著者
大石 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.12-29, 2017 (Released:2017-06-09)
参考文献数
19

2017年に連邦結成150周年を迎えるカナダは,英語とフランス語を公用語とする二言語国家として知られるが,その実態は複雑であり,必ずしも正確に理解されていない.そこで本稿では,言語景観と二言語話者人口に注目し,カナダの二言語主義の現状と課題を現地調査と国勢調査に基づいて解説する.カナダでは1969年に制定された公用語法により,連邦政府の施設は二言語で表記され,二言語でサービスを提供することになっている.一方で,各州の行政はそれぞれの法令に基づいている.したがって,同じ場所に立地していても,連邦と州の施設では用いられている言語が異なる場合がある.また,英語圏の大都市において二言語話者人口の割合が非都市地域よりもやや高い傾向がみられるものの,ケベック州をはじめとするフランス語を母語とする人口の割合が高い地域において,二言語話者人口の割合が高い傾向はあまり変わっていない.
著者
大石 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.18-24, 2015 (Released:2015-06-25)
参考文献数
26
被引用文献数
2

近年,欧米諸国において国勢調査(センサス)の調査方法の転換が進んでいる.本稿では,カナダの2011年国勢調査における詳細調査票の廃止とその影響を解説することを目的とする.カナダ政府は2010年6月,プライバシー保護を理由に,それまで回答が義務づけられていた詳細調査票の廃止を決定した.それに代わって導入された全国世帯調査は回答が任意であり,回収率はカナダ全土で68.6%にとどまった.したがって標本に偏りがある可能性が高く,データの質は従来よりも低下し,時系列的変化の分析も不可能になった.
著者
大石 太郎 有路 昌彦 高原 淳志 大南 絢一 北山 雅也 本多 純哉 荒井 祥
出版者
日本フードシステム学会
雑誌
フードシステム研究 (ISSN:13410296)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.2-11, 2012-06-30 (Released:2012-09-27)
参考文献数
22
被引用文献数
3 2

We investigated the impact of food additives on the price of fish paste products by using a hedonic price approach. For our research, food additives include preservatives, coloring materials, sweeteners, pH adjusters, polysaccharide thickeners, calcined shell calcium, trehalose, sorbitol, xylose, and calcium carbonate. As a result of the analysis, we found that products using preservatives have a statistically significantly lower price than others, and the other food additives do not have statistically significant price effects. The result suggests that preservatives contribute toward keeping the cost of goods from increasing during distribution and marketing and enable a reduction in the price of fish paste products. Using preservatives reduces the financial burden of consumers and contributes toward consumers getting substantive benefits.
著者
大石 太郎
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2010年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.16, 2010 (Released:2011-02-01)

