著者
松井 敏史 海老原 孝枝 大類 孝 山谷 睦雄 荒井 啓行 佐々木 英忠
出版者
一般社団法人 日本老年医学会
雑誌
日本老年医学会雑誌 (ISSN:03009173)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.325-328, 2003-07-25 (Released:2011-02-24)
参考文献数
20
被引用文献数
2 3

高齢者肺炎は, 嚥下機能・免疫生体防御機能・上部消化管機能の低下などが関与した誤嚥性肺炎が特徴であり, 再発 ―ADLの低下―死への転帰をたどる. その病態は生命維持の根幹である‘食すること’が一転して今度は病因となったもので, 根本治療は抗生物質投与でなく‘食すること’の機能改善である. 嚥下・咳反射に重要な大脳基底核領域から咽・喉頭, 気管に投射するドパミン―サブスタンスP系ニューロンは日本人の脳血管障害に多い基底核梗塞で破錠し, 誤嚥性肺炎の発症へとつながる. 治療はドパミン―サブスタンスP系の賦活と脳血管障害の予防と治療である. サブスタンスPの分解を阻害するACE阻害薬やサブスタンスPの放出を促す口腔ケア, ドパミン放出作用のある塩酸アマンタジンや, ドパミン生成に関与する葉酸の投与は誤嚥性肺炎を抑制し得る. 一方, 痴呆患者における周辺症状の緩和に用いられる抗ドパミン作用を有する薬剤の乱用や, 寝たきり患者の食直後の臥位姿勢は肺炎を誘発しうる.
著者
梅原 肖美 脇元 幸一 岡田 亨 斉藤 仁 佐々木 紗英
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2003, pp.H1046-H1046, 2004

【目的】<BR>我々は、2002年6月よりN高校アメリカンフットボール部に対して、医科学的サポートを実施している。今回、傷害調査とフィジカルチェックを通して、オフェンス(以下OF)・ディフェンス(以下DF)別の受傷機転と身体能力の関連性について以下に報告する。<BR>【対象】<BR>2002年6月~2003年11月にN高校アメリカンフットボール部に在籍し、ライン以外のポジションの選手、延べ29名、平均年齢16.4歳を対象とした。<BR>【方法】<BR>傷害調査は、2003年1月から10月の期間、聞き取り調査を実施した。調査結果より、傷害で1日以上練習を制限、または試合を欠場した選手の受傷機転を調べた。受傷機転は1対1のコンタクト時を単数群、密集や、1対複数の受傷を密集群とし発生傾向を調査した。<BR>フィジカルチェックは、年に2回6、10月に実施した。項目は、以下のとおりとした。身体計測「体重・体脂肪・筋力量」、柔軟性測定「指床間距離;Finger-Floor-Distance以下FFD、下肢伸展挙上;Straight-Leg-Raising以下SLR、踵殿間距離;Heel-Buttock-Distance以下HBD」、筋力テスト「等尺性膝伸展筋力、等速性膝伸展筋力;以下60deg/sec(peak-Torque/Body-Weight)」。結果は,Wilkcoxonの符号順位和検定を用いた。<BR>【結果】<BR>傷害調査結果、対象は31件だった。その中でポジション別、受傷機転別での傷害発生は、OFは単数群7件、密集群5件、DFは単数群12件、密集群5件であった。フィジカルチェックの結果によるOFとDF間の違いは、体重OF:62kg、DF:61kg、体脂肪率はOF:13.7%、DF:13.9%、SLR:はOF:84°、DF:86°、HBDはOF:8.6cm、DF:8.9cm、等尺性膝伸展筋はOF:111.0kg/kg、DF:102.9kg/kg、60deg/secは、OF:99%、DF:101%、と有意差は認められなかった。<BR>【考察】<BR>傷害調査より、OFはDFより1対複数のコンタクトによる受傷が多い傾向にあった。これは、OF選手がタックルの対象になるため、多数の選手より大きな外力を受ける結果と考えられる。また、フィジカルチェックでは、OF・DF間に有意差はなく、身体特性と受傷機転には関連性が認められなかった。これには、競技年数が浅く初心者が多いことから各ポジションにおける身体能力の確立が十分でないことが原因として考えられる。このため、選手の身体能力の状況とポジション別の障害発生の傾向を十分理解し、現場のリスクマネージメントと競技力向上に協力していくことが重要と考える。
著者
佐々木 勇和 原 隆浩 西尾 章治郎
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.175-186, 2011-01-15

