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投稿一覧(最新100件)
まずは、スリーエーネットワークの「アフリカ文学叢書(全11巻、別巻1)」などいかがでしょう。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN11720062
参照:福島富士男「書き換えられていく社会 アフリカ文学概観」(「世界×現在×文学 作家ファイル」国書刊行会 1996年刊)
だれでも豆腐を一丁とよぶくせに、その道の専門家でも定寸は単に「かつて豆腐の大きさは地域によってさまざま」としていますが、本当のところはどうだったのでしょうか。
日本豆腐協会「一丁は何グラム?なぜ一丁と数えるのでしょうか?」
http://www.tofu-as.jp/tofu/qa.html#q04
天保改革の一環の中で、バラバラだった豆腐(水豆腐)の一丁の大きさを古来の定寸に合わせ ...
だれでも豆腐を一丁とよぶくせに、その道の専門家でも定寸は単に「かつて豆腐の大きさは地域によってさまざま」としていますが、本当のところはどうだったのでしょうか。
日本豆腐協会「一丁は何グラム?なぜ一丁と数えるのでしょうか?」
http://www.tofu-as.jp/tofu/qa.html#q04
天保改革の一環の中で、バラバラだった豆腐(水豆腐)の一丁の大きさを古来の定寸に合わせ ...
#3です。
>ということは、「かたかた、加護、申ける」が文書として元だと言っていいということですか。
:
次のように受け取ってください。
1)かたかた=かたがた
そのような畳語を、当時の筆書きでの繰り返し記号である「くの字点」で記した場合、濁点の有無は大差ありません。
2)加護≠御加護
その筆者の身分階級の考証の参考ともなります。万一「御加護」を選んでも「おおん/おん/お/ご」 ...
#3です。
>ということは、「かたかた、加護、申ける」が文書として元だと言っていいということですか。
:
次のように受け取ってください。
1)かたかた=かたがた
そのような畳語を、当時の筆書きでの繰り返し記号である「くの字点」で記した場合、濁点の有無は大差ありません。
2)加護≠御加護
その筆者の身分階級の考証の参考ともなります。万一「御加護」を選んでも「おおん/おん/お/ご」 ...
#3です。
>ということは、「かたかた、加護、申ける」が文書として元だと言っていいということですか。
:
次のように受け取ってください。
1)かたかた=かたがた
そのような畳語を、当時の筆書きでの繰り返し記号である「くの字点」で記した場合、濁点の有無は大差ありません。
2)加護≠御加護
その筆者の身分階級の考証の参考ともなります。万一「御加護」を選んでも「おおん/おん/お/ご」 ...
こちらの「梅松論」では「かたがた」と仮名書きになっています。
「干潟にて有りし事、かたがた仏神の加護とぞ人申しける。」
参照:「新釈日本文学叢書. 第10巻 梅松論上」31頁(コマ番号124/382)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2627934/124
一般には「方々/旁(かたがた)」なのでしょうが、この場合の意味としては「合い兼ねて」 ...
1.「淮南子(えなんじ)」
前漢の書、その内編第18番の訓目「人間(ジンカン)訓」に記載されてはいるのですが、「人間万事…」とは文中にはなく、後世で付け足したものです。
また、ここでの「塞翁馬」は「塞翁<の>馬」と読むのが自然か、と。
2.煕晦機
元の煕晦機禅師の詩文に「人間万事塞翁馬、推枕軒中聴雨眠」とあるのが、最初の出典か。ここでは漢詩文なので「ジンカン」が自然でしょう。
3.「元和 ...
#11です。
#13さんのご指摘に関して。
1.
「語素」とは小学館「三国」で使ったものですが、今では三省堂など他の辞書も採用しています。
http://kotobank.jp/word/%E8%AA%9E%E7%B4%A0?dic=daijirin&oid=DJR_goso_-010
その元となる「造語成分」という言葉を使ったのは、そもそもが三省堂「改定明解国語 ...
「古事記」の有名な説話はいかがでしょう。
「海鼠(コ)の口(クチ)を拆(サ)く」(伊藤鑇治編「古事記」興辰商会 明44.8)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772090/62
紐小刀で海鼠の口を拆いてから代々、島(志摩の国)の速贄(初物のアワビなど魚介)を宮廷に献上する際、猿女君一族らにこの海鼠の速贄品を給ったものだ、と。
また、応仁天皇の御 ...
まず、「貢税」は漢和辞典では漢音では「コウセイ」ですが、「税」を慣用音の「ゼイ」にして「コウゼイ」と音読みされています。
参照:「詳解新漢和大辞典」有宏社(コマ番号403/911)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124308
次の通り、振り仮名がある書籍でも「コウゼイ/コーゼイ」です。
「官金をつかひ、貢税(こーぜい)を免(ゆる)す」(「島 ...
まず、「貢税」は漢和辞典では漢音では「コウセイ」ですが、「税」を慣用音の「ゼイ」にして「コウゼイ」と音読みされています。
参照:「詳解新漢和大辞典」有宏社(コマ番号403/911)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124308
次の通り、振り仮名がある書籍でも「コウゼイ/コーゼイ」です。
「官金をつかひ、貢税(こーぜい)を免(ゆる)す」(「島 ...