第二次世界大戦前における日本人の海外への移民については、地理学をはじめ多くの学問分野から関心が寄せられてきた。日本人の移住先は多方面にわたっており、環太平洋地域の全域に広がっているといっても過言ではない。環太平洋地域には第二次世界大戦前までに、人・物・金が移動する地域システムが形成されており、日本人の国際移動はそれを構成する重要な要素であった(米山・河原 2007: 18)。この立場に従えば、1892年以降、おもにニッケル鉱山の労働者として日本からの渡航者がみられるようになったニューカレドニアも、その地域システムの一部であったということになる。実際、ニューカレドニアには戦前期を通じて日本人が居住し、とくに日米開戦直前の数年間は人や金の往来が激しくなっていた。本報告では、ニューカレドニア公文書館が所蔵する在ヌメア日本領事館の記録に基づいて、第二次世界大戦前のニューカレドニアと日本人の実態を明らかにすることを目的とする。 ニューカレドニアは、1774年にイギリスの探検家クックによって「発見」された。しかし、当時は領有には至らず、結局、1853年になってフランス領となることが確定し、流刑植民地として利用されるようになる。その後、1864年にジュール・ガルニエによってニッケルが発見されたことにより、急速に開発が進められた。19世紀後半、鉱山開発のための良質な労働力の確保を迫られた鉱業会社は日本に白羽の矢を立て、日本政府との交渉を模索する。 ニューカレドニアの鉱業会社ル・ニッケルと日本外務省との間で合意に達し、契約移民として最初の移民が日本を旅立ったのは1892年のことであり、600名全員が熊本県出身の男性であった。以来、1918年までの間に5,500名あまりが契約移民としてニューカレドニアに渡航した。移民の出身県をみると、もっとも多くの移民を輩出したのが熊本県であり、2,049名を数えている。以下、沖縄県の821名、広島県687名、福岡県596名、福島県341名の順になり、全体としてみれば,一般に指摘されている傾向と同様に、西南日本からの移民が多数を占めているといえる。 これらの移民は鉱業会社との契約に基づくものであり、たとえば5年間などの契約期間が終われば、帰国することもできた。実際、初回の移民はほとんどが帰国したようである。しかし、その後は現地にとどまる移民がみられるようになる。そして、首都ヌメアでは日本人の商店が軒を連ねるようになり、同時代の記録によると、外地とは思えぬ印象を訪問者に与えるほどであったという。第二次世界大戦直前には合弁により日系の鉱業会社が設立され、それにともなって日本との間で人の往来が活発になり始める。 しかし、1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃を受けて、ド・ゴールの自由フランス側に立つニューカレドニア当局は日本人を一斉に逮捕し、順次オーストラリアへ強制送致した。終戦後に彼らは日本に強制送還され、ごくわずかな例外をのぞいてニューカレドニアに戻ることはなかった。日本人女性が極端に少ないなかで、現地の女性と結婚あるいは同棲した日本人男性も少なくなかったが、相手の女性とその間に生まれた子どもたちは、現地に残されることになった。こうして、戦前期ニューカレドニアにおける日本人移民社会は崩壊した。 日本とニューカレドニアとの間の人の往来は第一次世界大戦以降、1920年代を通じて停滞していたが、1930年代に入ると再び活発になってくる。そのようななか、在ヌメア日本領事館は1940年3月に開設された。初代領事は黒田時太郎であり、続いて1941年3月に山下芳郎が2代目の領事として赴任している。ニューカレドニア公文書館には、日米開戦までの2年弱のあいだ存在した在ヌメア日本領事館の記録が所蔵されている(資料番号107W)。 この記録にはさまざまなものが含まれるが、中心となるのは受信文書と送信文書である。これらの文書の送信元や送信先はおもにニューカレドニアの政庁や各国の在ヌメア領事館、鉱山会社などであり、そのほとんどはタイプライターを用いてフランス語で書かれている。そのほか、領事業務にかかわるものとして在留日本人から提出された文書やそれらの手数料の記録、領事館で必要とした物品等の購入にかかわる領収書類などが残されている。報告では、こうした資料に基づいて第二次世界大戦前のニューカレドニアと日本人社会に関する知見を提示する。
著者
邢 璐 大石 太郎
出版者
日本フードシステム学会
雑誌
フードシステム研究 (ISSN:13410296)
巻号頁・発行日
vol.29, no.4, pp.225-230, 2023 (Released:2023-03-23)
参考文献数
21