アドホックネットワークでは,膨大なデータの中から必要なデータのみを効率的に取得するため,端末が何らかの値(スコア)によって順序付けられたデータの上位k個のものを検索するTop-k検索を用いることが有効である.本論文では,アドホックネットワークにおいて,トラヒックの削減と検索結果の取得精度の低下を抑止を目的とするTop-k検索手法を提案する.提案手法では,各端末がヒストグラムを作成し,ネットワーク全体のk番目のスコアを推定する.次に,推定したk番目のスコア以上のスコアを持つデータを返信することで,できる限り検索結果に入るデータのみを返信する.また,返信先の端末とのリンク切断を検出した端末は,他の隣接端末にクエリ応答を返信することで,検索結果の取得精度の低下を抑止する.In mobile ad hoc networks , to acquire only necessary data items, it is effective that each mobile node retrieves data items using a top-k query, in which data items are ordered by the score of a particular attribute and the query-issuing mobile node acquires data items with the k highest scores. In this paper, we propose a query processing method for top-k query for reducing traffic and also keeping high accuracy of the query result. In this method, each node constructs a histogram and estimates the k-th score in the entire network. When transmitting a reply, each mobile node sends back only data items whose scores are larger than the estimated k-th score to reduce traffic as much as possible. Moreover, when a mobile node detects the disconnection of a radio link, it sends the reply to another neighboring node to keep high accuracy of the query result.
著者
佐々木 邦博
出版者
信州大学農学部附属演習林
雑誌
信州大学農学部演習林報告 (ISSN:05598613)
巻号頁・発行日
no.30, pp.p1-90, 1993-12

この論文の目的はまずフランスの造園の歴史における二つのターニング・ポイント,すなわち17世紀の変革と19世紀の変革の内容と特徴を探り,明らかにすることにある。前者はヴェルサイユ庭園に代表されるフランス式庭園の成立の時期であり,後者はパリの都市改造において緑地計画が実行された時期である。また二つの変革には共通する指向性が存在する。それは近代化と見なされる傾向なのだが,この点について考察を進め,明らかにしていくことを第二の目的とする。以下が明らかとなったことの要約である。17世紀後半に起きた変革の特徴の一つは,それが一人の造園家,アンドレ・ル・ノートルによりもたらされたことである。また次に,彼が創造したフランス式庭園にヴェルサイユ庭園というまぎれもない代表作が存在することである。まずこの庭園の特徴と建設過程から明らかにする。ヴェルサイユ庭園の特徴は第一に比類の無い広大さにある。次に庭園の構成だが,東西と南北の宮殿前で直交する2本の軸を対称軸とした幾何学的構成をとっていることである。特に東西軸は地平線を見渡すヴィスタとなっている。さらに宮殿付近は緻密に,離れるに従って空間構成が大きくなるという密度の差がみられる。この差は宮殿に向かっては凝縮する感覚,反対方向へは無限の感覚を与え,2本の軸線と相まって宮殿を中心とする小世界を形成しているのである。そして最後に庭園の構成物,及びそれを含む空間はすべてが巨大であり,人間を相対的に矮小化させ,ヒューマン・スケールをはるかに超越した世界を構成している。すなわち王権神授説に基づく王の権力を具現化した世界なのである。