著者
奈良 綾
出版者
東北福祉大学
雑誌
東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館年報 = Tohoku Fukushi University Serizawa Keisuke Art and Craft Museum annual report (ISSN:21862699)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.75-86, 2011-06-23

東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館には、型絵染の人間国宝・芹沢銈介の作品と、芹沢が収集した世界各国の工芸品が所蔵されている。芹沢は、様々な国々の民族が生活の中で用いていた工芸品のコレクターでもあり、その内容はアフリカの仮面・扉等の木工品や土器・土偶、中南米・東南アジア・インドの染織品や装身具など多岐にわたる。中には、絞り・型染・筒描・絣などの技法を用いた衣裳や裂など、日本の藍染織品も含まれており、「被衣」と呼ばれる着物形態の被りものが存在する。この資料に関して詳細があまり知られていないことが契機となり、調査を開始し現在に至っている。 平安末期、都で用いられ始めた被衣は、後に風習として日本各地へと広がっていく。その長く続く系譜の中で、他地域への影響を及ぼしたという点で注目されるべきは、江戸・京都における慣習といえるだろう。当館の被衣資料の蒐集地・山形県における被衣を調査するにあたり、関わりの深い2都市の慣習を知る事がまず前提となる。そこで、今回は地域を江戸・京都に限り、文献史料と現存資料を提示して探る。 There are thousands of works by Serizawa Keisuke and a thousand of his collections of folk crafts from around the world in Serizawa Keisuke Art and Craft Museum at Tohoku Fukushi University. He was designated as a Holder of an Important Intangible Cultural Property, or Living National Treasure, for his stencil dyeing technique in 1956. He was also a great collector of crafts that people from various ethnic groups or countries actually had used in their real life, ranging from African primitive arts such as wooden masks and doors and earthen vessels and figures to Incan and Asian textiles, ornaments, and folk arts and crafts.Japanese indigo-dyeing textiles are included in those collections. I've been doing research into kimono-shaped veil known as Katsugi (literally, lady's veils), which belongs to this group of Japanese costumes and cloth made by using indigo dyeing, techniques like tie-dyeing, stencil dyeing, tsutsugaki (paste resist indigo dyeing) and ikat. I started doing research on Katsugi because it has not been generally known or examined in details. Katsugi began to be used in ancient cities at the end of the Heian Period and gradually spread across Japan as a clothing custom. In its long-running development, we may say that the Katsugi customs were well-established especially at Edo and Kyoto.Our museum has collected Katsugi found in Yamagata Prefecture. But first of all, I would like to present the literete data of Edo and Kyoto, and analyze them in this article. In next paper, I am going to present the data of Katsugi in Yamagata and compare them to the customs in Edo and Kyoto.
著者
勝野 頼彦
巻号頁・発行日
2013-03

国立教育政策研究所のプロジェクト研究「教育課程の編成に関する基礎的研究」(平成21~25年度)は、社会の変化の主な動向等に着目しつつ今後求められる資質・能力を効果的に育成する観点から、研究開発学校等の事例の分析や国際調査等を通じて、将来の教育課程の基本原理等を構想することにより、今後の編成に寄与する選択肢や基礎的な資料を得ることなどをねらいとしている。この報告書は,国際研究班の平成24年度における研究成果をまとめたものである。今後の教育課程の基本原理を検討するに当たって参考となる諸外国の教育課程の基準の動向については,これまでも報告書1「諸外国における教育課程の基準と学習評価」(平成21年度),報告書2「教育課程の諸外国における教育課程の基準」(平成22年度)において把握を行ってきた。その後も,継続的に調査研究を行ってきた中で,近年,一部の国において,大きな変化が報告されており,本年度,再度,まとめることが必要となった。まとめにあたっては,報告書2の調査項目を用いることとした。今回の報告書では,調査対象国として韓国を加えるとともに近年の変化を明らかにし,各国の最新の情報を収集することとした。なお,本年度の研究は、昨年の研究結果を踏まえ、下記に示す調査項目の枠組みに沿って、各国担当の委員を中心に調査研究を実施した。1 教育課程の基準の概要2 基準の改訂と普及について3 教育課程の評価の方法4 児童生徒の学習の評価5 その他
著者
信夫 隆司
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.43-90, 2001-07-01

