著者
田中 共子
出版者
岡山大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1998

従来の異文化適応のための心理学的介入は、「医学モデル」的な対症療法が主であったが、本研究では「心理教育モデル」に基づいて、異文化適応能力を向上させる介入方略を開発することを試みた。具体的には、在日外国人にとって、異文化環境下において必要になるソーシャル・スキルを明らかにしたうえで、その学習プログラムを構成し、実験的に試行し、ソーシャル・スキル学習プログラムの開発を試みた。セッション形式の介入実験を企画し、教材を作成して、実験協力者の参加を得てプログラムを試行した。そしてセッションの効果と構成について検討した。さらに、ソーシャル・スキル獲得の異文化適応促進仮説について検討するため、異文化滞在者を対象とした面接調査を実施した。協力者は、在日外国人であるATL、すなわち外国語学習のための外国人補助教員、および在日留学生であった。彼らに自分自身の異文化適応過程について振り返ってもらい、特にソーシャル・スキルの向上とその実施との関わりについて振り返ってもらった。次いで在米日本人留学生及び、在米日本人入居住者を対象として面接を実施した。上記と同様に、ソーシャル・スキルと異文化適応を中心に体験を振り返ってもらった。その結果、海外から日本への異文化移動と、日本から海外への移動との異文化移動にみられる共通点と相違点が明らかにされた。これはソーシャル・スキル学習のプログラム構成に反映すべき知見である。

1 0 0 0 OA 南北問題

著者
佐伯 尤
出版者
関東学院大学
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.19-41, 2001-07-31

1 0 0 0 郷土教育

著者
郷土教育聯盟 [編]
出版者
刀江書院
巻号頁・発行日
1932
著者
粂川 美紀 堀田 明裕
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.49-56, 2007-07-31

我が国の社会環境及び技術環境の変化は、デザインの概念および要求を変化させた。この変化の中で,特にデザインの新たな価値に関するデザイン・コンセプトの作成が重要となってきている。本研究はデザイン・コンセプトの構築手法を提案することを目的に、その構造化を試みた。文献調査によってデザイン、コンセプト、デザイン・コンセプトの定義を収集し、分析した。その結果、デザイン・コンセプトを構成している要因として行動、価値、手段が抽出された。この3要因を基にデザイン・コンセプトの改善と新たなデザイン・コンセプトの構築に関する2つのプロセスモデルを提案した。更に、このモデルを既存の事例と高齢者の装いに関する調査データによって検討し、その有効性を確かめた。
著者
砂本 文彦 Sunamoto Fumihiko スナモト フミヒコ
出版者
日韓文化交流基金
雑誌
訪韓学術研究者論文集
巻号頁・発行日
pp.71-101, 2009

本研究は、日本統治下の朝鮮半島でのリゾート地開発について研究を行うとともに、日本地で実施された国際観光政策との比較考証を通じて、植民地時代の朝鮮半島の観光とリゾートについて明らかにしたものである。日本統治下の朝鮮半島で、外国人が訪れた国際観光地・リゾート地開発といえば想像しがたい。恐らくは、朝鮮総督府施政下の朝鮮半島に外国人が「遊びに訪れていた」ということ自体が、具体的なライフスタイルや空間像として思い描けないからではないだろうか。学界の状況は、朝鮮半島の「観光」の萌芽は植民地時代にあったがそれは日本人の「来韓」時代であり、本格的な国際観光ではなかったとしている。よって、「国際観光政策Jの萌芽は主体的な政策立案が可能となった大韓民国成立後の1960年代を待つ必要があったという。ところで、釜山ステーションホテルや新義州ステーションホテル、京城の朝鮮ホテルは、外国人の宿泊を想定して洋式の設備を朝鮮総督府鉄道局が整備したものである。また、開港都市仁川には、それよりも早くから、気鋭の経営者により小規模のホテルが開業されていたことは周知の事実である。日本統治下でも外国人は何らかの理由で朝鮮半島を訪れていた。政策立案の主体性ではなく、国際観光の「場」としての朝鮮半島の状況に軸足を置いた研究の必要がある。しかも、1930年代の日本内地では、国際観光政策が実施され、国と地方団体、実業家の協力で12の国際リゾート地が建設されたが、朝鮮半島への影響についての検討もする必要がある。本論文では、この認識を改変することを研究のクライテリアの一つに掲げ、戦鮮半島の近代観光が「植民地朝鮮-宗主国日本」といったクローズした関係にとどまらなかったことを検討した。まず、1920年代の大型船舶就航に伴う世界旅行団の仁川入りを取り上げ、京城に観光客が訪れ朝鮮総督府鉄道局がホストとして受け入れたことを指摘した。同様に、新義州からの鉄道での入国でもこうした状況があったが、当時はそれ以上に欧亜国際連絡運輸締結による鉄道旅行者増加への期待が膨らんでいたことを指摘した。また、朝鮮半島在住の宣教師たちは、避暑のための別荘地を各地で形成し、そこに朝鮮半島外からも外国人が避暑に訪れていたこと、さらに類似の開発を近隣で鉄道局などがすすめていたこと、金剛山電気鉄道による金剛山の開発など、さまざまな旅行の目的や滞在形式がありつつも、外国人が朝鮮半島に訪れていたことを述べた。それらが日本内地と同様、欧亜国際連絡運輸の影響下にあったことも検討した。そして朝鮮半島内にもこうした外国人を含めた誘客誘致のための施策があったことを指摘した。ただ、その施策立案の理由としては、内地のような外貨獲得を目的とした国際観光政策ではなく、鉄道局の権造的な不振がありこの状況の打開のために旅客収入増大の一手として「観光」があったことを指撤した。当時の俸給層の台頭もあいまって、新たな余暇生活、リゾート生活の提案を行うことと同様に施設整備があり、注目すべきは、英米人宣教師が「発見」した避暑地の近隣にあえて開発を行い、彼らの秘められた避暑生活を鉄道で結びつけて「大衆化」していったという構図があったことを指摘した。また、近代化の過程で財をなす個人が出現し、自身の洋行経験に照らして近代観光開発をすすめてもいた。
著者
趙 章恩
出版者
日経BP社
雑誌
日経エレクトロニクス (ISSN:03851680)
巻号頁・発行日
no.1015, pp.19-22, 2009-10-19

2009年9月3日,李明博政府初のIT戦略である「ITコリア5大未来戦略」が発表された。「韓国の全産業の競争力はIT(情報技術)の力にある」(李大統領)とし,IT産業そのものを支援すると同時に,他の産業とITの融合などを支援していく。これによって,自動車,造船に続いて国内生産で1兆ウォン(1ウォン=約0.07円で700億円)を超える産業を10部門以上に増やすのが目標である。