を行った。事例分析で明らかになるのは、マクロである外部環境からの要求に応答する形で整備され、ステークホルダーから正当性を獲得した組織において、その組織を維持・拡大するために従業員が暴走することで、組織不祥事が生じるという発見事実である。組織不祥事は、組織自体に欠陥や個人に問題があるのではなく、法規制やステークホルダーに埋め込まれた組織が、存立基盤と与えられた役割との矛盾を解消するために、不正自体を正当な行為として認識させていくメゾーミクロでの影の正当化が生じるからであると考える。影の正当化による悪循環のメカニズムが、組織内の不祥事防止策やガバナンスを無効化し、組織不祥事を生み出すことを明らかにしたことが、本論文の理論的貢献である。悪循環を生み出すマクロ・メゾ・ミクロの関係に注目し、組織不祥事の発生メカニズムを明らかにしつつ、いかに介入していく仕組みを作るのかが、今後の経営倫理研究に残された課題である。
著者
脇 拓也
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.54-68, 2022-01-31 (Released:2022-04-08)
参考文献数
23

企業に対する社会的責任の観点からの要求が高まる中で、企業にとって収益性と社会性(社会的責任を果たし、社会課題の解決の担い手となる)という一見すると対立する課題を両立させようとするためには、単に社会性に関する課題を自社の経営戦略・経営目標などに計上するだけではなく「企業の現状の状態と克服すべき課題を把握すること」および「企業が保有している能力や価値を活用して競争力を発揮するための力、つまりケイパビリティに着目し、大胆に組み替えていくといったこと」といったプロセスが必要と考えられる。そのために、本論文では、ポパー(K. Popper)の推測と反駁のプロセスと、ティース(D. Teece)によるダイナミック・ケイパビリティ戦略のフレームワークを利用して、収益性と社会性という対立する課題の解決、すなわち企業にとって社会性を重視しながら、同時に企業の能力を最大限発揮し収益性を獲得する方法について考察する。
著者
小松 章
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.69-74, 2022-01-31 (Released:2022-04-08)

日本企業では今なおコーポレート・ガバナンス改革の必要性が叫ばれている。しかし、労使の生産共同体的な企業観に立脚する日本企業に、株主利益を第一義とする米英の営利的な企業観に立脚したガバナンス機構を導入した結果、従業員の地位は著しく毀損された。日本企業は、米欧のモデルに倣う建前だけの形式的な機構改革をやめ、本音の生産共同体的な企業観に回帰して、これからのグローバル競争に立ち向かうべきである。
著者
大月 博司
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.75-89, 2022-01-31 (Released:2022-04-08)
参考文献数
17

サステナビリティは、地球環境への負荷が高まり、人間が快適に住めなくなる恐れから使われるようになった用語である。そして、その対策として今や各国の政策や立法の場で広く議論を呼んでいる。しかし、その用語の捉え方は一様でなく、具体的な策として皆が納得する策を見いだすには至ってない。こうした中で、企業にとっては持続可能な地球環境の保護問題より、持続可能な企業行動のあり方の方が喫緊の課題といえる。なぜなら、企業活動が国の経済を支え、グローバル経済の支えである一方、多くの人が企業活動との相互作用によって生計を立てているからである。そこで、企業サステナビリティを考えてみると、目的達成の手段たるテクノロジーの活用・開発次第で、企業の持続的活動が操作可能であり、影響を受けることが判明する。しかも、環境変化とともにテクノロジーも進化し、それを生かすも殺すも経営陣次第であることが想定できる。そこで、どのような経営なら持続可能な企業行動につながるかを論究すると、そこには環境変化に動じない経営哲学を保持する経営者像が浮かび上がる。そして、テクノロジーが進化して複雑化すると、その使い方は多様になる。しかし、経営者の行動基準である経営哲学が企業に浸透していれば、テクノロジーの活用方法が多様化しても逸脱する可能性は低く、サステナブルな経営を実現できる。
著者
出見世 信之
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.18, no.2, pp.90-99, 2022-01-31 (Released:2022-04-08)
参考文献数
16

本稿は、コーポレート・ガバナンス改革とサステナビリティをめぐる動きが日本企業にどのような影響を与えているかについて考察するものである。特に、実際の改革や取り組みにおける「コーポレート・ガバナンス」「サステナビリティ」の意味する内容の変化が企業の実践にどのように影響しているかを確認する。まず、経済学、経営学における企業観の変遷を概観し、コーポレート・ガバナンス改革の変遷やサステナビリティ概念の変容について確認する。経営理念が明確に示されているリコー、キヤノン、資生堂、花王の4社を取り上げ、それぞれのコーポレート・ガバナンス改革、企業サステナビリティへの取り組みについて確認した。
著者
杜 雨軒 張 宇星
出版者
経営哲学学会
雑誌
経営哲学 (ISSN:18843476)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.17-41, 2020-10-31 (Released:2021-06-08)
参考文献数
43
被引用文献数
1

「CSR・消費者」を手がかりとして行われてきたこれまでの先行研究では、様々な分野の優れた研究者が実りある研究成果を収めている。しかも近年では、科学計量学や計算機科学が進むにつれ、マクロ的視点に立ってCSR、消費者それぞれをキーワードとする計量書誌学的分析が年々増えてきた。そこで本研究は「CSR・消費者」両方に着眼し、可視化ツールCiteSpaceの活用によって1997年から2019年に至るまで当該分野における英語論文情報を俯瞰・抽出し、972本のサンプル文献における研究者や、研究機関、国家、論文自体、キーワード・名詞句間の共起表現を時間・空間的および内容的な知識マップによって捉えてみた。その上、キーワード・名詞句にバーストを検出し、サンプル文献のうち151本の高頻度被引用論文を掲載年度別・内容分類別的に解読・整理したことにより、該当分野における国内外の研究トピックス、萌芽的論点の発見とその変遷の可視化を成し遂げた。結果的には、「CSR・消費者」に関するテーマを取り扱っているのは、Pérezやdel Bosque、Peloza、Wang等の研究者、およびカンタブリア大学やペンシルベニア州立大学、フロリダ大学等の研究機関であり、主にスペイン、アメリカ、中国等に集中していることが分かった。そして共起分析やバースト検知によって選別された中心性の高い頻出語としては、Business Ethics、Stakeholder Theory、Citizenship、Product Response等の研究トピックスがあげられ、Credibility、Green、Communication、Disclosure等が当分野の先端的課題となっていることが判明した。また、当分野の研究は従来の財・サービス及びブランド、慈善活動等社会貢献についての考察から、ステークホルダー全体に及ぶCSRの諸側面についての横断的考察へと移行しつつあることが伺えた。一方、ここ数年、企業マネジメント自体、および消費者の認知的・心理的・行動的メカニズムに着眼する量的考察が逐年増えてきたことも分かった。伝統的な文献研究法とは異なり、本研究は文献レビューを大規模学術論文データに基づく計量書誌学的な頻出分析・ワード分析と結びつけ、「CSR・消費者」研究の有用性と客観性を考えようとしたものであり、これまでにない新規性と学問的意義を持っている。