著者
岡本 正明
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2011-03-23

新制・論文博士
著者
野村 圭介
出版者
早稲田商学同攻会
雑誌
早稲田商学=The Waseda commercial review (ISSN:03873404)
巻号頁・発行日
vol.309号, pp.185-212, 1985-01
著者
奥田 太郎
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2006-01-23

新制・課程博士
著者
平田 未季
巻号頁・発行日
2015-03-25

本研究は、2000年前後から年前後から通言語的な研究において指示詞分析導入され始めた注意 (attention)という概念と、会話の推意(conversational implicature)理論の2つを用いて、日本語指示詞体系の意味的特性(semantics)することを目的とする。 指示詞は、その解釈が発話場面の物理的な文脈情報に依存する直示用法(deictic use)と、指示において物理的な文脈情報を必要としない非直示用法 (non-deictic use)を持つ。直示用法とは 、指さしジェスチャーを伴い、発話場面で知覚可能な物理的対象を指す用法である(Diessel 1999, Levinson 2004等)。一方、非直示用法には、談話・テクスト内の言語的対象を指す照応用法(anaphoric use)や、話し手の記憶領域内の対象を指す想起用法(recognitional use)等が含まれる。言語哲学的研究(Bühler 1934)や、意味論的研究(Lyons 1977)においては、直示と照応では、直示の方が本来的で原始的な用法であり、直示から照応が派生したということが前提として共有されている。この考え方は指示詞研究でも共有されており、Fillmore(1971, 1982)、Anderson and Keenan(1985)、Levinson(1983, 2004)等の言語類型論的な指示詞研究では、指示詞のプロトタイプ的な用法は直示用法であり、照応用法を含む非直示用法は直示用法から派生した周辺的な用法として扱われている。それに加えて、85の言語サンプルをもとに世界の指示詞体系を記述したDiessel(1999)は、直示用法の文法化によって非直示用法が生じたことを示す3つの経験的な根拠も挙げている。それは、多くの言語において直示用法のための指示形式は非直示用法のための指示形式と比べ形態的に無標であるという類型論的根拠、子どもの言語習得過程において直示用法が非直示用法に先行して現れるという発達心理学的根拠、そして、複数の言語において直示用法から非直示用法が文法化によって派生した過程を示す資料が存在するという通時的根拠である(同上,p. 7-8, 110-114)。本研究では、彼らの主張に基づき、指示詞においてより基本的なのは直示用法であると考え、コ系、ソ系、ア系の意味的特性の検証において直示用法を分析対象とする。本研究の分析対象である日本語指示詞の直示用法については、国語学・日本語学の分野において佐久間(1936,1951)以来、数多くの記述的研究が行われており、様々な事実が明らかにされている。一方、通言語的な指示詞研究においては、上述の通り、近年、注意や共同注意(joint attention)という学際的概念や、語用論における会話の推意理論を取り入れた研究が現れ、その理論的枠組みは大きく発展しつつある。しかし、日本語指示詞に対してこのアプローチを用いた研究はいまだ見られない。本研究では、注意概念と推意理論という通言語的な枠組みを用いて日本語指示詞の直示用法を分析し、この理論的枠組みを用いることで国語的・日本語学がこれまでに日本語指示詞について明らかにした事実を説明することができると同時に、従来の研究では指摘されるにとどまっていた問題、及びこれまでその重要性が認識されていなかった問題が解決できることを論じる。本章の構成は以下の通りである。まず、1.1節で直示表現としての指示詞の意味的特性を説明する。次に、1.2節で本研究の分析対象である日本語指示詞の直示用法に関する先行研究を概観し、本研究が取り組むべき問題点を明らかにする。1.3節では、1.2節で紹介した先行研究の分析手法における問題点を指摘し、本研究が用いる分析手法を示す。最後に、1.4節で本研究の構成と概略を述べる。
著者
春日 淳一
出版者
關西大学經済學會
雑誌
關西大學經済論集 (ISSN:04497554)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.287-298, 2000-12-15

市場経済においては,貨幣を支払えば原則としていつでも誰でも望む商品を手にすることができる(コミュニケーション・メディアとしての貨幣の一般化)。しかし,いったん購入した商品を返品し支払った貨幣を取り戻すことは通常できない。貨幣支払いのこの不可逆性はそれ自体なんら目新しい事実ではないが,本稿では(1)貨幣支払いとその不可逆性を社会システム論の文脈でとらえたうえで, (2)物理学的なイメージをも借りて,支払いの不可逆性が経済システムにおける時間の一方向性と結びついていることを示し,最後に(3)不可逆性の文明論的帰結を述べる。出発点となるのは,ルーマンが経済システムの基本的出来事(システム要素としてのコミュニケーション)とみなした支払い/非支払いという対概念である。ルーマンは支払いと非支払いの対称性を強調するが,両者には意思決定を伴うか否かをめぐって「対称性の破れ」 が見られる。筆者は出来事/反出来事という対概念を用いて非支払いを2種に区別したのち,支払いと同時に生じる反出来事としての非支払いに着目し,それが支払いの不可逆性発生の「現場」となる様子を明らかにする。
著者
松尾 憲一
出版者
東京大学大学院教育学研究科
雑誌
東京大学大学院教育学研究科紀要 (ISSN:13421050)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.11-20, 2010-03-10

This paper treats of the complex relationship between life (in Jpn., “inochi”) and I (“watashi”) by examining the thought of Paul Ricoeur, especially his early book, The Voluntary and the Involuntary. In this book, Ricoeur seems to regard life only as “resolved problem” (e.g., blood circulation). But he also thinks of it as “task to be resolved”. And, for life, the latter aspect is important. So, the life as Total (Transcendence), discussed in the last section, is not accepted directly because it sets us thinking that the problem of life is already resolved in the transcendental level.