次にこの庭園の建設過程だが,その特徴は王であるルイ14世が死ぬまで手を加え続けた点にある。建設作業と改変作業が間断なく続行されていた。そこで作業の特徴により時期を区分して考えると,第1期(1661-67)は地割りを確定する時期,第2期(1667-84)はボスケを中心に装飾が施される時期,第3期(1684-98)は装飾が変更される時期,第4期(1698-1715)は衰退期となることがわかる。この変化は王の権力基盤の強化と密接に絡まっており,その内実の変化を反映させながら建設が進められ,改変され続けたのである。次に宮殿と都市の変化を問題とする。ヴェルサイユとは庭園,宮殿,都市が一体となって発展した場所だからである。宮殿は1663年,1668年,1678年に大改造される。小さかった城館が王の一族,そして貴族まで部屋を持つ大宮殿に変身する。また都市も計画的に建設される。1671年からヴィル・ヌーヴが建設されるが,そこは宮殿付近には貴族,最も遠い地区には商人,中間には大商人とヒエラルキーを持って構成される。1685年からパルク・オ・セルフという地区が造られるが建物は造られなかった。以上のことを総合的に捉えるなら,ある一貫した動きが認められる。すなわち王を最高権力とするヒエラルキーが貫徹した世界を具現化しようとする動きである。庭園を祝宴の場として建設し,その架空の世界の中でその世界を演出していたのが,宮殿の拡大と都市建設の後にここに宮廷を移転してその世界を実体化したのである。17世紀における造園の変革を整理すると,次のような点にまとめられる。まず庭園造りの点だが,一種の始源的世界を表わす模様造りから広大な空間の構成を巡る課題へとその重心を移動したことが上げられる。そしてこの中で闇の世界を表現するような奇怪で無秩序な事物は姿を消し,人知に基づく合理的な世界が新たに姿を表わすのである。またこの中で技術的な面でも対応が迫られる。すなわち測量の技術と噴水などのための水の技術の発展である。次の点は他分野との協力関係である。ヴェルサイユは造園家ル・ノートル,建築家ル・ヴォー,装飾を担当した画家ル・ブランが協力して造り上げた。造園の変革も他分野との協力関係の中で生まれているのである。最後に造園と都市計画が極めて関連し,同じ構造を持っている点が上げられる。造園のこのように大規模な変革の意義だが,それは造園の政治的,美術的,文化的,思想的などの多様な側面にわたることであり,そしてそれは社会経済的背景とも密接に関係していた。そのためにフランス式庭園はまずヨーロッパ中で迎えられ,全世界に広まったのである。19世紀中葉に起きた変革はパリの都市改造計画の一環として行なわれた緑地計画によりもたらされる。皇帝ナポレオン3世が指示し,それを受けたセーヌ県知事オスマンが実行するのだが,彼は緑地部門の責任者にアルファンを任命する。こうして緑地計画が進められていく。この緑地計画はパリ中に緑地を体系的に配置するものだが,それらの緑地の特徴はまず面積によるカテゴリーがあることが上げられる。広い順に並べると,森,公園,スクワールであり,しかもこれらを並木道が結ぶという,階層を持った構造を伴っているのである。次の特徴はこれらの配置にある。3段階に分けられた緑地はそれぞれ市内に均等になるように散りばめられる。さらに緑地のデザインがほぼ同様の傾向であることを考慮するなら,この計画は市内のあらゆる区域の均等化を狙っているといえるのである。次にそれらの緑地を創出した目的だが,それは第一に都市衛生の改善にある。そして同時に緑地はプロムナードでもあり,散策する場所であった。しかし利用する市民の側から見るなら緑地は新たな社交の場であり,また娯楽施設的な面を兼ね備えた場なのである。つまり緑地は都市の特別な装置となったのであり,都市文化の産物として用いられたのである。この緑地計画の責任者であるアルファンは「プロムナード・ド・パリ」と題された詳細な記録を残している。この本には長文の序文があり,そこには彼の造園に対する考え方,パリの緑地の造園史上の位置づけが記され,さらに新しい庭園が提案されている。そこから以下のことが明らかになる。すなわちアルファンは当時造園が社会的におろそかにされていた状況に反発し,造園の社会的重要性に社会の眼を開かせようとした。そのために造園は芸術であると主張し,証明しようとした。彼は芸術が製作者の思考の反映された創造物であるという定義を下す。そして造園の歴史からみるならパリの緑地は最も進んだ創造物なのであり,しかも芸術に値する作品であると自負していた,ということである。そしてこの主張は当時の社会の中で重要な思潮だった科学主義に影響を受けていたのである。