- 著者
-
原田 和彦
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.96, pp.195-217, 2002-03-29
寛保2年(1742)の8月,信濃の北部を流れる千曲川・犀川が大水害をおこした。この水害によって多くの被害がもたらされた。この水害のことを北信濃では「戌の満水」と呼び習わしている。長野市立博物館には,この「戌の満水」の被害状況をあらわしたといわれる絵図面が伝わる。この絵図面は,水害前の様子と水害後の各村の被害状況を克明に示している。また,山崩れや土砂災害の場所まで描かれている。災害をあらわした絵図面としては,信濃に残るものとしては非常に古い部類に属する災害絵図である。ただ,この絵図面が「戌の満水」の被害状況を示した絵図面であるとの根拠は,絵図面が入っていた袋の表書によるだけである。本稿では,まず「戌の満水」の被害状況を,当時の松代藩の被害届から抽出する。これによって,被害届からわかる「戌の満水」の被害状況を描き出す。また,いちじるしい被害をうけた松代城下についても,当時書かれた見聞記にてらして,川の水がどのように城下町に押し寄せたかなどを検証する。このように当時の記録類などから「戌の満水」の被害状況を描き出すという作業を行っている。こうした基礎作業をもとに,そこから前出の「戌の満水」の被害絵図について,その被害状況を抽出し,その上で記録類から導き出した「戌の満水」の被害の様相と照合し,絵図面の性格付けを行った。「戌の満水」の後に松代藩ではさまさまな復興策を試みる。このなかで,松代城下を水害から守る方法として千曲川の流路を改める作業がなされた。災害後の松代藩の復興策をこうした千曲川の流路変更という面から考えてみた。