著者
砂原秀樹 山内正人 金杉洋 柴崎亮介
雑誌
マルチメディア、分散協調とモバイルシンポジウム2014論文集
巻号頁・発行日
vol.2014, pp.1024-1026, 2014-07-02

位置情報を含むさまざまな情報を収集し活用することで有益な情報を生み出すことは可能であるが、そこに含まれるパーソナル情報をどのように扱うべきかについてはさまざまな議論がある。「情報銀行」の取組は、パーソナル情報を取り扱うHUBとなる組織を介し、安全にそして安心してパーソナル情報を預けられるようにし、それらを活用する試みである。本論文では、「情報銀行」の構想について紹介すると共に、それが目指す仕組み、特に技術的課題について述べる。また、「情報銀行」を実現するため我々はインフォメーションバンクコンソーシアムを設置した。ここでは、技術、社会受容性、利活用について検討を行い、「情報銀行」を実現するための研究・開発・実証実験を行う予定である。実現のためには、技術的課題だけを解決すればよいのではなく、そのメリットを正しく認識し、こうした仕組みが社会に受け入れられるために必要な事柄を整理する必然性がある。この組織は、こうした課題に取り組み、その成果を公開していくことを目標としている。ここでは、インフォメーションバンクコンソーシアムの活動についても概説する。
著者
MANI Sunil
出版者
GRIPS Policy Research Center
雑誌
GRIPS Discussion Papers
巻号頁・発行日
vol.16-09, 2016-07

Right through her independence, India has been trying to achieve economic growth with technological self-reliance. In order to achieve this goal, the country has been adopting a mix of industrial and innovation policies. During the period up to and including the early 1990s, the state attempted to give shape to this goal by intervening directly by generating a whole host of industrial technologies through state-owned undertakings and other public research institutes. During the period since the 1990s, coinciding with the economic liberalization policies the state has replaced this with incentivizing the innovation system of the country. This is because the state wants the private sector enterprises to be at the core of the innovation system. Key to incentivizing the private sector was two specific policies, namely the R&D tax policy and the policy on Intellectual Property Rights. The paper undertakes a critical review of the very recent changes to these two policy instruments.
著者
川西 直 川原 圭博 坂生 知子 森川 博之 青山 友紀
雑誌
情報処理学会研究報告ユビキタスコンピューティングシステム(UBI)
巻号頁・発行日
vol.2003, no.115(2003-UBI-002), pp.73-78, 2003-11-18

来るべきユビキタスコンピューティング環境では,センサや無線通信技術により実空間と仮想空間とが密に相互接続されることにより、実空間情報を利用したエンターテインメントアプリケーションを提供することが可能になると考えられている.我々は,このようなアプリケーションがユビキタスコンピューティング環境におけるキラーアプリケーションの一つになりうると考え,実空間情報を元に動的に構築される仮想空間上に自律分散的に生息するモンスターを,実空間を移動して収集するゲームとして,実空間指向エンターテインメントアプリケーション「ユビキタスモンスター(Ubiquitous Monster)」を提案し,適応型サービスプラットフォーム「Jack-in-the-Net(Ja-Net)」上への試作を進めている.本稿では,ユビキタスモンスターのモンスターをJa-Netの自律分散コンポーネントであるCyber-Entity(CE)として設計し,実空間情報を元に自律分散動作させる機構について述べる.
著者
安部 直樹 Naoki ABE
出版者
長崎国際大学
雑誌
長崎国際大学論叢 = Nagasaki International University Review (ISSN:13464094)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.13-22, 2007-01

中国より渡来した茶は、僧侶、公家、武士等に広まっていき、やがて足利、織田、豊臣らの大名によって茶道として定着していくのであるが、公家の茶、町人茶、大名茶はその理念、形態等に多少の違いがある。更に織田信長、豊臣秀吉の茶と織部、遠州、石州等の茶道にも若干の相違がある。ヘウケモノとしての古田織部、綺麗さびを特徴とした小堀遠州、武士のあつまりである分相応の茶の片桐石州、この3人の茶道をとりあげ大名茶としての理念にせまってみた。
著者
門脇 佳代子 渡邊 泰伸
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学研究紀要 = Bulletin of Tohoku Fukushi University (ISSN:13405012)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.93-107, 2016-03-18