次にアルファンが提案した新しい庭園だが,整形式庭園と非整形式庭園に分けて説明されている。その全体を捉え,特徴を整理するなら,次の4点にまとめられる。第一に二つの様式を対等に評価する観点が上げられる。つまり土地の広さと起伏からよりよい効果が得られる様式を選択すべきという考えである。次に自然らしさへの志向がある。自然樹形を重んじ,しかも植物学の知識に基づいた上での志向である。第三に庭園のデザインは利用を中心として構成されるべきとすることがある。美しさだけではなく,歩き易さも求めるのである。そして4番目に,庭園の構成手法の体系化を試みたことが上げられる。最後にこのような新しい庭園,つまり近代的な庭園を一言で表現するなら,それは生身の人間が利用することに主体をおいた庭園なのである。19世紀の変革は緑地の体系的な建設にとどまらず,造園界の認識が以上のように大きく変化してきたことにも求められるのである。19世紀における変革を整理すると,まず造園が対象とする空間として公共空間が生まれたことが上げられる。この公共緑地はプロムナードとして把握され,散歩する楽しさを語っている。新たな都市文化であった。次にそのデザインだが,穏やかな自然風景を基調としている。理解するためには一定の教養が必要とされる事物は捨象され,万人が味わえるよう大衆化されたのである。また各方面で体系化がなされていくことがある。緑地配置,造園史,構成手法,施工プロセスなどの面で行なわれた。この変革の意義はそれが社会的な必要性の面からもたらされ,実用的な面から造園が捉えられたことである。そして緑地は新しい都市文化の舞台となり,社会的に重要な役割を担うようになった。またこの変革は合理的で実証的な思考に基づく科学主義に支えられており,近代という時代にふさわしい形態に変革する近代化であったといえる。これらのことからパリのプロムナードは近代都市の象徴の一つとされ,世界中の都市に広まっていく。17世紀と19世紀の変革に共通する傾向を捉えるなら,主に二つの面が浮かび上がる。まず都市との関係である。17世紀の場合は都市の新しい形を生み出すためのヴィジョンを庭園が提供し,19世紀の場合は公共緑地が近代都市形成の有力な構成要素となる。両者ともに都市と造園空間の一体性,あるいは類似性が指摘されるのである。次の面は普遍性,合理性,計画性である。これらの特徴を獲得したことによりいずれの場合も世界的に注目され,新しい形態を発信しえたのである。これらのことから判明することは17世紀の変革は19世紀の変革の先駆的意味を持っていたのであり,近代の先駆けとなり,近代を準備した変革であったことである。このような点で両者は密接なつながりを持っていたのであった。
著者
佐々木 貴弘 ササキ タカヒロ Sasaki Takahiro
出版者
大阪大学大学院国際公共政策研究科
雑誌
国際公共政策研究 (ISSN:13428101)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.135-149, 2013-03

In Japan, sexual minorities are discriminated against both socially and legally. In order to confront this situation, this study will explore the possibility of the use of anti-discrimination laws from the viewpoint of sexual minorities. For this purpose, I will deal with the present situation of sexual minorities in Japan, the Japanese Constitution, and the anti-discrimination laws in England and Wales. Finally, this study will discuss how anti-discrimination laws should be designed giving consideration to sexual minorities. In this part(1), the present situation in Japan will be clarified. In addition, the Japanese Constitution will be interpreted both in this part and the next.