まず、「貢税」は漢和辞典では漢音では「コウセイ」ですが、「税」を慣用音の「ゼイ」にして「コウゼイ」と音読みされています。
参照:「詳解新漢和大辞典」有宏社(コマ番号403/911)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124308
次の通り、振り仮名がある書籍でも「コウゼイ/コーゼイ」です。
「官金をつかひ、貢税(こーぜい)を免(ゆる)す」(「島 ...
まず、「貢税」は漢和辞典では漢音では「コウセイ」ですが、「税」を慣用音の「ゼイ」にして「コウゼイ」と音読みされています。
参照:「詳解新漢和大辞典」有宏社(コマ番号403/911)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124308
次の通り、振り仮名がある書籍でも「コウゼイ/コーゼイ」です。
「官金をつかひ、貢税(こーぜい)を免(ゆる)す」(「島 ...
まず題名は正しくは「ある敵打の話」です。
菊池寛の最初の単行本「恩を返す話」中に該短編が載録されたのは大正7年8月刊とあります。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/932988
菅公御手植えの松を伝える曽根神社こと曽根天満宮を指すのではないでしょうか。
「曽根天満宮に伝わる菅原道真が植えた松の由来についての資料が見たい。」
こちらの「回答のプロセス」欄に、
「『角川日本地名大辞典 28巻 兵庫県』で「曽根」を調べると、「古くは伊保庄」、中世・近世には「播磨国印南郡のうち」とある。
(2)(3)(4)の資料で印南郡の神社の中に曽根神社が見つかる。
お探しの「菅 ...
菅公御手植えの松を伝える曽根神社こと曽根天満宮を指すのではないでしょうか。
「曽根天満宮に伝わる菅原道真が植えた松の由来についての資料が見たい。」
こちらの「回答のプロセス」欄に、
「『角川日本地名大辞典 28巻 兵庫県』で「曽根」を調べると、「古くは伊保庄」、中世・近世には「播磨国印南郡のうち」とある。
(2)(3)(4)の資料で印南郡の神社の中に曽根神社が見つかる。
お探しの「菅 ...
#6です。
>鴎外が、春の嵐の様子を描いた杜甫の詩句から取られたものだというのは、初めて知りました。お弟子の斉藤勝寿氏と、どんなやり取りののちに、この詩句を採用したのか、興味の湧くところです。
:
明治23年「衛生新誌」紙上での漢詩文の内容は未詳ですが、ここに大正11年の「新小説臨時増刊」上での「文豪鴎外森林太郎」において、「私ごときの雅号が…」と鴎外追悼文中に認めていることを、斎藤茂 ...
#6です。
>鴎外が、春の嵐の様子を描いた杜甫の詩句から取られたものだというのは、初めて知りました。お弟子の斉藤勝寿氏と、どんなやり取りののちに、この詩句を採用したのか、興味の湧くところです。
:
明治23年「衛生新誌」紙上での漢詩文の内容は未詳ですが、ここに大正11年の「新小説臨時増刊」上での「文豪鴎外森林太郎」において、「私ごときの雅号が…」と鴎外追悼文中に認めていることを、斎藤茂 ...
#6です。
>鴎外が、春の嵐の様子を描いた杜甫の詩句から取られたものだというのは、初めて知りました。お弟子の斉藤勝寿氏と、どんなやり取りののちに、この詩句を採用したのか、興味の湧くところです。
:
明治23年「衛生新誌」紙上での漢詩文の内容は未詳ですが、ここに大正11年の「新小説臨時増刊」上での「文豪鴎外森林太郎」において、「私ごときの雅号が…」と鴎外追悼文中に認めていることを、斎藤茂 ...
#6です。
>鴎外が、春の嵐の様子を描いた杜甫の詩句から取られたものだというのは、初めて知りました。お弟子の斉藤勝寿氏と、どんなやり取りののちに、この詩句を採用したのか、興味の湧くところです。
:
明治23年「衛生新誌」紙上での漢詩文の内容は未詳ですが、ここに大正11年の「新小説臨時増刊」上での「文豪鴎外森林太郎」において、「私ごときの雅号が…」と鴎外追悼文中に認めていることを、斎藤茂 ...
年齢詐称もあって既に東京大学医学部在学中だった17歳の森林太郎は、幕府の医学館である躋寿館の講師をしていた佐藤元萇に師事し漢方医書を学んだが、その師の養子であった斉藤勝寿を漢詩文の弟子とした。2歳年下に当たる斉藤勝寿は、その森の弟子であった明治 13 年から 、その後は明治23 年まで漢詩の号に「鴎外 」 を使っていた。
参考:「山 口 県 医 師 会 報第 1787 号」(平成 21 年 7 ...
敬称「殿」の書体は楷書で書かれた極上の「殿」から、さらに書体は七種類(「でんどの」「宰相どの」「ふたつかけ」「ひとつかけ」「ぐるどの」「ばんどの」「仮名どの」)に使い分けらていたようです。
そして、公的な性格の文書においては、次の書籍に記されているように「殿」で定められていた経緯があったようです。
横井時冬「消息文変遷 : 一名・かりのゆくへ」金港堂(明27.3)
「奥祐筆山下氏口演 ...
