著者
イーグリング ロバート 福田 佳子 浦上 裕光 ウィルソン エマ
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.57, no.7, pp.475-483, 2014

本稿では,オープンアクセス(OA)の基本的なコンセプト,背景,主なOAのモデルとその特徴の概要,OAに関してRoyal Society of Chemistry(英国王立化学会,RSC)が果たすべき役割について取り上げる。研究助成機関の役割や方針が学術出版に大きな影響を与えている環境ではあるが,出版業界ではOA化が進んでいることもあり,化学分野においても,この環境の変化が顕著に反映されている。化学分野ではOAはまだ受け入れられているとは言えない状況だが,このようなOA移行期にRSCがどのように学術出版の発展や出版オプションを多数提供し,著者や図書館関係者といったOA出版関係者を支援しているのかについて述べる。
著者
松本 芳彦
出版者
科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.57, no.7, pp.468-474, 2014-10
著者
宮原 志津子
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.57, no.7, pp.457-467, 2014

本稿では,シンガポール国立図書館庁(NLB)による図書館情報政策Libraries for Life(Library 2020)と,シンガポールの公共図書館が目指す次の時代の図書館のあり方について検討を行った。シンガポールではこれまでに,2つの図書館情報政策が策定されている。最初のLibrary 2000(1994年)では公共図書館インフラの整備が主に行われ,次のLibrary 2010(2005年)では,電子図書館やインターネットサービスの推進が積極的に行われた。2011年に発表されたLibrary 2020では,図書館のもっとも基本的なサービスである読書を推進するプログラムに焦点が絞られている。これからの時代を担う公共図書館の役割は,多様な背景をもつシンガポール人のコミュニティーをつなぐ場所であり,図書館にはシンガポール文化を掘り起こし,さらに新たに創出する期待が込められているのである。
著者
橋本 勝美
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.57, no.7, pp.451-456, 2014

日本人研究者による研究不正のニュースは,日本の社会に衝撃を与えた。このニュースにより,研究者,学生,編集者のみならず,一般にまで研究不正が注目されることとなった。世界中の研究者が,論文を出版しなければならないというプレッシャーから,ときに不正を犯してしまう。ジャーナル編集者は,自誌で不正が発覚した場合には,深くかかわらざるをえない。論文出版の技術発展により,オーサーシップ問題,改ざん,捏造,剽窃・盗用といった不正を行うことが容易になった。ジャーナル編集者は,不正が行われていないかどうか,また,不正を見つけた場合にはどのように対応するかを常に確認していなくてはならない。さらに,不正が起こらない環境を用意することも不可欠である。幸いなことに,COPEのような信頼できる団体が,多くの有益な情報を配信している。ジャーナルは,インパクトのある論文出版を追い求めることのみならず,公正な論文の出版をも目指さなければならない。
著者
ウェイジャー エリザベス
出版者
国立研究開発法人 科学技術振興機構
雑誌
情報管理 (ISSN:00217298)
巻号頁・発行日
vol.57, no.7, pp.443-450, 2014

研究や出版分野における不正行為は今に始まったことではないが,情報技術の発達は出版倫理に大きな影響を与えた。コンピューター•ソフトは,不正行為(剽窃や画像処理等)を容易にさせたが,一方でその不正行為を検出するツールとしても役立つ。また,電子出版により,訂正や撤回文を対象論文に直接リンクすることにより,読者へ問題に関する警告を出すことも可能とした。しかし,強力なツールが利用できても,疑いのある不正行為を扱うには,慎重な判断が必要である。したがって,ジャーナルや機関は,さまざまな状況に備え,適切なポリシーと対処手順を策定しておくべきである。The Committee on Publication Ethics(COPE:9,000以上のジャーナルがメンバーとして参加する国際機関)は,不正行為に関する多様な問題について助言する情報源の1つであり,本稿ではその活動について述べる。不正が疑われる,あるいは明らかにされた場合には,ジャーナルと機関が協力して対処することが重要である。最近,日本の機関が協力して効果的な調査が行われた事例を紹介する。
著者
高橋 晋也 羽成 隆司
出版者
一般社団法人日本色彩学会
雑誌
日本色彩学会誌 (ISSN:03899357)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.14-23, 2005-03-01
被引用文献数
10