著者
小枝 一彦 造賀 芳文 上山 哲平 餘利野 直人 佐々木 博司
出版者
一般社団法人 電気学会
雑誌
電気学会論文誌B(電力・エネルギー部門誌) (ISSN:03854213)
巻号頁・発行日
vol.126, no.8, pp.789-797, 2006 (Released:2006-11-01)
参考文献数
20
被引用文献数
5 7

This paper proposes a new framework of distribution system planning under the condition of mass installed Distributed Generators (DGs). At present, distribution system planners do not pay much attention to the interconnection of DGs. However, if some DGs can supply power instead of conventional power stations, they will give a significant impact. The planners will have a new option to build a network system plan without unnecessary investment to distribution networks. In this study, an objective function for distribution system planning is formulated to obtain maximum profits for utilities, and the authors discuss reduction of the utilities' investment cost and distribution system loss for installation of DGs. In addition, the authors propose a solution method using a genetic algorithm technique in order to find quasi-optimal solutions for large scale problems. Furthermore, the authors also discuss the connection tariff in order to increase the utilization rate of distribution networks. The advantage of the proposed method is demonstrated through several numerical simulations with successful results.
著者
佐々木 正 源 勝麿
出版者
The Pharmaceutical Society of Japan
雑誌
Chemical and Pharmaceutical Bulletin (ISSN:00092363)
巻号頁・発行日
vol.12, no.11, pp.1329-1338, 1964-11-25 (Released:2008-03-31)
被引用文献数
12 14

Im Rahmen der Untersuchungen der Synthesemoglichkeit von as-Triazin-N-oxyden, oxydierten wir 3-Amino- bzw. 3-Amino-5, 6-dimethyl-as-triazin durch Persaure, wobei sich die entsprechenden 5-Oxo-verbindungen und ein Mono-N-oxyd von 3-Amino-5, 6-dimethyl-as-triazin erhalten lieβen, deren Konstitutionen bzw. diejenigen der acetylierten Korpern durch Dipolmoment-Messungen sowie spektroskopisch diskutiert wurden.
著者
佐々木 全 我妻 則明 SASAKI Zen AZUMA Noriaki
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.435-439, 2015-03-01

平成19年に「特別支援教育」が学校教育法に位置付けられ,通常学級に在籍している発達障害児童生徒も支援の対象として公的な認知がなされた。以来,通常学級における特別支援教育に関する実践研究への関心が高まっている。岩手県では,「いわて特別支援教育推進プラン」(岩手県教育委員会,2013)によって,インクルーシブ教育を推進し,通常学級における特別支援教育についても,小中学校のみならず,高等学校での普及,定着をめざしている。また,障害者権利条約批准によって,インクルーシブ教育は後押しされ,通常学級における特別支援教育の精度向上が動機づけられている(たとえば,特別支援教育の在り方に関する特別委員会,2011,2012)。第一筆者は,通常学級における特別支援教育に三つの立場でかかわってきた。具体的には,①親の会等市民活動団体による実践者の立場でもある。これは1990年代半ばから現在に至る。特にも,放課後・休日活動支援に取り組んでいる(例えば,佐々木,伊藤,名古屋,2014)。②特別支援学校のセンター的機能の実務担当者の立場である。これは,2000年代半ばから2010年代に至った。特にも,巡回相談にて,小中高等学校の通常学級に在籍する発達障害児童生徒の支援に携わった。また,それに資する地域支援の開拓にも取組んだ(例えば,佐々木,2012)。③通常学級の担任及び教育相談担当者の立場である。これは2013年から現在に至る。特にも,高等学校において学級担任と特別支援教育コーディネーターを兼務し,発達障害生徒を擁する学級経営,教科指導,かつ,特別な支援の必要を伴う教育相談を担当し,面談や関係機関との連携等のケースワークを行なった(例えば,佐々木,2013)。本稿では,これらの立場によって得た実践経験に基づき,発達障害を巡る動向とその支援における実践上の課題について,それらの変遷を回顧的・逸話的に整理し,現在の課題を明確化する。