Blind tests were conducted to evaluate the taste and sensory properties of orange-cultured red sea bream (OCRSB). OCRSB belly was rated statistically higher than regular back for three items: total, color, and smell. An analysis by sex showed that the color and smell of OCRSB belly rated significantly higher for males than females. An analysis by country of origin showed that several items related to the belly or back rated higher for Chinese OCRSB than Japanese OCRSB.
著者
大石 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p>Ⅰ はじめに</p><p></p><p> 国家やエスニック集団の記憶は,そのアイデンティティ形成に重要な役割を果たしており,それらは博物館やイヴェントを通じて強化され,継承される.たとえばカナダでは,実質的な建国記念日であるカナダ・デーを祝うイヴェントが首都オタワの連邦議会議事堂前広場において総督や首相が出席する国家行事として開催され,二言語主義や多文化主義といったカナダの国是に沿った演出がなされてきた(大石 2019).エスニック集団の記憶も,たとえば矢ケ﨑(2018)がアメリカ合衆国におけるさまざまな集団の事例を検討し,移民博物館やエスニック・フェスティヴァルがその記憶と継承に大きな役割を果たしていることを示した.本報告では,カナダ東部の沿海諸州(ノヴァスコシア州,ニューブランズウィック州,プリンスエドワードアイランド州)のフランス系住民アカディアンの記憶とその継承を,5年ごとに開催される世界アカディアン会議に注目して検討する.報告者は,2014年開催の第5回および2019年開催の第6回世界アカディアン会議に参加していくつかのイヴェントを観察するとともに,関連資料を収集した.</p><p></p><p> </p><p></p><p>Ⅱ アカディアンと世界アカディアン会議</p><p></p><p> アカディアンはカナダの沿海諸州に居住するフランス系住民であり,北アメリカに入植した最初のヨーロッパ人であるフランス人入植者の末裔である.18世紀にイギリスの支配下に入って以降,英語への同化が進んでしまったが,フランス語が英語と並ぶ公用語となっているニューブランズウィック州を中心に,現在もフランス語を母語として維持している.そこで一般には,統計的に把握しやすいこともあって,沿海諸州に居住するフランス語を母語とする者をアカディアンとみなす場合が多い.ただし,沿海諸州のフランス語話者にはケベック州出身者が一定程度含まれる一方,同化されてしまった家系にもアカディアンとしてのアイデンティティを維持する者が存在する.</p><p></p><p>アカディアンの先祖であるフランス人入植者は,1755年にイギリス植民地当局によって入植地(現在のノヴァスコシア州)から追放された.この「ディアスポラ」体験は,今日まで彼らのアイデンティティの核となってきた.また,19世紀末の一連のアカディアン・ナショナル会議で選ばれた象徴(守護聖人,旗,歌など)も,アカディアンのアイデンティティを今日まで支え,また可視的なものとしてきた.</p><p></p><p> 世界アカディアン会議は,入植400周年を10年後に控えた1994年に第1回が開催されて以来,アカディアンが居住する各地をホスト地域として5年ごとに開催されている.</p><p></p><p> </p><p></p><p>Ⅲ アカディアンの記憶と継承</p><p> 報告者が参加した第5回はニューブランズウィック州北西部を中心にアメリカ合衆国とケベック州の隣接する一部の地域を,第6回はプリンスエドワードアイランド州とニューブランズウィック州南東部をそれぞれホスト地域として開催された.興味深いのは,それぞれのホスト地域とのかかわりでアカディアンのアイデンティティが再確認されることである.すなわち,世界アカディアン会議はアカディアンのアイデンティティを統合・強化するのみならず,居住する各地を参加者らに展示する役割をも担っている.</p>
著者
大石 太郎
出版者
公益社団法人 東京地学協会
雑誌
地學雜誌 (ISSN:0022135X)
巻号頁・発行日
vol.115, no.4, pp.431-447, 2006-08-25
参考文献数
34
被引用文献数
1

After 1969 when the French language became one of Canada's two official languages its sta tus gradually improved. In particular, the Canadian Charter of Freedom and Human Rights, included in the Constitution Act 1982, and the Mah&eacute; case heard by the federal Supreme Court in 1990 as a clarification of the charter promoted improvements to the education system for francophones outside Quebec. In other words, institutional support for francophones has been developed especially in the realm of education. While traditional francophone communities outside Quebec are mostly situated in rural and remote areas, francophone communities have been developed in English-dominant Canadian cities as a result of migration. This study, therefore, attempts to examine language maintenance of francophones and development of their community in the Halifax region, Nova Scotia, as a case of English-dominant Canadian cities, based on the author's field survey carried out in 2003, and which included some interviews.<BR>Concerning the demolinguistic situation in Nova Scotia, an analysis of census data from 1951 to 2001 confirms that the French mother tongue population and the bilingual population in Halifax County increased. In addition, age composition among francophones in Halifax County is much healthier than that of traditional francophone counties.<BR>Most francophones in the Halifax region were born in Quebec or the Maritimes, and moved to the Halifax region to work or enter university, and in some cases, met their future spouses there. Because Halifax is the most important city in Atlantic Canada, many departments and agencies of the federal government have a regional office. Consequently, there are many job opportunities for bilingual people. As a result, it is natural for francophones to work in the Halifax region as bilingual. In 1991, a French school and francophone school board was established in the Halifax region : finally the provincial-wide francophone school board was established in 1996. Of course, education is an important factor for language maintenance. However, the francophones in the Halifax region who want their children to keep the French language not only send their children to a French school in the region, but also make them speak French in conversations with the family members. Much effort is required to keep the French language in English-dominant Canadian cities. However, they succeeded in overcoming these difficulties and developing their community.<BR>Previous studies on language maintenance emphasized institutional support such as education, and its importance is clear in this study. However, institutional support since the 1980s in Nova Scotia seems to be belated in rural and remote areas. On the other hand, the social characteristics of the francophones in the Halifax region make institutional support effective.
著者
岩田 年浩 大石 太郎
出版者
関西大学
雑誌
情報研究 : 関西大学総合情報学部紀要 (ISSN:1341156X)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.1-31, 2002-08-20