#2です。
「挽回」という語彙に関して、一連の辞書類の出処(種本)は、他でもなく「諸橋大漢和」の「もとにひきもどす。回復」ににあります。しかもその出典根拠は1694年刊の清国の官吏指導書である「福恵全書」の「巻之十四 刑名部 検験(シタイヲシラベル)」に記された次の文章にあります。
「又敢ヘテ遅報セズ軽報スルハ則チ事挽回(ヒキモドシ)難シ」(福恵全書8 21コマ)
http://d ...
1.「詩経 国風 周南一之一 兔罝三章章四句」
ここでは「兔罝(としゃ/としょ)」を例に上げて、三段階に二句と二句の対照を行っています。
「干城」 → 「好仇」 → 「腹心」の三段階になっています。
(武者) (よい相手) (一心同体)
粛粛兔罝。椓之丁丁。赳赳武夫。公候干城。
粛粛兔罝。施于中逵。赳赳武夫。公候好仇。
粛粛兔罝。施于中林。赳赳武夫。公候腹心。
後藤[芝山] 点「 ...
1.「詩経 国風 周南一之一 兔罝三章章四句」
ここでは「兔罝(としゃ/としょ)」を例に上げて、三段階に二句と二句の対照を行っています。
「干城」 → 「好仇」 → 「腹心」の三段階になっています。
(武者) (よい相手) (一心同体)
粛粛兔罝。椓之丁丁。赳赳武夫。公候干城。
粛粛兔罝。施于中逵。赳赳武夫。公候好仇。
粛粛兔罝。施于中林。赳赳武夫。公候腹心。
後藤[芝山] 点「 ...
もともと長さや歩合には慣用音で「分(ブ)」ですが、時間や角度は呉音・漢音読みで「分(フン)」です。
太閤以来の上方経済では重量や銀目(ぎんめ)の読みは「分(フン)」でしたが、江戸期の厳めしい筋では「両(りょう)」の四半分と見た「分(ブ/ブン)」で通し、またその利回りでは「歩(ブ)」としていたようです。
「浮世一分五厘」の初出は江戸初期(寛永から収録した「淋敷座之慰」や元禄期の「好色十二人男 ...
その元歌「こちや江節」/「こちやゑ節」を読むと、次のようになっています。
後藤露渓 著「銀笛独案内」(明31.10)27頁
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854834/17
後藤露渓 (新吉) 著「明笛独習」(明31.10)23-4頁
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856139/19
...
その元歌「こちや江節」/「こちやゑ節」を読むと、次のようになっています。
後藤露渓 著「銀笛独案内」(明31.10)27頁
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854834/17
後藤露渓 (新吉) 著「明笛独習」(明31.10)23-4頁
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856139/19
...
その元歌「こちや江節」/「こちやゑ節」を読むと、次のようになっています。
後藤露渓 著「銀笛独案内」(明31.10)27頁
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854834/17
後藤露渓 (新吉) 著「明笛独習」(明31.10)23-4頁
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856139/19
...
>マンマの抜粋で、済みません。(苦笑)
:
これは、発問者として、もっとご遠慮なく応じていただきたいと感じており、その思いがしからしめた反応語でした。
まず#4は、この質問の眼目は「選択肢3」にあることの強調として、eだけを別グループに分けたものでした。
しかし回答の流れはその主題に向かわず、全て「辞書」レベルで一緒くたにと傾きつつあったので、#11にて「与格主語構文」の観点を添え ...
>マンマの抜粋で、済みません。(苦笑)
:
これは、発問者として、もっとご遠慮なく応じていただきたいと感じており、その思いがしからしめた反応語でした。
まず#4は、この質問の眼目は「選択肢3」にあることの強調として、eだけを別グループに分けたものでした。
しかし回答の流れはその主題に向かわず、全て「辞書」レベルで一緒くたにと傾きつつあったので、#11にて「与格主語構文」の観点を添え ...
#2です。
>その修辞法をもとに昔の本を調べてみると、昔からいろいろな分類はあるようですね。ちょっと修辞方面の本も読んでみようと思います。
:
それであればこれらの本などいかがでしょう。
1.
当時の「小学国語」を抜粋して、それぞれの13種の修辞法を実地に説明した有難いテキスト。
有松勘吉 [編]「修辞法の研究 : 小学国語読本巻一から巻六まで」鳥取県師範学校附属小学校教育研究会 ...
#2です。
>その修辞法をもとに昔の本を調べてみると、昔からいろいろな分類はあるようですね。ちょっと修辞方面の本も読んでみようと思います。
:
それであればこれらの本などいかがでしょう。
1.
当時の「小学国語」を抜粋して、それぞれの13種の修辞法を実地に説明した有難いテキスト。
有松勘吉 [編]「修辞法の研究 : 小学国語読本巻一から巻六まで」鳥取県師範学校附属小学校教育研究会 ...
#2です。
>その修辞法をもとに昔の本を調べてみると、昔からいろいろな分類はあるようですね。ちょっと修辞方面の本も読んでみようと思います。
:
それであればこれらの本などいかがでしょう。
1.
当時の「小学国語」を抜粋して、それぞれの13種の修辞法を実地に説明した有難いテキスト。
有松勘吉 [編]「修辞法の研究 : 小学国語読本巻一から巻六まで」鳥取県師範学校附属小学校教育研究会 ...
#2です。
>その修辞法をもとに昔の本を調べてみると、昔からいろいろな分類はあるようですね。ちょっと修辞方面の本も読んでみようと思います。
:
それであればこれらの本などいかがでしょう。
1.
