- 著者
-
井上 優
- 出版者
- 日本語学会
- 雑誌
- 國語學 (ISSN:04913337)
- 巻号頁・発行日
- vol.52, no.3, pp.94-95, 2001-09-29
(1)のような「シタ」は,対応する否定形式が「シナカッタ」でなく「シテイナイ」となることから,「完成相過去」ではなく,「パーフェクト相現在」を表すと言われる。(1)「もう昼飯を食べたか?」「いや,まだ食べていない(×食べなかった)。」しかし,(1)の現象は「シタ」がパーフェクト性を持つことを示すものではない。むしろ,(1)は次の(2)と同様,直接の対応関係にない肯定形式と否定形式が一定の文脈の中で対をなして用いられる(見かけ上対応するように見える)だけのケースである。(2)(ワイシャツについたシミを落としながら)a よし,落ちた。b なかなか落ちないなあ(×落ちてないなあ/×落ちなかったなあ)。(2)bの「落ちない」は「現在`落ちる'ことが実現される様子がない」ことを表す。これに直接対応するのは「現在`落ちる'ことが実現される様子がある」ことを表す「落ちる」であり,「落ちた」ではない。(1)もこれと同類の現象である。現代日本語の「シタ」は,「過去にこのようなことがあった」ということを表すだけでなく,「出来事全体を(その前後を含む)継起的な時間の流れの中に位置づける」という動的叙述性が顕著である。そして,それに呼応する形で,「シナカッタ」も「当該の出来事が実現されないまま終わった」ことを表し,単に「このようなことは過去にない」ということの叙述はパーフェクト相現在「シテイル」の否定形「シテイナイ」が担う。その結果,(1)のように当該の出来事が実現される可能性が残されている文脈では,「シナカッタ」ではなく,「シテイナイ」が用いられることになる。つまり,(1)の現象は,「シタ」の動的叙述性の強さ(ある意味では完成性の強さ)を示すものであり,「シタ」がパーフェクト性を持つことを示すものではない。