船形山神社は宮城県北部南端の大和町に位置する。この地域は,古代において色麻柵を中心とした色麻郡の領域に含まれる。船形山神社に御神体として伝わる金銅仏「菩薩立像」は,久野健氏,松山鉄夫氏の紹介によって韓半島由来のものであることが指摘され,多くの識者の検討により百済仏とされてきた。本稿では従来までの美術史的な見方に,考古学的な知見を加味して,本像をこの地にもたらした人々の存在に迫った。古墳の変遷,官衙の成立,生産遺跡の操業などを視座にみると,渡来系の移民の姿が垣間見られる。中でも色麻古墳群より出土する須恵器は湖西窯跡品と考えられ,多数の移民の存在を推定できる。また色麻町土器坂瓦窯跡から出土した雷文縁4葉複弁蓮華文軒瓦によって7世紀末~8世紀初頭に紀寺系の軒瓦を使用した官衙と寺院が成立したことがわかる。古代色麻郡は多賀城以前の7世紀後半代には北進・西進の拠点となり,活発な動きのあった地域でもある。よって,従来まで8世紀~9世紀と考えれていた「菩薩立像」の当地への伝来の時期を見直し,渡来系移民による7世紀後半に位置付けたい。
著者
大杉 昭英
巻号頁・発行日
2015-03

目次第Ⅰ部 中央政府決定型 第1章 ドイツ …………………………………………………………………………………… 13 1.教育行財政の仕組み,教職員の任用,職務のあらまし 2.教職員数の算定方式 3.若干の考察 4.ドイツの事例が示唆するもの 第2章 フランス ………………………………………………………………………………… 21 1.国の予算における教職員数 2.中等教育 3.初等教育 4.フランスの事例が示唆するもの 第3章 オーストラリア ………………………………………………………………………… 35 1.教育行財政の仕組み,教職員の任用,職務のあらまし 2.教職員数の算定方式と学級規模の決定方式 3.各効果測定の指標,推進の根拠 4.教員数の算定方式のメリット・デメリット 第4章 シンガポール …………………………………………………………………………… 45 1.教育行財政の仕組み,教職員の任用,職務のあらまし 2.教職員数(国全体の教職員数の総和)の算定方式と学級規模の決定方式 3.それぞれの効果の指標,推進の根拠(理念など) 4.国からの資源配分(教員・予算)の在り方と考え方 5.教員数の算定の際に考慮されるファクター 6.教員数の算定に関する政策形成の際に重視される指標 7.教員数の算定方式のメリットとデメリットの考察及びシンガポールの事例が示唆するもの第Ⅱ部 地方政府(学校)決定型 第5章 アメリカ ………………………………………………………………………………… 55 1.教育行財政制度の仕組み 2.教職員の任用と教職員数の算定方式 3.学級規模の決定方式 4.アメリカの事例が示唆するもの 第6章 イギリス ………………………………………………………………………………… 71 1.教育行財政制度の仕組み 2.教職員の任用及び職務 3.教職員数の算定方式と学級規模の決定方式 4.教職員数及び学級規模の効果検証の指標 5.教職員定数及び学級規模に関する議論 6.イギリスの事例が示唆するもの 第7章 フィンランド …………………………………………………………………………… 79 1.教育行財政の概要と教職員の任用・職務 2.教職員数の算定方式と学級規模の決定方式 3.フィンランドの事例が示唆するもの 第8章 カナダ ………………………………………………………………………… 87 1.オンタリオ州とその教育行政のシステムと教員配置 2.オンタリオ州の少人数学級政策の実施 3.カナダの事例が示唆するもの 第9章 中国 …………………………………………………………………………… 101 1.国からの資源配分(教員・予算)の在り方と考え方 2.教員数の算定の際に考慮されるファクター 3.教員数の算定に関する政策形成の際に重視される指標 4.教員数の算定方式のメリットとデメリットの考察及び中国の事例が示唆するもの第Ⅲ部 中央政府算定・地方政府決定型 第 10 章 日本 ………………………………………………………………………… 115 1.国からの資源配分(教員・予算)の在り方と考え方 2.教員数の算定の際に考慮されるファクター 3.教員数の算定に関する政策形成の際に重視される指標 4.教員数の算定方式における特徴 第11 章 韓国 ………………………………………………………………………… 127 1.教育資源の配分の原則 2.教職員数の推移と現況 3.学級規模の決定の仕組み 4.教職員定数の算出 5.教職員配置政策の背景要因 6.韓国の事例が示唆するもの巻末資料
著者
小西 瑞恵 コニシ ミズエ Mizue KONISHI
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要
巻号頁・発行日
vol.1, pp.3-14, 2011-01-31