松尾鉱山は、かつて、東洋一の硫黄鉱山であるとか、「雲上の楽園」と言われた。閉山からすでに30年以上が経過し、松尾鉱山の栄華を知る人も数少なくなってきている。今日では、松尾鉱山から出る強酸性の坑廃水の処理問題だけに関心が行き勝ちである。しかし、この問題が登場する背景をわれわれはきちんと理解しておく必要がある。そのため、本稿では、1914(大正3)年に松尾鉱業が創立される由来にまで遡り、松尾鉱山の歴史を紐解いてみた。また、松尾鉱山の生みの親である松尾鉱業初代社長中村房次郎の事跡をたどりながら、第2次世界大戦までの30年あまりにわたる松尾鉱山の歩みを跡づけた。
著者
松田 幹夫
出版者
獨協大学法学会
雑誌
獨協法学 = Dokkyo law review (ISSN:03899942)
巻号頁・発行日
no.79, pp.1-45, 2009-09
著者
真鍋 大度 石橋 素
雑誌
デジタルプラクティス (ISSN:21884390)
巻号頁・発行日
vol.8, no.4, pp.279-287, 2017-10-15

筆者らは2005年ごろよりアートパフォーマンス作品の制作に携わるようになり,2010年ごろからはエンタテインメントの領域でも活動を続けている.主にテクノロジーを用いた舞台・ステージ表現を開発,実践してきたが,それらは映像表現だけによらず,物理的なオブジェクトや装置を伴うところが大きな特徴の1つである.本稿では,過去に筆者らが実践した具体的な事例を,作品に用いた物理的なオブジェクト・装置に着目して「空中移動体」「飛翔体」「地上移動体」「発光体」という4つのカテゴリで総括し,その表現の狙いや,実装手法・制作手法とその工夫点などについて述べる.これらは技術を見せるためのものではなく,新しい演出や表現を支えるものである.そのためには高い安定性・確実性が必要であり,開発したハードウェアの検証,ソフトウェア・シミュレータの機能の充実,人と物・技術の融合した演出の制作環境の整備も積み重ねてきた.
著者
坂田 千鶴子
雑誌
東邦学誌 = Journal of Aichi Toho University (ISSN:02874067)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.71-78, 2003-06-30
著者
細江 光
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 文学・文化編 = Studies in Literature and Culture (ISSN:1347121X)
巻号頁・発行日
no.41, pp.A39-A49, 2005-03-18

Sojin Kamiyama, one of the key figures in the creation of the modern Japanese theater, was a friend of Junichiro Tanizaki throughout his lifetime. He is known as one of the few Japanese actors who performed in Hollywood in silent films in the 1920s. However, his life has not been sufficiently studied; nor his friendship with Junichiro Tanizaki fully investigated. This paper presents his personal history based on various data, information and interviews with members of his family.
著者
崔 長根
出版者
法学新報編集委員会
雑誌
法学新報 (ISSN:00096296)
巻号頁・発行日
vol.121, no.9・10, pp.259-287, 2015-03-10

本研究は、独島の名称が朝鮮初中期の「于山島」から一九〇〇年の勅令四一号の「石島」に変更された経緯について考察したものである。「勅令四一号」をもって「鬱陵全島、竹島、石島」鬱陵郡の管轄区域として行政措置がなされていた。ここで「石島」は今の独島のことをいう。しかし実際に古文献、古地図によると、朝鮮初期・中期は現在の独島を于山島と表した。ところが、朝鮮後期に入ると、「于山」という名称がどの島を指すのかという混乱を経験した。その過程を経て、日本人の不法的東海渡航が領土的主権侵害を憂慮して勅令四一号をもって領土を保全する措置を取った。その際に現在の「デッソム」は「竹島」という名称で完全に定着していた。また、今の観音島は「島項」という名称で定着していた。それから、今の独島は鬱島郡の行政名称では「独島」、中央政府の官撰の名称では「石島」として固着していた。これらのことから朝鮮初期の「于山島」が中期・後期には誤って「デッソム」のことを指したりしたが、最終的に朝鮮の朝廷が勅令四一号をもって問題の「于山島」という名称を完全に抛棄して「島」としたのである。その後日本が「竹島」という名称で編入措置を取った後、韓国はそれを否定した。