当時の「小学国語」を抜粋して、それぞれの13種の修辞法を実地に説明した有難いテキスト。
有松勘吉 [編]「修辞法の研究 : 小学国語読本巻一から巻六まで」鳥取県師範学校附属小学校教育研究会 ...
既に皆さんご指摘の通り、「だんだん」を縦書き専用の<くノ字点>を使った「だん〳〵」という環境依存文字表示しかできないので、横書きではこのような<繰り返し記号(踊り字)>は避けているものです。
実際に、「俳風柳多留 第十一編」では
「朝がへりだん〳〵内へちかくなり」とあります。
なによりご自分にてお確かめください。
参照:国民文庫刊行会 編「川柳集」(1913.1)191頁
http ...
#15です。
>「かしこまりました」を謙譲語にしている文献がほかには見当たらない……ということであるなら、少数派なんですかね。
:
それはあまりに結論付けが性急ではないでしょうか。
#12で上げた「かしこむ【畏む】[自動詞]《「受ける」意の謙譲語》つつしんで承る。承諾する。」(「全訳読解古語辞典」三省堂)」がありますし、このような古風な敬譲語については、今では一部のビジネス敬語 ...
#15です。
>「かしこまりました」を謙譲語にしている文献がほかには見当たらない……ということであるなら、少数派なんですかね。
:
それはあまりに結論付けが性急ではないでしょうか。
#12で上げた「かしこむ【畏む】[自動詞]《「受ける」意の謙譲語》つつしんで承る。承諾する。」(「全訳読解古語辞典」三省堂)」がありますし、このような古風な敬譲語については、今では一部のビジネス敬語 ...
「其の囀る声よりも普通の鳴音(なくね)即ち地鳴(じなき)が方が変化に富んでいる。…春夏の頃、べーッー、ッーべーツー、ベーツー、と長く続けて鳴くものが其の囀(さえず)つるのであって其の他の鳴き方をするは皆地鳴である。」(山崎広治郎 著「実験小鳥捕獲及飼養法」明44.6)42-3頁
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/841789/26
その鳴き声 ...
「其の囀る声よりも普通の鳴音(なくね)即ち地鳴(じなき)が方が変化に富んでいる。…春夏の頃、べーッー、ッーべーツー、ベーツー、と長く続けて鳴くものが其の囀(さえず)つるのであって其の他の鳴き方をするは皆地鳴である。」(山崎広治郎 著「実験小鳥捕獲及飼養法」明44.6)42-3頁
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/841789/26
その鳴き声 ...
#13です。
>「為手尊敬」「受手尊敬」「聞手尊敬」……字面がちょっとですが、意味は明解ですよね。カッコ書きでいいので、このニュアンスを入れてほしかった。
:
菊地「敬語」の文献欄(473頁)の渡辺実「国語文法論」は大変刺激的な著作で、大いに勉強させられたものでした。
その最後の「附」という追加項目として「敬語体系」の概説があり、この視点との対照なしには今日的な敬譲表現論は語れないの ...
#3です。
大正12年刊行の鶴居滋一, 川口英明 著「自由活動に即したる団体遊技の実際」(目黒分店)には次のように記されています。
「皆の気合を揃へることが必勝の第一要件である」として「紅組が「ヤー」と言つて引けば白組は「トー」と言つて引くか、紅組が「オー」と言へば白組が「エス」と答へて引くようにすると、全軍の力をまとめる事が出来て案外強く引けるものである」(130頁)
http://ki ...
#2です。
>自分としては今年の春と去年の春は同じではないと思っています。
(月は同じかもしれないですが。)
:
この場合の今年の春=あなたのいない春という今の季節
季節=動植物の生活と関わる自然
ここでの月=そのまま不変の自然、ありのままの自然
ですから、
あなたのいた咋春とあなたのいないこの春は同じ春では決してない。(当然の断定)
かくも季節が移ろうものならば、もし ...
市村残月「前将軍としての慶喜卿」(春江堂書店 大正2)の書籍のタイトル読みは「ゼン ショウグン ト シテノ ヨシノブ キョウ」とあります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980788
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA67035865
その書籍を紐解くと「自序」では「卿(けい)が前将軍(ぜんせうぐん)時代(じだい ...
市村残月「前将軍としての慶喜卿」(春江堂書店 大正2)の書籍のタイトル読みは「ゼン ショウグン ト シテノ ヨシノブ キョウ」とあります。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980788
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA67035865
その書籍を紐解くと「自序」では「卿(けい)が前将軍(ぜんせうぐん)時代(じだい ...
「於仁安佐美(おにあざみ)」は白隠禅師の仮名法語集のことですね。
参照:「白隠広録. 第1輯」100頁(コマ番222号)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823443/220
その文中の「臭袋子」はやはり音読みで「シュウタイシ」でしょうね。
禅宗では一般に人間のことを「臭皮袋(シュウヒタイ)」と呼びますが、それを卑下したニュアンスが「シ ...
「拾遺愚草中」での
「院五十首 建仁元年春 春日応 太上皇 製和歌五十首」における
「秋十首」の9番=10254番(=通番1707)は次の通りです。
ご希望の「拾遺愚草1807」は「通番1707」の勘違いと思われます。
山姫のぬさの追風吹き重ね千尋の海に秋のもみぢ葉
参照:木村正辭, 井上頼圀 監修[他]「國歌大觀. 續 歌集部」267頁(コマ番号139)
http://ki ...