中世の大阪地域で活躍した武士団の実像を、河内水走氏と摂津渡辺党・渡辺氏について実証した。中世後期の武士団を検討するという第一の課題については、畿内型武士団としての水走氏や渡辺氏が、南北朝時代には南朝方や北朝方に帰属しながら、室町時代には幕府の守護領国体制に組み込まれていく過程を、あきらかにできた。水走氏と渡辺党を比較するという第二の課題については、畿内型武士団としての特徴に基本的な相違はないが、水走氏は枚岡神社の祀官として江戸時代も中河内の名族としての地位を保ち、渡辺氏は豊臣秀吉の大坂城が築かれた頃、渡辺の地を離れて奈良に去るという違いについて、地域の歴史の違いとして検討を加えた。中世の国家機構を構成する朝廷・官衙や権門寺社と幕府に奉仕したのが、畿内型武士団としての水走氏や渡辺党であった。水走氏や渡辺氏が水軍・武士団として交通や流通機能を担ったことが、中世を通じて活躍した独自の強さの理由であり、また、近世に武士身分として生き残れなかった理由でもある。
著者
王 杲 高橋 光輝
雑誌
研究報告グループウェアとネットワークサービス(GN)
巻号頁・発行日
vol.2015-GN-93, no.50, pp.1-8, 2015-01-19

近年,中国の急激な経済発展に伴い,コンテンツ市場も大きく活性化されている.しかし,日本で行われているキャラクタービジネスが成功している事例は中国では極めて少ない.さまざまな制約などの厳しい環境がある中国で,日本型キャラクタービジネスの展開は今後も厳しい状況ではないかと推測される.今回は,著者がプロデューサーとして参加し,中国で展開した “VOCALOID CHINA PROJECT” の事例を基に,海賊版問題や放送規制が厳しく文化も違う中国で,実際に行ったどんな問題に直面したのか.また,ユーザーとなる中国の若者がどんな影響を受けたのかを記録し,分析する.
著者
森畑 明昌
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.362-365, 2016-03-15

東京大学の1年生は全員,まず夏学期に必修講義である「情報」で情報に関する基本的な知識を学ぶ.理系の学生は,続く冬学期の「アルゴリズム入門」で,プログラミングをさらに学び,アルゴリズムや計算量,数値計算等についての理解を深める.東京大学は総合大学であるため,これらの全学教育では,情報系に興味のない学生にも,プログラミングを学び,面白さを感じてもらわなければならない.しかも,「情報」では履修者が数千人(数十クラス)にも達するため,プログラミングが専門ではない教員も授業を担当せざるを得ない.本稿では,これらの困難を解決するための工夫を中心に,東京大学での全学プログラミング教育の理念と現状について報告する.
著者
山田 太造
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.404-405, 2016-03-15
著者
岡本 貴久子 Kikuko OKAMOTO オカモト キクコ
出版者
総研大文化科学研究
雑誌
総研大文化科学研究 = Sokendai review of cultural and social studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.10, 2014-03-31

