著者
松原 久
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.57-67, 2017-12-26 (Released:2019-01-28)
参考文献数
14

本稿の目的は,「平成の大合併」による負の影響が指摘されてきた宮城県石巻市雄勝町を事例として,住民組織における各種対立関係の推移から,災害復興過程にあらわれる問題とその特質を検討することである. 津波で壊滅的な被害をうけた雄勝町では,震災後,一部住民は町内でいち早い生活再建に向けて動きだしたが,多くの住民は町外への避難を迫られた.そのような状況で,雄勝町単位で復興を議論する場として住民組織が設立され,早期に復興方針が決定される.しかし復興方針の事業化に向けた具体的な手続きは,雄勝町中心部の住民を中心に反発を招き,行政・住民間,住民間の対立をもたらす結果となった.また行政と一部住民は,復興事業の早期推進を堅持したことで,事業の進め方や条件に反対する住民を議論の場から排除・退出させていく.その結果,復興事業を推進する以外の議論の停滞を招いていた.以上のような対立は,広域合併で生まれた統治形態の変化(雄勝町の周辺化)に,合併前から継承された自治の特性(雄勝町単位の自治の弱さ)が加わることで発生したものであった.ここから合併の影響を論じるうえで,合併パターンや行政対応とともに,旧市町村がもつ自治の特性を視野に入れる必要性が示唆される.
著者
佐久間 正弘
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.119-129, 2014-07-25 (Released:2015-08-24)
参考文献数
10

本稿の目的は“いじめ”に起因して発生したと言われた事件の新聞記事を検討することによって,“いじめ”についての学校批判とその責任が,誰によって,どのような言葉と理屈を用いて語られてきたかを明らかにすることである.本稿では社会問題研究の対象として,問題とされる社会の状態に目を向けるのではなく問題とされる事柄をめぐる人々の活動に着目するという「社会問題の構築主義」を参考にする.検討する事件は1985年のいわき市の小川中学校での自殺事件である.この事件は全国ではじめて,裁判で学校の責任が認められた事件である.明らかになったことは第一に,“いじめ隠し”としての批判がなされたこと.第二は,いわゆる専門家などによって学校の不作為,いじめを防止する能力不足の問題が指摘されたこと.第三は,一般の人々は新聞記事を読んでこれらのストーリに沿いながら自らの経験や身近な子供もいじめの被害者になるのではないかという不安からクレイムを申し立てたことである.
著者
植田 今日子
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.43-60, 2013-07-19 (Released:2014-08-31)
参考文献数
31
被引用文献数
7

いまだ大災害の渦中にあって,それまで暮らしていた地域社会を離れることを要請された人びとが,頑なといっていいほどに祭礼を執り行おうとするのはなぜだろうか.本稿はとくにもはや生計を支えない,祭礼だけのために飼われていた馬や牛を救出してまで催行されたふたつの祭礼,東日本大震災後の「相馬野馬追」と中越地震後の山古志の「牛の角突き」に注目し,後者の事例からそれらの敢行がどのような意味を持つ実践であったのかを明らかにするものである.とくに本稿の関心は儀礼的実践が災害そのものをどのように左右し,被災者自身の生活をどう形づくっていけるのか,という点にある. 慣れ親しんだ地を去った人びとは,震災直後から明日,来週,来月,来年といったい自分たちがどのような生活をしているのか予測のつかない,過去から未来に向かって線状に流れる「直線的な時間」のなかに投げ込まれる.しかし本論でとりあげた祭礼「牛の角突き」の遂行は,人びとがふたたびらせん状に流れていく「回帰的な時間」をとり戻すことに大きく寄与していた.毎年同じ季節に繰り返される祭礼自体がいわばハレのルーティンだが,その催行のために付随的に紡ぎだされていく家畜の世話や牛舎の確保,闘牛場の設置といった仕事は,日常に発生するケのルーティンでもあった.そして一度催行された祭礼は「来年の今頃」,「来月の角突き」といった「回帰的な時間」をつくりだすための定点をもたらす. このような事例が伝えるのは,地震直後に当然のように思わず牛のところへ走ってしまう,あるいは馬のもとへ走ってしまう,船のもとへ走ってしまう人びとの社会に備わる地域固有の多彩さをそなえた災害からの回復像である.牛や馬や船のもとへ走ってしまうことを否定するのではなく,その延長上にこそ決して一律ではない防災や復興が構想される必要がある.
著者
佐藤 勉
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.5-19, 2014-07-25 (Released:2015-08-24)
参考文献数
12
著者
苫米地 なつ帆
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.103-114, 2012-07-14 (Released:2014-03-26)
参考文献数
15
被引用文献数
3