実際のところ、この「耳ざわり」にはどんな意味合いが横たわっているのでしょう。
1.形容動詞と名詞の識別
1)形容動詞用法
その形容として、既に妨げとなる、害を為すナド不都合が前提になっている。
「~は耳ざわりだ」「耳ざわりな~」
2)名詞用法
「耳ざわり」を名詞として中立に扱い、その述部で善し悪しが付加できる。
「耳ざわりがいい」
2.動詞「さわる」の同義性
「悪い影響を ...
曹洞禅家の言葉に「雨情雲思(うぜいうんし)」とあるようです。
打禅の奥義を行住坐臥における綿密の宗風にあると説き、それは降雨に情けを覚え行雲に思い至ることにも通じるのだという意味でしょうか。
参照:石川素童「獅子吼」の下篇「雨情雲思」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943945/134
野口雨情自身がその由来をどのように説いたかは ...
「半ドン」は、語尾の「尻字(しりじ)」2字を省略した「略語」で、本来の「半ドンタク」が「正語(せいご)」となります。
この「正語(せいご)」という称呼は、当該の「略語」にだけでなく、隠語全般(「逆語」「卑語」「訛語」「俗語」など)と対比されます。
参考:
「正語卑語」(矢野竜渓「出たらめの記」)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/90645 ...
「半ドン」は、語尾の「尻字(しりじ)」2字を省略した「略語」で、本来の「半ドンタク」が「正語(せいご)」となります。
この「正語(せいご)」という称呼は、当該の「略語」にだけでなく、隠語全般(「逆語」「卑語」「訛語」「俗語」など)と対比されます。
参考:
「正語卑語」(矢野竜渓「出たらめの記」)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/90645 ...
古代の辞書として、平安期の「新撰字鏡」(800年頃)や「和名類聚鈔」(930年頃)はじめ各時代ごとに残された、多くの漢字の字訓は、いわゆる「古訓」として残されています。
http://d.hatena.ne.jp/consigliere/20120831/1346386531
そして、それらの様々な古訓と「名乗」として人名や地名に用いられてきた訓み方に相関があると推定されます。
...
こちらにて閲覧可能です。
「我が過去」(収録:国木田独歩「詩及小品集」新潮社 大正9)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/962137/94
「般若心経」において、例えば「照見五蘊皆空」「是故空中 無色無受想行識」のくだりが思い起こされます。
心のあつまりであるべき、
その第一「受(感覚器官)」には「囚われない心」を、
その第二「想(現象の分別)」には「偏らない心」を、
その第三「行(所作の選択)」には「拘らない心」を、
そうすれば第四段階での「識」において、「空相(とらわれ、けがれに染まる以前の本質)」を照見する「般若の ...
「般若心経」において、例えば「照見五蘊皆空」「是故空中 無色無受想行識」のくだりが思い起こされます。
心のあつまりであるべき、
その第一「受(感覚器官)」には「囚われない心」を、
その第二「想(現象の分別)」には「偏らない心」を、
その第三「行(所作の選択)」には「拘らない心」を、
そうすれば第四段階での「識」において、「空相(とらわれ、けがれに染まる以前の本質)」を照見する「般若の ...
こちらに「光明皇后御筆」とありますように、「ギョヒツ」でよろしいのではないでしょうか。
「古文書鑒」より
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/967779/10
「総好かん」は、もともと大阪詞(ことば)で、「(その対象に関わる)総(すべ)てが好かない」意味から、大正期には新聞の政治経済記事などで「総スカン」とカタカナ書きにして、「万人に嫌われる」という意味に移行させつつ全国的に流行らせたものと思われます。
時事新報社経済部 編「総スカン」の元祖(「財づる物語」)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/101 ...
徳田秋声「灰燼」金星堂出版(大正11年刊)はいかがでしょう。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/977887
主に明治期にはざらに使われた純粋な日本語での擬態語ですが、ただし俗語ないし暗黒街語由来です。
「パクパク」は、江戸期には「歯のない口を上下に動かす容子」を表す擬態語で、「發發(発発)」とも記したものです。
村田了阿 編「俚言集覧. 下」64頁
「歯の脱た貌パクパク親父など云ふ又魚の口をパクパクスル」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991 ...
日本でも実に多くの当て字が創られたようですが、この2種類については、初期はオランダ経由での中国ではその外見から「玉偏」で、その後まとまった量が輸入されて服用が始まってからは当地では「口偏」へと移行されたとの見方もあるのではないでしょうか。
ちなみに日本においては、オランダ人がもたらした天明年間の記載文献『紅毛本草』では「コッヒ・イ」の当て字であり、その後も「コッヒイ」「カウヒイ」「カッヘイ」「カ ...
ネット社会の凄さというか恐ろしさで、稀覯本も今は何処でも誰でも目にすることが可能な有難い時代になりました。
国会図書館「近代デジタルライブラリー」蔵
亀山矩好 著「工匠必携技術之魁. 図解」(大正7)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926785
亀山矩好 著「工匠必携技術之魁. 説明」(大正7)
http://kindai.ndl ...