色嗜好を心理学的に位置付け、明らかにするためには、「何色が好まれるか」といった色視点の研究だけでなく、「どのように色を捉えるか」といった人視点の研究が必要である。本研究では、色嗜好における人(主体)要因の重要性を示すことを目的として、認知的操作の有無による個人内の色嗜好の変動性を分析した。260名の被験者に対し、4週間を挟み2度の色嗜好調査を実施した。色嗜好の測定は、色名で呈示される12色に対し、visual analog scale (VAS)上でそれぞれの好嫌度を答えさせる方法で行った。2度目の調査時に被験者は2群に分けられ、統制群は1度目と同じ色嗜好調査を繰り返したが、実験群の被験者に対しては色嗜好調査の前に、特定の色の好嫌を強く意識させるという認知課題が与えられた。2度の調査間における色嗜好の個人内変動を群間で比較したところ、12色に対するVAS評定平均値の変化量や、評定結果の順位相関には差がなかったが、好嫌のばらつきの指標となる標準偏差変化量において有意な群間差が認められ、実験群の方が統制群よりも好嫌のばらつきが増大することが示された。この結果は、認知課題を行った実験群の被験者が、"好き/嫌い"という対立的な認知図式を活性化した状態で12色の評定を行ったためと考えられ、色嗜好表出過程における認知処理の影響の大きさが明らかにされた。また、このような実験群のデータ変動(好嫌のばらつきの増大)は、12色に対する最高評定値の上昇より、むしろ最低評定値の低下として顕著にあらわれており、個々人の"色嗜好スキーマ"における「嫌いな色」の位置付けの重要性が示唆された。これらの実験結果に基づき、色嗜好における主体要因(トップダウン要因)の重要性が議論され、さらに、人視点で色嗜好にアプローチする際の具体的測定手続きとして、従来型の色選択法にはないVAS測定の有効性が主張された。
著者
横山 義志
出版者
日本演劇学会
雑誌
演劇学論集 日本演劇学会紀要 (ISSN:13482815)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.43-65, 2012

<p>In my previous article "Aristotle's Theory on Acting", I showed that Aristotle's idea was a theoretical source of the European modern non-musical and prosaic theatre. But we can find another theoretical source which defends a musical and versified theatre in the thought of Middle Stoa, especially of Diogenes of Babylon (c. 240-c. 152BC), restored thanks to a new edition of Philodemus' <i>On Music</i> (2007).</p><p>Referring to Plato's theory of musical education, Diogenes justifies the Hellenistic form of the tragedy performance, focusing on the solo chant of "tragic singers [tragôidoi]". This celebration of musical theatre is also based on the Stoic view of language and religion, which favours musical and versified speeches, considered as a natural manifestation of the greatness of gods and virtuous men, and as an auto-celebration of the life itself. According to Heraclides Ponticus, a pupil of Plato, Diogenes affirms that the musical acting practice can lead to all virtues. This theory considers the acting [hupokrisis] not as an act of disguising ("hypocrisy"), but as the means of constructing oneself as a virtuous man, referring to the model of "tragic singers" who construct their musical body through everyday training. This way of thinking about the musical, acting body offers a vision totally different from Aristotle's, who considered the same kind of body as the body of a slave.</p>
著者
伊藤 衞
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2011-07-25

新制・課程博士(経済学)
著者
高橋 成
出版者
[西郊民俗談話会]
雑誌
西郊民俗 (ISSN:09110291)
巻号頁・発行日
no.228, pp.20-32, 2014-09