ランダムに見える株価や経済データの変動に対する予測の可能性は,長く研究者の関心事であったが,それを分析する有効な手段は存在しなかった.ランダムな変動においては要素間の複雑な相互作用が関係しており,従来の回帰分析という近似では妥当し難い.近年, カオス研究の重要性については,自然科学や社会科学という枠組みを超えて議論がなされている.この新しい見解は,株価や経済データの分析においても新たな予測の可能性につながるものであるといえよう.本研究では,数値データそのものを定性的に分析する実証的カオス分析という新しい手法を用いて,株価や経済データの持つ独特の性質を抽出し,それが示す規則性から予測の可能性について検証した.
著者
大石 太郎
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.32, 2006

複数の言語集団が存在する地域では、多くの場合人口規模に対応する形で優勢な言語と劣勢な言語が存在するという状況が形成されやすい。そして、劣勢な言語を母語とする集団の構成員が優勢な言語を習得し、二言語話者になることが多くみられてきた。 カナダは、複数の言語集団が居住する地域の一例であり、具体的には、多数を占める英語を母語とする住民(英語系住民)に対して、フランス語を母語とする住民(フランス語系住民)が少数言語集団として存在してきた。その当然の帰結というべきか、カナダでは言語社会研究が非常にさかんであり、地理学はそこに一定の地位を占めている。そして、言語の社会的側面に関心を寄せる地理学的研究を意味する地言語学(geolinguistics)という名称も、人口言語学(demolinguistics)と並んで一般的になりつつある。 ところで、英語系住民が多数を占めるカナダにおいて、あるいは南の巨人アメリカ合衆国とあわせれば英語が圧倒的に優勢な北アメリカにおいて、フランス語系住民が8割以上を占め、1970年代よりフランス語のみを州の公用語とするケベック州はかなり特殊な存在である。そこで、ケベック州に居住する英語系住民は国家スケール、あるいは大陸スケールでは圧倒的多数派ながら、州スケールでは少数派という複雑な立場におかれている。それでも、「静かな革命」とよばれる1960年代の政治的・経済的・社会的変化と、それに続くカナダからの独立派政党の台頭までは、数の上では少数ながらも、英語系住民の地位が脅かされることはなかった。というのも、カトリック教会の強い影響力の下で、フランス語系エリートが政治を支配し、当時のカナダにおける経済の中心地モントリオール(モンレアル)に住む英語系エリートが経済を掌握するというすみわけがなされていたからである。モントリオールの英語系エリートがいかにフランス語を無視できたかということは、1958年にモントリオールのダウンタウンに建設された鉄道会社系の高級ホテルが多くの反対を押し切って「クイーンエリザベスホテル」と名づけられたことからもうかがわれる(Levine 1990)。しかし、カナダからの独立を目指すケベック党が勢力を強め、ついに政権を奪取してフランス語の一言語政策が強硬に進められるようになった1970年代後半以降、大企業の本社のトロントなどへの移転が相次ぎ、それに伴って英語系住民のケベック州からの流出が顕著にみられた。そのため、2001年センサスによればケベック州において英語を母語とする人口はわずか7.9%にすぎない(単一回答のみ)。そして、現在ケベック州に居住する英語系住民は、とくに若年層を中心にフランス語を習得して二言語話者となる場合がふつうになりつつある(大石 2003)。ケベック州の英語系住民に関する研究は、さまざまな分野においてかなりの蓄積がある。しかし、英語系住民がケベック州の言語環境にどのように適応してきたのかは十分に解明されているといえない。そこで本報告では、報告者が実施した聞き取り調査に基づいて、モントリオールにおける人口言語学的状況と英語系住民の生態を明らかにすることを試みる。
著者
望月 政志 大石 太郎 八木 信行
出版者
富民協会
雑誌
農林業問題研究 (ISSN:03888525)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.391-396, 2013-09-25
参考文献数
15