ネット社会の凄さというか恐ろしさで、稀覯本も今は何処でも誰でも目にすることが可能な有難い時代になりました。
国会図書館「近代デジタルライブラリー」蔵
亀山矩好 著「工匠必携技術之魁. 図解」(大正7)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926785
亀山矩好 著「工匠必携技術之魁. 説明」(大正7)
http://kindai.ndl ...
ジャカルタは阿蘭陀統治時代においては「バタビヤ Batavia 」と称されたが、もともとの旧称では「シャガタラ(Jacatra ジャカトラ)」であり、しかも我が国の当時の認識ではジャワ島の意に取られていたとみなされています。
この爪哇(ジャワ)官府の漢での表記「咬刺巴/交留吧/咬
漢熟語と漢語もしくは同義の和語を重複させた表現は重言として未熟ないし稚拙であるとされます。
ただ、漢語の精細な語義と、和語の広範な訓義がそれぞれにおいて連語を成した際はもちろん交差した場合でも、むしろその表現力が倍加し、また品詞の転成を生んで一層豊かな意味合いを齎してくれる用法もまた連綿と続いています。
動詞「晴(は)る」の連用形の連語は「晴晴し」という形容詞に転成します。
動詞「選 ...
#4です。
>このような説明を「コレ」「ソレ」に関してもできるのでしょうか。
この辺を参考にしてはいかがでしょう。
賀茂百樹 「日本語源. 上」(456頁;コマ番号236/305)
「此(コ) 目前にあるものを叫呼したる声にて、…コノといへる多し。…彼(ア)と己(オ)、然(シ)と其(ソ)の如く、彼(カ)と此(コ)も同等の叫声なるべし。…」
http://kindai.ndl.g ...
これらは単なる物の数え方(数詞を構成する接尾語としての一般的な助数詞の類い)ではなく、明治42年の改正度量衡法に定められた当時としては正式の里程単位です。
度(=長さ)については、従来のメートル法と尺貫法にヤード・ポンド法も加わった三元単位並立時代にありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%A6%E9%87%8F%E8%A1%A1%E6%B3% ...
この日に因んだ虫よけの御札を、母親は年頃の娘にも「張る気」という情景を捉えているのでしょう。
大奥あたりでは、ご祐筆詰所にて、「千早振る卯月八日の吉日よ 神さけ虫をせいばいぞする」の三十一文字を認めた御札数千枚を表使いは日暮れまでに縁の下柱に張るため忙しく走り回る──そのようなしきたりが前提となっているようです。
「千代田城大奥. 下」(明25) 23頁:18/169
http://k ...
大正期の専門書には「所、處、攸、許、」の項において「右の文字皆「トコロ」と訓ず」として、「所處」は普通に用いる文字で、「許は處と同意にて実字なり」とある中で、「攸の字は虚用にて所の字と同意なり」との記載があります。
いわば、実字「所(ショ・ソ/ところ)」に同意味の「虚用」、いわば「飾り」としての用法であるとの説明が窺えます。
山岸輯光 講述「漢文譚」(大正5) 86頁:53/129
h ...
全くの余談でしかないのですが、
何かめでたい語をと揮毫を請われた仙崖和尚の「おめでたい六字の句」の話を思い出しました。
「父死子死孫死」
参照:東秀雄 著「物いはぬ仏たち」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969712/97
喜多村信節の「嬉遊笑覧. 下 巻9 言語」(373頁:207/359)には「花咲せ爺」の項を立て、そこに「花園さかせ爺めされずや」(「宇津保随筆雛」)などの例を上げています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104
この話の源流は室町末期、もしくは江戸初期と目されていますが、確かに江戸期の赤本では「枯木(かれきに)花(はな)さかせ親 ...
喜多村信節の「嬉遊笑覧. 下 巻9 言語」(373頁:207/359)には「花咲せ爺」の項を立て、そこに「花園さかせ爺めされずや」(「宇津保随筆雛」)などの例を上げています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104
この話の源流は室町末期、もしくは江戸初期と目されていますが、確かに江戸期の赤本では「枯木(かれきに)花(はな)さかせ親 ...
喜多村信節の「嬉遊笑覧. 下 巻9 言語」(373頁:207/359)には「花咲せ爺」の項を立て、そこに「花園さかせ爺めされずや」(「宇津保随筆雛」)などの例を上げています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104
この話の源流は室町末期、もしくは江戸初期と目されていますが、確かに江戸期の赤本では「枯木(かれきに)花(はな)さかせ親 ...
喜多村信節の「嬉遊笑覧. 下 巻9 言語」(373頁:207/359)には「花咲せ爺」の項を立て、そこに「花園さかせ爺めされずや」(「宇津保随筆雛」)などの例を上げています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104
この話の源流は室町末期、もしくは江戸初期と目されていますが、確かに江戸期の赤本では「枯木(かれきに)花(はな)さかせ親 ...
喜多村信節の「嬉遊笑覧. 下 巻9 言語」(373頁:207/359)には「花咲せ爺」の項を立て、そこに「花園さかせ爺めされずや」(「宇津保随筆雛」)などの例を上げています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1123104
この話の源流は室町末期、もしくは江戸初期と目されていますが、確かに江戸期の赤本では「枯木(かれきに)花(はな)さかせ親 ...