本稿で取り上げるテーマは、東京帝国大学教授本多静六林学博士が取り組んだ明治期の学校教育に関わる記念植樹である。ここでは特に本多が著した『学校樹栽造林法』や大学演習林における諸活動を拠り所に、明治期の学校植林の導入時における社会的背景や米国の学校植林思想、森林に係る法制度を検討することにより、近代日本における学校記念植樹の支柱となったと考えられる自然観について考察することを目的とする。 竹本太郎氏の先行研究の通り、明治28(1895)年、文部次官牧野伸顕は米国で営まれていたArbor Dayと称する植樹日に影響され、小学児童による学校樹栽を奨励する。今日、学校林と呼ばれる植林のさきがけと言える活動だが、当時の目的は第一に不毛な山林を有効活用し、且つ学校基本財産を増築することにあった。同時に皆で樹木を植えることは団体行動における児童の規律性や自然への愛好心、延いては国を愛する心の涵養に効果があるとして小学校教育に導入されたのである。 学校樹栽に係る方法論の構築を牧野より委嘱された新鋭の林学者本多静六は、「木一本首一つ」といわれた時代に行なわれたような厳しい山の労働として植林作業ではなく、「修学の記念」として風景を楽しみながら山に入り、健康づくりを兼ねた一種の運動会の如く、レクレーションの要素を備えた植林活動を推奨した。「百年の長計」という森づくりでは、持続可能であることが肝要であり、経済学博士の肩書きを有する本多は、費用をかけずに誰でも気軽に参加できる方法を論じ、楽しさをその活動の根本に据えたのである。 本多の説く学校樹栽造林法は、日露戦捷の動向やメディアの宣揚効果とともに各地に普及するが、これは本多の方法論が必ずしも西洋的、近代合理的な自然観に傾くものではなく、「不二道」という実践道徳の要素を含む富士山信仰を身に付けた、本多の伝統思想が生かされたところに構築された方法論であったことに基因すると考えられる。明治期の学校樹栽活動においては前近代と近代の、或いは東洋と西洋の自然観が効果的に発揮されたところにその展開を見たといえるのではないだろうか。This article focuses on the primary school memorial forestry activities in the Meiji era that were promoted by Dr. Honda Seiroku, a professor of the Imperial University of Tokyo. By analyzing his text Gakkō jusai zōrinhō (The Method of School Forestry) and his planting operations in the forest for research managed by his university, and by examining the historical and social context of his innovations, as well as the related forestry ordinances, I explore what his view of nature might be based on. As mentioned in a previous study of Dr. Takemoto Tarō (Sanrin, No. 1506), Makino Nobuaki was impressed by the institution of Arbor Day in the United States and in 1895, when he was serving as Vice-Minister of Education, gave an instructional address on school forestry to primary school principals (in what is now called Gakkō Shokurin). The aims of school forestry activities were not simply educational, that is, to cultivate children’s discipline, love of nature, and patriotism, but were also administrative—to increase and manage school funds by planting trees. Makino entrusted the promising Dr. Honda with the task of coming up with the method of school forestry and recommended tree planting to memorialize school excursions on which pupils enjoyed going into the hills and mountains and observing the scenery, a healthful recreational activity similar to sports days. The essential condition for any long-term planting is sustainability; therefore Dr. Honda, who also happened to be an economist, lectured on a feasible approach to planting, in which anyone can participate without constraint as a form of enjoyment rather than as hard work. Honda’s Gakkō jusai zōrinhō method was disseminated throughout Japan in the Meiji era, at a time of rising spirits in commemoration of victory in the Russo-Japanese War, when national media were contributing reports on school forestry activities. The reason for this was not so much a partiality toward westernization and rationalization, but rather it was that the method of Honda—who venerated practical morality and had also imbibed the folk belief in the divinity of Mt. Fuji—is arguably more of an integration of the thoughts of East and West, or Tradition and Modernity.
著者
藤枝 俊輔 石原 知洋 下見 淳一郎 小川 剛史 中村 誠
雑誌
インターネットと運用技術シンポジウム2011論文集
巻号頁・発行日
vol.2011, pp.75-82, 2011-11-24

本学では,キャンパスネットワークを学内の部局が分割運用している。このため、ネットワークサービスが部局内に閉じており,学内者のユーザ情報は複数のデータベースに分散管理されている.このような環境で全学共通の無線 LAN サービスを実現するため,多様な無線 LAN システムと複数のユーザデータベースを連携させる運用方式を検討し,実験サービス ”utroam” として学内に広く実験展開している.本稿では,本方式の仕組みと利用動向に関する評価を述べる.