本稿では,教育達成を規定する要因としての家族およびきょうだい構成に着目し,教育達成に格差が生じるメカニズムの一端を明らかにするため,マルチレベルモデルを用いて分析を行った.分析の結果,家族属性変数を統制した状態でも女性は男性に比べて教育達成が低くなることが明らかとなり,きょうだい内におけるジェンダー格差の存在が確かめられた.出生順位に関しては負の効果がみとめられ,きょうだい内で遅く生まれると教育達成が下がることが明らかとなった.加えて出生間隔も負の効果を持っており,きょうだいと年齢が離れている場合には,高い教育達成を得やすくなる環境や,それを獲得するための情報資源が存在しないことが考えられる.また,長男・長女であること自体は教育達成に影響を与えないが,長男の場合はきょうだい内に男性が多いと教育達成が低くなる傾向があり,長女の場合には,次三女に比べて家庭の社会経済的地位の正の効果を受けやすいことがわかった.このように,きょうだい内における教育達成は,家族属性要因と個人属性要因の交互作用の影響も受けているのである.さらに,母親が主婦である場合に子どもの教育達成が高くなることが示されたが,これは母親が大卒以上の主婦である場合に顕著であり,高学歴の母親が子どもの教育達成を高めようとしている可能性が示唆される.
著者
片瀬 一男
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.1-4, 2013-07-19 (Released:2014-08-31)
参考文献数
1
被引用文献数
1
著者
大井 慈郎
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.51-61, 2011-07-16 (Released:2014-02-07)
参考文献数
33
被引用文献数
1

本稿は,インドネシア首都ジャカルタ郊外のブカシを事例に,首都郊外の形成過程を検討することで,従来の都市研究における郊外ニュータウンの形成という枠組みでは捉えられない東南アジアの都市化への視座を提示する.例えばアメリカでは,郊外化は都市の過密化などから逃れ,理想の生活を求めた中間層以上の人々の移動により展開された.これに対して東南アジアの諸都市では,特に70年代後半からの新国際分業に組み込まれていく過程で,首都郊外に工業団地とニュータウンが造成され,アジア・メガシティとよばれる巨大都市が形成された.つまり,インドネシアやマレーシアなどにおいては,世界都市システムのなかで海外輸出の拠点として整備された工業団地を単一の核として,そこに隣接する形で働き手を収容する郊外ニュータウンが形成されるのである.加えて,ニュータウン内に整備されたゲーテッド・コミュニティだけでは労働人口を収容できず,カンポンや周辺の村(デサ)も受け皿となっている.工業化の過程で都市-農村両者は分断されるというよりもむしろその関係性を強め,同一の社会関係のネットワークを介してヒト,モノ,カネ,情報,文化の循環移動が促進され,労働力も流動し,都市と農村の社会関係が共時的に複合化しつつ変化を遂げている.デサコタやカンポンという空間編成は社会関係のネットワークとあわせ,世界都市システムを下支えするアジア的な空間編成を形成しているのである.
著者
和泉 浩
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.127-147, 2007-07-20 (Released:2013-10-23)
参考文献数
15

本稿の目的は,ウェーバーの『音楽社会学』における西洋近代音楽についての分析の特徴と含意を,合理化のパラドクスという点から明らかにするとともに,『音楽社会学』の潜在的テーマである「音楽的聴覚」の問題の重要性を示すことにある. ウェーバーの音楽社会学の課題は,なぜ西洋近代に合理的和声音楽が誕生したのかを明らかにすることにある.ウェーバーは,都市についての研究と同様に,この課題を古代ギリシアと中世・ルネサンスの音楽の比較から探求した.そして『音楽社会学』では,古代ギリシアと異なるかたちでルネサンス以降進展した近代音楽の合理化が,結果的に古代ギリシア的なものの復活に至る合理化のパラドキシカルな展開が描き出されている. 『音楽社会学』では,『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』での合理化についての考察とは異なり,複数の合理化の方向の関係により生じる合理化のパラドクスが問題になっている.また合理化にアプローチする方法も異なっており,『音楽社会学』では,音楽についての理念や生活態度ではなく,音楽の「技術」に焦点があてられている.この結果,ウェーバーの音楽社会学では,音楽と社会の関係よりむしろ,音楽の合理化の自律的な過程が描き出される.しかし,音楽の技術と表裏一体をなす,社会的に形成される「音楽的聴覚」の問題が,『音楽社会学』の潜在的テーマをなしている.
著者
本間 淳 西田 隆義
出版者
日本生態学会
雑誌
日本生態学会大会講演要旨集 第51回日本生態学会大会 釧路大会
巻号頁・発行日
pp.656, 2004 (Released:2004-07-30)