歌集『桐の花』において、この歌のある「春を待つ間」の章は、明治43年3月頃から、同年9がつの青山原宿移転を挟んで、44年2月に木挽町に移った頃までが載っており、更に細かくは「III(3) 雪」の項に分類されていることからして、青山での晩夏における隣家付き合いが恋愛の発端でもある経緯から、明治44年春の作と思われます。
一方、京橋に移り住んでいた白秋のもとに恋人俊子が走ったことから姦通罪で告訴 ...
#7です。
>私は「松島やああ松島や松島や」の芭蕉をどこか馬鹿にしてきましたが、
:
まだこんな「都市伝説」が蔓延っているのですね。
ここは国語の部屋なので少し注釈など。
桜田周輔「松嶋図誌」(1888年/初出文政4年)にて、古歌の一つとして列記されてある行(くだり)の誤解に始まっているのでしょう。
http://www.bashouan.com/puBashous.htm ...
記録としては、少なくとも戦国期には遡れそうです。
「Faga iru (歯がいる)(「い」の漢字は偏「歯」+旁「所」) 歯が浮く。
Faga vqu (歯が浮く) 歯が浮く、または、ぐらぐらする。
Faga yurugu(歯が揺ぐ) 歯が動く。」(「邦訳日葡辞書」岩波書店)
「(1)歯の根がゆるむ。また、すっぱいものを食べたり、不快な音を聞いたりして、歯の根もとがゆるむように感ずる ...
#4です。
>横槌だった、花入になった、おごらず、云々の随筆みたいな私がその句に付随する解説文だと思ってしまった文章は、一体何なんですか。芭蕉が書いた何という文章ですか。句の銘が杵折賛なんですか。
:
まずは、「槌と詠い、杵と題していますが、当時の用語として、槌=杵でいいのでしょうか。」という点だけでも説明しておこうと考えたのですが、付けたURL写真のせいもあり、逆に一層の混乱を誘引した ...
#4です。
>横槌だった、花入になった、おごらず、云々の随筆みたいな私がその句に付随する解説文だと思ってしまった文章は、一体何なんですか。芭蕉が書いた何という文章ですか。句の銘が杵折賛なんですか。
:
まずは、「槌と詠い、杵と題していますが、当時の用語として、槌=杵でいいのでしょうか。」という点だけでも説明しておこうと考えたのですが、付けたURL写真のせいもあり、逆に一層の混乱を誘引した ...
#10です。
>カモメ=「地球は青かった」
に関しては、どのように思われますか。
:
「ハとガの規則」は、あくまでも「一つの文だけを問題とした場合」であって、このような談話形式にはそのままのスライドしませんが、それはともかく、一般的な天体にとどまらない「地球」「月」「太陽」などはやはり固有名詞扱いとして、ハがついて冒頭に現れても矛盾しないでしょう。
>このようにおっしゃる意図 ...
#10です。
>カモメ=「地球は青かった」
に関しては、どのように思われますか。
:
「ハとガの規則」は、あくまでも「一つの文だけを問題とした場合」であって、このような談話形式にはそのままのスライドしませんが、それはともかく、一般的な天体にとどまらない「地球」「月」「太陽」などはやはり固有名詞扱いとして、ハがついて冒頭に現れても矛盾しないでしょう。
>このようにおっしゃる意図 ...
#6です。
#5の「確かに簡便なのは「…つらい」ですね。それなのに近頃の若者が「…づらい」」の、
これは「確かに簡便なのは「…にくい」ですね。」の間違いです。訂正します。
>づらいは困難さを感じるさま。にくいは抵抗を感じるさま。どちらも感じると感情表現なのですか。
これは「「‐づらい」は有情の自他の困難さを感情的に抱いたさま。「‐にくい」は有情のみならず無情の抵抗をも受けたさま ...
賀茂百樹 著「日本語源 第18 つの部」興風館(昭和18)を参考に次のように仕分けしてみました。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1126424 (下49頁)
分類1と2の「吐く」「突く」はアクセントが(0)だが、分類3の「付く」はアクセント(1)(2)と、両者の異なっている点においても、分類上の差異を示してもいます。
ただし、分類2のうち ...
この一連の質問は、原文の当該箇所を前後を含めてそのまま画像添付されるか、その都度PDFの当該箇所を指し示しておかないと、転記ミスや文脈不明によって、皆さんの回答を阻まざるを得ないきらいが生じるでしょう。
徳富猪一郎 著「支那漫遊記」民友社(大正7)
「(30)大谷光瑞氏」57頁(画齣数:76/341)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/98081 ...
#4です。
「萬引油断ならず」が被害者側の言葉であるのに対し、犯罪者側の隠語符牒は次のように多岐にわたるようです。
もともと呉服屋での、「ビキ」という布物狙いの万引(反物の単位(=匹)」から。着物はビラ・ラン、反物はモンク・モンタン)は、また多くの符牒となっているようです。
・アカリフミ…明りの下で、ヤマを踏む窃盗である万引。
・カイモノ…買い物に託(かこ)ける意での万引。
・カ ...
「お内儀さん、油断しなささるな。旦那さんの留守に。」
「萬引油断がなりやせぬ。」
お内儀さん向かってのこの丁稚のセリフは、文政7年(1824年)初上演の「錦の帯屋雪の白木屋軒並娘八丈・秋色染話萩の枝折」で、南仙笑楚満人の著作です。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1018461 19頁(23/243)
「萬引」が副詞用法として「目引」の ...