2011年3月11日の東日本大地震による原発事故以来,原発依存からの脱却と再生可能エネルギーを用いたエネルギー代替の可能性,レジリアントなエネルギーの在り方が注目されている。そうした中で,世界第6位の排他的経済水域を有する我が国においては海洋再生エネルギーへの期待も大きく,中でも洋上風力発電は,大きなポテンシャルを有することが指摘されている。最近では,同じ海面を利用する漁業と洋上風力発電の共存共栄についても検討されてはいるものの,現時点では洋上風力発電所建設に伴う漁業への影響は不明である。他方,漁業の盛んであった被災地では,被災した漁業の復興を目指すのか,あるいは洋上風力発電を通じて再生可能エネルギーを提供していくべきかについて,補助金等を通じた政策的意思決定をどのように進めていくのか明らかにすることが求められている。そうした状況において国内における洋上風力発電の経済波及効果に関する分析は政策的判断をする上で重要と思われるが,既存研究ではほとんど行われていない。また,先駆的研究である松本・本藤では産業連関表を用いた風力発電の経済波及効果の分析を行っているが,洋上風力と陸上風力を区別しておらず,雇用効果のみの分析に留まっている。また,被災地での洋上風力発電に関する経済波及効果については,石川他が洋上風力発電による生産額からみた東北地域(岩手,宮城,福島)での経済波及効果の分析を行っているが,洋上風力発電所建設による直接投資によって生み出される経済波及効果に関する分析は行われていない。そこで本研究では,今後の震災復興における洋上風力発電や漁業振興への政策的意思決定に資する情報提供を行うことを目的として,以下の分析を行う。第一に,洋上風力発電所建設および建設に向けての計画や建設後のメンテナンス等を含むコストを洋上風力発電所設置への投資とみなし,その投資から生み出される経済波及効果を全国レベルおよび地域レベルで試算する。全国レベルでは,「平成17年(2005年)産業連関表」(総務省)を用いた全国での経済波及効果を試算し,国内にて洋上風力発電所を設置した場合の一般的な経済波及効果についてみる。地域レベルでは,海面漁業における被災漁船の被害額が全国で最も大きかった宮城県を事例に取り上げ,宮城県で洋上風力発電所設置に投資した場合の経済波及効果について「平成17年宮城県産業連関表」(宮城県)を用いて試算する。第二に,震災復興に向けて被災漁船の修復・建造のための設備投資を行った場合の経済波及効果と同等の投資を洋上風力発電に対して行った場合の経済波及効果を金額ベースで試算し,両者の比較を行った。第三に,洋上風力発電所が生み出す経済価値(年間発電金額)を試算した。また,宮城県の被災漁船の修復・建造によって生み出される経済価値(海面漁業生産額)についても試算し,洋上風力発電からと被災漁船の修復・建造から生み出される経済価値についても比較した。なお,洋上風力発電の基礎設置形式には,設置海域の水深の違い等により,風車を海底に固定させる着床式と風車自体を海に浮かべる浮体式の設置形式があるが,現時点では着床式が主流でありデータが充実していることから,本稿では着床式の洋上風力発電を想定し試算した。
著者
矢ケ崎 典隆 山下 清海 加賀美 雅弘 根田 克彦 山根 拓 石井 久生 浦部 浩之 大石 太郎
出版者
日本大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

多民族社会として知られるアメリカ合衆国では、移民集団はいつの時代にも異なる文化を持ち込み、それが蓄積されて基層(古いものが残存するアメリカ)を形成してきた。従来のアメリカ地誌は表層(新しいものを生み出すアメリカ)に注目した。しかし、1970年代以降、アメリカ社会が変化するにつれて、移民の文化を再認識し、保存し、再生し、発信する活動が各地で活発化している。多様な文化の残存、移民博物館、移民文化の観光資源化に焦点を当てることにより、現代のアメリカ地誌をグローバルな枠組みにおいて読み解き直すことができる。アメリカ合衆国はまさに「世界の博物館」である。