自切は、捕食者に襲われた際に体の一部を犠牲にして捕食を回避する行動であり、いくつかの分類群においてみられる。自切の研究は、自切後の個体の運動能力に及ぼす影響について主にトカゲにおいて研究がなされてきたが、昆虫類におけるそれは、ナナフシ等における自切後の組織再生の生理的研究に限られてきた。そこで本研究では、後脚の切断という明らかに大きなコストを負いそうなバッタ類(ヒシバッタ)の自切行動が、その後の運動能力にどの程度影響してくるのかを定量化した。また、その際、捕食者に対する防衛戦術の異なる(行動的防衛と物理的防衛)近縁種の比較によって、自切行動の、他の捕食回避戦術への影響を評価した。その結果、どちらの種においても跳躍能力に関しては、明らかな低下が見られた。しかし、巧みな跳躍(行動的防衛)により捕食回避を行うハラヒシバッタは、跳躍前の動きによって、その低下を補うという行動の変化が現れた。一方、非常に固い前胸背板や側棘物理的防衛)を採用しているトゲヒシバッタでは、じっとして跳躍による回避を遅らせるという変化を見せた。これらの結果は、自切のコストを、おのおのが採用している防衛戦術に合わせて補っていることを示している。
著者
中村 徳仁
出版者
日本シェリング協会
雑誌
シェリング年報 (ISSN:09194622)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.117-126, 2020 (Released:2020-10-13)

Die vorliegende Arbeit versucht die Eigenart des politischen Denkens Schellings zu untersuchen. Vor dem Erscheinen des wichtigen Werkes „Philosophie und Revolution“ von Marthin Schraven wird Schelling üblicherweise in der politischen Ideengeschichte als apolitisch oder reaktionär erwähnt. In meiner Arbeit wird seine Staatstheorie besonders aus den 1800er Jahren, der Zeit nach der französischen Revolution, analysiert, da von diesem Zeitraum oft als dem Anfang einer Wende Schellings zum Reaktionären die Rede ist. Während dieser Zeit erörtert er zwar kritisch die Auswirkungen der Revolution, doch er verneint nicht die Revolution selbst, sondern lediglich ihre Verkehrung in Despotismus sowie Jakobinismus. Durch eine genaue Textanalyse lässt sich einsehen, dass Schelling der Freiheitsverwirklichung konsequent in seinem Denken gefolgt ist.
著者
中島 新
出版者
日本シェリング協会
雑誌
シェリング年報 (ISSN:09194622)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.4-12, 2020 (Released:2020-10-13)

Um über die Zeitalter der „Anthropozän“ und insbesondere ihrer ökologischen Krise nachzudenken, ist die Naturphilosophie Schellings sehr relevant und anregend. Erstens hat sie die „Vernichtung der Natur“ im Anthropozentrismus, und zwar in Fichtes Wissenschaftslehre gefunden, durch die sich auch die gegenwärtigen Umweltschäden erklären, und kritisiert diese. Zweitens erklärt Schelling, dass die Vernichtung der Natur unmittelbar zur menschlichen Selbstvernichtung führt. In der Darstellung des Naturprozesses hat er diese logische Struktur als “Universio”, als Umkehrung der Materie dargestellt, wodurch sich die Grenze der negativen Philosophie auszeichnet und zugleich aber auch der Anfang der Verwirklichung der Natur dargestellt wird.

3 0 0 0 OA 骨董集

著者
岩瀬醒 著
出版者
文溪堂

考証随筆。醒醒著、喜多武清ほか画。上編上、文化10年(1813)冬大田南畝序刊、1冊(上編中欠)。上編下前・後、文化12年9月(1815)「おほむね」(醒斎)刊、2冊。
著者
山東京伝 著
出版者
大坂屋茂吉[ほか3名]

考証随筆。醒醒老人著、喜多武清画。文化元年(1804)亀田鵬斎・聴雨楼主人序刊。5巻2冊。