この場合は「シコク」と読みます。「此方(こちら)の国」の意味です。
この文は、志筑忠雄訳『鎖国論』の中のそれであり、当時(享和元年(1801年))の表現様式からして「彼此(ヒシ)」で対比を成すので、音読み(どちらもに呉音・漢音共通)になるでしょう。
参考:
・國際法一名萬國公法 上編一(1873/03/01)
「…而シテ此国ト彼国トノ交際ヲ通シ條約ヲ結ブ具ヲ目称シテ政府ト云フ」
...
『プラス』 「加号」
『マイナス』 「減号」
『パー』 「毎(まい)」
『掛け算の別名を表す物(記号)』
を漢字にした物(計4つ)を、 「乗号」「除号」
参考
山口国三郎 著「代数学表解」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/828197/7
#4です。
>否定形で用いるのが日本では「ろくなことは出かさず」(冥途の飛脚1711年)だとすると、「ろくでもない」になるのはもっと後でしょうか。「ろくでもねえ」と言い出すのはいつ頃なのでしょう。
・「ろくではあるまい」
「現在親の別に、哀の情が見えぬ奴だから、ろくではあるまいと思ふと案のごとくだ。」(「浮世風呂」(1809年)
・「ろくでもない」
「そのくせこの種の句に限つて殊 ...
#4です。
>否定形で用いるのが日本では「ろくなことは出かさず」(冥途の飛脚1711年)だとすると、「ろくでもない」になるのはもっと後でしょうか。「ろくでもねえ」と言い出すのはいつ頃なのでしょう。
・「ろくではあるまい」
「現在親の別に、哀の情が見えぬ奴だから、ろくではあるまいと思ふと案のごとくだ。」(「浮世風呂」(1809年)
・「ろくでもない」
「そのくせこの種の句に限つて殊 ...
>元来は陸で無しと書いたが、そのうち碌で無しと誤記されるようになったとは想像しにくいです。
およそ、行儀の良い辞書の説明には、そもそも出典記録自体が不明瞭な、いわゆる方言や隠語など裏筋の情報を盛り込むわけにはいかないという制約があるため、どうしても限られた物の本の転載に止まらざるを得ない事情があるのでしょう。
それだけに「広辞苑」編者の新村出の辞書作りの背景情報満載の随筆集(「琅玕記(ろう ...
室町期よりの「Tono-sama(殿さま)」や「Padre-sama(パアデレ猊下)」のように、人名や身分を表す語に付ける敬称「さま(sama)」は、母音の調音運動を消失されて撥音便への転訛が活発な関西以西においては戦乱期にははやくも「さん(sama→sam→san)」という撥音便呼称に、やがて「あ・え・お段」では「はん(san→han)」に、また更には「やん」「つぁん」さらに「ちゃん」へと段訛( ...
次のURLでPDF閲覧できる辞書ではこうなっています。
「「邀」はサヘギル・招クと訓む字。求なりといふ時は音義同一、徼に作るも同じ。」(1275頁・667/1428)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950498
「求める」と読むときには「要」と「邀」「徼」は音義ともに同一」(通番5965「求」の「同訓異義」の項)なのだと。
言い換えれ ...
あれ?と思い幾つかの漢和辞典にあたりましたが見当たりません。
「岩波漢語辞典」にいたっては「尾」の項に「尾骶骨」と記していながら「骶」の項がありません。
どうやら昭和期以降での中規模以下の漢和辞典からは忘れられた漢字となっているようです。
「大漢和辞林」(大正8)では#1さんの通りに記載(1691頁 #854)されています。
http://kindai.ndl.go.jp/info: ...
神戸市立中央図書館の蔵書ファイルでは訓読みになっています。
橋本武著「青蛙随筆」 青蛙人形館
タイトル読み「アオガエル ズイヒツ」
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA63575510
平仮名交じり文であって刊記も明確で、その仮名活字にはわざわざ濁点を付け、しかも句読点も印刷した版式としてのいわゆる「烏丸本」では「日くらし」とあります。
参照:「三宅亡羊と『徒然草』の刊行(PDFデータ)
http://www.wul.waseda.ac.jp/Libraries/kiyou/54/pdf/06-kuboo.pdf
この「烏丸本」に基いた形で、慶安5年に松永貞徳は注釈 ...
大正期の辞書では次のように、むしろ昨今誤用とされている意味の方に近い用法となっています。
「うがつ 穿つ [ニ]飽くまで穿鑿す。隠微なる点を探り発(あば)く。理を窮む。ほじくる。」
「言泉 : 日本大辞典. 第1巻」348頁(大正10-11年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969159
この穿鑿(せんさく)には「むやみに憶測する ...
#3・6です。
高橋五郎 著「いろは辞典 : 漢英対照」(明21.5)を確認しました。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902745
本書の768頁に次のように載っています。
「こしつ[する] 固執、かたくとる、いぢはる To fold fast, to insist on.」
わが国の辞典類での読みの経緯を纏めてみました。
明治中期から昭和初期を通して、「こしつ」読みが主で、「こしゅう」が主見出しとして現れるのは昭和期に入ってからと見れます。
漱石でさえ論説文と新聞小説で読みが変わっているのは、結局音読みでは「こしゅう」だが、世間的に「こしつ」であることにもあえて固執しないということでしょうか。
1.1888(明治21)年
コシツ…主見出し(「漢英対照いろ ...